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「稲本、大丈夫か?」  心配そうに、陽介が尋ねる。稲本は、ああと答えたが、目はうつろだった。 「もろもろの手続は、俺がしてやる。お前は休んでおけ」  尋常でない様子を察したのか、陽介はそう言い出した。 「……でも、陽介の方が、今日は疲れてるだろ」 「いいから、任せろ」 「稲本。こんな時くらい、陽介を頼れ」  あくまでも固辞しようとする稲本の腕を引いて、蘭は病室を出た。人気のない待合室へ連れていくと、蘭は彼に尋ねた。 「伊代さんを、番にしたのか?」  稲本は、静かにうなずいた。 「一週間ほど前に、ヒートが来て……。最後のわがままを聞いてほしいって言われた。縁起でもないって怒ったんだけど……。彼女、予感してたのかもしれないな」  そうかもな、と蘭はうなずいた。 「正解だったと思うよ。伊代さん、番に憧れてたから。お前の番になれたらって、前に言ってた」  そうか、と稲本はため息をついた。 「そりゃ元々、最期を看取るつもりで、引き取ったわけだけど。でも、その時がこんなに早く来るとはなあ……。結局、死に目にも会えなかったし」 「仕方ないよ、そういう職種なんだから……。だからお前、番を作らないって言ってたんだろ。伊代さんだって、覚悟はしていたと思うぜ」  新入社員の頃の話を持ち出すと、稲本はなぜかくすりと笑った。 「ああ、あれな。お前に調子を合わせただけだったんだけどな」 「――そうだったのか?」  蘭は拍子抜けした。 「ま、まんざら嘘でもなかったけど。ずっと、市川以外のオメガと番うつもりはなかったから。……いずれにしても、『番を作らない同盟』は完全に解散だな」  稲本はぽつりと、そんなことを言った。 

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