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第39話
風に煽られた髪が頬に触れ、スーズはそれを耳にかけた。
「あなたがそんな風に自分を雑に扱うのはお母様の所為ですか」
思わぬところに相手の話が飛び火して、ハルは顔色を変えた。母のことなど考えてもいなかったからだ。
「何だよ、急に」
「軽薄なふりをしてますけど、その実あなたは頑固だ。誰の意見も聞かないし、誰のことも腹の底では信用してない。自分の母親すら信じられないんだからって、最初から諦めてますよね」
胸の扉を無理矢理こじ開けられた気がした。スーズがこんな風に自分の領域に立ち入って来ることは想定しておらず、ハルは驚きやら途惑いやらで眩暈がした。
「普段のあなたを知ってる人間なら、お母様と一緒にいた時のあなたが不自然だってことは誰もが気づくはずです。私と二人きりで話してた時は無駄口ばかり叩いていたくせに、あの食事の時はずっとだんまりで。本気で怒ってもおかしくないようなことを実の母親から散々に云われてるのに、終始ポーカーフェイスで聞き流してた」
そこでスーズは一度言葉を切った。
「いえ、聞こえていたけれど意識の中に入れないようにしていたんですよね。あの食事の最中、あなたはずっと身構えていましたから」
スーズは一度眼を伏せた。迷ったような間があった。
「はっきり云ってあなた、自分の母親が嫌いなんでしょう?」
ハルは数秒、何とか意地でスーズと眼を合わせていたが、最終的に手許の珈琲へ視線を落とした。
「そういう風に見えた?」
「はい、見えました」
ハルは薄く笑って顔を背けた。何故笑ったのか自分でも分からなかった。
「失礼を承知で云いますが、あなたのお母様は分別が足りない。大人のあなたに対してあまりにも抑圧的で過干渉です。あなたの仕事や内面を批判するばかりで何一つ認めていない。まるで自分が女であることの恨みをあなたにぶつけているみたいでした」
母親を誰かに批判されたのは初めてで、ハルは驚きのあまり絶句していた。心の外壁が抉られ、削り取られていく気がした。
「人前でああいうことを云う人間が与える生育環境がどんなものかは想像がつきます。そういう過去が今のあなたを不安定にしている」
「・・・昔から批判や否定が多いのがあの人の悪い癖なんだよ。俺は慣れてるけど、あの人と一緒にいる間、お前が不快な思いをしてたなら謝る。悪かったよ」
「あなたが謝る必要はありません。不快な思いをしていたのはあなたの方です。あなたのお母様はあの夜、二時間以上一緒にいて一つもあなたの話を聞こうとしなかった。居もしない理想の息子を創り上げて、現実のあなたと比較して文句を垂れ流して。そんなことをしても何の意味もないのに」
「いつものことだよ。云っただろ、慣れてるんだ。あんなのにいちいち傷ついてたら身がもたない」
スーズは痛々しいものを見た時のように、眼を背けた。
「今までもそうやってお母様を守ってきたんですか?」
「守る?」
「そうです。あなたが『自分は傷ついていない、大したことじゃない』って云っていれば、お母様を悪者にしなくて済みますものね」
一体何なのだろう?ハルは思った。これらの言葉は、この男からの手の込んだ攻撃なのだろうか?それなら対抗し、防がなければ。けれどどうやって?
「守るとかじゃなくて、いい歳して母親の小言にぐずぐず云うもんじゃない、だろ」
「それはあなたのお父様の台詞ですか?」
ハルは何かこの学生を穏便に振り払う正当な云い訳はないかと、自分の気を逸らす意味も込めてさりげなく辺りへと注意を払った。
「あなたが過大な期待をかけられて育ってきたことはお母様の話を聞いていれば分かります。同時にことごとく感情を無視されてきたんだろうということも。応えられないほどの期待と感情の無視。こういう状態で育ってきた子供は大抵、自己肯定感が低い。恐らくあなたはそのまま大人になってる。一応、社会人として会社なんかではうまくやっているんでしょうけど、本当は不安や不満を溜め込みやすい。そういうのは何かのはずみでいずれ爆発します。強い不安に駆られた時とか追い詰められた時とか。私を突き飛ばした時も、そうだったんじゃないですか?」
遂にハルは席を立った。
「何なの?それがアールのことと一体何の関係があるんだよ?大体お前、人の親のこと、よくそんな風に」
「お母様と同じようにあなたも、あなた自身の感情を無視していますよね。そういう人がまともな恋愛ができるとは思えません」
「・・・帰る」
ハルはそう云ってカップをそのままに席を立って離れたが、スーズはすぐさま跡を追って来た。
「来週の水曜日はどうするんです?行動を変える気はないんですか?」
スーズはどうしてもそこを改善させたいようだった。
「お前何なの?ほんとに」
心底うんざりだという風にハルはスーズの方を振り返った。
「あなたの気持ちが私にはよく分かるんです」
「いい加減なこと云うな。莫迦にしてるのか?たった数時間話しただけで、何でそんなことが云える?」
スーズの表情に迷いが見えた。それがハルには、彼が不用意な発言をした後で云い淀んでいるように見えた。
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