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第2話
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久しぶりにきた代官山のライブハウス。中のスペースはキャパ八割程の人で埋まっていた。今は四番目のバンドが演奏をしている。地下のスペースを二段に分けているこのハコを理央は気に入っている。自分の出番を終えて、二階の外側にあるバーカウンターで酒を頼み、モニターで中を確認していた。最初は一階で見ていたのだが、下はそれなりに人がいて空気が薄かったので、外側に逃げてきたのだ。
(うーん、このバンドはいまいち)
今日、理央は久しぶりにステージに立った。普段は人前にでるのが好きではない。理央は今日は出順二番目のバンドのサポートで入っていた。学生時代の友人の頼みでどうしてもと頭を下げられ、サポートのギターを弾いたのだ。
バンド活動は中学の時しかしていないし、それからは人づてに頼まれても大体は断っていた。しかし、年に数回、どうしても断れない縁故案件というのが出てくる。今回はそれだ。演奏するのは好きなのだが、人前というのが嫌だったので、ギターのくせに上手奥側で黙々と弾くだけでいいなら……という、バンドマンらしからぬ条件で引き受けたのだった。
しかし、ステージに参加すると、これはこれで……と楽しむこともできた。こういうのもたまにはいい。普段は一人で黙々と音楽を作る仕事をしているので、バンドというものはなかなかに興味深いと思っているし、元々はバンドでの音楽が好きで音楽を始めた身だ。ただ、自分がバンドというものには向いていなかっただけ。学生時分からライブハウスにはよく顔を出しているが、自分がフロントに立つことは避けてきた。それには、性格以外の理由もあるのだけれど……。理央は自分のコンプレックスにチクリと胸を痛めつつも、久々のその空間に少しの高揚感を覚えていた。
(ハコはいいんだけどな。いいよな、この天井の高さ。地下なのもいい)
最近はすっかりライブハウスからも足が遠のいていた。仕事が忙しかったこともあるし、体調の加減で人前に出られなかったのだ。久しぶりにきたここはハコの造り自体も好きで、音がうまく上に抜けるのをさっき実感した。それは気持ちよかった。マスクをしたまま、その下からストローで酒を吸う。モニターの中ではまださっきのバンドが演奏している。トゲのない音はゆっくり聴くには心地いいのだろうが、あまり心の奥から揺らされることはなかった。
(今日は結構大人しいバンドが多いな。バンドメンツ的にはゆるっと身内って感じだけど客が多い……みんなのお目当てはAVか)
AVというのはこの後のトリに控えているバンドのことである。今、外スペースで待機している派手めの女性たちはみんなAVのファンだろう。AVはボーカルの朋也を中心とした四人組のバンドだが、ボーカルとリーダーであるベース以外のメンバーはコロコロ変わっていく。とにかくボーカルである朋也が派手で圧倒的なフロントマンなのだった。緩やかな音楽と激しいリズムを混ぜ合わせ、幅の広い声質を持つボーカルがそれを彩っていく。メインであるボーカルとベースが本業を別に持っているため、インディーズでしか活動していないが、配信再生回数などもかなり稼いでおり、また、プロの方にも受けのいいバンドだった。ライブ活動もあるにはあるのだが、その本業の加減もあってか、直前に参加が発表されることも多い。まあ、好きなバンドは追いかけたい!というファンを泣かせる、わがままなバンドである。
(そういえば、AVを生で聴くのも久しぶりだな……いつ以来だ?)
そんなことを思いながら、ストローで酒を啜っていると、いきなり隣にどかっと座られた。なんだ?とそちらを振り向く前に、ガッと肩を組まれて驚く。
「!?なにっ!?」
「ねえねえ、君さあ!二番目のバンドでギターやってた子……だよね?」
「?……っ!」
(朋也!AVのボーカル……!)
トリのバンドのことを思っていたところ、その当の本人がいきなり隣に現れた。近くで化粧直しをしていた女性たちがチラチラとこっちを見てくる。しかし、彼はそんな周りの視線には構わず、理央の肩をぐいっと引き寄せた。近い場所でみるその顔はやはり綺麗な顔立ちで……そして、羨ましいほど綺麗な口元をしている。
彼はAVのボーカルでありモデルでもある安達朋也だった。少しマットな質感にきらめく美しい金髪と少し紫みの掛かった目元。声がかなり特徴的で、理央も好きなボーカルの一人だ。そして、おそらく、いや確実に今日のメイン。周りの注目がこちらにチラチラ集まるのを居心地悪く感じながら、何?と理央は眉をひそめた。しかし、朋也はそんな理央の様子に構わず、ねえねえ、とにこやかに話しかける。スキニージーンズをピタリと纏った細いあしは同じ人間とは思えぬ長さであり、それに純粋にモデルってすげえと驚いた。
「君、すげー上手かったね!今日だけのサポートだって聞いたけどマジ?別でバンドやってないの?」
「どうも……まあ、そうです。バンドはやってませんね……」
「うわ、くっら」
ギターなのに全然前出てこねえと思ってたら、性格か、と朋也が笑うのにムッとした。初対面にしてはあまりに失礼ではないだろうか?
(なんだこいつ……)
イラっとしながらも酒を飲む。理央がマスクの下からストローで酒を啜っているのを見て、え、と朋也がそれを無遠慮にも口にした。
「マスク外さないの?」
「……」
「はっ、歌舞伎でス◯ゼロストローしてる女子みたいじゃん。ウケるー」
その喩えがあまりにバカにされているようで、さらにイラっとする。声はいいが性格は最悪だな、と思いつつ、理央が答えずにいると、朋也はその長い足を組み直して、ねえねえ、と理央の肩を再度引き寄せ直した。
「俺、AVの朋也っていうんだけどさ」
「知ってる……」
「お、知ってくれてた!ね。俺らの曲とかわかるぐらいには好き?」
「……everとかSpartaとか好きだけど」
まあ、曲は好きだしな……と素直に好きな曲名をあげると、朋也は、おお、と少し驚いた顔をした。
「渋いなー!どれもギターソロカッケーやつ」
「まあ、前のギターの弾き方が好きだったから」
脱退したメンバーに触れればどこかにいくかとも思ったが、朋也はニヤニヤと理央に話を続けてきた。
「ねえ、名前教えてよ。さっき、まじでギターうまくて感動したんだって」
「……理央」
「へえ、リオちゃんね!苗字は?」
「……」
「ま、いいや」
理央が答えかねていると、朋也はその反応を待たずに理央の肩をガッと掴み、その体をそこから立たせると、腕を引っ張っていく。
「?ちょっとっ!?」
「時間ないから、こっち来てー」
「!?!?」
訳がわからないまま、理央はただ朋也に強引にその腕を引っ張られていった。
連れて行かれた先は、理央もさっきまでいた楽屋だった。もう出順の終わったバンドは片付けに入っており、そこにはAVのメンバーと今ステージに出ているバンドの荷物ぐらいしかない。理央もさっき自分のギターを移動させておいたところだ。楽屋に入ると、AVのベースである一成が、朋也と理央を見て怒鳴った。奥では前のアルバムから参加しているドラマーがいる。サポートの扱いだったと思うが……。
「朋也!どこ行ってた!」
「んー、新しいギター探してた!」
「!?」
何言ってるんだ?と理央が朋也を見る前に、朋也は理央に前に押し出される。
「いやー、実は俺がさっき喧嘩しちゃってさー。ギター、沈めちゃったんだよね」
そうケラケラ笑っている朋也だったが、部屋の隅に伸びている男がいる。前回のアルバムでギターが抜けて、新しく入っていたはずだが、パフォーマンスの評判があまり良くないのを理央も知っていた。というか……新しいギターって……と、そこで理央は、彼が言っているのが自分のことだと気がついた。
「はあっ!?」
何言って、と戸惑う理央の体を一成の前に押し出し、朋也はねえねえと笑っている。が、笑い事ではない。
「この子、理央ちゃんっ。everとSpartaを好きな曲にあげるってセンスよくね?」
「いや、やるなんて一言も!」
「状況の飲み込みがはやーい。かしこーい!助かるぅー!!ほい、これセットリスト。わかんねーやつある?」
「っ……!」
「君、耳で音全部覚えるタイプだろ。曲知ってりゃ弾けるよね」
見りゃわかる。感覚的に弾けてるもん。と言われて、ぐっと言葉を飲み込んだ。弾けなくはない。AVの曲は特徴的だが、ギターのコードはシンプルで洗練されているし、その分、ギターソロは伸びやかでいつでも自由だ。なので、そこを覚える必要がないこともわかっている。逆に言えば下手なギターはそこですぐに分かる構成だ。
(まあ、前のギターのソロ好きだったから覚えてるしな……)
演奏はできるし、このバンドがステージに立てないとなると客が失望するのは目に見えている。サポートできなくはないが……ステージに立つのは苦手だ。どうやって断ろうかと悩んでいると、ぐるっと朋也の方を向かせられた。湿気た楽屋の中で、じっとその綺麗な目で見つめられる。にこりとその美しい唇が動くのに……思わず見とれた。
「ねえ、俺、君のギターの音、すげー好きなんだよ。……【もっと聞かせて】?」
隣でそう告げる唇に魔法にかけられたように……。理央はこくりと思わず頷いていた。
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