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 一人になると、蘭はリビングのソファに腰かけた。そっと腹に手を当ててみるが、当然まだ何も聞こえない。  ――本当に、この中に俺と陽介の子が……。  ふと思いついて、養父に電話をかけてみる。妊娠の報告をすると、彼は歓声を上げた。 『蘭、やったな。おめでとう! 初孫かあ。楽しみだ……。あ、陽介先生にもよろしくな』  週刊誌報道のおかげで、陽介の浮気疑惑は晴れたのだ。養父は、勲にひどく憤っていた。なお、海については嘘をつくのは気が引けたので、亡くなった知人の子を引き取った、と説明している。 『それにしても、勲先生はとんでもない奴だな。私も騙されたよ』  養父は、勲の話を蒸し返した。 「少しは改心したみたいだけどね」 『いや、正式な妻の蘭を、あんな風にないがしろにするなんて……。まあでも、金のことは別だ。なるべく早く返せるようがんばるからな』 「懐妊祝いとして、返さなくていいとは言っていたけどね」  蘭は、一応言ってみた。融資の裏にあった事情については、内緒にしておくつもりだ。本当のことを知れば、養父は怒り狂うに違いない。やっと一段落ついた今、再び波風を立てたくはなかった。 『そんなわけにはいかないだろう。何年かかっても、返すさ』  予想通り、養父は言った。 「俺も、働いて手伝うよ」 『いや、これは私の問題だ。蘭は関係ない。……それにお前は、出産を控えてるんだから。健康な赤ちゃんを産むことだけを考えていろ』  最後に優しくそう告げると、養父は電話を切った。いずれにせよ、懐妊を喜んでくれたのはありがたい。ほんわかした気持ちでくつろいでいると、スマホがメールの受信を告げた。  画面を見て、蘭はとたんにゆううつな気分になった。沢木薫子からだったのだ。落選後、彼女からは会って話したい、というメッセ―ジが何通も来た。盗聴した会話では、沢木は母親だと蘭に打ち明けたいと言い、選挙が終わるまで待つよう勲に説得されていた。いよいよ選挙が終わった今、その話をしたいのだろう。しかし蘭は、彼女からのメッセ―ジをずっと無視してきたのだ。  ――会って、どうすりゃいいんだよ。母親っていうのは、とっくに知ってるし。今さら謝罪や弁解の言葉なんて、聞きたくない……。  あれこれ考えていると、インターフォンが鳴った。見ると、モニターには稲本が映っていた。

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