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第74話

敷地内の会場で二次会が始まったのは五時半からだったが、全員が挙式と披露宴の参加者だった。従ってみんな満腹で料理を注文をする人間はほとんどおらず、テーブルの上に置かれた瓶ビールやつまみもそれほど減らなかった。 参列者の目的はみんな一緒だ。みんな新郎新婦とゆっくり話す時間が欲しくて来ている。ハルは根気強くタイミングを待って、人生の一大イベントを終えた新郎であり友人のムーに愛想良く労いの言葉をかけ、新婦に改めて挨拶をした。 二次会の会場へ流れる直前、ハルはスーズからメッセージがきているのを確認していた。スーズは既に電車に乗ってこちらへ向かっているので、駅で待ち合わせをしようとのことだった。 新郎新婦への挨拶も済んだので、ハルは一足先にこの場を後にすることを友人達に告げた。 「ごめん、そろそろ行かなきゃ」 「えー何で?」 普段の呑み会だろうと結婚式だろうと翌日が休みなら二次会、三次会まで残っているハルが、一等先に帰ると云い出したため、友人達からはブーイングが起こった。 「どうしても家で夜、やらなきゃいけない仕事があるんだよ。クライアントの都合で提出が日曜の正午までなんだ」 男友達というのは大体これで納得してくれるのが助かる。ルイには、電話する、という意味を込めて携帯電話を示した。その時、たまたまもう一度ムーと眼が合った。 「帰るの?」 と彼から訊かれ、ハルは頷いた。 「ああ、ちょっと用事があって」 「そっかぁ」 「悪いな。今日は楽しかったよ。今度またみんなで呑みに行こうな」 「そうだね」 それからどちらともなく高校時代によくしていたダップをした。二人の手は今でもスムーズに動いた。 「ねえ、今度その子紹介してね」 手を放したと同時にそう云われ、一瞬ハルは何のことか分からなかった。ムーはにこっと笑って手を振った。 廊下に出てから気がついた。 言葉は悪いがちょっとぞっとしてしまった。ムーはルイに負けず劣らず鋭いところがある。 それとも、スーズに会うのを心待ちにしている様子が無意識のうちに顔にも表れてしまったということだろうか。 毎度のことではあるが、引き出物が入った大きな紙袋にハルは辟易していた。カタログにしてくれればまだいいのだが、この大きさはどう見ても食器とバームクーヘンだ。お祝いの気持ちに対して、お返しの気持ちが物理的な意味で重たすぎる。 参列者専用のロッカーで帰り支度をしていると、さっと人影が隣にやって来た。 「ハルちゃん、お疲れ」 同じ高校出身のユーキだった。彼だと分かるとハルは少し落ち着かない気分になった。仲間の結婚式や同窓会で度々顔を合わせる男で、友達といえば友達の類に入るのかも知れなかった。ただ、決してハルは好き好んで彼のようなタイプには近づかない。押しが強く目力の強いユーキのことを、高校時代のハルは少し恐れていた。 だがユーキとルイは同じグループではないものの、そこそこ仲が良い。ルイが仲良くしているならこの男にも何かしら良いところがあるのでは、と折り合いをつけ、何とかこれまでうまくやってきた。おかげで以前よりは対応を心得ることができている。ユーキもよく見れば、昔ほどきつそうには見えないので、本当はそこまで警戒する必要などないのかも知れない。 ここ数年の結婚式や同窓会の中では毎回、ユーキの方からハルに何かしら声をかけてきてくれる。楽しくお喋りをするところまではいかないが、以前よりは会話も弾む。逸早く社会人となった彼は少しずつ角が取れてきたのかも知れない。 彼とルイのカリスマ的偏差値がほぼ同等だったことと、二人にバイクやギターという共通の趣味があったことから互いが率いるグループの距離感も何となく近いものとなった。常時一緒というわけではないが、人数が必要となる場合やイベントの時には自然に一緒に行動していた。ハル達五人に対してユーキ達は三人グループだったので、合わせれば人数が偶数になることもよく二つのグループが合流した大きな理由だった。 ルイもユーキもクラス内で目立つタイプだった。二人ともよく笑う男で、系統は違うが二人は独特の魅力的な雰囲気を纏っていた。女達に人気もあり、話題も豊富、大抵のスポーツは得意で、上級生達にも一目置かれていた。ただ一つ違うのは、ルイは人の隠したがることを無理に聞き出したり人前で暴いたりすることをよしとせず、何事も引き際を心得ている男だったが、ユーキはそうではないということだった。 「いい式だったな」 ユーキに云われてハルは頷いた。 「うん。・・・どうしたの?お前も帰るの?」 「そう。家に嫁と子供残して来てるからさ」 そうか。この男にも子供がいるのだと思うと、ハルの緊張感も少しは和らぐ。 「子供いくつになったっけ?可愛い?」 「おい、誰の子だと思ってるんだよ?可愛くないわけないだろ?」 真剣すぎる表情にとらわれて一瞬どきっとしたが、後から言葉の意味と共に笑いがやってきた。ハルが笑うとユーキも笑った。彼の携帯電話のホーム画面に設定されたユーキの子供は、愛らしい笑顔で母親に抱っこされていた。二歳ぐらいだろう。 初めユーキと居合わせた時は、急いでいるからじゃあ、などと云って立ち去ろうかとも思ったのだが、携帯電話をもう一度確認してみるとスーズから新しく連絡が入っていた。一本前の電車が人身事故を起こしたため、運行に遅れが生じているという。会場と駅は目と鼻の先だ。今からユーキに合わせて駅まで歩いても、スーズを待たせることはないだろう。そのため、ハルは何となく動作を相手のペースに合わせていた。駅まで一緒に行くか、とユーキに誘われてハルは頷いた。 外に出た途端、季節を思い出した。寒さがコートをすり抜けて入り込んでくる。道も空気も凍りつきそうな気温だったが、これからスーズに会えると思うとハルの足取りは軽かった。 対象的にユーキは歩く速度が遅かった。今、何処に住んでいるのかとかどんな仕事をしているのかとか、ハルに訊いてきた上で、自分の方はそれらに加えて子供や妻の話をしてくる。早く帰るんじゃなかったのかと問いたいところだったが、焦れている様子が伝わらないようハルは愛想笑いを浮かべて歩調を合わせ続けた。腕時計や携帯を見るのも何となく気が退けてできない。 「そういえばお前のところのグループで結婚してないの、お前だけじゃん」 と、ユーキは敷地を出て開口一番にそう云った。この手の詮索にはもっともらしい返答をハルは用意してある。 「数か月付き合った彼女と最近別れたばっかなんだよ。訊かないで。これでも傷ついてる」 「高校の頃、一時俺達の間じゃハルちゃんは女に興味がないって噂になってたけど」 「本当に?まあ三年間通して一人も彼女ができなかったのは事実だからな」 「だから男の方に興味があるんだろうって俺らのグループでは噂してたよ」 がん、と頭を殴られたような衝撃で、ハルはかえってまともにユーキを見つめた。 「お前は知らないよな。一度ルイ達がいるところでもそういう話になったんだよ。そしたらルイがお前を庇って本気で怒っちゃってさ。やっぱりムー達もお前にはその話、してなかったんだ?」 「・・・女にもてなかったからって普通そういう方向に話がいくかな。まさかそんな妙な噂が立ってるなんて」 「本当に噂だけか?」 ハルはあえてここで笑ってみせた。 「マジだと思ってるわけ?」 ユーキは少しも臆せずにハルの眼を見続けていた。彼もルイと同じくハルより背が高いので、距離が近いほど見上げる形になる。 「独身の時より結婚してからかな。ここ数年、俺にも何となく分かるようになってきたんだよ」 「・・・何が?」 「人間、経験てのは大事だな。自分がその世界に足を踏み入れると分かってくる。嫁だって子供だって可愛いけどさ、そういうのとはまた別なんだよ、これは」 それからユーキはハルの顔を覗き込んできた。その視線と言葉にハルはもうくすりともできなかった。 「随分前から気づいてたよ。高校の時は分からなかったけど、二十歳を越えた頃からかな。結婚式とか同窓会でお前に会う度に、そうじゃないかなって」 二人は駅の手前で立ち止まった。 「彼女なんていなかったんだろ?これまでに一度も」 相手の言葉の意図が分からないほどハルは酔っていなかった。そしてハルの眼の色の変化に気づかないほどユーキも鈍くはなかった。そして彼はハルとの距離を狭めながら思いもよらない交信を仕掛けてきた。 何故ユーキが結婚式や同窓会の度に必ず自分に声をかけてきてくれたのか、この時やっとハルは分かった。彼は確かめていたのだ。そして今確信を得て弱みを握ろうとしている。 「・・・ちょっと待って」 「あーだめだめ。逃がさない。お前が来るって知ってから、今日はこの話をするつもりで来たんだから」 すかさず顔を逸らすのを許さないとでも云うようにユーキが肩を軽く掴んできた。予期せぬ相手に踏み込まれ、ハルはどう反応していいのか分からなかった。 ユーキのシグナルは乱れている。雑音ばかりだ。こういう男にだけは悟られてはならない。人が隠したがることを暴き、本意ではない相手を無理矢理コントロールすることに喜びを見出す男だ。そうだ、こういう男だった。その顔を知っているから自分は避けていたのに、相手を知った気になって、また愚かにも信用してしまった。どうしてユニの忠告を思い出せなかったのか。ひんやりとした何かを背中に押し当てられた気分になり、ハルは今にも錯乱しそうだった。 「何?昔の仲間にはこういうこと知られたくないって?」 お前なんか仲間だと思ったことは一度もない。そう云い返したいのを堪え、穏便な言葉を選んでハルは反論を試みた。 「・・・何か勘違いしてる。何なの?急にこんな話、困るんだけど」 白を切り通すぐらいしか、この場をやり過ごす術がハルには思いつかなかった。今でも少しユーキが怖かった。肩にちょっと触れられただけなのに、心臓がばくばくする。引き出物の紙袋がより一層重く感じられた。 そこへ声がかかった。 「どうした?」 ルイだった。彼を見た瞬間、ハルの中でどっと安心感が湧き出してきた。 「・・・ルイ」 「何?喧嘩?」 「喧嘩じゃないよ」 ユーキは流石だった。瞬時にハルから手を放し取り繕うような素振りすら見せず、何事もなかったという様子でルイに笑いかけていた。 「良かった。じゃあ三人で駅まで一緒に行こう」 ルイもあれからすぐに帰宅を催促する妻からのメッセージがあり、ハル達に続いて会場を出たのだという。 ハルは上がりきった心拍数を抑えるため、言葉少なに二人に歩調を合わせていた。ルイを間に挟んでいなければユーキに対し短い受け答えすらできなかったと思う。ユーキと顔を合わせる機会となる、仲間の結婚式が今後ないことが救いだった。 駅の改札前まで来たところで、 「ちょっとこの駅で人を待つことになったから・・・ここで」 と云ってハルは立ち止まった。 「そう?じゃあ俺も待つよ。じゃあユーキ、またな」 ごく自然にルイは別れを告げた。厳密に云えば彼にもハルに付き合う理由などないのだが、その言葉が二つのグループの線引きを明確にした。 ユーキは最後にちらっとハルの方へ視線を送ったが、くすりと笑っただけでその場を立ち去った。彼の後姿を見届けながらルイはハルに向かって云った。 「あいつと何かあった?」 「・・・いや、何も」 「それならいいけど」 ルイの、自分を労わるような笑みにハルは胸が掴まれる思いだった。 それからユーキが消えていった雑踏を見つめた。恨みたくない。あんな可愛い子供を持った父親を嫌ったりできない。頼むからそっちの世界で平和に過ごして、興味本位で自分のような人間を掻き乱したりしないで欲しい。 そしてもう一度ルイを見た。もしかすると彼は何かに気づいているのかも知れない。いつもルイはハルの知らないことを知っている。ユーキが云っていた高校時代の噂のことだって訊けばきっと憶えている。答えてくれる。けれど同時に、自分を傷つけないよう慮ってくれることも想像できる。優しい人を悩ませるのは嫌だ。スーズの云っていたことが今のハルにはよく分かる。 「あのさ、仕事のことだけど、本当にいいのか?」 ハルは全く違う話題をルイに振った。そして無理に笑ってみせた。 「俺なんかに務まるかな。最初は何処だって厳しいし、分からないことだらけだろうけど」 「でも今回は、初めから理解者がいる」 「・・・ほんとにありがとう」 誠意が籠って聞こえるようにハルはそう云った。ルイは何でもないという風に身振りで示した。 「お前のためならできる限りのことをするよ。そんなの当然だろ?」 思わず泣きそうになった。ルイの真率さと生活の不安が解消されていく安堵感が、情緒に直結して胸が一杯になった。 「抱き締めていいか?」 「どうぞ」 ハルは高校生の頃ふざけてよくそうしていたようにルイに抱きついた。この周辺は式場帰りの酔客が多いと知っていたからできたことだ。二次会向けのバーや呑み屋も多い。ルイは笑っていた。自分達は本当の友人関係だった。本当のことを云うと、ハルがルイに下心を抱く可能性は高校時代、充分にあった。ただ、そんな暇はなかった。ルイは昔から雰囲気があってセンスも良く話し上手で行動力のある男だった。そんな彼の隣には絶えず勝ち組の女達がいた。それに、ハルが話を聞いている限りではルイは真性のヘテロセクシュアルだった。 感涙しそうになっていたハルは、それを何とか瞼の奥に隠してからもう一度眼を開いた。ルイの肩越しにスーズの姿を見つけた。

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