7 / 100

第7話

翌週もスーズはやって来た。そしてハルと同じくレッスンを二時間きっちり受けて帰って行った。更にその翌週も。そして更にその翌週も。既に十月に入っていた。 健全なレッスンにいい加減ハルは嫌気が差していた。せめてこの学生が多少なりとも友好的であれば抱く印象も少しは違っただろうに、必要ないことと思っているのか、彼はハルに挨拶も碌にしてこない。そのためハルの方も彼に話しかけようという気にはなれず、会う度彼を邪魔に思う気持ちが蓄積していった。 スーズは勉強熱心な大学生だった。アールの話では水曜以外にもちょくちょくレッスンに通って来ており、週末も必ずどちらかは予約を入れているということだった。オンラインレッスンのことを知らないわけではないだろうに、わざわざ電車に乗って二つ先の駅から足を運んでいるらしい。 外見に関して云えば確実にハルよりも十センチは背が高く、特別筋肉質というわけではないがそこそこ引き締まった体をしていた。毛先に癖のある少し長めの黒い髪は、後ろで束ねていることも多い。日々、ビジネスカジュアルとオフィスカジュアルの間を行き来しているハルとほとんど変わらないスタイルで、とことん飾り気のない男だった。いつもアクセサリーの類はつけておらず、紺色の革ベルトの腕時計だけを常に身につけていた。銀縁のラウンドフェイスでクロノグラフのないものだ。鞄はよく大学生が持つキャンバス地のものではなく革だった。使い込まれているところを見ると、恐らく本革だ。シンプルなものが好きなのだろう。服装もいつも黒っぽいジャケットに黒か紺、グレーいずれかのカーディガンかベストを合わせ、その下に襟のついたシャツを着ている。靴紐まで黒一色のスニーカーを毎回履いて来ていたが、恐らく同じデザインのものを最低二足は持っている。擦り切れたり、汚れが眼についたりしたことなど一度もない。ハルに云わせれば、身形が小綺麗で遊びがない人間というのはとっつきにくい印象を持たれても仕方ないと思う。若ければ尚のことだ。 だが滅多に見ないタイプのこの若者に、アールの好奇心は毎度刺激されていたようだ。 「お前、もう少し眼つきに気をつけろ」 アールに云われてハルは何のことかと途惑った。 「眼は口ほどに物を云うって聞いたことあるだろ。レッスンに不満なのが丸分かりだし、スーズのことも観察しすぎだ。俺は正面にいるから全部見えてるんだよ」 「気の所為だよ」 「自分のことが見えてないからそんなことが云えるんだ。当たり前だけどお前、スーズの前で変なことするなよ」 アールはレッスンの際、あらゆる私情を消し去るようになった。並外れた美しさを活かしただけの感情のない笑顔に、毎回距離をとらされた。 スーズは今時の若者にしては珍しく、相当うるさく躾けられたのか姿勢がいい。レッスン中でなくても足を組んだりもしない。手の指先が柔らかそうで爪の形がきれいに整っているのはハルの好みだし、顔立ちに聡明さが滲み出ているとは思うが、如何せん無愛想なため、小賢しいといった印象を抱く。どちらかといえば好きになれない類の人種だ。実際の年齢がいくつなのかまでは分からないが、若いことに変わりはない。興味があると云っても、まさかこんな子供を口説こうとか、そんな風には思っていないだろう。ハルはそう思い込むことで何とか冷静さを取り戻そうとしていた。 スーズが現れて四度目の水曜日、レッスン室で対面したアールの眼に個人的な親しみが込められたのをハルは見逃さなかった。 「大学はどう?」 テキストを開く合間に、アールは小声でスーズに訊ねてきた。 その馴れ馴れしい態度を見た瞬間に分かった。 既に自分の知らないところで、この二人には繋がりが生じている。ハルは瞬時に息を潜め、まるで全てをインプットするかのように彼等の動きを注視した。 スーズはアールの問いかけに対し、微かに明るい笑みを浮かべ、頷いて返事を済ませた。無愛想に見えるが、笑えば歳相応に見えるのではないかとハルは思う。スーズはアールが視線を逸らすまで眼を離さなかった。そして一度テキストに視線を落としてから、もう一度アールの方をそっと見上げていた。

ともだちにシェアしよう!