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第26話

「このがらくたが大事ならもう少し言葉を選んだ方がいいと思うけど」 「がらくたじゃないって云ってるでしょう。訂正して下さい」 「その前に、お前にはやるべきことがあるんじゃないのか?」 スーズは首周りの髪を手で払ってから斜交いにハルを見上げた。ハルは先程からずっと意識して口許に笑みを浮かべていたが間違っても友好の証としてそうしているわけではないことはスーズの方も分かっていた。 「分かりました。来週、アールに話をします」 「来週?随分悠長なこと云うな」 「せっかちな方ですね」 「焦らされていいと思えるのは寝台(ベッド)の中だけだ」 「私にだって色々都合があるんです。何せ急なことですから。アールの電話番号は知っていますが、こういうことはやはり会う機会を作って話さないと」 アールの電話番号をハルは知らない。教えて欲しいと頼んだことはあるが、にべもなく却下された。水曜日の夜に予約を取れば語学教室で毎週必ず会えるのだし、それ以外の日に連絡をとる必要など全くないとアールは云うのだった。 電話番号を知っている、と云った時のスーズの目線はどこか挑発しているように見えた。もしかすると、数いるセックスフレンドの中で電話番号を教えてもらえていないのは自分だけなのではないか。ハルは脳味噌が熱くなるほどの嫉妬を覚えた。 だがハルとスーズの二人は、連絡先を交換せざるを得なかった。スーズが約束を果たしたという連絡を受けたら、ハルは例のピンバッジを彼に返さなければならない。 あまり個人情報は知られたくないがやむを得ないので、ハルは仕方なくいくつか所持しているものの、最近はほとんど使用していないメールアドレスの一つを教えることにした。 「信用できない方に携帯電話は渡せませんので、紙に書いて下さい」 そう云ってスーズは付箋とボールペンを鞄から取り出した。いちいち癇に障ることを云うなと思う。だが差し出されたその指先にハルの視線は吸い込まれた。 「きれいな爪だね。大きめで四角い」 スーズが反応しないことを分かった上で、ハルはそう云った。 「俺、手がきれいな奴が好きなんだよね。これでお前が歳上だったら云うことないんだけど。ほんと残念」 アドレスを付箋に記入する際、アルファベットの(オー)と数字の(ゼロ)を間違えないようにルビを入れてやる。あくまで自分のための心配りだ。 「ねえ、親友、ってことにしておくけどさ、あのピンバッジの送り主。手作りなんてすごいな。あんな細かいの」 その時スーズがこちらを見た気がした。ハルは視線を上げずにアドレスを書ききることに集中する。 「ああいうのが作れるぐらい手先が器用なのは羨ましい。人に何か手作りのものをあげようと思うと変に力んで作っちゃったりしそうなもんだけど、そういうのも感じない。一生懸命丁寧に作ってる。きれいだもん、ちょっと簡単には捨てられないよな」 顔を上げてボールペンをテーブルに置き、付箋をスーズの手の甲に貼ってやった。 「そいつに恨みはないし、物に罪はない。俺もこれ以上心が痛むようなことはしたくないから、後のことはしっかり宜しくね?」 「心を痛めていらっしゃるなら今すぐそれを返してもらえませんか?」 「だめ。なあ、お前は大学で田舎を離れて、その親友は残ってるのか?」 「はい」 「ふうん、じゃあ帰省したら会うって感じか」 返答がなくなったのでスーズの表情を窺うと、彼はハルの会社にいる新入社員のように迷惑そうな顔をしていた。プライベートに少しでも立ち入ったことを訊いたり、仕事のことに関して注意をしたりすると、彼等はこういう表情をハルの上司に対しても露にする。ハルに云わせれば、上司も新入社員も無神経さでは甲乙なしと思うわけである。幸い、ハルが教育を任されているブランはそういうタイプではなかったので気が楽だった。 「留学中もそいつと連絡取り合ってるの?」 「どうしてそんなことを訊くんですか?」 親友のこととなると、スーズは何かを悟られまいとしているかのように態度を硬化させる。立ち入るなという攻撃的な防御をはっきりと態度に表わしていた。 「別に。ただ、距離ができても人間関係ってうまくいくもんなのかなと思って」 ジャケットの襟を直してハルは立ち上がった。 「行くんですか?」 「あれ、引き止める気?」 「違います。珈琲が途中です。ほとんど飲んでないじゃないですか」 「良かったらあげる。それ、初めて飲んだけど甘すぎ」 「要りませんよ。何なんですか、あなた」 ぼやきに近いその文句を背中で聞きながら、ハルはその場を後にした。

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