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第21話

ホームからエスカレーターを上がって改札に向かって来る人の波の中から、ハルはスーズを見つけた。狙った獲物を見つけた時の勢いで彼に近づいて行く。 「お兄さん」 まるでナンパか、水商売の客引きのような調子でハルはそう呼びかけた。人通りの多い時間帯だ。相手がすぐに気づくようにその腕を捕らえた。 ぎょっとした様子でスーズは自分の腕に絡みついてきたものを見た。直後に相手が誰だか認識すると、即座にその腕を振り払い、あからさまに無視をしてそのままそのまま無言で駅ビルの中へ入って行った。そんな相手の態度は想定済みだったハルは、すぐさま彼を追い越して動線を塞いだ。 「ねえ、話しかけてるんだけど」 「ええ、無視してるんです」 それがスーズが初めてハルに対して発した言葉だった。そしてハルを見たくもないといった様子で脇をすり抜けた。足が長く歩幅が広い相手に、ハルは半ば急ぎ足で追いつく。 「昨日のこと、悪いことしたって思ってるんだけど」 相手の憮然とした態度などお構いなしでハルは愛想を振りまきながらスーズに纏わりついた。スーズはその演技を見抜いているのか馬耳東風を貫き、無言でエスカレーターに乗り込んで行く。 歳下の偉そうな態度に、ハルは舌打ちをしてその背中を睨みつける。脳内の導火線が燻りそうだった。それを必死で打ち消す。ここでキレたら事態の収拾はつかない。こんな莫迦げたことのために自分は木曜日の今日、昨日に引き続き定時退社を敢行する羽目になったのだ。二日連続で定時に帰るなんて入社時の研修の時以来だ。 レッスンの度に思っていたことだが、スーズは常に小綺麗な(なり)をしていた。顔立ちも端正で利発そうで、落ち着きのある気質が感じられた。英語の発音が良いだけでなく、きっと頭も良いのだろう。自分も学生だったとしたら、およそ縁のないタイプだったと断言できる。アールのことがなくとも、ハルはスーズのような男が嫌いだ。こういった手合と一緒にいるといつも自分が莫迦みたいに思えてくる。 「聞いてるのかよ?」 「はい、聞こえました」 この小癪な学生が自分を許した確証を得なければ、語学教室のフロアには行かせられない。二階に到着した時、ハルはスーズの腕を掴み、更に上階へと進むエスカレーターの列から彼を引っ張り出した。 「ちょっと、触らないで下さい」 「人が話してる時は眼を見るもんだ」 「あなたに礼儀を問われる筋合いはありません」 「謝っただろ。それに対して何かないのかよ?」 「謝った?先刻のあれのどこがです?あなた大人でしょう?あの謝り方で世の中通用するんですか?」 どいつもこいつも人の謝罪に吝嗇(けち)つけやがって。 ハルは大袈裟に溜息を吐いてみせた。 「ごめんって」 「分かりました。それがあなたの最大級の礼儀ってことですね」 意外にもスーズは敏捷だった。ハルを振りきるように素早くエスカレーターに向かった。ハルはまたしても早足でスーズを追い、彼の後へ続こうとしている他人の前に強引に割り込まなければならなかった。 「絶対許してないよな」 「ええ、許してません」 「お前が謝れば許すって云うから、レッスンもないのにわざわざ来たんだけど」 「恩着せがましくそんなこと(おっしゃ)るなら謝って頂かなくて結構です。私は困りませんから」 先程から思っていたがこの男の若者らしからぬ物云いは何なのだ。まるで就職の面接を受ける時のような格式張った丁寧さがある。だが当然、話の内容と本人の表情の所為で慇懃無礼といった印象にしかハルには映らない。 「俺は困るんだよ」 三階に着いたところで、再度ハルはスーズを列から引き離した。 「あなた、人の進路を妨害するのが趣味なんですか?」 「何で許すって一言云えないんだよ?何が不満だ?あれか、本当に誠意があるなら形で示せってか?若いくせにそういうことだけはよく知ってるんだな」 「何の話ですか?あなたの言葉から誠意を感じられないから、私は受け入れられない。ただそれだけです」 「そうか、嘘吐きのくせに随分偉そうなこと云うんだな」 「どういう意味です?」 「お前、怪我なんかしてないだろ。どっちの手を引っ張っても、痛いっていう反応じゃなかった」 ハルはスーズをエスカレーターの列から引き離す時、一度目は相手の右、二度目は左と、意図的に別々の手首を掴んでいた。だがどちらの時も、痛みに身を引くといった反射的な動きが彼にはなかった。 云い逃れはできるだろうにスーズはそうしなかった。口許に笑みを浮かべ、相手を揶揄(からか)うような無邪気な眼つきになった。そしてその中に確かな憎悪も見た。 「どうとでも」 そう一言云うと今度は大して急ぐ素振りもなく、四階へと続くエスカレーターに乗り込んだ。 怪我がどうあれ、ハルの云うことなど誰も信じないと云っているかのようだった。ハルは(はらわた)が煮えくり返る思いだったが、すかさず跡を追った。

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