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第19話

バシャン 夕と呪いにかけられたあの時と同じように水の中に落ちた俺は、あの時とは違ってもがくことも泳ぐこともなく、ただ静かに一人で水底に沈むがままでいた。 「そうやっていたって、死ねはしない。」 頭上から雪の声がする。 分かっているさ。 それでも、もう疲れたんだ… このまま静かに水底で眠らせてくれ。 「許すと思っているの?」 耳元で声がした途端に腕を掴まれて水底から一気に雪のいる陸まで引き上げられた。 「イヤだ!雪!!」 濡れたままの体から滴り落ちる雫が地面に水たまりを作っていく。自分が濡れるのを気にする事なく、雪に無理矢理に抱きしめられ、埋めたら離れることのできなくなる胸を必死に拳で叩く。それでも雪の腕は俺をしっかりと掴んで離さない。 「俺は夕を追い詰めて、あんなに愛していた夕を追い詰めて…俺のせいで呪いにかけられたのに、あんなに俺を愛してくれて…それなのに俺はそんな夕に辛い思いをさせて、あんな死にか…たを…さ…せ…」 口から洩れる嗚咽と、目からあふれる涙、そして崩れ落ちる身体。雪がしゃがんで俺に視線を合わせると、そっと指で涙をぬぐい、雪が静かに話し出した。 「そうだね…それでも、どんな事をしてでも俺は宵が欲しくて仕方ないんだ。呪いを馬鹿にして俺の元に夕と来たあの日。あの時は本当にただのいけ好かない子供だと思っていた。そんな二人にかけた呪いでこの命も尽きると思っていたのが何故か生き永らえ、気が付くと小さく弱き存在となっていた。力を十分に取り戻すまでの間、あの家の側に身を置いた。何百年もの間、お前達が死に別れ、出会い、愛し合い、そして死に別れる。その繰り返しをずっと見続けてきた。その間に少しずつ力を取り戻した俺の出す音を聞いてお前は小さな動物だと勘違いしたのか、俺に向かって色々な事を話すようになった。」 「え?あれは雪…だったの?」 驚きに顔を上げると微笑む雪の視線と合い、バッと顔を横に背ける。そんな俺に雪が苦笑しているのが視界の端に映った。 それはともかく確かに小さな動物の気配を感じて、食べ物を置いておいたり、他愛もない話をしたりもした。 「そうだ。お前の話を色々と聞いている内に、夕よりもお前の事を知っているのはこの俺の方だと思うようになってきた。夕がこの世界に戻ってくるたびに、宵は俺に話をしなくなる。寂しくなくなるからだ。だが、俺は夕がいる間ずっと寂しくて辛くて。夕が天に昇っていくと、宵は再び俺に色々と話をし出す。宵がずっと俺と話してくれればいのに、夕なんかずっと天にいればいいのに、そう思うようになっていた。夕を何度も生き返らせるなんて呪いをかけた事を後悔するようにさえなっていた。そして、ようやくこの身に十分に力が戻り、お前の父親の子孫の家にちょうど良く生まれた子供と入れ替わった。そうしてお前に近付き、ようやくお前を手に入れたんだ。今更、お前を手放すなんてあり得るわけがない!」 断言して、俺を見てにまぁと笑う。 何度も何度も見ていたこの笑み。 あの、呪いをかけられた日にも俺達はこの笑みを見ていた事に急に気が付いた。 もっと早くに気が付いていれば…夕を助けられたかもしれないのに…っ! 悔しさと後悔で心臓が苦しくなる。 「宵、夕と言う肉体も魂もその存在すらもういない。この世のどこにも、天にも。もうこの先お前の元に夕は戻ってこない。俺は二人に会うまでの間、ずっと一人でここにいた。呪いを取り込み、体も魂も消え去るのをただ一人ここで待ち続けていた。だからわかる。一人では永遠の命を生き続ける事は無理だ。だから俺と一緒に生きよう?俺と一緒に…宵、いいだろう?」 雪の手が俺の頬に触れようとするのを叩き落とす。  「俺は、雪を愛していた。夕の事を忘れ去ってしまうほどに愛していた。」 「…過去形か?宵、今はどうなんだ?俺は今の宵の気持ちが聞きたい。」 雪の言葉に頭を振る。 「分からないよ!分からないんだ!雪を愛しいと思う気持ちはあるが、それ以上に夕を殺されて悔しい、辛い、そして怒りを感じている。夕は、俺にとってはやっぱり大事な存在だったんだ。それを失い消された。それをした張本人をどうしたら愛せる?雪、お前は俺を殺したやつを愛せるか?愛せるなら俺にその方法を教えてくれよ!俺だって辛いんだ。雪、もう俺の事は放っておいてくれ。呪いがこのままならこのままでいい。どうせ死ねない体なら、水底に沈んでこの世界の終りまで眠り続けているさ。もうこんな体も魂もどうなっても構わない。雪、手を離してくれ。俺はもうお前の顔も声も、その存在すらも感じたくないんだ!」 雪の手が俺の頭を掴んだ。手を引き離そうとするが、全くびくともしない。 「そうか…それなら俺をずっと恨み、怒り続ければいい。その代わり、俺はお前を手放しはしない。お前を愛することも、抱くことも、何もかも今まで通りだ。だが、今までとは一つだけ違う。お前と俺の縛りだ。お前は俺を恨み続ける。憎み続けるんだ。恨む憎む相手から愛を囁かれ、愛され、永遠の時間を、俺の横で変わらずに生き続ける。これこそがまさに呪い。さあ、どうする?宵。」 雪の俺を掴む手に力が入る。 痛みに顔が歪み、雪をきっと睨む。 「そんな風に可愛く睨んだ顔が、俺の下でぐずぐずになって、甘ったるい声を出し、とろけた顔で俺にしがみつき、喘ぎよがる様も良いものかもな。あるいは、無理やりにその身を開き、俺ので突き刺し、泣き叫ぶ様も一興。 愛せなければ愛さなければいい。死なない者同士、それ位の刺激があった方がいいかもしれないな。」 そう言うと、俺の頭を掴んだ手をブンとまわして、俺の体が宙を飛び、あの池の中にばしゃんと音を立てて落ちた。 「しばらくの間猶予をやろう。水底で考えて来い。」 そう言って、雪はどこへともなく姿を消した。 俺はそれを見ながら、静かに瞼を閉じた。 その頬に伝う温かいものを感じながら。

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