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第3話

*  ライトが眩しい。熱い。暑い。  もうしばらくは立たないな、と思っていたステージの上、まさか数時間後に引っ張り出されることになるとは。しかし、自分でも呆れるのだが、よく曲を覚えているものだと思った。そして、最初の声で朋也に持って行かれる。声に惹かれて前方を見ると、その美しい背中が見えた。本当にキラキラした男だと理央はぼんやり思いながら、淡々とコードを押さえた。  自分の音も心地よい。客席側で聴くことが多いが、ステージで聴く音は、それはそれでまた格別なものがある。そして、隣から響く歌声に包まれている感じがした。キラキラと汗が照明に光ってきらめいている。なのに、暑苦しくなくて美しい。……ああ、本当に綺麗な男だ、と後ろから見ながら思っていた。  圧倒的な歌唱力と声に魅せられる。朋也の声は心地よい低音も持ちつつ、中性的な裏声がいきなりガンッと発声できることにその魅力がある。バカみたいに音階を飛ばすメロディーですら、正確に捉えていく天性の才能。フレーズで急に変わるので、まるで二人の人物が歌っているかのような、けれど、同じ声質の安定した心地よさは独特だ。その特殊な声は最早声帯ではなく楽器のようだと理央は前から思っていた。  客席側で聞いてる時も好きだったけど、ステージ側で聞くと一層体の奥に響く。この「喉」と「声」は天の与えたギフトなのだろう、と。 (意味わからん男だけど……すごいのは確かだな)  そうして、短いながらも六曲分のステージを終える。客席を朋也が煽っている間にはけてしまおうと、そそくさとギターを戻していると、いきなり体を引っ張られた。 「っ!?おい!」 「はっ、今日のMVPはギターの理央ちゃんでーす!飛び入りで参加をお願いしましたーぁ」 「ちょっ、前に出すな!」  客席が盛り上がっている。いや、盛り上がっているのはいいけれど、理央は一気に見えた人の顔の数にくらりとした。自分は人前で目立ちたくないのに、と朋也の方を向くと、向こうはそんなことには構わず客席を見て叫ぶ。 「このギターまじでやべーっしょ!高音最高ぉおお!!」  最後に伸ばしたすごい声の駆け上がり方に驚いて目を見開く。飛びちる汗が煌めいている。キラキラしている。すごいな、フロントマンっていうのはこういうのを言うんだ、そう思っていた瞬間、頰にチュッとキスをされて、一瞬止まった客の空気が、またガッと沸いた……。 (思い出した……)  そうだ。と理央はようやく昨日のことを徐々に思い出せた。ホテルのベッドの上での絶望である。今のこれは現実。そう、だって、昨日の記憶をちゃんと辿れば……このラブホテルにたどり着いてしまうから。  自分はゆっくりバンドを見て帰るつもりだったのに、急にもう一度ステージに上げられて、前に行かされた挙句、頰にキスまでされ。結局合同での打ち上げで、ガンガン朋也に酒を注がれて潰されたのだ。そうして、そのまま彼に抱えられ、吐き気を訴えて彼とこのホテルに入ったことも覚えてる。 (あと、俺……マスク越しに……)  ホテルでもキスしたところまでは覚えている……ような気がした。いや、夢かもしれない、幻覚かも……と痛む頭を押さえながら、ううう、と唸ることしかできない。そんな理央を見ている朋也は、いつの間にか服を身につけ、もう平気?ごめんね?とさっきのDom/subの影響についての非礼を詫びた。そして、ワタワタと今の状況の説明をし始める。理央は次第に落ち着いてきていた。昨日ギターを断れなかったのも、彼と自分のDom/subのダイナミクスバランスかな……と思うと納得もいった。本来であれば薬でDomの言葉の影響は受けないはずなのでおかしいのだけれど。もう少し薬の調整が必要かもしれないな、と定期で通っているクリニックへの相談事項を追加しておこうとも考えた。 「理央ちゃん、ぜーんぶ吐いちゃったんだよな。下のランドリーで洗っといて干しといたー。もう乾いて……うん、大丈夫!あ。ジーンズは大丈夫だったよ!」 「悪い……迷惑かけた」 「んーん。俺がテンション上がって飲ませすぎちゃったしね。ごめんね。理央ちゃん、黙々と飲んでるから強いのかと思っちゃって。話してる感じも大丈夫そうだったし、顔色変わらないタイプだったんだね。ちゃんとフォローできてなかった……」  申し訳なさそうにこちらを見てくる朋也に、こっちの方が情けなくなってくる。そもそも飲みの場自体が好きじゃないので、あまりペースが分からなかっただけなのだ。それで潰れて迷惑をかけたとか、学生じゃないんだぞ、と自分を恥じ入った。 (ん、待て、吐いた……?)  朋也の言葉にはっとして自分のマスクに触れる。よし、ある。ドクドクと心臓の音が大きく響いた。理央にとってマスクは重要なものだ。しかし、朋也はそんな理央の様子には気づかないのか、きゃっきゃと話を続けていた。 「理央ちゃん、吐く時までマスクしたままでいよーとしてんだもん。流石に外したけど、それ、ゲロついてね?大丈夫?新しいの買ってこようか?」 「いや、ストックあるから……これも大丈夫だし」  別にマスク自体は大丈夫だ。定期的に付け替えるので、もちろんストックも荷物の中にはある。しかし、これを外したところを朋也に見られてしまったのではないだろうか。自分の、あの醜い「アレ」を。  「アレ」をこんな綺麗な男の前に晒してしまったのではないかと思うと、ぐっと心の内側が冷えた気がした。理央はこそこそと荷物の中からマスクを探し、そして新しいそれに付け替えた。新しいマスクの匂いとその感触にほっとする。少しずつ呼吸が楽になっていく。そんな理央の状況には構わず、朋也は、ねえねえ、とまだ裸のままの理央に迫った。 「な、なに?」 「あのさ、連絡先教えて?」 「は?嫌だけど」 「えー、また会いたいよー!」  ね?ね?と言いながら、スキンシップをはかろうとしてくる朋也の様子に驚いた。これは自分がsubだということが分かって口説きにきているのだろうか。ちょっと困るな、と理央は思う。  理央は確かにsub性ではあるのだが、パートナーにDomが欲しいと思ったことはない。そもそも恋愛をしたいとも思ったことも今までないし、パートナー関係にはメリットよりもリスクの方が大きそうな気がして……投薬での生活を望んでいるのだ。幸いにもある程度の薬で数値が安定しているので、それで支障ないように生活も送っているし、薬の費用についても問題はない。しかし、朋也はどうやら理央に興味があるらしい、軽薄そうな男だとは感じていたが、とにかくスキンシップも過剰だし、理央は思わず顔を顰めた。 「俺、理央ちゃんの秘密も知っちゃったしぃ」 「!?な、な、何を……っ」  自分のこのマスクの下のことか!?と焦ってどもると、先ほど変えたマスク越しにちゅっとキスをされた。は?とその顔を眺めていると、その美しい顔がニコッと笑いかけてくる。 「理央ちゃんのギターも好きだし。Dom/subで相性も良さげなら、付き合ってみるしかないっしょ!」 「!意味がわからんが!?」  ぐっと体を押し倒されて、パンっと思わず彼の左頬を軽く叩いてしまう。朋也は長い前髪を下ろしていて、その奥の頰が少し赤くなっていた。 「おー、いって。ボーカルの顔は殴んなよ」 「世話になったのは悪かった……っ。けど、帰る!」  理央はそういうと、慌てて服を身につけて、荷物を持ち、そして財布から一万円札を取り出してベッドに置くと、バタバタとそのホテルを出て行った。まだ心臓がドキドキしている。そうだ、時間も経っているから薬も飲んでおこう。だから、あんなDom性にビクついたのだ……そう思いつつ、荷物の中からいつもの薬を取り出して口に含んだ。 (やっぱり「アレ」を見られたのだろうか……)  まだ人気の少ない朝の街を歩きながら駅に向かう。そこでこっそりと自分の歯をマスクの下から触った。別に見られたところでどうってことないのはわかっているのだが……嫌だな、と思ってしまう。自分のギザギザの歯の感触を確かめて、はあ、とまた大きなため息をついた。  理央は生まれつき歯の形が特徴的で、全ての歯が八重歯のように尖っている。小さい頃は気にしていなかったのだが、小学校高学年の時に好きだった女の子に「怖い」と言われたことがショックで、人前で口元を見せたくなくなってしまった。その後、世界的なウィルス感染拡大により、マスクが日常的になり、それをきっかけに、理央はずっとマスクを手放せなくなってしまった。現在はワクチン等の発達でマスクをするしないはまた元に戻り、世間のマスク着用率は季節によるのだけれど、理央は年中マスクを手放せないでいる。食事の時もなるべく口元を見せたくない。なので、昨日は久々の打ち上げでも食事をとりたくなくて、ストローを使って酒ばかり飲んでしまったのもあるのだけれど。  この口元コンプレックスとsub性。高校の終わり頃にsub性が強くなってしまった理央は、さらに人前に出なくなっていった。音楽で仕事をしているので、それでネット上やSNSを通じて繋がりは保っていたものの、今の世の中である。ほぼ在宅で仕事をする道も選びやすくなっていた。sub性は先述の通り、そこまで強くなく、また本人にその趣向も薄いと感じている。しかし、今まで恋愛経験やDomに惹きつけられた経験がないのもあって、理央のsub性は未知数なこともあった。例えば、今後相性の良いDomに出会ってしまうと、sub数値がどこまで振れてしまうのかが予想できない。そんな恐れもあって、理央はずっと投薬で自分の性を数値管理をしているのだった。 (……わけわかんねえ性質で、生活が乱されるなんて嫌だ)  駅までの道、ホテル街を抜けるといかがわしい店が立ち並ぶ通りに出る。そこの看板に「sub専門風俗」や「Dom性マッチングバー」などのけばけばしい広告が並んでいた。もちろん通常のマッチングや通常恋愛でパートナーがいる人たちもいる。……が、特殊な性質のため、マイノリティであることは事実であるし、Dom/sub性を持つ本人たち以外からは誤解を受けることも多い。理央は元々の性格が暗い自覚もあり、自分の性質をコントロールできなくなることを一番恐れていた。だから、人と接したくない、パートナーなんていらない、自分でコントロールできるようにして、穏やかに暮らしたい……そう思って、今の生きる道を選んできたのだ。  subの専用薬は決して安くないが、理央はそのぐらいの稼ぎは音楽で作っていけていた。ネットでの音楽配信での収入、様々なボーカルへの楽曲提供、顔出しなしのコンポーザーとして有名な「RIO」として、高校卒業以来、大学生時代から音楽で生計を立てている。そうやって、ここ数年生きているのであった。 (やっぱり久々に人前に出るとロクなことにはならないな。慣れないことはするもんじゃない……やっと自分なりの生活リズムがつかめてきたってのに……)  俺みたいなコミュ障には引きこもり生活があってんだよ、と思いつつ、理央はまたマスクを抑えて駅に向かう。ギリギリラッシュの前の電車に乗って帰れるかな、と思っては、はあ、と大きなため息をついた。

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