4 / 100

第4話

でもこうしている限り、この男との関係は続けていけると思う。少なくとも来週も、この男に会えるはずだ。だからこの行為には意味がある。 七時まであと何分だろうか。掛時計を背にしているので正確な時刻がハルには分からない。 出社したら十時までに経理に提出する書類をまとめて、その後すぐ客先に足を運ばなければ。後輩と分担して進めている仕事の進捗状況を確認しなければと思うと、気が重い。 そんなことを考えていると、あるところで頭を掴まれ、勢いよく引き込まれた。一気に苦しさが喉奥と胸を襲う。噎せそうになるのを必死で我慢しながら、吐き気を抑え込んだ。ほぼ息ができない。だがそんなことはお構いなしにアールは、ハルの頭を道具のように掴んで自分のいいように抽挿を繰り返した。 とはいえ、これはハルにとって都合が悪いだけとも云いきれない。どうしても時間が気になって集中できず、相手の情欲の波を掴みきれなかった。こうして体を預けた方が早く解放されるに違いない。 朝、ぎりぎりの時間でこのような行為に及んだことは今までなかったので油断していた。これからはこういう事態も想定して起床時刻をもっと早めに設定しておくべきかも知れない。 服を汚したくないので相手の精液を一滴も零さず呑み込むつもりでいた。 ところが精を放つ直前で、唐突にアールはハルの顔から体を引き離した。髪は掴まれたままだったため、防ぐ手立てがないハルはまともに顔面に彼の体液を浴びた。昨晩排出したこともあってそこまでの量ではなかったが、眼に入りかけた。髪にはこびりつくから厄介だと以前にも云っていたのに注意してくれている気配はない。スラックスの膝あたりにも白濁の染みが滴った。 終わったつもりで後方にあるティッシュの箱に手を伸ばそうとしたところ、アールはハルのネクタイを掴んで強引に引き戻した。 「後始末をちゃんとしろ」 顔を拭う暇も与えられず、再びハルの口内に性器が押し込まれた。仕方なく舌をその括れに這わせながら彼の中に残った精液を吸い出し呑み込んだ。そこまでしてようやく満足したのかアールは手を放した。 「・・・台無しなんだけど」 口を押さえ、やっとのことで自身の後片付けに取りかかりながらハルは呟いた。 「整えてあるものって崩したくなるだろ」 アールは悪びれもせず、今度こそ本当にすっきりしたという態度で笑った。ハルは再び洗面所へ行き、顔を洗って口の中を濯いだ。次にキッチンへ行き、電気ケトルの電源を入れてお湯を沸かす。それでタオルを濡らし、スラックスの染みを叩いて拭うつもりだ。こういうものは冷たい水ではなかなか落ちない。 「で、時計は?」 「玄関」 電気ケトルが沸騰する前に、云われた通り玄関を覗くと、確かに備え付けの靴箱の上に分かるよう置かれていた。だがハルにここへ腕時計を置く習慣はない。 「出る前に分かるよう、気を遣って置いてやったんだよ」 アールの言葉にハルは抑え気味に溜息を吐いて腕時計を嵌め、部屋へ戻った。そしてスラックスの始末に取りかかりつつ、煙草を咥えて火を点けた。キッチンではアールが自分用の珈琲を淹れているため、リビングの方へ移動して作業する。 「急がないのか?」 邪魔をしておきながら飄々とアールは訊ねてくる。 「もう間に合わない」 お湯を染み込ませたタオルでスラックスを叩きながら憮然とした態度でハルは云い放った。途中、煙草の灰が落ちそうになってレストに置く。 「じゃあ休むのか?」 「莫迦云うな。仕事が回らなくなる。会社の最寄駅からタクシーに乗るしかない」 「お前程度の人間が一人いなくなったぐらいでまわらなくなる会社なら潰れた方が世のためだ」 それはハルも同感だ。けれどそんなことを云っていたら何もかもが立ち行かなくなる。 煙草を吸い終え、灰皿を片しに行くと、芳しい珈琲の香りが漂っていた。 「お前、肌が乾燥してきてるぞ。口唇もだ。抱き心地が悪い」 その言葉に特に反応せず、ハルはシンクの前で踵を返そうとした。 肩を掴まれ、体の向きを変えさせられる。アールはキッチンカウンターの上にあった薬用リップクリームを手に取って、ハルの口唇に塗ってくれた。 「人に会う仕事だろ。見た目も気を遣え」 女にするようなひどく優しい仕草に、ハルは見惚れてしまった。そして何となく、自分がこの男と今のような関係になったきっかけを思い起こした。あの時も、この男はこんな風に気紛れな優しさを向けてきた。

ともだちにシェアしよう!