19 / 100

第19話

今日まで黙っていたが、最近のアールの挙動の端々にはスーズに対するあぶれ出た親愛の欠片のようなものがそこここに表れていた。質問の際、ずっと視線を合わせ続けるだけでなく、スーズがペンを走らせている最中、偶然を装ってスーズの手に意味もなく触れたり、その上指を絡めようとしたり、それらは講師らしからぬ行動であるだけでなく、ハルに対する配慮にも欠けていた。元よりまともな扱いは受けていなかったが、あまりにこれは人間関係が近すぎやしないか、あからさまじゃないか、という憤りが都度募っていた。 「何曜日に誰と会って何をしようが俺の勝手だ。そういう余計な勘繰りはやめろ。本当に鬱陶しい」 肯定も否定もしないその物云いに、疑惑は一層深まった。そしてより切実に、より多くのことを訊きたくなった。 本当に個人的に会っているのか、そしてもう寝たのか。どの程度本気なのか、そしてスーズはこの男のことをどう思っているのか。 もちろん、ハルにそんなことを訊く権利はない。何を知っても、何も変えられない。 アールにとって自分は顔馴染みのデリバリーヘルスのようなものだ。いつ最後の水曜日がやって来るか分からない。 アールがスーズに親しみを見せるようになってからずっと不安だった。近いうちに自分はお払い箱になるんじゃないかと気が気ではなかった。この男に愛してもらえるとは思っていないが、捨てられるのだけは恐ろしくて堪らない。あんな状況を眼にした後で平気でなどいられなかった。 「あいつと顔を合わせるのはもう嫌だ。あんな風に差をつけられるのは耐えられない」 「じゃあもう来るな」 アールは平然と云い放った。ハルは口を噤む。 「グループレッスンをとってるのはお前だろうが。誰だろうとあの時間に来た奴を教えるのが俺の仕事なんだよ。何でそんなことも分からないんだ。出来が悪いのは英語だけにしろ。下らないことで他人に迷惑かけてる暇があったら、文法の一つでも身につけて来い。スーズはお前の倍勉強して来てるぞ。はっきり云って、次のレベルチェックでお前はクラスを落とされても文句云えないからな」 ハルは肩を落として惨めな気分で呟いた。 「そんなに俺、ひどいか?」 「ああ。スーズの方がずっと発音もいいし、優秀で聞き分けもいい。教え甲斐も可愛げもある。お前なんかいない方がよっぽどレッスンが進む。こんな厄介事も起こされなくて済むしな」 この男は自分との関係など惜しくはないのだ。そうでなかったらこれほど高圧的な態度には出られない。こんなことを云われてまでこの男に固執する意味などあるのだろうか。彼は自分を慮ってくれることもなければ、自身を省みることも決してない。 「いいからもう帰れ。耐えられない思いをわざわざしに来ることない」 ハルの視線に対し、アールは蠅でも追い払うかのような仕草をした。 促されても尚、ハルは諦めきれずにその場に立ち尽くしていた。アールはしばらくその様子を見ていたが、やがて痺れを切らした様子で歩き出した。 自分が悪いのだ、とハルは思った。アールとはいつ終わってもおかしくなかった。 外面が良いこの男の内面は、一分たりとも信用できない。そういう相手を選んだ自分の責任だ。なのに、心から這い出ている蔦が彼から離れようとしない。 数歩進んだところでアールは振り返った。 自分は今、人生でも指折りの情けない表情で彼を見ているだろうという確信がハルにはあった。 「謝ったら許してやる」 助け舟を出されてハルは眼を上げた。本音のところでハルが自分から離れられないのをアールは分かっている。いつも二人の関係はこの男次第だ。 「スーズに手を出して、本当は悪かったって思ってるんだろ?」 急にアールの声の調子が柔らかいものになった。 「時々意地を張るのがお前の悪い癖だ。本当は優しくて我慢強いのに。それともこの前、俺が何でも云うことを聞くのはつまらないって云ったのを気にしてるのか?」 自分は優しくなんかない。我慢強くもない。この男は何一つ自分のことなど分かってはいない。こういうのがこの男の戦術なのだ。 なのにハルはいつもそれに絆されてしまう。少しでも優しい口調で自分の内面に触れるような云い方をされると、認めてもらえていたのだと錯覚してしまう。

ともだちにシェアしよう!