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「今日はありがとうな」  蘭と陽介は、稲本に礼を述べた。ここに来たのは、海を引き取るためだ。計画遂行の間、伊代と稲本に預かってもらっていたのである。 「海や伊代さんは?」 「海はぐっすり寝てる。伊代さんも、今は休んでる。ずっと、海を抱いて放さなかったんだけどな。さすがに疲れたみたいで……。まあ、上がれよ」  稲本にうながされ、二人はリビングに入った。 「いい部屋じゃん」 「お前らの家とは、比べものにならないけどな」  稲本はちょっと笑った後、さびしげに目を伏せた。 「でも、少しの間でも、二人で過ごそうと思ってな。それが、彼女の望みだから……」  いよいよ死期が迫ってきた伊代は、自宅に戻りたがった。とはいえ、身寄りのない彼女には、帰宅しても世話をしてくれる人がいない。そこで稲本は、これまでのアパートを引き払い、ここを借りたのである。  ――何て言って励ましたらいいんだろう。  蘭が逡巡していると、稲本は席を立って部屋を出ていった。やがて戻ってきた彼は、何やら封筒を携えていた。 「これ、お前たちにやるよ」  稲本は、蘭と陽介に向かって、封筒を差し出した。 「白柳勲の、ヤミ献金の証拠一式だ。――伊代さんが、俺にくれた」 「伊代さんが!?」   蘭は、大声を上げた。彼女を利用するのは心苦しいから、献金ネタを追うのは止める、と言っていたではないか。すると稲本は、複雑そうな表情を浮かべた。 「俺がねだったんじゃない。伊代さんの方から、使ってくれと言ったんだ。……彼女、俺が近づいた目的に気づいていたんだな。あなたが欲しかったのはこれでしょう、と。愛情がないのはわかっている、利用される存在でも構わない、そう言われたよ」

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