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第15話

一瞬、何が起きたのか理解できなかった。 衝撃の範囲が広かったので、拳ではなく平手で打たれたのだということが分かった。だが重かった。間を置かずに反対側を打たれ、その際に下口唇の裏側が歯に当たった。痺れと共に鉄のような血の味が広がっていく。 それでもこの男は手加減している。喧嘩に慣れていない人間の、無闇に力んだ感じが彼にはなかった。何もしていないのに三度目があった。脳味噌が揺さぶられて、自分の体が軸を失うのが分かった。 閉じた便座の上に倒れ込みそうになったところで襟元を掴まれた。再度、相手と視線が合った。四度目は顔を庇った腕に当たった。すぐに次がくると思い、ハルは身を庇い続けた。腕が震えているのを自覚する。直後にその腕を掴まれ、脱臼させる気ではないかと思うほどの力で捻り上げられた。小動物が絞め殺される寸前のような断末魔を上げて悶えると、やっとのことでユニの手が離れた。 ハルは喧嘩らしい喧嘩など、これまでの人生で一度もしたことがない。ショックと恐怖で体が云うことを聞かなかった。 相手が戦意を喪失した様子を見て取ったのか、ユニはそれ以上手を上げることはせず、代わりにハルのベルトを外し始めた。先程殴りつけてきたその手でシャツの裾から手を差し入れ、体の輪郭を撫でまわしてくる。 トイレのタンクに手を突かされ、下半身を突き出す恰好になると、そこへ唾を吐きかけられた。何をされそうになっているかは分かっていた。繰り返し打たれた頬が熱い。もしかしたら腫れ上がるかも知れない。この日は金曜日だった。週末に予定していた語学教室のレッスンはキャンセルする羽目になるかも知れない。眼前の問題から逃げるために、ハルはそんなことを考えていた。 ユニは口論でも腕力でも勝っていたのに、徹底的に相手の体に敗北を刻み込まないと気が済まないようだった。彼はハルの体にというより、この状況に昂奮していたのだと思う。硬く熱い性器が足の間に割り込んできて、狙いすましたように後孔に押し当てられた。唾液の滑りによって入口付近は僅かに彼を受け入れたが、奥の方は無理がある。 だがユニは間を置かず、強引にその先まで挿し貫いてきた。 「いっ・・・」 この時が初めてでなかったとはいえ、あまりに雑なやりようにハルは痛みで身を震わせた。ユニはハルのそんな反応に構わず性器を一度引き抜き、勢いに任せて再度押し入ってくる。そして長く息を吐いた。そこに嘲笑の気配が含まれていたことをハルは感じ取った。そのまま律動が始まった。 最初の痛みが引く間もなく摩擦を繰り返され、ハルは火箸で後孔を掻き乱されるような苦痛を味わった。 どうしてこんなことする? そう訊きたかったが、すぐにそれが無駄な問いかけであるとハルは思い至った。暴力を振るう人間が、納得のいく理由を持っていた試しなどない。高校生の時、友人に云われた。受けてしまった暴力には、やり返すか耐えるかのどちらかしかない。今、この男に抗えるか?無理だ。既に力で勝てないことは思い知らされている。 その時、扉が開いて誰かが入って来る気配がした。咄嗟にハルは息を殺し、個室の外を行き来する足音に耳を澄ます。こんな状況を誰かに気づかれたらと思うと、恥ずかしさというより恐ろしさが襲ってくる。 その人物が立ち去ると、入れ替わりでまた誰かが入って来た。少なくともハルが個室に閉じ込められている間に、三、四人の立ち入りがあったと思う。 人の気配を感じる度に、どうしてもっと早く来てくれなかったのかと、ハルは理不尽な怒りを覚えた。ユニに怒りをぶつけられないため、顔も知らない他人を恨み、歯軋りして、痛みと羞恥と否応なしに引き出された情欲の全てに耐え続けた。 あるところで、腰の肉を掴んでいたユニの右手がそれまでただ動きに合わせて揺れていただけのハルの刀身をしっかりと掴んだ。小さく悲鳴を上げて体を強張らせると、その緊張を嘲笑うかのように掌でそこを弄ばれた。 実は内側からの刺激でハルの性器は既に半勃ち状態だった。直接触られたことでみるみるうちにその形が際立っていく。屈辱的だったが、物理的な刺激を受け、本能が快感を追い求めてしまう。ハルの内面の葛藤を察していながら、ユニは右手の上下運動を焦らすことなく繰り返し吐精に導いた。そして直後に彼自身もハルの体内に精を撒き散らした。 酔って吐く時でさえ外の手洗いの床に膝など突かないのに、この時はユニの手が離れた途端、四肢が崩れ落ちた。 ユニはハルの肩を掴み、自分の方を向かせると精液と腸液に塗れた性器をハルの顔になすりつけてきた。完全に嫌がらせだった。その後更にハルの服で残りを拭うと、 「汚いですよ」 と一言云い残して個室を出て行った。 床に手足を直につけたことを汚いと云われたのか、自分そのものが汚いと云われたのか。いずれにしてもこの時のハルにはどうでも良かった。ほぼ放心状態でしばらくそこに坐っていた。個室の鍵をかけ直さなければと思うが、なかなか腰が立たなかった。 ユニが若さ故の経験不足から、自分の体を甚振ったのではないことだけは確かだった。

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