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 到着から三日間、蘭はいくつもの基礎学校(日本における小中学校)を取材して回った。結果は、かなり満足できるものだった。バースに関する授業そのものが多い上、内容も充実している。オメガがヒートを起こした際の、対応シミュレーションをさせている学校まであった。日本でも、是非取り入れて欲しいものだ。 そして四日後、蘭は反町と一緒に、彼の知人が経営する学校を訪問しに出かけた。ちなみにこの三日間、反町は蘭のここでの活動に、一切干渉してこなかった。蘭が既婚だから、気を遣っているのだろう。紳士的なその態度に、蘭は安堵していた。 「しかし、三人もお子さんがいたら大変だろう」  行く道中で、反町はそんなことを言った。 「夫も子供たちも協力的なので、そうでもないですよ。長女は料理を手伝ってくれるので、特に助かってます。ほら、行きの機内で食べていた弁当も、彼女作なんですよ」  へえ、と反町は目を見張った。 「納得した。あの市川君がここまで上達したのかと、実は度肝を抜かれていたんだ。料理は一切やらないって、昔は豪語していたじゃないか」 「ひどいですよ。これでも、家のご飯は基本的に作ってます」  蘭は、反町を軽くにらんだ。 「まー、大した腕前じゃないですけどね。息子たちには、『母さんの作る飯は見た目からして得体が知れない』って言われてますもん」 「はは。反抗期かな? 口が悪いね」  反町は笑ったが、蘭はふと陽介のことを思い出していた。息子たちの発言は、真実だ。蘭の料理は、見た目も味も標準以下なのである。それでも陽介は、『世界で一番美味しい』と、臆面も無く言ってのけるのだ。  ――そういえば。初料理すら、完食してくれたんだよな……。  初めて作った、半分以上焦げた野菜炒めも、陽介は黙って全部食べてくれたのだった。それも、喧嘩していた最中だったというのに。  ――帰ったら、陽介に謝ろうかな。   蘭は思った。強情を張ってここまで来たが、陽介が自分を案じてくれているのは、よくわかっている。  ――訂正。陽介と息子たちにも、土産は買って帰ろう……。 「どうかした? ぼんやりして」  反町が尋ねる。蘭は慌てて、いえ、とかぶりを振った。 「そういえば、反町さんはご家族は?」 「僕は、独り身」  反町は、あっさり答えた。 「番が欲しいなあと思ったこともあるけれど。スウェーデンまで付いて来てって言うと、なかなか皆尻込みしちゃんだよね」  それはそうかもな、と蘭は思った。 「これから良い出会いがあるといいですね」  そうだね、と反町はしみじみ頷いたのだった。  期待して訪れた学校だったが、校長と話すうち、蘭は疑問を抱き始めた。その中年女性は、バース教育の話題になると口ごもるのである。積極的と、聞いていたのに。これ以上聞くのも無駄に感じられたので、蘭は別の作戦を考えた。 『ありがとうございました。最後に、校内を見学させていただいてもよろしいですか?』  拙い英語で尋ねると、校長は顔をくもらせてかぶりを振った。 『少し拝見するだけです。邪魔はいたしませんから』  だが校長は、頑なに拒否した。 『それはできかねます。すみませんが、本日はこれにて』  そう言って彼女は、話を強引に終わらせたのだった。  学校を出ると、反町は蘭に謝罪した。 「お役に立てなくて、悪かったね? いや、僕も彼女の学校を訪れたのは初めてで。詳しい実態までは知らなかったんだ」 「反町さんのせいじゃないです。でも、バース教育については熱心じゃなさそうですね」  だが反町は、首をかしげた。 「頑張ってやっていると、校長は言っていたけれどねえ。そのために、公的資金の援助も受けたとか」 「そうなんですか?」  蘭は、立ち止まって反町の顔を見た。もしかすると、金だけもらって、ちゃんと教育していないのではないか。校内の見学を拒否したのも、疚しい所があるからかもしれない。反町は、そんな蘭の考えを悟ったようだった。 「現状、気になるかい?」 「疑いたくはないですけど……」  異国の話とはいえ、もしオメガ差別が横行しているのであれば、放っておけなかった。とはいえどう調べようかと思案していると、反町はこんなことを言い出した。 「学童保育所に行ってみるのはどう? 学校よりも、現場を確認しやすいと思うよ」 「そうなんですか?」  蘭は、食いついた。 「行ってみます。場所、教えてもらえます?」 もちろん、と反町は力強く頷いた。 「行くなら、遅い時間がいいと思う。スタッフも少ないから、目を盗んで子供たちから話を聞けるかも」  なるほど、と蘭は頷いた。 「車で送ってあげるよ。市川君一人じゃ危険だからね」  ありがとうございます、と蘭は心から礼を述べたのだった。

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