109 / 257
”
室内は、夜だというのに真っ暗だった。蘭は、おそるおそる声をかけた。
「稲本、いるんだろ? 電気点けるぞ?」
返事はない。蘭は、手探りで電気のスイッチを入れた。そのとたん蘭は、ぎゃっと声を上げそうになった。稲本は、窓際でぼんやりと立っていたのだ。明らかに、異様な様子だった。
――いや、それよりも……。
「海は!?」
きょろきょろ見回すと、海の姿は部屋の片隅にあった。クッションの上で、すやすや眠っている。
「海! よかった、無事で……」
蘭は駆け寄ろうとしたが、稲本がその前に、スッと立ちふさがった。
「何す……」
「陽介のガキが、そんなに大事かよ?」
「そこどけって!」
蘭は、声を荒らげた。
「お前、何考えてんだよ? こんな所に連れ去って……、どんなに心配したことか!」
「白柳陽介の子供なんて、知ったことか!」
稲本が怒鳴る。陽介の子ではない、という訂正の言葉は出てこなかった。稲本の形相は、それほど恐ろしかったのだ。蘭は、ぽつりと尋ねた。
「これは、俺への仕返しか?」
「……」
稲本は、答えない。蘭は、勇気を振り絞った。
「……実はここに来る前、偶然お前の友達と会った。そいつが言ってたんだよ。お前には、ずっと好きなオメガがいたって。……それって、もしかして、俺のこと……?」
一瞬の沈黙の後、稲本は静かにうなずいた。
「ああ」
「――何で」
蘭は、思わず叫んでいた。
「お前、そんなこと一言も言わなかったじゃんか!」
「言えるわけないだろう」
稲本が、低くつぶやく。そのまま彼は、ずいずいと近づいてきた。壁に追い詰められる形になり、蘭は本能的な恐怖を覚えた。アルファだけあって、稲本も体格が良い。これまで怖いと感じたことはなかったが、今の彼は、まるで見知らぬ男のようだった。
「入社以来、ずっと好きだった」
稲本は、ぽつりと告げた。
ともだちにシェアしよう!