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 その後蘭は、布団にくるまりながら鬱々と過ごした。目を開ければ、陽介が準備したベビーベッドや赤ちゃん服が、いやおうなしに視界に入る。  ――ごめんな。祝福されて、産まれてくるはずだったのにな……。  腹を撫でながら語りかけていた、その時だった。リビングの方で、物音がした。陽介が帰宅したようだ。  蘭は、あわてて身を起こすと、涙を拭った。まだ、確定したわけではないのだ。陽介に不審に思われないよう、鏡を見て表情や身なりを整える。 「お帰り」  蘭は、笑顔を作ってリビングへ入った。 「ごめんな、少し疲れたから、横になってた。ご飯も、作れてなくて」 「大丈夫か?」  陽介は、心配そうな顔をした。 「俺なら、適当に作り置きを食べるから。君は? 食べられそうか?」 「食欲がないから、いいや。お前が買ってくれたサプリでも飲んでおくよ。……じゃあ俺、海と風呂に入ってくる」  怪しまれないようにしなければ。そう思うのに、陽介の顔をまともに見られない。蘭は、逃げるように寝室へ戻ろうとしたが、陽介は後を付いてきた。 「それなら、三人で入ろうか。君もその方が、ゆっくり体を洗えるだろう。それに、風呂場で足を滑らせても危ないしな。何といっても、君は今、大事な時期なんだから」 「大丈夫だって」  陽介は、純粋に蘭の体を気遣っている様子だ。性的な意図は、みじんも感じられない。だが今の蘭にとっては、それすら不謹慎に感じられた。 「蘭、どうした? 様子が変だぞ。熱でもあるのか?」  陽介は首をかしげると、額に触れてこようとした。 「――止めろ!」  思わず蘭は、陽介の手を振り払っていた。彼が、傷ついたような表情を浮かべる。蘭ははっとした。 「……ごめん」  何をやっているのだろう、と蘭は思った。平静を装わないといけないのに……。 「なあ。本当に、どうしたんだ?」  陽介が、眉をひそめる。 「マタニティブルーというやつか? ……まあとにかく、海は俺が風呂に入れるよ。君はゆっくり休め」  わかった、と短く告げて、蘭は寝室へ駆け込んだ。再び、ベッドへ潜り込む。陽介が海を風呂に連れ出すのを確認してから、蘭はこらえきれず涙を流したのだった。

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