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 ――嘘だろ!?  目をこらして探しても、やはり稲本の車は、影も形もなかった。蘭は、すぐさま稲本の携帯に電話をかけた。動揺で、手が震える。だが、返ってきたのは、次のような音声だった。 『おかけになった電話は、電波が届かないところにあるか、電源が入っていない……』  ――あいつ、何を……。  落ち着け、と蘭は自分に言い聞かせた。稲本は、信頼できる人間だ。たとえ、無神経な言動をした蘭を恨んだとしても、罪もない海に何かするはずはない……。  だが、念のため会社にかけても、とっくに退社した、という答しか返ってこなかった。急にネタをつかんで、どこかへ取材に行った可能性もゼロではない。でもそれなら、蘭に一言伝言を残すはずだ。  蘭は、タクシー乗り場へと走った。稲本のアパートの住所を告げる。新入社員時代、同期の皆で集まって飲んだ、懐かしい場所だ。 「急いでもらえませんか?」 「この時間は、混み合うからなあ」  運転手が、渋い顔をする。確かに、道は渋滞していた。蘭は、心の中で祈った。  ――ごめん、海。ごめん、陽介。どうか、無事でいてくれ……。  三十分ほどの時間が、何十時間にも感じられた。ようやくアパートに着くと、蘭は必死の思いでチャイムを鳴らした。ドンドンと、ドアを叩く。 「稲本! 俺だ。開けてくれ、頼む!」  応答はなかった。どこか知らない場所へ、連れ去ってしまったのだろうか。蘭は半泣きになった。  ――仕方ない。こうなったら、叱られるのを覚悟で、陽介に打ち明けるか……。  踵を返そうとした蘭だったが、ふと思い直した。ダメ元で、ドアノブに手をかけてみる。すると何と、鍵は開いていた。蘭は、深呼吸してからドアを開けた。

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