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第32話

そっと瞼を開ける。 静かな暗い部屋。相も変わらずに鎖に繋がれたままの身体。 「雪は、几帳面だな…」 暗闇に話しかける。 「宵は逃げるのが上手いからね。でも、俺はどこまででも追いかけ捕まえるけど…お帰り、宵。」 少しは驚けよと思うが、それでも雪から溢れ出る俺への愛はやっぱり嬉しくて、今くらいは全てを忘れて、雪に身を任せてもいいかなと思った瞬間、父さんの笑顔が脳裏をよぎった。 涙が頬を伝い、苦しさと悔しさと後悔が心に渦巻く。 「雪、父さんが消えた。俺のせいで、俺を見守り続けてくれた父さんが、夕を天に昇らせる為に、その魂を消滅させた。雪、俺は父さんと夕を殺した…なのに何で俺だけ生きているんだ?俺を殺してくれよ!もう、俺のせいで誰かがその命を散らすのを見たくない!だから…っ!」 俺の悲痛な叫びに雪が俺の横に座り、そっと顔を撫でる。 「だったら、宵は絶対に死ねない。」 「何でだよ?」 「だって、宵が死んだら俺もこの命を散らすよ?だって、俺は宵をどこまでも追いかけ捕まえる縛りを持つ者。宵が死ぬなら、俺もこの命を散らすまで…なぁ?誰の命を散らすのも見たくない宵は殺されたら俺が命を散らすのを見なければいけない。だから死ねない…まぁ、宵も俺も不老不死だからね、まず死ぬって言う甘美は俺達にはないんだよ?忘れちゃった?」 そう言ってにまぁと笑う。 「忘れてないよ…だけど、だったら俺はこの罪をどうやって減じたらいい?俺は…」 「宵…それは一瞬の時の流れの中に置き去っていけばいい。父親の事、宵はいつ思い出した?」 「それは…声が消える直前…」 ふふっと笑うと、俺の身体を見下ろすように馬乗りになった。 「宵、どんなに心を苦しめる辛い思いも、それは永遠の時の中では一瞬の出来事。宵が全てを忘れ去ったその時、その心を俺だけが占めるんだ。誰の為に俺を憎んでいるのかじゃなくて、ただただ俺が憎い。俺を愛し反抗し受け入れる。その全てが俺。夕も父親も一瞬の今だけのモノ。そしてその辛い今の思いも俺が忘れさせてあげる。宵が大好きな快楽と痛みで…ねぇ、宵。俺達の日常を始めよう。」 そう言ってにまぁと笑うと、いつの間に手に持っていたのか、いつものスープの入ったカップとスプーンを俺の目の前に持ち上げた。 日常… 俺たちの日常… 罪も罰も与えられずに、俺はこれからものうのうと生き続けていくのか? 忘れる?いや、忘れていない今はどうしたらいい? 痛みは罰になるか?熱さは? 夕も父さんも少しは赦してくれるだろうか? 「…雪は俺をどうしたい?」 カップにスプーンを入れる手が止まる。 「俺は宵を捕まえて、縛り続けて、愛し続けて、このままいつ迄も宵に俺だけを見つめ続けていて欲しい。」 「俺はお前なんか見ていない。縛りのあるこの心でも今は夕と父さんへの懺悔の想いだけ…お前のことなんて一欠片も想っていない。身体を捕まえられていても、俺はお前を縛られているこの心から排除できる。だからお前に俺の全ては捕まえられない。お前になんか俺は捕まってやらない。」 雪がスープをことんとテーブルに置くと、にまぁとした笑みを顔に張りつかせて俺に跨った。 「何が言いたい?何をさせたい?…ああ、怒っているんだ?夕も父親もいなくなって、それを償いたいの?殺させた俺に償わせたいの?でも、殺させたのは宵だよ?宵が夕の前で俺に願い欲しがり愛された。俺は夕の元に行くチャンスを与えたのに…俺を選び、俺だけを欲し、愛したのは宵でしょ?」 「そうだよ…だから俺の罪…俺はこの罪を忘れはしない…どんなに時が経とうとも、俺は夕と父さんを殺したこの罪を忘れはしない。」 雪の口が裂けるようににまぁと笑う。 「俺は、宵の父さんがずっと見えていた。宵を愛し、抱き、その身体を貪っている時にも、俺に謝り、俺から宵を引き離し、何度も夕を宵の元に来させた。もうおかしくなりそうだった…俺は宵を愛してるのに、あんたの父親はいつまでもその邪魔をする。だから消した…消滅させる為にどうしたらいいか考えて、何度も失敗して、ようやくあんたの父親は消滅した。もう俺の前にあんたの父親は出て来ない…俺の勝ちだ!!」 「雪…それは縛りによっての俺への執着だろう?俺を縛りが愛していると勘違いさせているってお前も言っていたじゃないか?」 雪が、あぁと頷き笑った。 「縛りなんてしていないよ?」 「え?」 想定外の言葉に世界が凍りついた。 それを雪の言葉が溶かしていく。 「俺は俺に縛りをかけていない…宵…宵にもかけていない…かけたのは不老不死に怪我も病気もない呪い…そう、呪いをかけ直しただけ…分かる?宵の心はずっと宵だけのモノだったんだ…それでも宵は夕よりも俺を選んだ…ねぇ、それってちょっと…いや、俺にとってはこの世界が全部讃えるくらいの大勝利だったんだよ!!宵の心は自由だったのに、宵は俺を選んだんだ…縛りの事は夕にも話した…だから夕は自分で自分の命を散らしたんだ…もう宵の元に戻らないように…分かる?宵の心は俺の物だ!宵は夕よりも何よりも俺を愛し憎み、俺だけでその心をいっぱいにした。だから夕は自分の居場所がないのがわかって命を自らの手で散らしたんだ…ねぇ?本当に縛られていたから俺を選んだの?違うでしょう?その心に素直に行動して俺を選んだんでしょ?ねぇ、宵?」 涙が頬を伝っていく。 俺は縛られてはいない?俺の心は俺だけのモノだった。誰にも侵されていなかった…それでも俺はあの時、夕を選ばなかった…選べなかった…今は?縛りはないと言われた俺の心は誰を選ぶ? 「ゆ…き…」 「なぁに?」 「俺は縛られていない…なのに何でやっぱり雪を選ぶんだ?俺は俺の心は自由なはずなのに…誰でも選べるはずなのに…何で俺は雪を…雪しか選べないんだ?!」 泣き喚く俺の頭を撫でながら雪が囁いた。 「宵が俺を愛しているから…でしょ?」 「俺が…雪を…?」 ふふっと微笑み俺に唇を合わせる。 舌を絡め、まるで赤子のようにそれを吸い、もっともっととねだる身体。   ぴちゃっと音を立てて離され、俺は顔を懸命に近付けた。 もっと欲しい、もっと雪が欲しい。 「罪が欲しいんじゃなかったの?罰が欲しいんじゃなかったの?」 「雪が欲しい…雪だけが欲しい…罪も罰も雪が与えてくれるものは全て欲しい…ちょうだい!!雪…雪の全部をちょうだい!!」 雪の高笑いが聞こえる。 俺はもう縛られていない…それでも雪が好き…雪を愛してる…雪だけが欲しい…もう、何もいらない…雪を愛してる。 自由な心が叫ぶ。 俺の心は雪が好きだと、愛していると… そこにもう夕も父さんもいなかった…俺は二人を忘れ去り、雪だけを求めていた。

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