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「蘭と僕、どっちが好きですか?」  悠のはしゃいだ声が聞こえる。豪華な部屋を取ってもらって、舞い上がっているのだろう。一瞬苛立ったものの、これから悠の身に起こることを考えると、蘭は陰鬱さを拭えなかった。 「今では、君が好きだよ」  陽介が、甘い声を出す。 「最初は、蘭の友人としか見ていなかったけれど。でも、君は優しくて控えめで、家庭的で……。少しずつ、惹かれていったんだ。……それに、事務所の皆のことも、気遣ってくれていたんだろう? 全然知らなかったよ。ありがとう」  陽介が、事務所スタッフの一人に金を握らせて白状させたところによると、悠は確かに、事務所に出入りしては、仕事を手伝っていたらしい。スタッフたちは、てっきり陽介の妻と思い込んでいたようだ。陽介が講演や委員会出席で不在にしている隙を狙って訪問していた上、古城がスタッフたちに口止めしていたため、陽介はその事実を知らなかったのである。 「君を妻と偽るという、父の作戦。最初はたまげたけれど、君を好きになった今となっては、悪くはない。これを機に、蘭とは離婚するよ。そして君を、本物の妻にする」  陽介は、きっぱりと言い切った。 「嬉しいですけど……。でも、蘭はどうなるんです? かわいそう……」  ――よくも、ぬけぬけと。  さも心配しているような口振りに、蘭は、湧き上がる怒りを押し殺した。 「確かにかわいそうな気もするが、仕方ないだろう。事務所発表と会見で存在を否定された以上、蘭も身の置き場がないからな。新しい人生をやり直す方が、あいつのためだろう」 「陽介先生……」  布のこすれる音がする。悠が、陽介に抱きついたのだろう。陽介が、引き離すような気配がした。 「あわてないで。まだ夜は長い。それよりも、乾杯しないか? 俺たちの、夫夫(ふうふ)としての門出に」 「はい!」  悠が、嬉々として答える。ガチャガチャと、酒のボトルやグラスを準備する音が聞こえてきた。いよいよだな、と蘭は身構えた。陽介は、首尾良くやれるだろうか。発情(ヒート)誘発剤の仕込みを……。

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