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第25話

「私に時間があるって決めつける、その根拠は何ですか?私にだってあまり時間はありません」 「そうだな。週に三回下らないサークルのイベントと呑み会に出席してれば、そりゃ時間がないだろうな。今の時期は冬休みのスノーボード旅行のためにバイトが詰まってるんだろうし。そういうところで相手を探してくれよ。大人の領域を侵害するな」 スーズは話にならないといった風に顔を背けた。脱力し、呆れてものも云えないといった様子だった。例のピンバッジさえ取り戻せたなら、すぐにでもここを立ち去るのに一体自分はここでどれだけの時間を無駄にすればいいのだろう、そんな嘆きが聞こえてきそうだった。 「私は留学で来てるんです」 溜息と共にスーズはそう漏らした。 「ん?留学?」 「ええ。半年間の留学で、この国での滞在期間はあと三ヶ月ちょっとです。最初からそのつもりでアールとは付き合ってます。だから、もう少ししたらあなたのお望み通り私は消えますよ。国へ帰るので」 「ちょっと待て。え?国へ帰るって何?」 沈黙。 「・・・お前、外国人なの?」 「はい」 「嘘だろ?だって、言葉」 「母がこの国の生まれなんです。海外から仕事で来ていた父と知り合って結婚したそうです。私は父の国で生まれたんですが、父の仕事の関係で五歳から十歳までこちらで暮らしていたんです。父の携わっていたプロジェクトが終了したのを機に、また戻りましたが」 「五歳から十歳までって、それにしちゃ喋るの巧すぎないか?」 「あなたに褒められても嬉しくありません」 「別に褒めてねえよ」 「言葉に関しては幼い時から母にかなり厳しく躾けられたんですよ」 スーズの視線がやや左下に流れ、その後で再びハルを見た。 「言葉が通じれば異国での生活が楽ってこともないですけどね。子供の頃とはまた違うので、来たばかりの頃は途惑うことも多くて。最近は少し慣れてきました。でも本当は留学するなら英語圏の国に行きたかったんですよね。ただ、そっちの方は定員に達するのが予想以上に早くて仕方なく」 「仕方なく留学って、何かむかつくな」 そう云いながらも、ハルは自分の母国語を流暢に話す歳下の男を見て感心していた。ほとんど呆気にとられていた。身内に教えられたからと云ってそれだけでこうも別の国の言語が身につくものなのか。彼の言葉には微妙なイントネーションの違和感が全くない。アールみたいだ。母親似なのだろう。見た目もこの国に馴染んでいて、とても外国人には見えない。どちらかというと緑がかった眼の色を持つ自分の方が異邦人のようだ。 「・・・どっちにしろ三か月も待てない。今すぐアールを手を切れ」 「あなたがあの人の正式な恋人ならその言葉には従います。けど、あなたはそんなことを要求できる立場にいませんよね」 「いる。お前の弱みを握ってる」 ピンバッジをわざわざ見せなくとも、スーズはその言葉の意味を理解していた。 「飾り一つに対して要求の数が見合いません」 「それだけの価値があるものなんだろ?」 ハルがやり込めるような眼つきでそう訊ねると、スーズは黙した。表情が崩れるのを何とか持ち堪えているといった感じだった。 「認めろよ。恋人からもらったものだって」 「親友です」 スーズは頑なだった。 「第一、彼のことはあなたには関係ない」 「うん、そうだよ。興味本位で訊いてる」 何か文句ある?といった圧のある笑顔をハルは浮かべた。 「女同士と違って、男が男に贈るものってのは実用的なものや消耗品がほとんどだ。それか、笑いか下ネタに走ったものか。こういうアクセサリーの類に入るものは妙な感情を持たれてる気がするから普通は選ばない。しかも手作りなんだろ?その上、お前は一回分のレッスンを無駄にしてでも俺からこれを取り戻したいと思ってる。お前、嘘の吐き方はうまい方だけど、必死かどうかは眼を見れば分かるから」 「あなたも。私みたいなガキ相手に随分必死だってことはすごくよく分かります」 ハルは相手を睨み据えつつ、改めてその容姿を観察する。 その黒い瞳が羨ましい。この男ではなく、自分にこそ、その瞳の色は必要なものだ。アールほどではないが、スーズもなかなか整った顔立ちをしていた。黒々とした髪は艶があって、体に無駄な筋肉も贅肉も見当たらない。肌はハルとほぼ同じ色をしていたが、水を弾きそうな張りの良さは彼の若さがもたらすものだろう。母親に躾けられたというやや慇懃無礼にもとれる言葉遣いさえ気にしなければ、文句なしに見惚れてしまう青年だった。あと十年とは云わないが、七、八年後の彼に別の形で出会いたかった。二十歳の彼は同世代の女の子達を魅了するだろうが、三十歳目前の彼はノン気の男でさえ振り返るに違いない。 ハルは彼の外見的な魅力を認めた上で、それに翻弄されてはならないと自戒する。

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