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第8話
「あぁ栄鷲、よかった。今あなたの元へ行こうと思っていたのです」
息を荒げた夕栄がホッと息をつく。その瞬間、そう遠くない場所で大きな歓声が沸き起こった。人々の声は沢山混じって何を言っているのか聞き取ることはできない。だがこの瞬間、二人は悟らざるを得なかった。栄華を欲しいままにし、享楽に耽って国を腐らせた栄徹が、民衆によってその命を奪われたのだ、と。
敬うところはあまりなかった。民衆に恨まれて当然だろうその所業も見てきた。だが、そんな皇帝であっても、父の死に二人は衝撃を受ける。だが夕栄は己を叱咤して栄鷲の腕を強く掴んで引っ張った。
「早くこちらへ。李光! あなたも来なさいッ!」
今は一刻を争う。夕栄は栄鷲と李光を促して自室の本棚に手をかけた。その大きな本棚は横に滑るように動き、奥にある扉が姿を現す。宮殿に幾つか存在している隠し扉だ。
「ここを通れば宮殿の外、人気のない朽ちかけた小屋に出ます。そこからお逃げなさい」
「何を言っている!? 兄上も一緒に逃げるんだッ。ここにいては殺されるぞッ!!」
痣が残るのではないかと思うほどに栄鷲は強く強く夕栄の腕を掴む。だが夕栄は動こうとしない。もうそこまで民衆の怒声が迫ってきている。栄鷲と夕栄を探しているのだ。
夕栄は怖い顔をして睨む栄鷲の手に自らの指から引き抜いた指輪を握らせた。高価な翡翠が埋め込まれた精工なる指輪だ。
「これを持っていきなさい。決して失くしたり人にあげたりしては駄目ですよ。この指輪が、きっと栄鷲を助けてくれます」
北へ行きなさい。それだけを言って夕栄はありったけの力で栄鷲と李光を扉の向こうへ突き飛ばした。夕栄の腕を掴んでいた手が離れていく。
「おい兄上ッ! 兄上何をッ!!」
ガンガンと拳で扉を叩くが閉められた扉はビクともしない。兄が表から閂をかけたのだろう。おそらくは本棚も元の位置に戻されているはずだ。
声が大きくなる。もう時間はない――。
「殿下、ここは逃げましょう!」
「だが兄上がッ!」
「殿下お早くッ!!」
どうにか扉を開けて夕栄の元へ行こうとする栄鷲を無理矢理に李光は奥へと引きずった。李光にとって夕栄などどうでも良い存在であったが、それでも彼が李光に願っていることはわかっているつもりだ。そしてそれは李光の願いでもある。その為ならば――。
「殿下は兄君の御心を無碍になさるおつもりかッ!」
その為ならば夕栄の名も、栄鷲の中にある優しささえも利用しよう。
ビクリと肩を震わせて栄鷲は一瞬動きを止めた。その隙を逃す李光ではない。これ以上ないほどに目を見開き扉を見つめ続ける栄鷲の身体を奥へ奥へと引きずる。
もう、間に合わない。夕栄の考えがわからない今、無理に出て行ったら逆に夕栄の身に危険が及ぶかもしれない。夕栄には何か、考えがあるのでは?
(そうだ、兄上が何も考えていないはずはないッ)
彼はきっと生き延びる。そして再び……。そう無理矢理に自分を納得させて、栄鷲は強く歯を食いしばりすべてを振り払うように出口へと駆けだした。
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