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第31話

真っ暗な闇。 あの日、夕の最期の日。 悲鳴が、絶叫が…そしてその全てが消え去った後の耳が痛いくらいの静寂の中、それを破った雪の高笑いに追いかけられながら、俺は自分を自分の中に閉じ込めた。 もう嫌だ。 雪なんか、雪なんか… 嫌いになれない…憎みきれない。 そしてやっぱり愛してる。 どんなに苦しい思いを辛い思いをさせられても、雪がいつも俺の心の全てを占めている。いくら夕の元に駆け寄ってもいいんだよとこの耳に囁かれても、何度同じような状況になっても俺が選ぶのは夕ではない。腕を広げられていなくても、拒否するように背中を向けられていても、それが雪であるならば迷う事なく雪の元に駆け寄り、雪に抱きつく。 縛りのせいで、そう思わされているだけだよ。 夕を愛していると言った時、雪はそう言った。 結局は雪が縛りを緩めたことで、俺は夕よりも自分の心が誰で占められているのか分かったわけだけど…だったら、今のこの俺の気持ちも、雪へのこの想いも縛りだから?もうすでに俺は雪から心離れしているのか? もういいんだよ。 ここにいれば何も考えなくていいんだよ。 俺の中の俺が囁く。 俺を優しく抱きしめ、俺の耳を口を目を塞いで、優しく頭を撫でてくれる。 そうか、ここにいれば俺は誰も傷つけずに済む。俺の心を乱されなくて済む。俺の身体を…身体を…抱いて、貪って、食い尽くすように激しい雪の愛で俺を壊して欲しい。雪に会いたい…愛して欲しい。 だめだよ… 雪は宵の心を壊した。 夕を使って宵を絶望の底に落としたんだ。 それでも…! それでも…いや、それだから、雪に俺を壊してもらいたいんだ。もうこんな風に心の奥底でも雪を想い、慕わないように。ジグソーパズルをバラバラにするように壊して、そしてそのピースの一欠片を雪に持っていてもらうんだ。そしたら俺の心は永遠に元には戻らない…ずっとバラバラのままでいられる…だから、雪にもっと壊して欲しい!それが俺にできる夕への唯一の謝罪。 愛する雪に俺を壊してもらう…雪にしかできないこと… ダメだよ… 宵は夕を忘れて、自分のした事も忘れて、勝手に夕に謝罪とか言って自分だけ楽になって、夕に許されたってそう思う気? 宵が忘れたら、夕は本当に生きてきた事の全てがなくなっちゃうんだよ?今まで何百年も二人きりで生きてきたその時間も全てない事になっちゃうんだよ? それは… でも、夕が夕でなくなって、俺を忘れて新しい人生を送れるなら、過去のことなんて無い方が… 本当に夕は天に昇れたと思っているのか?お前は夕の止めるのも聞かずに呪いの石碑を動かし、夕を道連れにした。 私の隣で自らの命を絶ったが為に、天に昇れぬ身となって泣きじゃくっている夕の声すらお前には届かない…ならばもう私のできることは一つ…お前を見守る存在である私は、夕を天に昇らせる為の贄となろう。 宵…もう金輪際、お前には会えず、見守る事もできなくなる父が、その魂の消滅でお前の罪を減じよう…宵…別れだ… 誰? あなたは誰? もう何百年も遠い遠い日に聞いた威厳のある声がか細く消えていく… …さん…父さん!! 塞がれた口をこじ開けるように出た言葉…無理矢理に開いた目…すーっと消える寸前の父さんの笑顔が、夕を抱いて消えた。 嘘だ!なんで忘れていたんだ?!父さんの存在を…ずっと見守ると言って、その命を散らした父さんの愛を… ずぶずぶと何かが入ってくる。 今までは全てに対して抗っていた心が、父さんの言葉で許しの隙を作ってしまった。 「はぁああああ!」 心が犯される。それはキツく苦しく、でも気持ち良くて、冷たかった心に優しいひだまりのような暖かさをくれる。そして我慢できずに開いた口から溢れ出る甘い声でその名を呼びたくてたまらなくなる…雪、と。 ダメ!外に行ったらまた嫌なことを思い出す、辛い現実と向き合わなければいけなくなる。そんな所より、ここで何もかも忘れて静かに眠り続けていればいい… 天(そら)から落ちてくる、懐かしい匂い。花びらのようにハラハラと落ちてくる白い液体が身体を濡らす。雪に会いたい…どんなに憎くても、雪だけが俺を受け止め、愛してくれる。この永遠という気の狂いそうなほどの時間を俺と生き続けてくれる唯一の存在。 雪!俺を待ってて!雪の元に戻るから…俺を待ってて! 俺を抱きしめていた俺は悔しそうに舌打ちを一つして消え去った。 暗い闇の中のようだった心にほわーっと優しい明かりが灯り、大きくて頑丈そうな扉が見えた。 俺はゆっくりと立ち上がると、扉に向かって一歩踏み出した。

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