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 蘭が帰った後の執務室内には、コツコツというヒールの音が響き渡っていた。沢木は何やら、室内を歩き回っているようだ。落ち着かない様子である。ややあって、甲高い声が聞こえてきた。 『もしもし? 今いいかしら?』  誰かに電話しているようだ。神経を尖らせて聴いていると、沢木はこう続けた。 『ああ、ありがとう、勲さん……。実は、大変なことがわかったの』  ――収穫がありそうだな。  蘭は、笑みがこぼれるのを抑えきれなかった。勲との会話を録音できたなんて、ラッキーだ。しかも、この親しげな呼び方からして、やはり沢木と勲は、愛人関係にあるのだろう。そして、大変なこととは何か。だが、待機していた蘭の耳には、信じられない言葉が飛び込んできた。 『陽介さんのお嫁さん……、蘭さん。ええ、今帰られたんだけど……。彼……、あの時の子よ! 二十八年前に、私が産んだ子!』  ――何だって!?  蘭は、耳を疑った。電話の向こうの勲も、まさかと思ったのだろう。しばらくして、『いいえ』という沢木の声が聞こえてきた。 『勘違いでも、早とちりでもありません! 彼、養子だってはっきり言ったわ。蘭という名前と年齢から、もしやと思っていたけれど……』  蘭は、思わず再生を止めた。もう一度、稲本からもらった資料を開く。沢木の現在の年齢は、四十五歳。高二で出産という情報もあった。それが真実なら、つまりその子供は、今年二十八歳……。  ――あの女が、俺を捨てた母親なのか……? まさか……。  震える手で、再び再生する。小さな機械からは、沢木のすすり泣きが聞こえてきた。 『こんな偶然があるなんて……。立派に育って……。あの子が産まれた時は、本当に嬉しかった。育てたかったけど、さすがに高校生の身では無理で……。だから、生後一ヶ月の時に、泣く泣く××園の前に置いてきたんだけれど……。でも、どうしているのか、ずっと気がかりだった……』  耐えきれず、蘭は再生を止めた。沢木が告げたのは、まさしく蘭が育った養護施設の名前だった。 「――こんなことがあるかよ!」  蘭は、机の上にあった本を、次々と床に叩きつけた。

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