132 / 279

「お前とは、もう口を利かないって……」 「人の番に、馴れ馴れしく近づかないでいただこうか」  蘭の言葉をさえぎって、陽介がずいと稲本に近づく。稲本は、ひるむでもなく陽介をにらみ返した。 「勝手にうなじを噛むような男に、(つがい)(づら)はされたくない」 「噛む勇気もなかった男に、批判する資格はないな」  陽介が、挑戦的に返す。稲本は、カッと頬を紅潮させた。 「何だと!?」 「ああそれから、お忘れのようだが、こいつの姓はだから」  陽介が、これ見よがしに蘭の肩を抱く。それを見た稲本は、今にも陽介につかみかかろうとした。  その時、看護師がやってくるのが見えた。注意される前に、蘭はあわてて二人の間に入った。 「陽介、病院なんだから静かにして。稲本、伊代さんは今、海と面会してるから、病室には入れない。それから、もうお前と話すことはないから」  陽介は渋々口を閉じたが、稲本はさらに言いつのった。 「でも、『オメガの会』の沢木の新情報だぞ? お前が知りたがっていた、出産経験の件だ」  陽介が、キラリと目を光らせる。蘭は、思い切って稲本に告げた。 「じゃあ、この場で話せよ。『オメガの会』に関しては、陽介も今や仲間だ」  稲本は、しばらく蘭と陽介を見比べていたが、蘭の意志が固いことを悟ったのだろう。諦めたように、語り始めた。 「がにらんだとおり、確かに沢木薫子には子供がいた。高二の時、ひそかに出産したようだ。当時の同級生から、証言を得た。だが、産んだ子の行方はわからない」 「――そんなに若くして?」  蘭は仰天した。 「父親は?」 「そこまでは、わからなかった。沢木はその頃から男性に人気があったが、特定の相手はいなかったようだ」  蘭は、考え込んだ。陽介も、何やら思案している。 「俺が伝えたかったのは、それだけだ。じゃあな、」  わざとらしく最後を強調すると、稲本は去っていった。

ともだちにシェアしよう!