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第3話

「びっくりした、起きてたの?」 「うん、先刻から起きてる」 ハルは仰向けの状態で、相手の顔色を伺う。先程とは違い、間近で見る彼の表情からは眠気がいくらか飛んでいた。どうやら三十分前の騒音を根に持っている様子はない。今朝は詰られたり、無視されたりすることはなさそうだ。 「珈琲淹れてよ」 「悪いけどそこまでの時間はないんだ。遅刻しそう」 「時間ならまだ少しはあるだろ?何焦ってるんだ」 表では基本、アールは英語しか話せない体を貫いているが、実際はハルの国の言葉を充分に理解し、遣いこなしている。微妙なイントネーションにも全く違和感がない。単にうまい、というレベルではない。容姿を隠した状態で会話をさせたら、恐らく彼が外国人だとは誰も判別できないはずだ。アールはハルに自分の経歴を頑なに明かしてくれないので、どうやってそれだけの言語力を身に着けたのか知る由もないが、少なくともハルのように週に一度、二時間語学教室に通った程度ではないことは容易に想像できる。このことは決して口外してはならないと強く云われていた。英語以外は理解できないという立場にいて、生徒から英語を引き出すことも講師の仕事のうちなのだ。そのため、この部屋以外で無駄なお喋りを振ってこないように、とハルは云いつけられている。うっかりぼろを出されたら困る、というのがアールの云い分なのだった。 「時計が見当たらなくてさ」 ハルは自分の手首を落ち着かなげに触った。 「ああ、腕時計か。それなら知ってる」 「え、どこ?」 「すぐそこにあるじゃないか」 ハルは辺りを見廻した。 「分からないから訊いてるんだけど」 少ない時間の中、瑣末なことをもったいぶられたハルは、幾分か強い口調になった。 「分かった、教える。でもその前に」 不自然な間合いで言葉を切られた時、この男が次に何を云い出すのかハルには大方の予想がついていた。 「してよ」 耳朶に絡みつくような声が昨晩の情事を思い起こさせる。ハルが言葉を返す前にアールは手を離して起き上がり、浅く寝台に腰掛けた。その体勢に付き合うとなるといつも膝が痛くなる。ハルは上体を起こしつつ、躊躇いがちに部屋の掛時計をもう一度見た。 「今から?」 「お前の所為で寝覚めが悪いんだよ」 そう云われるとハルは云い返せなかった。追い討ちをかけるようにアールは視線を合わせて、今度は優しげに囁いてくる。 「好きだよ」 油断ならないのは、この男は一旦気にしていない風を装って、こういう不意打ちを仕掛けてくるところだ。一度云い出したら、アールはハルの云うことになど耳を貸さない。 ハルは枕を手に取り、膝の下に挟んだ。押し問答を繰り返すより、応じた方が早いと判断した。この男の要求を突っぱねてここを出て行くという選択肢はハルにはない。 せっかく皺を伸ばして着たシャツの襟を、アールが急かすように乱暴に引き寄せる。ハルが出勤のために整えた身形を乱すことを彼は何とも思っていない。 ハルは朝が苦手で、正直云ってまだこういう作業を熱心にできるほど体のエンジンがかかっていなかった。それでもあくまで素直な姿勢で、口淫に臨んだ。逸る気持ちを抑えて最初はゆっくりと、そして徐々に舌と口唇で与える刺激を強めていく。時間内に終わればいいのだが、というのがもちろん本音だったが、早く済ませようなどという気配を相手に悟られたら後が恐ろしい。なるべく緩急をつけ、あくまでこの行為を愉しんでいるという態度を心がけた。 アールはハルの気持ちや都合を考えてくれない。 何故かこういう男とばかり巡り会う。そしてどうしてなのか、離れられない。 その原因が自分にあることをハルは分かっている。執着しているのは自分だ。この体は誰かの体温を拠り所にして生きている部分がある。一刻も早く見切りをつけた方がいい関係でも、体の繋がりがあると断ち切れない。そして、感情が伴っていない言葉だと分かっていても面と向かって耳障りの良いことを云われるとつい、それに絆されてしまう。 自分は莫迦だと思う。愛しているわけでもないのに、依存している。そもそも愛しているって何だ?

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