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第3話

空港に到着すると、他の人が流れる流れに乗って桜二のスーツケースと久しぶりの再会を果たす。 「桜二…桜二…!会いたかったよ…!」 スーツケースを抱きしめてそう言うと、リュックの中から桜二のマフラーを取り出して首に巻いた。 これで…一緒だ。 コロコロとスーツケースを転がしながら他の人が流れていく出口へと向かう。 時刻は15:00  昨日の朝、10:50の飛行機に乗って、到着したのが次の日の15:00だ… 遠いな… タクシー乗り場で観音開きの変なタクシーに乗り込むと、運転手にホテルの住所を書いた紙を見せて言った。 「ホテル、シルブプレ。」 …大抵の事はシルブプレで通じる。 勇吾の友達と話して…外人への免疫も少しだけ付いた。 だから、物怖じなんてしないで、堂々と、シルブプレをかますんだ。 良い?知らない事は馬鹿にされる事じゃない。知れば良いだけなんだ。 だから、何も恥じる事なんて無い。 電車の乗り方を知らない赤ちゃんを馬鹿にする人なんていないだろ? 逆に、そんな事を馬鹿にして笑う人がいたら、その人の方が問題ありだよ? 言葉の壁も同じ… 英語が話せないからって…オレがバカな訳じゃない。そうだろ? だから、堂々と胸を張って、姿勢を美しく保ったまま、シルブプレをかます。 そうだ、チップ… 彼らはサービスしないのにチップを貰える。 オレはステージでサービスしないと貰えないのに… 依冬が教えてくれた絵柄のチップを運転手に手渡すと、タクシーを降りてスーツケースをトランクから出してもらう。 「メルシー」 そう言って立ち去るタクシーを見送りながら、街を眺める… 雰囲気あるな…勇吾が好んで住むのも頷ける。 街自体が舞台みたいに美しい雰囲気を醸し出してる… ホテルの中に入って受付カウンターに行くと、依冬が用意してくれた紙を見せた。 何にも話さなくてもトントンと話が付くんだもん…依冬って偉大だな。 部屋まで案内してもらいながら、コロコロと転がすだけの荷物をおじさんに運んでもらう。 彼らはこれだけでチップを貰えるんだ! 解せないね? 「はい、どうぞ?」 手を差し出すお行儀の悪いおじさんにお金を手渡すと、さっさとドアを閉めた。 支配人の様な銭ゲバは、この土地だったら当たり前のようだ。 「うわ~、広くて雰囲気のあるお部屋だ!」 ザ・クラシカル… そんな言葉がぴったりな落ち着いた雰囲気の美しい部屋。 ボリュームが桁違いなベッドに突っ伏すと、すかさず桜二と依冬に連絡を入れる。 ”ホテルに着きました“ ウトウトとしてくる目をこすって、窓辺から眼下を見下ろしてロンドンの街を眺める… 「勇吾…すぐ傍まで来たよ?どこに居るの…?今すぐ、会いたいよ…」 ポロリと涙が落ちて、目の前の光景を歪めていく… こんな所まで…1人で来てしまった。 もし、パニックになって倒れてしまったら、どうしよう… 手に持ったままの携帯電話がブルルと震えて、視線を落として画面を覗いた。 ”良かった。お疲れ様。ゆっくり休むんだよ。愛してる。“ “良かった。暗くなったら外は歩かないで。アジア人は差別されると思って行動してね?” は?! 依冬のメールを見つめて、首を傾げる。 差別?アジア人? 「物騒な事を言うんじゃないよ…」 ポツリとそう呟くと、見下ろす街中の人が皆、悪い人に見えてくる… 怖い… 「兄ちゃん…シロは怖い所に来ちゃったの…?意地悪されたら、どうしたら良いの…?」 「ぶっ飛ばせばいいじゃん。」 幼い頃の自分がそう言ってベッドの上をジャンプして、ケラケラ笑った。 ぶっ飛ばす…? あの体格じゃあ、物理的にオレの方がやられそうだよ? 「ねえ、シロ。折角来たんだから、“何たらホール”に行ってみようよ…」 幼い頃のオレはそう言うと、持ってきたスーツケースを指さして言った。 「着替えて!」 そう。 勇吾の恋人…真司君には一度会ってるんだ。 彼に顔が割れてる以上…オレは変装をして行動しなければならない。 オレがイギリスに来てるって…真司君にバレたら勇吾が何されるか分からないからね…隠密行動を取るのさ。 スパイみたいだろ?ふふ! スーツケースを開いて、持ってきたカツラを取り出すと、ブラシで綺麗に解かしながら言った。 「シロ?ベッドに土足で上がるのはやめて?だって、トイレに行った靴のままでベッドに上がるなんて、汚いよ?」 「はぁ~い!」 意外にも幼いオレは素直だった。 そっか…オレは優しくて、良い子だった。 黒髪セミロングのカツラを装着して、夏子さんに貰ったキャップを被ると、伊達眼鏡をかけた。 「キャップに羽が付いてたら…キーン!んちゃ!って言いそうだな…」 鏡の前でブツブツそう言うと、コートとマフラーを付けてリュックを手に取った。 「よし、シロ…行ってくるね。」 ベッドに大人しく座る幼いオレにそう言うと、部屋の鍵を手に持って部屋を出た。 「ハーマジェスティーズシアター…ハーマジェスティーズシアター…」 グーグルマップを頼りに外人だらけの広い歩道を歩いて進むと、目の前に目的の“ハーマジェスティーズシアター”が現れた。 石造りのゴシックな劇場…入口ののぼりには、今、公演中の舞台の垂れ幕が下がってる。 「あれ?…ここ…もしかして来ても仕方が無かったかな…。だって、今、公演中の舞台があるんだもん…。こんな中、次の公演の準備なんて出来ないよね…?」 ひとりごとだ。 暗くなっていく街並みと、当てが外れた予感に、不安になってぶつぶつ言いながら劇場の周りを何度も行ったり来たりする… どうしよう… 思ってたんと…違う。 続々と劇場に入って行くお客さんの後姿を見つめながら、異国まで来たのに、何の手掛かりも持っていない状況に愕然として立ち尽くす。 どうしたら良いの…兄ちゃん… オレ…やっちゃったかもしれない… 「シロ?こんな遠くまで来ちゃったの?兄ちゃん、びっくりしたよ?」 オレの隣にいつの間にか立っていた兄ちゃんが、オレを見下ろしてオーバーに驚いた顔をして見せた。 もう…兄ちゃんはこんな状況でもふざけ倒すんだ。 でも、それが、オレを安心させるためだって…知ってるよ。 「はぁ…」 大きなため息をひとつ吐くと、オレはお客さんと一緒に劇場の中へと進んで行った。 ここまで来たんだ。 このまま帰る訳に行かないよ… 桜二のお守りを右手でギュッと撫でて、勇気を出す。 他のお客さんがホールに入って行く中、受付だろうが、ガードマンだろうが、関係なしに手当たり次第に聞いて回った。 「勇吾、ストリップ、どこ?…勇吾、ストリップ、どこ?」 しばらく聞いて回っていると、強面のガードマンがやって来てオレの腕を掴んで劇場の外へと放り投げた。 「うわぁ!」 オレは体幹がしっかりしてるから、そんな風に放られたって転んだりしないよ! でも…ショックだった。 だって、日本ではこんな風にされる事なんて無い… よっぽどおイタをしたお客しか、こんな風に乱暴に扱われる事なんて無いもの。 「イギリス、やだな…怖い…」 暗くなった街に煌々と明かりを灯す劇場の前に立ってポツリとそう呟くと、ムッと頬を膨らませて地面を見つめた… もう夕方の6:30… いつの間にかオレの周りには待ち合わせでもしてるのか…外人が点々と立ち始める。 彼らには、ここは日常を送るホームなんだ…オレには、非日常の完全にアウェイ… 桜二と依冬に電話して…ダメだったって言おうかな。 あんな見えを切ったけど…現実は厳しいよ… 「はぁ…勇吾のばっきゃろ…」 ポツリとそう呟くと、隣に立っていた外人がすごい勢いでオレを振り返って言った。 「…シロ?」 え…? オレは首を傾げながら顔を見上げると、見た事のある顔に満面の笑顔になって飛びついて言った! 「ケイン!」 そう…それは1年前。 公演間近だというのに、オレを見に…わざわざ東京まで弾丸ツアーを組んだ勇吾の友達…ケインだった。 「うわん!ここのガードマンはひどいんだ!オレを掴んで放り投げたんだ!やっつけて!やっつけてよ!」 彼は日本語なんて分からない。オレも英語なんて話せない。 でも、知ってる顔に安心したのか、通じないって分かっていても不満を彼に話して地団駄を踏んで怒って見せた。 ケインはひとしきりオレの憤りを眺めると、ため息を吐いて言った。 「シロ…ドウシヨウカ…。ン~、ワタシハ、ガールフレンド、キマス。シロ、イラナイデス。」 はぁ? オレは飄々と酷い事を言ってのけるケインを睨みつけると、凄んで言った。 「勇吾をヘルプしにわざわざ東京から来たんだ!それなのに、お前ときたら…!ガールフレンド?知らねえよ?そんなの、オレには関係ない!イッツ ノット マイ ビジネスだよ?」 鼻息を荒くして怒っていると、ケインのガールフレンドがやって来た。 日本で言う…能面のような表情をして、オレとケインを交互に見ると、何やら英語で文句を言い始めた…。 そんな、口論を始めるふたりを見て、言葉は分からなくても、察した。 どうやら彼女はカツラのせいでオレの事を女だと思ってる様で、地団駄を踏んで怒ってるオレの様子を遠くから見ていた様だ… 彼女は誤解してる。 …でも、好都合だ! しめしめ… 「ケイン!酷い!私がいるのに…!アイム ソー サッドだよ?プンプン!」 そう言いながらケインの腕にギュッと抱き付くと、ウルウルと瞳を潤ませて彼を見上げて言った。 「キス ミー ベイビー!」 「ハン!」 吐き捨てる様にそう言って踵を返して帰る彼女の背中を見送って、ケインの腕を改めて掴むと、彼を見上げて言った。 「ケイン。アイム ハングリーだよ?」 「ファック!」 イケないね… そんな言葉、使っちゃダメなんだよ? ムスッと頬を膨らませて怒ったままのケインを連れて、通りがかった時食べたいなと思ったお店に連れて来た。 「ケイン、ここでご飯食べたい。」 「…はぁ。」 ため息を吐かれたって、ムスッとされたって、今、この異国の地で、彼はオレの生命線だ。唯一、勇吾に繋がった糸を簡単に手放したりしない。 それに、彼は少し頭のネジが緩いから…強引に連れまわすにはピッタリだと思ったんだ。 「ケイン?オレはね、ビーフが食べたいよ?」 英語で書かれたメニューを彼に向けてそう言うと、ムスッと頬を膨らませるけど、ケインはビーフの料理をオーダーしてくれた。 「ふふっ!ケイン、サンキューだよ?」 オレがそう言ってにっこりとほほ笑むと、ケインは何を勘違いしたのか、オレのカツラの髪を手に取って言った。 「シロ、ビューティフォー…」 あ~はっはっは! 勇吾の言った通りだ。彼はちょっと頭のネジが緩いんだ! 「ふふっ!ノーだよ?シロは勇吾のだからね~?」 そう言って彼の手を撫でると、テーブルの上にポンと置いた。 一気にガヤガヤし始めた店内に、正面に座ったケインの視線が泳いで、咄嗟に自分のサングラスを取り出すと、オレの掛けていた伊達メガネと付け替えさせた。 「ケイン?」 「しっ…」 そう言って何食わぬ顔をする彼に、オレがオレであると気付かれてはいけない人の存在を察して、押し黙った… 真司君がいるの…? …言葉は通じなくても、ケインはどうしてオレがここにいるのか…なんで変装しているのか…察した様だ。 なんだ、ケインはおバカさんじゃなかった。 賢山賢太郎(かしこやまかしこたろう)だった。 そんな彼を眺めながら頬杖を付くと、ケインの元に寄って来る外人たちを眺めた。 この様子は…多分、一緒に働いてる人たちだ。 そして、オレの事を女だと思って、ケインを盛大に冷やかしてる様だ… 「ユウゴ…?ディス イズ マイ ガールフレンド…」 ケインがオレの背中の向こうに視線を送ってそう言った… え…? オレの後ろに、勇吾がいるの…? 一気に緊張が走って、オレは頬杖を付いたまま、固まった。 振り返れば…彼がいる。 半年ぶりに…彼の存在を身近に感じて、胸の奥が震えて…今にも振り返って抱き付いてしまいたい衝動を抑えるのに必死だった… あぁ…勇吾! オレが来てあげたよ? 嬉しいでしょ? 喜んで…くれるでしょ…? オレに気付いたら、どんな顔をするの? あなたが笑顔になってくれたら、飛びついて抱き付いても良いの? あの甘い香りを…早く嗅ぎたいよ。 こぶしの花の様な…あなたの香りを、早く感じたいんだ。 ドキドキしながら彼の登場を待つけど、一向に現れない彼と、目の前のケインと、周りの外人の様子を見て、察した。 彼は、何も言わないまま、店を出て行ってしまった様だ… なんだよ… 勇吾… オレ以外には、そんな塩対応なの…? 酷いな…悲しいよ。 高揚した気分は一気に底まで落ちて、目の前に出された美味しそうな料理の良い匂いだけが鼻の前を漂った… オレを見るどころか…ケインの言葉も無視して、居なくなっちゃった。 抱き付くどころか…はなから相手にされなかった… 折角イギリスまで来たのに、オレは、彼を見る事さえ叶わなかった。 「はぁ…」 ケインはため息を吐くオレを見つめると、椅子に掛けたオレのリュックを指さして言った。 「シロ…ユウゴ、ワカッタ。シロ…ワカッタ…」 あぁ… 勇吾はオレだって分かって…居なくなった… そう言う事…? 俯いた瞳からポロリと涙が落ちて、彼のサングラスを濡らしていく… 勇吾がオレを避けてる。 東京から勇気を出してここまで来たのに… 褒めもしなければ、顔も見せないで、立ち去った… 酷いな… あんまりじゃないか… 「勇吾が嫌いになりそうだ…」 ポツリとそう言うと、心配そうに眉を下げるケインと一緒に夜ご飯を食べる。 「ケイン?それ、ちょうだい?」 「…オーケー」 不思議だね。 言葉が通じないのに…何を言ってるのか、分かるみたいだ。 彼のお皿からベビーコーンを取ると、パクリと口の中に入れてもぐもぐする… 遠く離れた異国まで来たのに…こんな散々な思いをするとは思わなかったよ。 勇吾を助けに行く!なんて意気込んで来たけど…それは、ありがた迷惑な話だったのかもしれない… そういう体で…別れたかったのかもしれない… もう、オレには、会いたくなかったのかもしれない。 なのに…桜二の話を真に受けて、馬鹿みたいに勢いだけで彼の元に来てしまった。 とんだ的外れな事を、してるのかもしれない。 物思いにふけるオレを見つめて、ケインが言った。 「シロ、ホテル…?」 「…ん?えっとね…ここだよ?」 オレはケインに滞在してるホテルの名前を書いた紙を見せた。 「ワオ…」 そう、それは依冬が予約してくれたお高いホテルだ… 「シロ?ホテル、ケイン、イク、オーケー?」 は? 「ダメだよ。ほんとにバカだな。オレがそんなに軽く見える?わざわざ勇吾に会いにイギリスまで来た馬鹿だけど、悲しみにくれて誰彼構わずファックしたりしないよ?」 そう言って頬を膨らませると、言葉は通じないけど、彼は何となく理解したように眉を下げて言った。 「ノー、チガウ、トモダチ、ニホンゴ、デキル…」 あぁ! 日本語の分かる友達を呼んでくれるのか! 「オーケー!ケイン、レッツゴー!」 オレはそう言うと、自分の荷物を持ってケインと一緒に店を出た。 日本語の分かる友達が来たら… 勇吾の状況が…気持ちが…少しでも、分かるかもしれない。 オレが…しっぽを巻いてとっとと帰った方が良いのか、分かるかもしれない。 ケインが電話で誰かを呼び出す中、オレは桜二のマフラーに顔を埋めて涙を拭いた。 桜二… こんな心細い中で、勇吾はオレを無視して居なくなっちゃった… ぶん殴ってやりたいよ… どんな思いでここまで来たのか、吐き捨てて、一発ぶん殴ってやりたいよ… 「シロ?オーケー、レッツゴー!」 どうやら整ったようだ。 オレはケインと手を繋ぐとホテルまでの道を一緒に歩いた。 イギリスの夜は…本当に寒い。東京よりも凍てつく様な空気をしてる。 それとも…オレの心が冷え切ってしまったせいで、そう感じるのかな… ホテルの部屋に着くと、カツラを外して綺麗にブラシで解かした。 ウトウトする目を擦りながら、誰かを待ってるケインを見つめてベッドに横になる。 「ケイン…眠い…」 そう言った途端に…瞼が落ちて、そのまま眠ってしまった… だって、オレは13時間もかけて移動して来たばかりなんだ。 ちょっとだけ、休みたいよ… 「シロ…シロ…!」 体を揺すられて瞼を開くと、いつもの光景じゃない知らない部屋と、ケインが見えた… あぁ…そっか オレは、イギリスに来てるんだった… 部屋には知らない男が2人増えていて、オレを見つめると1人はしくしくと泣き始めた… なんだよ… 重たい体を起こして、ケインを見て言った。 「あの人たちは、誰?」 オレがケインにそう言うと、ひとりの男がオレに向かって言ってきた。 「こんばんは。僕はイギリスで日本語の講師をしているヒロです!ケインにお願いされて、君の通訳をする事になりました。よろしくお願いします。」 ヒロさん…30代くらいのゴリゴリの外人だ。だけど、とっても流ちょうな日本語で話しかけてくれた。 日本語を聞いてこんなに安心するなんて…初めて知った感覚だよ… 「ヒロさん、よろしくお願いします。」 オレはそう挨拶をすると、彼の奥でしくしくと泣き続ける外人を見て言った。 「彼は誰ですか?」 「この人は、ショーンさんです。」 ショーンさん…?どんな繋がりの人だろう… 首を傾げて彼を見つめて、ケインを振り返って言った。 「ショーンさんは何の人?」 ケインが英語で答えると、ヒロさんが彼の言葉を通訳して言った。 「ショーンは勇吾の親友で、今回の事の顛末を知ってる人だよ!シロが僕に夢中だからって勇吾が怒った訳じゃないって、説明してくれる人だよ?」 ほほ! ケイン…お前はいろいろと勘違いをしながらオレと過ごしていたようだね… ジト目で彼を見つめると、ケインは肩をすくめて英語で言った。 そんな彼の言葉をヒロさんはすぐに訳して聞かせてくれる。 それが、微妙に…声優のように声色に感情までも乗せてくるから、面白いんだ… 「なんだよ。シロはケインが大好きになっちゃったんだろ?仕方がないよ。俺は魅力的だからね?」 「違う。オレはそもそも何の当てもなくイギリスにやって来た。そんな時、偶然出会ったケインを手放したくなかったんだ。だから、彼女とデートに行くって、オレを置いて行くつもりのお前を無理やり引き留めたんだ。」 オレがそう言うと、ヒロさんがニュアンスの細かい所まで通訳したのか、ケインがプンプンと怒り始める。 「あ~はっはっは!ごめんよ。埋め合わせはするよ。出来るか分からないけどね?ふふっ!」 オレの言葉をヒロさんがケインに訳して伝えると、フンフン!と怒りながらも椅子に座り直してショーンさんを指さして言った。 「ショーン、早くシロに話してやってよ!」 オレはしくしくと泣き続けるショーンさんを見つめると、彼に静かに言った。 「ショーンさん。半年前から彼から連絡が途絶えてしまったんだ。忙しくてもメールの返事もくれたし、電話にも出てくれて…手紙のやり取りもしていたのに…。ぱたりと無くなった…。その理由が知りたくて、ここまで来たんだ。ねえ…何か知ってるなら、教えてよ…」 ベッドに座るオレの隣に腰かけると、ショーンさんはちょっとずつ話始めてくれた… 勇吾と真司君の話… #勇吾 まさか… まさか…本当に来るとは思わなかった… なぜか、かつらを被っていたけど、頬杖を付いた後ろ姿ですぐに分かった…そして、いつも使ってるリュックを見て…確信した… あそこにいたのは、間違いなく、シロだ… 「勇ちゃん?他の店にするの?」 真司がそう言って俺の顔を覗き込んで来た。 「あ、あぁ…あそこはケインのバカがいたから、違う店が良い…」 俺は察せられないように取り繕うと、真司の肩を抱いて言った。 「もう少し向こうの、落ち着いたバーに行こう…?」 「ふふ…僕は良いけど…みんなはそれで良いかな?」 真司… アグレッシブすぎると思っていたけど、あんな事をするとは思わなかったよ。 それは半年前、春先の追加公演が決まった時に起きた… 「勇ちゃん!どうして会ってくれないの!なんだよ!あんなストリッパーのどこが良いの!馬鹿!目を覚ませよっ!」 真司に別れを告げてから、彼は連日の様に俺の自宅に訪れては玄関先で喚き散らした。それはシロに対する罵りが半分と…俺への愛の言葉が半分… 正直、常軌を逸した彼の行動に恐怖を抱いた… あまりの連日の喚き声に、近所の人の通報によって何度も警察沙汰になった。 弁護士を立てて接近禁止のような措置を取るか、取らないか… そんな話し合いをしていた最中に、ストリップ公演の追加公演が決まった。 準備と顔合わせを兼ねて、当時踊ってくれたストリッパーやダンサー、スタッフを集めて、小さなパーティーをしたんだ。 真司はこの公演でダンサーへの技術指導の役割を担っていた… だから、彼も…パーティーに出席した。 その時、会場に立てたポールでストリッパーの子が踊って場を盛り上げてくれていた。そして、彼が大技に入ろうと体を振りかぶった時、真司が彼の目にポインターを当てた。 驚いた拍子に手を離してしまったその子は、大技に入る反動をもろに体に受けて、真っ逆さまに地面へと落ちた… 怪我…? いいや、殺人に近い… だって、その子は半身不随の大怪我をして…二度と立てなくなったんだ。 その時、俺の問いかけに苦しむその子の顔が… 動かせなくなった足を見て、泣き叫んだその子の顔が… シロに見えて… …恐ろしくなってしまったんだ。 俺さえ真司の気持ちに応えていれば…あの子は今でもポールを踊り続けて、キラキラと光るスポットライトの中にいた筈なんだ。 そう思ったら、シロを愛する事が…いけない事の様に感じた。 あの子を愛さなければ、俺の気持ちが真司から離れる事は無かった。 あの子を求めなければ、ストリッパーの子が踊れなくなる様な事には、ならなかった… 「勇ちゃんが…僕を裏切るからいけないんだ…。もし、まだあの糞ビッチを愛してるなんて言うなら、もっと酷い事をしてやるから!公演で踊るダンサーがいなくなっても構わない!僕はストリッパーが憎くて堪らない!みんな…どうなっても知らないからな!」 そんな脅し文句…以前の俺だったら屁でもなかった… でも、恐ろしくなってしまったんだ。 公演に加わるダンサーに危害を加えられるんじゃないかという恐怖と、シロを愛してしまったが故に1人のダンサーの未来が潰えた事… そして、終わりのない怒りを持ち続ける真司に… 恐怖を抱いて…諦めて、シロを忘れてしまおうと思った。 何も考えずに、目の前の真司を前の様に愛して過ごす方が…誰も傷付かないって思ったんだ。 シロ。 今更、目の前に現れて、俺の心を搔きむしるなよ… 俺の携帯電話は真司が持ってる。 シロからのメールや着信は彼が全てシャットアウトした。 あの子の手紙が目の前でバラバラに千切られるのを見せつけられた… 初めに感じていた憤りも、抵抗も、最近は感じなくなって来た。 そんな時…桜ちゃんから電話が掛かってきた。 「ほら、誰か知らない友達からだよ?」 そう言って真司に渡された自分の携帯電話を受け取ると、久しぶりに桜ちゃんの声を聞いて…シロの名前を聞いて、あの子を思い出した。 シロが心配してる… その一言で、荒れてひび割れた荒野に、水が沸き起こる様に感情が戻って来た。 あぁ…俺の愛しのジュリエット… 俺を助けてよ… …助けてよ! そんな思いがまだ残っていた様で、近くにいる真司に気付かれない様に桜ちゃんに暗号を送った… でも、すぐに怖くなって…あの子に別れを告げる為に電話をかけた。 でも…あの子の声を聞いたら… 沸き起こった水があっという間に水たまりを作って…周りに鮮やかな緑が生え始めて、チョコンと小さなこぶしの芽が出た。 「…った、助けに行くからっ!オレが行くからっ!待ってて!」 そんな風に言った彼の言葉を、俺は信じていなかった… きっと、どうせ、また注釈に“いつになるか分かりませんが…”って付くんだろうって…冷めた気持ちで聞いて、鼻で笑った。 どうして…? いつから、あの子をそんな風に見る様になってしまったのだろう… シロは言葉通り、俺を助けに来た。 抜け殻の様にカラカラになった俺を、助けに来た… 離れるのが堪らなく怖かった桜ちゃんと離れて…俺の為に、イギリスに…わざわざやって来た。 それなのに…全然嬉しくないんだ… 俺は、あの子に会うのが怖い。 やっと何も感じなくなった心が、息を吹き返すのが…怖い。 また、恐怖と葛藤を繰り返す様になるのが、辛いんだ。 「勇吾…ゴメン、ちょっと用事が入ったから俺は先に帰るよ。」 ぼんやりと手元のグラスを眺め続ける俺にそう言うと、ショーンは手のひらをヒラヒラと動かして言った。 「…桜を、見に行ってくる。」 あぁ… 「分かった…」 俺はそう言うと、手元のグラスに視線を戻して手の中で揺らして表面に出来た波紋を眺めた。 今更、どうしろというの…シロ。 もう遅いんだよ… だって、俺はお前の事を忘れてしまった… お前の何もかもを生活から排除して、声すらまともに思い出せなくなってしまった… 俺の事なんて…さっさと諦めて、東京に帰りなさい。 どうせ、お前は他の男の物。 そんな物を愛し続けたって…何の意味も無い。 見返りの無い愛情なんて…与え続けられないよ。 手に入れる事の出来ない物に…いつまでも愛なんて、注げる訳無いだろ? わがままなんだよ… 俺の生活の中に、お前は要らない。 「勇吾?やっぱり僕はあそこの構成を変えた方が良いと思うんだ。今度、オーディションに集まって来たダンサーには急かもしれないけど、変更した内容を踊って貰おうと思ってるんだ。どう思う?」 俺の体にしなだれかかる真司の髪を優しく撫でると、彼の顔を覗き込んで言った。 「良いよ…好きにして。」 そんな俺の唇にキスをすると、満足そうに微笑んで真司が言った。 「ふふ…嬉しい。僕を信用してくれてるんだね?ありがとう!」 信用? いいや…麻痺だよ。 グラスを掴んだままの手のひらを見つめて、あの子が降らせたこぶしの花を思い出す。 とっても、可憐で、美しかった… また、見たい。 でも、それは望んではいけない事。 俺はシロを愛してはいけなかったんだ。 #シロ 「ストリッパーの子が、パーティーの余興でポールダンスを踊ってくれたんだ。その時、真司が彼の目にポインターを当てた。目が眩んだその子は、地面に落ちて…打ち所が悪くて、そのまま…歩けなくなってしまった。勇吾はそれを自分のせいだと言って…真司の言う事を何でも聞くようになってしまった。」 ショーンがそう言って涙を落とすと、ケインがオレを見て言った。 「勇吾はもともと、真司の言う事をさして注意する事もしなかった。だから、現場に真司が来ると、スタッフは逃げる様に居なくなるんだ。なぜなら、彼はがなり散らすからね。煙たがられていたんだ。なのに、勇吾は彼を主要ポストに置いて、現場に組み込んだ。」 ふぅん… 勇吾は彼を愛していたんだ。だから傍に置きたがって…そうしたんだ。 でも、ショーンの話では、真司君は勇吾に振られた。 1年前、ケイン達と一緒に東京に来て、オレを泣かせたから…ハッキリと別れを告げられた。 だけど、彼は勇吾を諦められなかったみたいで…縋って、纏わりついて、彼に執着した。 その結果、勇吾の目の前でひとりのダンサーが真司君によって傷つけられた。 それが辛かったの…? だから、オレを忘れたくなったの? 真司君の言う通りにして、彼が望む様に彼を愛せば…恐怖が無くなると思ったの? 「携帯電話も真司が持っていて…俺の電話は無視される。」 ケインがそう言って肩をすくめて言った。 「勇吾はそんな恐怖政治に甘んじて身を投じてる。」 「シロの話を聞かせてくれた勇吾は、目をキラキラさせて…本当に君に夢中だった。」 ショーンはそう言うと、オレの手を握って言った。 「オフィスで見たんだ。君からの手紙を…真司が勇吾の目の目でビリビリに破っていた…。俺は言ったんだ。何してるんだ!って…そうしたら、勇吾はキョトンとした顔で…別に。って言ったんだ。その時…勇吾がおかしくなってしまったんじゃないかって…怖くなった。だって…毎回俺に自慢してたんだよ?俺の恋人は…俺の事を忘れてないって…ちゃんと手紙をくれるって…嬉しそうに自慢していたんだから…!」 そんなショーンの話に、胸の奥が痛くなって…涙がぽろぽろ落ちていく。 真司君がオレからの手紙を破っていた…。そして、それを、別に…なんて言って、止もしないなんて…! まるで、オレからの手紙を…迷惑だとでも思っていたみたいじゃないか… 勇吾…どの手紙も心を込めて書いたんだよ? あなたが喜ぶような仕掛けを付けて、書いたのに… 目にも届いていなかったんだね。 「勇吾は…そんなに軟な奴じゃなかったのに…。脅されたって、ひるむような奴じゃなかったのに…。今では職場に真司と一緒に来て、ずっとオフィスに籠ってどうでも良いあいつの話だけ聞いて…。はぁ…」 ケインはそう言うと、オレを見て言った。 「シロ、どうにかしてよ…」 どうにか…するために来たけど、正直、勇吾に無視されただけで、オレの心はポッキリと折れそうだ。 「…ケイン、ショーン、オレは何の役にも立たないかもしれない。だって…勇吾が、彼がオレを望んでいないんだもの…。あんなに愛してるって言ったのに、今日だってオレを無視した…。それが正直、傷付いたんだ。」 オレはそう言って桜二のお守りを指先で撫でると、蹄鉄の部分を摘んで転がしながら言った。 「もう…いじけちゃうよ。」 「シロ~!勇吾は君の事を愛してる。でも…今の彼は、君を拒絶してる。その理由は明確だ。真司がいるからだよ。彼の機嫌を損ねて…ダンサーに危害が加わる事を恐れてるんだ。君への愛情表現を表せないでいるから…今日だって、ぼんやりグラスの中を眺めるだけで、飲みもしないし、笑いもしない。」 ショーンはそう言うと、オレの顔を覗き込んで言った。 「彼らとの食事会を抜け出して来る時…こう…手のひらをヒラヒラさせて言ったんだ。桜を見に行ってくるって…そしたら、彼は目を少しだけ見開いて…分かった。って言った。俺はこれを、シロに会いに行ってくるって言った俺に、分かったと彼が送りだした事だと思ってる。そして、それは、彼が君に助けを求めてる事だって…理解したんだよ。分かるかな?」 話の途中までは分かった。 でも途中から、ヒロさんも首を傾げながら訳していた。 きっと難解な言い回しと…難解な表現をしたんだ。 文系なのかな… オレの顔を覗き込むショーンを口を尖らせて見返すと、ベッドに腰かけた足をぶらぶらさせて言った。 「…オレだって、勇吾を愛してる。だから、ここまで来たんだ。」 そう。 その為に決心をして、勢いを味方にして…ここまで来たんだ。 桜二のお守りをギュッと固く握ると、丹田に気合を入れて超絶ネガティブな自分の思考回路を一旦停止させる。 まるで誰かが助けてくれてるみたいに、偶然にケインに会う事が出来て、その日のうちに勇吾の親友と話が出来て、日本語の通訳をかって出てくれたヒロさんにも出会えた。 今、行けと…背中を押されてるんだ。 「…勇吾は、オレから逃げる。どうやったら彼を捕まえられる?逃げられない状況を作らないと…彼は一生捕まえられない。」 ため息を吐きながらオレがそう言うと、目の前に座ったケインがニヤリと笑って言った。 「…オーディションがある。怪我をしたダンサーの代わりを探してるんだ。」 その言葉に、オレは口端をあげると、ケインを見つめて言った。 「じゃあ…オレも、それに出よう。」 「でも、審査には真司も立ち会ってるよ…?」 ショーンがそう言って眉を下げるから、オレは首を傾げて言った。 「構わないさ…変装用のカツラがあるし、最悪バレたとしても、オレが相手にするのは…彼じゃないから…」 「その通りだ!」 元気にそう言うと、ケインはオレを見つめてニカッと笑った。 ふふ…変な人。 通訳を挟まなくてもオレの言ってる事を、何となく理解してくれていた。 その観察眼と感受性の高さは…バカは持たない代物だよ? 彼はおバカじゃない。それを演じてるだけだ。 きっとその方が楽に生きられるんだろう… 裏を返せば、それだけ鋭い物を持っているという事。 この人は切れ者だ。 オレとケインが変顔をして遊んでいると、ショーンがオレの肩をチョンチョンと叩いて言った。 「シロ…真司が何をしでかすか分からない。彼は最近輪をかけて…自分を止められないんだ…」 「だから良いんだよ。ビビって何も感じなくなった勇吾に思い出させてあげよう?自分が何で、どうやって生きて来たのか、そして、オレが誰なのか…見せつけてやるよ。」 そう言って両手を思いきり上に上げて伸びをすると、何故かオレの手を注視するショーンの視線に気づいた。 あぁ…彼は勇吾に聞いたんだ。 高く上げた手のひらをくるっと返すと滑らかに揺らして言った。 「ふふっ!これが勇吾だよ?」 オレはそう言ってクスクス笑うと、甘い香りを放つこぶしの花びらをショーンとケインの頭の上に降らせてあげる。 「ワオ…綺麗だ…」 感嘆の声をあげるふたりに、幾つも大きな花びらを降らせてあげる。 そう、勇吾は綺麗なこぶしの花… 甘い香りを纏った、大輪で、トロンと柔らかくて肉厚な花びらを持ってる人。 オレの手のひらを見上げて、ショーンが満面の笑顔を浮かべながら涙を落した。 ヒラヒラと舞い落ちる花びらは、一枚なのに…存在感も、香りも、強い。 でも…地面に落ちるとすぐに茶色く変色してしまう… だから、いつまでも、いつまでも、舞わせてあげた方が良いんだ。 「ノー、グラビティー!」 オレはそう言うとベッドの上に立って、決して地面に落ちないこぶしの花びらを手のひらで作って、眼下の男たちを見て言った。 「ディス、イズ、勇吾だよ?」 「ははっ!勇吾が言った通り、シロは…真っ白な人だね…」 優しく微笑んだショーンのその言葉に、胸の奥がキュンと痛くなった。 真っ白な人…そんな風にオレの事を言ってくれていたの…? ロメオの様に…真っ白で純真で無垢な魂を、オレも持っているのかな…勇吾。 それは…とても、最高の賛辞の言葉だ… 茶色くなってしまったあなたの花びらを、オレが、また、空に舞いあげて見せるよ。 待っててね…勇吾。

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