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第10話

ハル達のブースの前で、先程から一人の少女が困惑した様子で辺りを見廻している。どうやら迷子のようだった。 気づいたハルが近づいて行こうとすると、ユニが横から入って来て少女に笑顔で話しかけた。彼女に目線を合わせるために屈み込み、営業用の優しい声でどうしたのか訊ねている。だが女の子は泣きそうな顔をしたままだ。ユニの顔を見つめてはいるが、彼の質問には何も答えられないでいる。四歳くらいだろうか。見も知らぬ大人に親切に話しかけられても、それが分からず萎縮するのはこのくらいの年齢なら仕方がない。 少女は周りの子供達に較べて彫りの深い顔をしていてエキゾチックな雰囲気を放っていた。怖がっているような表情をしながらも、ユニの口許を熱心に見つめている。その眼の色が単なる茶色ではなく、青みがかっているということに気づくと、ハルは二人の間に割って入った。少女に対し、英語で話しかけてみる。 彼女は反応を示した。ハルは子供相手なら何とかなると踏んで会話を続けた。やがて小さな声で彼女は返答した。子供の言葉というのは、英語に限らず意味を汲み取りづらい。辛抱強く耳を傾け続ける。 少女の話を要約すると、彼女は両親と兄の四人でここへ来たのだが、ここにハル達のブースにある風船や英語教材のDVDに見惚れているうちに家族の姿が見えなくなってしまったということだった。 「何色が好き?」 ハルは英語で愛想良く訊ねて、展示してある風船の中から少女が選んだピンク色の風船を解いた。 「俺はこの子をインフォメーションセンターに送って来るから、ちょっと一人でやっててくれよ」 そう云ってユニを見遣ると彼は既に真顔に戻っており、ハルの言葉を無視して別の作業をしている。仕方なくハルは少女の手を引いてその場を離れた。 小さな湿り気のある柔らかい手が、意外にも遠慮なしにハルの指を掴んできた。眼を合わせると、少女はにこっと笑った。 こういう笑顔がハルに今の仕事を続けさせてきた。 入社当時は純粋に、子供達が楽しんで自分達の提供した教材を使ってくれたら、それが彼等の笑顔を引き出すきっかけになってくれれば、と思っていた。教育というより、楽しみを子供達に提供する気持ちでこの仕事をしていた。 だが教材の購入は基本的に親が決めることだ。子供が最初から英語に興味を示していることなど稀である。我が子に英語力をつけさせたい一心で高い教材費を支払い、効果を期待している。ハルも自身が売る教材の内容の良さを信じている。ただ、良いものであろうが値段の高いものであろうが、当然全ての子供達の興味をそそるわけではない。 『高い教材を買ったのに子供の身になっていない』という相談は必ずある。金額が高くなれば効果を求める気持ちも分かるが、完全に親の期待で購入を決定したのに、『この教材、高かったのに』などと云われ、楽しみではなく強要を受けている子供達が少なからずいるであろうことは想像がつく。教材の値段が子供達を追い詰めるとなると、今のハルに打つ手はない。この金額でなければ成り立たない諸々の事情も理解している。 親の期待や都合に追い詰められる辛さをよく知っているハルは、そういうケースばかりではないと頭では分かっていても、こういうことが気になって仕方がないのだった。 幸い、インフォメーションセンターで少女の父親と会うことができた。 現場に戻ると、先程まで休憩に出ていたもう一人の後輩がユニと親しげに話をしていた。少し早めに戻って来たらしい。ハルに気づいた後輩二人は、ほぼ同時に真逆の表情を浮かべた。 「ハルさん、休憩ありがとうございました」 礼儀正しくそう云ったのは、一年目のブランという男だった。深いマロンブラウンの髪とそれより濃い珈琲豆の色の眼をした優しい顔立ちの青年だった。 ユニとブランが親しくなった時はハルも驚いたが、一見正反対のこの二人は案外相性が良いらしい。ブランの後ろにいるユニはハルが現れた途端、敵対心でも抱いているかのような表情で黙している。

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