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第4話

「にしたって、チンピラのチの字もないな。知世には。あぁいうのに惚れられるのがなー、シンさ~んって感じだよな」  三井が言う通りだ。長めの前髪がさらりと流れる知世の爽やかさからは、ヤクザの剣呑さもチンピラの乱暴さもない。裏風俗で男相手にウリをしていた後ろ暗い過去も想像できないほどだ。  こうして暴力団の使いをしながらも週に三日は大学へ通い、キャンパスでは友人たちとわいわい楽しくやっている。佐和紀がこっそり覗きに行ったときも、あちこちから声がかかり、どこからどう見てもカタギで健全な、しかも人気者の大学生だった。 「シンも、いい男になったんだろ」  煙を吐き出した佐和紀は片頬を引きあげた。三井も煙草をくわえて火をつける。 「自分が育てたみたいに言うなよ。あの人は昔からモテてる」 「周平譲りのえげつなさで食い散らかしてきたんだよな」 「……持ちあげといて、落とすな」 「知世の前では言ってないじゃん」 「……言ってますよー。自覚がないだけですよー」  軽口を叩いている間に、知世が電話を終えて戻ってきた。 「真柴さんでした。聞いて欲しい話があるそうで、今夜、夕食を、というお誘いでした。返事は保留にしてあります。どうしますか? 補佐の予定はいまのところは外出で、変更の連絡はありません」 「俺は?」  誘われていないのかと、三井が自分の鼻先に指を当てる。 「すみれさんについてのことだと思うので、遠慮されたら、いいんじゃないですか」 「あー、あれじゃねぇの? うっかり、コレもんの……」  おどけた三井が、両手で腹のせり出すジェスチャーをする。 「だとしたら、三井さんも呼ばれますから」 「じゃあ、なんだよ」 「三井さんがいたら話せないことは、いっぱいあると思いますよ」 「知世ちゃん。俺ね、おまえよりもお兄さんなんだよ?」 「そうだっけ。同い年だろ?」  佐和紀がからかうと、三井は不満げにスパスパと煙草をふかした。 「嘘ですよ」  クツクツと笑った知世が肩を揺らす。 「三井さんも、とおっしゃってました。でも、三井さん、今夜は予定が入ってるじゃないですか」 「ないよ、そんなの」  二十代後半も半ばに差しかかった男は、誰に憚るでもなくくちびるを尖らせる。 「こちらを優先されるのはかまいませんが……。定例会の連絡係の会合、すっぽかして大丈夫ですか?」 「あれ? 今日だっけ?」  ジャケットから携帯電話を取り出す。 「あ、ホントだ。無理だ。っていうか、次の店行ったら事務所に戻んないと」 「会合はネクタイ必須です。時間がないようなら、事務所に何本か置いてありますから」 「サンキュ。一応、スーツに着替えに帰る。残りは次の機会だな」  残りの一軒をあきらめた三井は煙草を道路に投げて揉み消した。知世が拾って携帯灰皿へ入れる。 「出世すんの?」  佐和紀はにやにや笑って聞いた。三井もまたにやりと笑う。 「しちゃおっかなー。チンピラにヤキ入れてんのにも、飽きたしなぁ」  ふざけた口調だが、その手の仕事はすでに三井の手を離れている。若手構成員や組に出入りするチンピラに対して仕置きを与える『飴と鞭作戦』は、飴役だった岡村がいなければ機能しない。  だから、三井の仕事もまた、事務所内の肉体労働ではなく組運営の実務へと切り替わったのだ。そういう年齢でもある。 「真柴さんにOKの連絡を入れます。場所と時間も決めてしまいますが、済ましておく用事は……」  確認を向けられ、佐和紀は首を振って「ない」と答える。三井が知世に向かって言った。 「俺はタクシーつかまえるから、車使っていいよ。組屋敷に戻して」 「はい、そうします。……すぐに済ませますので」  佐和紀を三井に任せ、知世は電話をかけ直すためにまた離れる。 「……使える新人すぎて、どうかと思うレベルだな」  三井がぼそりと言い、佐和紀は細いべっ甲縁の眼鏡を指で押しあげた。 「シンの仕込みだから……」 「それって、愛され自慢だろ? あんたのためならなんでもしちゃうもんなぁ。シンさんもさー、ちょっと考えたらいいよ、本当にさ」 「俺に言うなよ。……おまえだって、俺が好きだろ? 命、懸けちゃうだろ? んん?」  着物の袖を揺らして、三井の肩に腕を投げ出す。今日はなにげない絣の着物だが、驚くほど値の張る逸品だ。  姉嫁の京子が贔屓にしている呉服屋から頼まれ、周平が買い受けた反物だった。そこそこ名のある織り手の品は、だからこそ値が張りすぎて買い手がつきにくいことがある。手に入れたあと、どうするかはこちらの裁量だが、この絣は佐和紀が気に入ったので単衣に仕立ててもらった。  袖がずれ、肘先の柔肌がさらされる。 「あんたが、こんなことばっかりするから、タモッちゃんにキスされるんだよ。あのあとしばらく、シンさんが荒れに荒れて、大変だったんだからな。わかってんの?」 「はぁ? されてないし。なにがキスだ。ふざけんな。見てもねぇだろ」 「……じゃあ、なんで殴ったんだよ」 「とっぽい兄ちゃんになったのが、ムカついた」 「はー、否定できない……」  がっくりとうなだれた三井が肩を揺らす。 「タモッちゃん、さっそく金髪とヤったらしいよ。禁欲してたら、悠護(ゆうご)さんが連れてきたって」 「あいつは……」  佐和紀はうんざりとため息をつく。  悠護は大滝組長のひとり息子で京子の弟だが、実家とは縁を切って海外で暮らしている。というのが建前で、実際は友人の資産運用で作った余剰金を大滝組へ流し、京子の息子たち三人の面倒も見ているのだ。  事実を並べると凄腕のトレーダーに聞こえるが、佐和紀にとっては古い知人のままの印象だ。静岡で性別を偽ってホステスをしていた頃、結婚詐欺をしてけっこうな大金を巻きあげた。悠護は、いまでも軽薄なチンピラでしかない。 「だからってさぁ、シンさんには気安くキスとかするなよ」 「するわけねぇだろ。……なんで?」 「舞いあがりすぎて昇天しそうだから。死亡フラグだよ、死亡フラグ」 「折れないよなぁ……、それ」  もう何本も折ってきたつもりだが、次から次へと新しい『死亡フラグ』が立つのだ。本当にキリがない。横恋慕をあきらめさせれば済む話だが、それをするつもりが当の佐和紀になかった。  周平ひとりの愛では物足りないわけではなく、ただなんとなく、岡村が他の誰かに尽くしている姿は見たくない。性的欲求はよそで晴らしてかまわないし、いっそ愛とか恋とかも面倒に思う。黙ってそばに控えていて欲しい、それだけのことだ。 「折った先からぶっ刺してんのは、あんただよ」  佐和紀の複雑な感情を百も承知の三井は、投げ出された腕を乱暴に肩からおろす。岡村への同情を見せてはいるが、おおむねおもしろがっているのだ。それを証拠に、束縛するなとも言わなかった。  

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