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 陽介が黙っていた時間は、一分にも満たなかったと思う。だが蘭にとっては、まるで永遠にも感じられた。ややあって、陽介は絞り出すように言った。 「――わからない」  頭をガツンと殴られたようだった。陽介は、すまない、と低くつぶやいた。 「全く記憶にないんだ。起きた時には二人とも裸で、ベッドは乱れていた。奴が偽装した可能性も高いが、寝ている間に何もなかった、と断言する自信がない」 「……」 「蘭。本当に悪かった」  陽介が、深々と頭を下げる。 「君の好きなようにしてくれていい。稲本がやったように殴ってもいいし、しろと言うなら土下座する」  黙りこくる蘭を見て、陽介は不安になったようだった。 「……それともまさか、離婚する気か?」 「馬鹿」  蘭は、小さくつぶやくと、陽介の手を取った。 「離婚なんかするわけないだろ。俺たちは、パートナーなんだ。この前、そう言ったばっかじゃんか」 「蘭……」  陽介は、信じられないといった顔をした。 「悠とのこと、気にならないって言ったら嘘になる。でも俺は、お前の話を聞いて、ちょっと安心したんだ」 「安心?」  陽介が、怪訝そうに繰り返す。 「だって、何もなかったって嘘をつくこともできたはずだろ? なのにお前は、正直に本音を打ち明けてくれた。お前らしいっていうか……。そういうとこ、好きだぜ」  蘭は、くすりと笑った。 「ま、政治家としてどうよ、とは思うけどな。そんなお人好しで。……それに、仮にヤッてたとしても、お前は意識がなかったわけだろ? そんなの無効だ」  陽介は、深い感嘆のため息をついた。 「君って人は……。俺には、もったいないくらいの妻だな」 「今頃気づいたのかよ」  蘭は、声を立てて笑うと、席を立った。 「さ、行くぜ」 「行くって?」  陽介が、きょとんとする。 「風呂だよ。俺以外の人間が、お前の肌に触れたなんて許せないからな。隅々まで消毒してやる」  ようやく、陽介の顔に笑みが戻った。 「そりゃ、ありがたいが。君と風呂に入って、何もしない自信はないぞ?」 「望むところだ」  蘭は、挑発的に微笑んだ。 「起きてようが寝てようが、他の奴を抱く気なんか起こらないよう、搾り取ってやる」

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