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第12話

煙草を手にしたままだったので、すれ違うユニに火種がぶつからないようハルは注意した。 「ほんと、腹立つな。あんた」 「は?」 反射的に訊き返したが、すぐにこの後輩が破綻した雰囲気を纏っていることにハルは気づいた。この男の攻撃的な言動自体はよくあることだ。既に礼儀を重んじろと注意する段階にはいない。云いがかりや八つ当たりはしょっちゅうで、もう随分前から建設的な関係は望めなくなっている。 ユニはある程度部屋の奥へ進んだところで立ち止まった。先程までハルが作業していたデスクの上を眺めているようだ。 「何で先刻、途中で抜けたんです?」 「え?」 「ああいう面倒な集まりから抜けるの、本当にうまいですよね」 ユニは今夜の食事会のことを云っているらしい。ハルは確かに食事会を途中で抜け、早めに帰って来て報告書の作成と荷物の整理に取りかかっていた。こっそり抜け出したわけではなく、事情を伝えてちゃんと挨拶をした上でその場を退いていた。 「何だその云い方。俺は面倒だなんて思ってないぞ。報告書の作成が残ってたから一足先に帰っただけだ。あんまり呑みすぎると作業ができなくなるから」 少し間があった。紙をめくる音がした。デスクの上に置かれた書類をユニは読んでいる。やがて彼は手を下ろした。 「ああいう状態のブランを押しつけて、俺が喜ぶと思ってるんですか?」 そう云って部屋に入って来てから初めてハルの方を振り返った。 「それにあの部屋何?聞いてないんだけど、もしかして揶揄ってるとか?」 「何が?揶揄ってなんかないって」 ハルはものすごく疲れていると云いたげな目線を相手に向けた。 今回、ホテルの予約をしたのはハルだ。いつもの如くユニに雑用を押しつけられたのだった。基本、泊まりがけの出張の際は人数分シングルルームをとるのが常なのだが、今回、ユニとブランは同室で予約せざるを得なかった。出張の日程が決まったその日に予約をしようとしたのだが、既にその時点でこのホテルにはシングルの空きはなかった。先に出張が決まっていた自分の部屋だけは予約が取れていたので、ハルは二人には悪いと思いつつも仕方がないことと片付けた。今回は日程が週末に差しかかるため、とにかく早く宿泊予約を入れなくてはならない。一応周辺の他のホテルの空き状況も調べてみたが、許されている経費の範囲内で宿泊できるホテルはもうどこも埋まっていた。ハルが故意にどうこうしたというより、そうせざるを得なかっただけの話だ。第一、後輩のくせに仕事を押しつけておいて文句を云うなんて身の程知らずと云うほかない。 「部屋がなかったんだよ。わざわざお前の事情に気を回してやるほど俺は暇じゃない。云いがかりをつけるのも大概にしろ。・・・それとも何だ?ツインルームじゃなくてダブルが良かったのに、とでも云いに来たのか?」 ぞんざいにハルはそう云い放って、煙草を口許へ持っていこうとした。そこへユニの手が伸びてきた。 強硬な荒っぽい手つきで容易くハルを捕まえると、悪意をもってその体を寝台へ突き飛ばした。その拍子に絨毯へ落ちたハルの煙草を拾い上げ、何の躊躇もなく口に咥える。火はまだ点いていた。ユニは足先で煙草が落ちた部分の絨毯をならしつつ、軽く烟を吐き出していた。 ユニはハルと同様、喫煙者だが、表向きは一切煙草を吸わない。元々仕事中は周囲の印象を気にして吸っていなかったが、それでも彼が通り過ぎた後に煙草の残り香を感じることはよくあった。だがそれも今では滅多にない。ブランが禁煙派だと知ったからに違いない。 ユニがそれ以上の攻撃を仕掛けて来ないことを覚ると、ハルは徐に体を起こした。ブランはどうしたのかと訊ねると、既に部屋で眠っているとのことだった。 ブランのことについては、押しつけた、と云われればそう取られても仕方ない。ブランは夕食のために向かった居酒屋で、一時間もしないうちに酔っ払っていた。決して酒に強くはないのに、彼は呑むのが好きだった。酔った際の彼の距離感のなさには、ハルですら動揺させられることがある。そんなブランの世話をするのは、いつも決まってユニだ。今夜も彼に任せておけば大丈夫だと踏んでハルはその場を離れた。だが今回は同室ということで、恐らく、相当ユニは鬱憤が溜まっているに違いない。 ユニはブランが好きで、ハルはそれを察している。ハルが察していることを、ユニは気づいている。ブランは何も知らない。 ユニの粘着質でそこはかとない危うさを含んだ親愛の情を、ブランは何の疑いもなく受け入れている。ユニの、ましてやハルの性的指向など知る由もない。ただただ純粋な信頼を寄せている。ハルもブランのことは好きだが、それはあくまで後輩を可愛いと思う程度の気持ちであって、下心など抱いたことはない。

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