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第3話

 2    赤いベルベットのソファ席に座った佐和紀の前に、茶托付きで湯のみが出される。髪を大きく結いあげた中年の女は、黒いワンピース姿で膝をついたままだ。  向かいの席には若いホステスが六人、ずらりと並んでいる。 「んー、三十点。五十点、三十点、四十点、六十点、三十五点」  ソファにもたれかかった佐和紀が右から順番に指さしていくと、女の子たちは顔を見合わせた。声をひそめて、キャッキャッと騒ぎ出す。  顔の良し悪しの点数ではない。化粧が与えるイメージと胸の大きさのバランスだ。そこがちぐはぐだと、胸ばかり見る客からのセクハラが多くなり、悪い常連客を掴みやすい。というのが、佐和紀の持論だ。 「まぁ! 六十点なんて、初めてじゃない?」  床にしゃがんだママの一声に、六十点をつけられたホステスは意気揚々と手をあげた。 「私、前回は十点だったんです~」 「大躍進じゃないの。その調子ね。どうぞ、お茶を飲んでください。それとも、おビール、出しましょうか?」 「いらないってば。もういいだろ。こっちも忙しいんだからさぁ」  いそいそ立ちあがろうとするママに向かって声をかけたのは、佐和紀の隣に座る三井だ。伸ばした髪は肩につくほど長い。  くわえていた煙草を灰皿で揉み消し、デニム地のジャケットを引っ張った。 「今月分、さっさと払って」 「なによ、その言い方」 「ママがどうしてもって言うから、こうして連れてきてやっただろ」 「タダ酒飲んだくせに」 「あ、それ!」  慌てた三井が立ちあがる。驚いた女の子たちはひゅっと黙り込んだ。 「タカシ……、金ならもらってるだろ。なにやってんだ」  絣の着物の衿をしごいた佐和紀が見上げると、三井は軽い動作で逃げた。 「払うよ、払うに決まってんだろ。えっとー、おいくらでしたっけぇ?」  大滝(おおたき)組へのみかじめ料を取りに下がったママを追いかけていく。  大滝組直系本家では、商店に対する構成員たちの後払い(ツケ)を禁止している。飲食店や風俗店も同じで、よっぽどの理由がない限り、現金払いで立ち去るのが掟だ。自分たちの管理する地域(シマ)で、みかじめ料の支払いを拒まない店は特に大切に扱うよう、指導されている。  まれに見る任侠道だが、関東随一の巨大組織大滝組の屋台骨として、住民感情に配慮しているだけのことだ。みかじめ料の徴収が大事なわけでもない。飲食店の払っているみかじめ料は、直系本家のシノギからすれば雀の涙ほどだ。  資金集めの手段は別にあり、そのほとんどを佐和紀の旦那である大滝組若頭補佐・岩下周平が賄っている。 「それじゃあ、また今度な」  ツケを払って戻ってきた三井を視界にとらえ、佐和紀は腰を上げた。着物の衿を正し、帯を腰に据え直す。そこへホステスたちが我先にとまとわりついてきた。 「遊んでいってくださいよ~」  肩に触れられ、腕を掴まれ、袖を揺らされる。 「まだ、店を開けてもないだろ」  進路を阻まれた佐和紀が笑って身をかわすと、女たちとの間に影が走った。三井ではない第三の男だ。 「申し訳ありませんが、お姉さん方……。こちら、まだ仕事がありますので」  涼やかな声で断りを入れたのは、石垣に代わって新しい世話係になった壱羽(いちば)知世(ともよ)だった。  まだ二十歳を過ぎたばかりの現役大学生だが、首筋のほっそりとした外見からは想像できない胆力がある。有無を言わせぬ雰囲気に押され、さほど年齢の変わらないホステスたちが押し黙った。 「姐さん、参りましょう」  芝居がかったセリフが、茶髪に縁どられた白い肌によく似合う。にこりともしない顔は人形のように整っていて、はたで見ている佐和紀もうすら寒いものを覚えるほどだ。  知世は、北関東にある壱羽組の次男坊だ。黒目がちな瞳はガラス玉のような無機質さで、『壱羽の白蛇』の異名も伊達ではないと思わせる。  佐和紀が歩き出すと、知世はママとホステスたちに丁寧な一礼をして追ってきた。 「大人気ですね」  店の扉を静かに閉め、にこりと笑った顔は年相応だ。ヌメッとした爬虫類の雰囲気が一掃される。 「いつか、取って食われるよな」 「そんなわけないだろ」  くわえ煙草に火をつけた三井が笑う。 「あんたに食らいつける女がいたら、見てみたい」 「そんなおまえは、どの女に手をつけたんだ」 「アニキみたいなこと言うな。そんなことするわけないだろ。俺は品行方正な構成員だよ。オヤジの教えに従って、シマの中ではおとなしく、おとなしく、それはもうお利口に……」 「知世」  佐和紀が声をかけると、この二ヶ月ですっかり仕事慣れした新入りは小首を傾げてはにかんだ。 「六十点の彼女ですね。胸が大きいのと、口元のだらしない感じが三井さんの好みだと思います」 「……はぁ?」  三井の手からぽとりと煙草が落ちた。 「ツケはそのときの払い忘れじゃないですか。酔うと、とにかく出したい、ってときがあるみたいだから……」 「知世……。おまえはなぁ、ペラペラ、ペラペラと、余計なことを」 「当たりだろ?」  落ちた煙草を草履の裏で揉み消し、佐和紀が聞く。 「ハズレに決まってんだろ。はいはい、次行こう。次!」  三井はしきりとふたりを急かす。 「タカシ。彼女にまでツケてないだろうな」 「バカだろ。つけるに決まって……え、なにを?」 「……えらい、えらい。ちゃんとつけてえらいよ」  佐和紀はわざと猫撫で声を出し、三井の肩を繰り返し叩く。 「俺のプライベートだ、っつーの!」  いまいましげに舌を打つ三井から睨まれるのは知世だ。しつこく絡まれる前に、ポケットの携帯電話が震え出す。 「姐さん宛てです。失礼します」  携帯電話を取り出し、素早く一礼してあとずさった。知世の携帯電話だが、佐和紀専用の電話番号への着信も受けられるようになっている。  デートクラブの管理で岡村が忙しくなり、石垣が組を抜け、三井は周平に付くことが増えた。結果、いままでのような伝言形式が難しくなったので、佐和紀への要件はすべて知世が受けつけている。 「真柴(ましば)さんだな」  知世の電話対応を見た三井が言う。佐和紀の番号を知っている人間は限られている。  佐和紀は黙り、人差し指と中指を立てた。三井の煙草が一本差し込まれ、ライターの火が向けられる。

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