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第5話
#シロ
「お肉の料理と、ビールが飲みたい!」
オレがそう言うと、ヒロさんが細かいニュアンスまでも英語に訳してケインとショーンに伝えてくれる。
「ヒロさん?ヒロさんは面白い人だね?ずっと思ってたんだけど、オレの声に乗った感情まで、彼らに訳して伝えてくれる。だからかな…なんだか、吹替のドラマの中にいるような気分になる時があるよ?」
オレがそう言うと、隣に座ったヒロさんはケラケラ笑って言った。
「日本のアニメが好きで…ずっと見てたら、日本語が好きになって…今では教える立場になったんだ。でも、将来的に…日本のアニメの吹き替えが出来る様になったら良いなって思ってる。コネは無いけどね~!あはは!」
ふふっ!
面白い!自分の得意分野を発展させる展望を持ってるんだ。
オレを見つめて固まるケインとショーンに言った。
「ねえ?彼がいなかったらオレたちは原始人程度の会話しか出来ないんだよ?」
「それは、お前が英語を話さないからだよ?」
ケインがそう言ってオレのおでこを突いたから、彼の手を掴んで言ってやる。
「どうして、オレが英語を話さなきゃダメなんだ。お前が日本語を話せよ。」
そんなオレの挑発するような言葉を、そのままの雰囲気を込めてケインに伝える、ヒロさんがひたすら面白い。
お肉料理が目の前に運ばれると、ウキウキと体を揺らしながら彼らに聞いた。
「勇吾の…抱えてるスタッフは総勢何人いるの?あそこは彼の会社なの?彼はひとりで活躍する演出家だとばかり思ってた。」
だって、天井の高い立派なスタジオまで着いたあのビルが、借りてるテナント物件には見えなかったんだ。持ちビルだとしたら立派なもんだよ?
オレのそんな言葉に、ふたりはケラケラ笑うと、思い出す様に遠い目をしながら言った。
「最初はそうだった。でも、次から次へと…ふふ、人が増えて…気付いたら総勢40名の小さな興行会社になった。いつもは小さな劇場で、彼の演出が入った舞台を公演してる。舞台機構から小道具まで…ノウハウのある人が集まって来て、結構儲かってるんだ。」
へえ…
それは…楽しそうだ。
オレは口元を緩めて笑うと、ふたりが楽しそうに話す彼の話を聞く。
「勇吾個人の依頼の収益も、彼は会社に還元してるからね…それが会社の収益の一番の稼ぎ所かな?あはは…!他は彼の趣味みたいなもんだ!」
ふふっ!
素敵な人…
ふたりの話を聞いて、思ったのは…その一言。
彼は素敵な人…そして、あそこに集まってるスタッフは、彼の家族みたいなもの。
彼の人柄や、腕を慕って…集まって来た仲間なんだ。
あの人の勢いは…人を巻き込むんだ。
ふふっ!
「シロにはナイトがふたり付いてるって、前に勇吾が言ってた。」
ショーンが目の前のお肉を取り分けながらそう言った。
ナイト…?ふふっ!あの人らしい表現だ。
「そうだよ?大切な人が、オレの事を日本で見守ってるんだ。良いでしょ?」
柔らかいお肉をもぐもぐ食べて満面の笑顔でそう言うと、ショーンが目じりを下げて言った。
「シロは、踊ってる時と、こうしてる時…別人のようだね。まるで放つ雰囲気が違う。そして、どちらも魅力的だ。」
お…
どうした…?
オレを急に持ち上げ始めたぞ…
こういう時、大抵は口説く前振りか…頼み事をする前振りだ。
ケインのお皿に乗ったベビーコーンをフォークに刺すと、口を尖らせる彼を無視して、ショーンをジト目で見て言った。
「なんだ?何か、裏がある話し方だ。要件を言ってよ。」
そんなオレの言葉に、クスクス笑って両手をあげるとショーンが言った。
「ダンサーたちが、シロに技術指導して欲しいと言ってる。」
え…?
あまりの急な話に固まって動けなくなっていると、ケインがオレのフォークの先のベビーコーンをパクリと食べて言った。
「良いね。シロが指導して出来上がった物を見てみたい。」
やっと動き始めた体を揺らしながら大笑いして、やけに真剣な表情のショーンに教えてあげた。
「ふふっ!あ~はっはっは!だめだよ。オレはね、タイムリミットのある人なんだ。いま、オレのお店ではポールの修繕をしてる。それが終わる頃、オレも東京に帰るんだ。店のステージに穴を開ける訳に行かないからね。」
そう言って、ビールを飲むとケインを見て言った。
「ねえ?ケイン?またお店においでよ。お前が気に入っちゃった!」
「ふふ…、好きになっちゃったのかな?」
バカの癖に格好付ける彼を見て、吹き出して笑いそうなのを我慢しながら言った。
「あふふ…!好き?ぷぷぷっ…あぁ、確かに…オレはお前が好きかもしれない。でも、それは友達としてだよ。なんだか、馬が合うんだ。ふふっ!」
オレがそう言うと、ケインはニヤニヤ笑いながらオレの足を自分の足で挟んで、スリスリしながら言った。
「もし、俺とシロがベッドインする様な時が来たら、ヒロに通訳を頼みながら、試してみようか?」
「あ~はっはっはっは!!」
それは、それで、楽しそうじゃないか!
キャッキャと笑うオレとケインを見て、ショーンは眉を下げた。
彼の話を真面目に聞かなかった訳じゃないんだ。
真司君がダンサーの技術指導をしてると聞いた。そんな彼の後釜に、オレが行く事のリスクは…馬鹿でも想像するだろう。
もっと…勇吾が、苦しむ事になるかもしれないじゃないか…
ご飯を食べ終えて満足すると、ビールを片手につまみのチーズを口に放り込みながら、ショーンとケインの会話をヒロさんに訳して貰って、ケラケラ笑う。
「だから勇吾は、とんでもない奴だ!って思ったんだよ。普通、そんな飛び込みで自分を売り込むような事しないんだ。段階を経て、徐々に名を広めて…そんな風にみんなして来たからね?でも、あいつにはその普通が通用しない。」
ふふ…その通り。彼は強引で、気が短いんだ。
「オレがナイト達にかくまわれた時も、知らないうちに居所を突き止めて、ベランダの下から声を掛けて来たんだ。あれは、びっくりしたよ。お前の小鳥になりた~い!って言ってさ…ふふ。バカなんだ。」
あの時の彼を鮮明に思い出して…クスッと笑ってそう言うと、ショーンが急にボロボロと涙を落として言った。
「勇吾は…シロが自分のジュリエットだと言った。そして…自分はロミオだって言った。俺はそれを大笑いして、馬鹿にした。でも…あいつの言う通り、シロは勇吾のジュリエットだった。君が現れた途端、活動をやめた勇吾が動き始めた気がするんだ。だから、シロ…勇吾の傍に居て…?シロのご飯を買いに行くから、勇吾の傍に居てよ。」
ふふ…
勇吾には良い友達が沢山いる。
目の前のふたりを筆頭に…一緒に仕事をしてるスタッフの人も、彼を慕っている。
それは破天荒ながらも、彼がひとりひとりと向き合って来た証拠なんだ…
人望とは、そういう物だと…依冬が言ってた。
付け焼刃じゃない、長い時間を経て出来る物だから大切にしないといけないって、依冬が言ってた…
彼はそれをして来たんだ。
だから、こんなにも心配してくれる友達がいるんだ。
ショーンの熱視線から目を逸らすと、ため息を吐いて言った。
「…良いよ。でも、ポールの踊り方をちょっとダンサーの子達に教えるだけだ。勇吾に…何かする訳じゃない。」
それは、オレの意地…
あんな表情でオレを見る彼を見て、傷付いたんだ。
桜二も言ってた…どうにかしようとするんじゃなくて…ただ、傍に居てあげろって…
だから、そうする。
それ以上でも、それ以下でもない。
オレがそう言うと、ショーンはホッと胸をなでおろして言った。
「良かった…!良かった!」
オレの隣に座ったヒロさんが、突然、携帯電話でスケジュールを確認し始めて、ショーンに何か言ってる。
「ふふ…!ヒロは商売上手だ。シロの通訳としてショーンに契約を持ち掛けてる。」
怪訝な顔で彼らを見つめるオレの頬を撫でて、ケインがそう言って笑った。
逞しくならないと、生きていけない世界なんだ。
「ふふ…ヒロさんがいたら、鬼に金棒だ!」
オレがそう言うと、ケインが首を傾げて言った。
「オニ?」
ふふっ!
「…という事で、オレは勇吾の公演のストリッパーたちの技術指導なんて素敵な役割を頂いた。どう?依冬、オレってすごいだろ?お前の恋人は海外で活躍してるよ?店での稼ぎが無くなった今、海外で出稼ぎしてるんだ。報酬は銀行振り込みだって!あはは!」
ベッドの中でオレがそう言って笑うと、画面に映った依冬はネクタイを締めながら言った。
「あぁ…さすがだな。俺のシロはさすがだよ。鼻が高いよ。自慢しちゃうよ。俺のカワイ子ちゃんは凄いんだって…自慢して回っちゃうよ?」
ふふ!
画面に映る彼の頬を撫でて、うっとりと瞳を細めて言った。
「こっちに来て…3日目の夜を迎えます…。僕は、そろそろ、依冬とローション付きのエッチがしたいよ…?」
「はぁ~!?今から飛行機に乗ってそっちに行こうかな?」
そう言ってふざける彼を見て頬を上げて笑うと、ウトウトと重くなって来た瞼をゆっくりと瞬きさせた。
「…シロ。疲れたね。ぼんくらな勇吾さんの為に、明日もお仕事頑張ってね…」
依冬はそう言うと、画面越しにオレにキスをして通話を切った。
技術指導…
一体オレが彼らに…何を教えられるというの?
新宿歌舞伎町のストリッパーのオレ風情が…
ぼんやりと自分の手を眺めながら、いつもそうする様に、左手の親指で小指のリングを撫でると引っ掛かりの無い指に、思い出した…
勇吾のリングは彼のオフィスに投げ捨てたんだった。
ずっと付けていた彼のくれたピンキーリングを感情のままに、捨てた。
沢山良い事がありますように…なんてメッセージを付けてオレに贈った癖に…
ばか。
ピピピピ
アラームを止めて、ムクリと体を起こすと、ぼんやりと部屋を見渡した。
「桜二…抱っこして…」
小さい声でそう言いながら、ベッドに突っ伏して、泣いた。
寂しい…
彼の温もりが、恋しい…
「うっうう…桜二、桜二…抱っこしてよぉ…!」
布団を抱きかかえて気を紛らわせるけど、こんなものじゃ足りない…
彼と離れた時間が経てば経つほど、孤独を実感して…堪らなく寂しくなって来たんだ。
彼の声も…彼の肌も…彼のキスも…彼の存在を忘れて行く自分が、怖かった。
堪らず桜二に電話をかけると、彼はすぐに電話に出てくれた。
「桜二…桜二…寂しい。来て。こっちに来て…あなたがいないとダメなんだ。」
昨日の夜、あんなに職を手に入れた事を自慢していたのに、オレはすぐに彼に甘えて、そう言った。
弱いよね…でも、オレにしては、頑張った方だと思わない?
「シロ…俺も寂しいよ。隣にお前が寝ていないと…どうにも寂しくて、泣いていた所なんだよ?ふふ…」
そう話す彼の声は…冗談じゃなく、本当にそうだったと分かる程に、悲しい色を付けていた。
あぁ…今すぐ抱きしめて…桜二の温かさを感じたい…
抱きしめた布団を、彼に見立てて自分に巻きつけると、ゴロンと横になった。
足らないよ…桜二。
「ねえ…シロ。勇吾も、こんな気持ちだったのかな…」
え…?
桜二が放った言葉が鋭い雷の様に胸を貫いて、痛いくらいに…勇吾の気持ちが分かった…
口元に手を当てると、涙を落して笑いながら言った。
「あふっふふ…そうだ。きっと…そうだ…!」
ボロボロと落ちていく涙が、どんなものか分かる。
勇吾の気持ちを理解して…喜んでいる涙だ…
彼は、オレと離れて以来、ずっと、こんな思いを抱えながら過ごしていたんだ。
それは…とっても寂しくて、悲しくて、辛い。
そんな気持ちを…勇吾はずっと抱えていたんだ。
「仕事が始まって…今日は嫌な男に会った。その愚痴をシロにしたかったのに、いないんだもの…嫌になっちゃうよ。」
そう言っておどける彼の声を聞きながら朝の支度を済ませると、スピーカーホンをオフにして、携帯電話を耳に当てた。
この方が彼の声が、耳の奥まで届く気がするんだ。
「仕事って大変だね。オレは嫌な男に会いに行く様な仕事、したくないもん。」
オレがそう言うと、桜二はケラケラ笑って言った。
「シロだって嫌なお客を相手に愛想笑いするだろ?それと同じだよ。」
「え~…そうかなぁ…?」
オレの場合、愛想笑いしたらすぐにその場を離れる事が出来るけど、桜二の仕事はしばらくおしゃべりしないとだめじゃないか…
しかも、契約とか商談とか小難しい話をしなくちゃダメなんだ。
嫌な奴と話すだけでもストレスなのに、そんな込み入った話しなくちゃダメなんだもんね…うんざりするよ。
「でも…頑張って、偉かったじゃないか…桜二はお利口さんだね?」
クスクス笑ってオレがそう言うと、甘い声を出して桜二が言った。
「ナデナデしてよ。」
ふふっ!可愛い!
「あぁ…今、撫でてるよ~?」
そう言いながら、宙に向かって手を動かすと、桜二はケラケラ笑って言った。
「なんか、撫でられた気がするっ!」
はは!それは、君の気のせいだよ?
「ね?ちゃんと届くんだ。だから、いつでも撫でてって言って良いんだよ?」
オレがそう言うと、桜二が鼻を啜って言った。
「分かった。すぐに言うよ。」
ほんと、面白い人…オレは彼のこういう所が大好き。
まるで兄ちゃんの様に…ふざけながら何かを伝えてくる所が、好き。
桜二と電話を終えると、リカバリーした気持ちを抱えてホテルの部屋を出た。
勇吾も…こんな気持ちだったんだ…
「オレは確かに彼を愛してたのに…彼は、いつも…孤独だった…」
ポツリと呟くと、エレベーターに乗って1階まで降りる。
エントランスにはオレのお迎え…ケイン君が待っていた。
「おはよ!ケイン。」
オレがそう言って手をあげると、彼は背中を見せながら自分のポケットに入れた腕を向けた。
ふふ…
オレはそこに自分の腕を通すと、彼と腕を組んでホテルを出る。
不思議だね、彼とは馬が合うんだ。
ジャブし合える友達みたいな…ちょっと乱暴に付き合える友達みたいな…そんな、勝手な親近感を相手の判断も聞かないまま、勝手に抱いてる。
ヒロさんが居ないと、オレとケインの会話は原始人レベルまで落ちる。
でも、あんまり気にならないんだ。
「ケイン、ハングリー。」
彼の顔を見上げてオレがそう言うと、横目でチラッとこっちを見て、彼はそっけなく言うんだ。
「オーケー…」
ふふっ!
繁盛してるお店の前を通ると、オレはピタッと足を止めてお客が食べてるものを眺めた。興味が無かったら、また足を進めて、次のお店の前でも足を止めて眺める。
「う~ん…」
そんな事を繰り返して、オレが唸ると、ケインが首を傾げて言った。
「…コーヒー?」
「違うよ、美味しそうなサンドイッチが食べたいの。こういう…ハムが挟まった…バクって食べると、ん~!ってなる様なサンドイッチが食べたいの。」
ジェスチャーを交えてケインに言うと、彼は口を尖らせて困った顔をした。オレはその顔を見て、吹き出して笑う。
いつの間に、こんな変顔の特技を習得したんだ!
「ふふっ!変な顔~!」
彼の鼻を突いてそう言うと、彼は肩をすくめて歩き始める…
そして、お目当ての食べ物にありつけないまま、ヒロさんと合流した。
「ヒロさん、おはよ~う!」
「シロ、おはよう。」
彼は朝食用に購入したコーヒーと軽食が入った紙袋を持って手を振ると、オレ達と一緒に並んで歩き始めた。
「お腹空いたな…。美味しそうなお店を探しながら来たんだけど、ピンとくる物が無かったんだ。」
しょんぼりと背中を丸めてオレがそう言うと、ヒロさんが肩をすくめて言った。
「シロは拘りが強いんだよ。こんなもの、お腹に入ってしまえばどれを食べても同じだよ?」
違う!
全然、違うよ!
美味しく頂いたら、そのあと元気いっぱいになるんだ…
桜二の卵焼きがあれば…もっと元気一杯になる。
でも、今は彼の卵焼きは食べられない…だからこそ、オレは美味しいお店を探してるんだ。
この…解消されない寂しさを紛らわせてくれる様な…そんな美味しい物を探してるんだい!
いじけ始めたオレの背中を撫でると、ケインが顔を覗き込んで聞いて来た。
「シロはどういうのが食べたいの?」
「…美味しいやつ…」
ヒロさんの登場で、やっと、まともに会話が出来る様になったオレとケインは、朝食を探しながら勇吾のオフィス兼スタジオへと向かった。
「…これは?」
「ん~違う…!もっと、ボリュームがあるのが良いの。」
角を曲がったら目的地に到着してしまうというのに、オレは未だに食べ物を手に入れていない…
「おはよう、シロ。」
街行く人にそう言われた。
「おはよう…」
訳も分からずそう応えると隣のケインを見上げて首を傾げた。彼はそんなオレを横目に見ると、首を傾げながら言った。
「アートディレクター…」
あぁ…彼も勇吾の会社の人なのか…そして、オレの事を知ってる人の様だ。
そんなアートディレクターの彼が足を止めて立ち寄ったお店に、ケインを引っ張って連れて行く。
「…ここにするの?」
そう聞く彼に口を尖らせて言った。
「だって、もう着いちゃうもん…仕方が無いから、今日はここにする。」
「ははっ!」
笑われたって良いもん。
自分の食べ物をケインに持たせて、勇吾のオフィス兼スタジオへと入って行く。
この街はどの建物も雰囲気を持ってる。
重厚で、ゴシックで…暗い。
勇吾の職場も然りだ。
国によって建物の持つ雰囲気が違うとしたら…オレの働く、新宿歌舞伎町はどんな姿に映ってるんだろう…
華美で…安っぽくて、汚い?
ふふ…!
日本では、それを“わびさび”と言うんだよ?
「勇吾、シロを連れて来た。彼は今日からダンサーの技術指導をする。彼は通訳のヒロ。今日からシロの傍にずっといる。」
勇吾のオフィスのドアを開くと、抵抗するオレの背中を押してケインがそう言った。
そんなオレを押し退けてグイグイと室内に入ると、ヒロさんは大喜びしながら勇吾に握手を求めた…。
「初めまして!あなたの舞台のファンです!一緒にお仕事が出来て嬉しいです!!」
本当に勇吾はここでは有名人の様だ。
オレはケインと腕を組んだまま、勇吾と彼の隣にいる真司君を黙って見つめた。
勇吾…
本当に真司君がべったりとあなたに付いてるんだね。
まるで吸血ヒルみたいだ。
「勇吾!ダンサーは僕が見てるのに、ケインに好きにさせないでよ!」
真司君はそう言うと、うんざりして顔を伏せる勇吾にまくし立てて言った。
「僕のポジションに!何で、あの、汚いストリッパーを置いたんだよっ!」
「ダンサーがシロを希望した。お前は、彼らに拒絶された。」
ケインは淡々とそう言うと、勇吾を見て言った。
「そうだよな?勇吾。」
恨めしそうにケインを見つめる勇吾を見てため息をひとつ吐くと、ケインに言った。
「ケイン、行こう…」
彼の腕を引っ張って、おどろおどろしいヒルに絡みつかれた勇吾を置き去りにした。
まるで真司君に生気を吸われている様な勇吾を、これ以上見ていたくなかった。
「いやあ…勇吾さんは本当、綺麗な人だね?そんな人の恋人の通訳が出来るんだもの。人生って分からないね?」
そんな風にしみじみと話すヒロさんを横目に、ケインに言った。
「誰に何を教えたら良いの?」
ケインはオレを見下ろすと、にっこりと笑って答える。
「紹介するよ。」
そう言って案内されたのは天井の高いスタジオ…
ポールダンス用のポールが5本、均等に配置されたスタジオに、すでに集まったダンサーの子達がストレッチをしていた。
ヒロさんを介して彼らにあいさつを済ませると、ダンサー達の代表、モモと話し込む。
オレよりも少しだけ背の低い彼は、今年で28歳。
クリクリの童顔からは予想もつかない程に、彼はクールな現実主義者だった。
一昨年踊った内容を再演する予定が、勇吾が突然、ポールダンスの構成を再構成すると言い始めたそうだ。
理由は、以前公演した舞台と形状が違うから…
ポールを立てる場所が変わったんだ。
こだわりの強い彼は、だったら違う演出を…と、再構成を考えたようだ。
でも、いつまで経ってもそれが出来上がらない。
練習しようにも、流れ自体が決まっていないのに…どうしろと言うの?
…これが、ダンサーの子たちの総意だ。
それに輪をかけて、真司君が彼らを目の敵にしてスタジオに来ては暴れていく…
メグという…怪我をした子の話も聞いた。
真司君がメグの目にポインターを当てた事も、ポールから落ちたメグを見て笑っていた事も、彼らは見ていた…。
一時は再起不能とまで言われた背骨の怪我を、メグはタフにリハビリを続けて今では歩ける様になるまで回復したそうだ。
「良かった…!」
それを聞いて、オレはホッと胸をなで下ろした。
ハッキリ言って驚いた。
リハビリを続けたとしても回復の見込みは未知数なんだ。
オレも背中から落ちた時、この恐怖を味わってる。
脊椎損傷や背骨の怪我は…ポールダンサーには切っても切り離せない、いわば隣り合わせの危険といっても過言ではない。
メグの場合…それが故意に引き起こされたんだ。
許せないよ…
「勇吾はメグの話をしたがらない。真司もコントロールしない。」
モモがそう言うと、ストレッチをしながらこちらを伺っていたダンサーの子達が、一斉に頷いて顔をしかめながら言った。
「勇吾はチキンになった!もう、良い男に見えない!」
ふふ…チキンに失礼だ。
彼らはメグを怪我させた真司君を放ったらかしにしている勇吾に、そこはかとない不信感を抱いているんだ…
当たり前だな。
「だから、このまま真司がのさばるなら、この仕事は降りようってみんなで話していたんだ。でも…昨日、シロが勇吾をいなした所を見て思ったんだよ。彼にかまして貰おう…ボケた勇吾の横っ面を、引っぱたいて貰おうってね!」
「フォーーーー!」
モモがそう言うと、他のダンサーの子がシャウトしてケラケラと大笑いした。
なんだ。
ストリッパーはどの国でも…イカれてる。ふふ!
「オーケー。でも、何でオレなの?モモでも勇吾をいなせるだろ?」
そうだ。
こんなかわいい顔して、言う事も、立ち居振る舞いも、立派な女王様だ。
モモの英語を通訳をしてくれてるヒロさんも、彼の威圧感にドギマギを隠せない様子だ。彼だって、十分に勇吾にはっぱを掛ける事が出来る筈だよ?
「いいや。あいつは頑固者だし。すぐに話をはぐらかす。」
モモはそう言うと、鼻をフンと鳴らして、肩をすぼめて言った。
「どうしようもないガキは、ママに叱って貰わないとダメなんだよ。」
ふふっ!
「あぁ…そうか。」
オレはそう言って笑うと、彼らを見て言った。
「今日は、解散だね?だって、やる事が無いんだもの。」
「フォーーー!」
ダンサーたちは着替えを早々に済ませると、順々にオレの頬にキスをしてスタジオを出て行く。
「モモ…真司君は前からあんな感じなの?」
最後に残ったモモにそう尋ねると、彼は眉をひそめて言った。
「そうだよ。前から大嫌い。すぐに怒るし、すぐに暴力をふるう。」
そうなんだ…気性が荒いのかな…
「シロ?昨日の君のポールを眺めていた勇吾は、キラキラと輝く笑顔をしていた…。彼のあんな顔を久しぶりに見たよ。そして、君が勇吾の特別だって分かった。」
モモはそう言うと、オレの手を握って真剣な目を向けて言った。
「勇吾を元に戻して…ママ…」
「ふふ…やってみるよ。」
ママねぇ…
勇吾…
真司君といるあなたは、まるで別人の様に見えるんだ。
そんな、あなたを見ていると、胸が痛くなるんだよ。
でも…このままだと、あなたが望まない結果になるって…素人のオレでも分かるんだ。
だから…一気に畳みかける事にするよ。
モモの背中を撫でてスタジオの外まで見送ると、ヒロさんを置いて、勇吾のオフィスへ向かった。
ノックもせずに中に入ると、彼を見もしないで言った。
「勇吾?みんな帰った。だって、お前がいつまで経っても構成を考えないからだ。用も無いのに人を拘束するなよ。そんな事をして良いのは刑務所だけだよ?」
そう言うと、彼の部屋の緑のソファにゴロンと寝転がって、携帯電話を取り出して言った。
「中華街って…ラーメンはあるのかな?オレはラーメンが食べたいよ。辛いのが良い…でも四川料理はダメだ。あれは殺しに来るからね?ふふっ!」
呆然とオレを見つめる勇吾の視線を感じながら、彼の隣でメラメラと怒りの炎を燃やす真司君に気付かれない様に、警戒する。
「あっ!そうだ!朝ご飯買ってきたんだ!」
オレはそう言って彼のオフィスを一旦出ると、ケインがオレを見て笑う中、紙袋を手に抱えて再び勇吾のオフィスへと入って行った。
「ねえ、見て?これ…何のハムだと思う?」
そう言うと、ぼんやりとオレを見つめる彼にサンドイッチを向けて首を傾げた。
すると、もれなく、真司君がオレの目の前に来て言った。
「出て行って?ここはお前が入って良い場所じゃないの。」
へえ…
オレは真司君を見上げると、サンドイッチを食べながら言った。
「あぁ…ここは意地悪な人専用の部屋なの?それとも、ぼんくら専用かな?」
そんなオレの言葉に、真司君は簡単にカッとなると、オレの頭をひっぱたいて言った。
「お前みたいな下品なストリッパーはこの部屋に入るな!」
「ふふっ!下品?その定義は何だよ。オレに教えてよ。」
オレはそう言うと、彼の腕を掴んで自分に引き寄せて言った。
「ねえ…真司君、下品の定義は…?お前は何を下品と言って…何を上品と言うの?そして、その定規で測ると…お前自身はどちらになるの?」
顔面スレスレに顔を近づけて、鼻息を荒くする彼を目の前で笑ってやる。
新宿歌舞伎町、クズな男をいなして来たオレにとったら、お前なんてバブちゃんだ。
オレの顔を睨みつけたまま、掴んだ腕を振り解こうと真司君が暴れながら言った。
「うっるさい!」
「うるさいじゃねんだよ。オレは聞いてるんだ。その理由が分かって、納得したら、この部屋から出て行ってやるよ。ほら、言ってみろよ。」
オレはそう言うと、真司君の髪の毛を掴んで引っ張った。
「いた…痛い!やめろっ!」
「ポールから落ちたメグはもっと痛かった。みんな見てたよ?お前がポインターを当てた事も、落ちたその子を見て笑っていたのも、みんな見ていた。」
オレはそう言うと、真司君の髪を掴んだままソファを立った。
ギャーギャー喚く彼を勇吾のオフィスから追い出すと、他のスタッフが動きを止める中、廊下に放り投げて言った。
「二度と勇吾に近づくな。それが無理なら、後ろの窓から落ちて…死ね。」
「なぁんだと!」
そう言って向かってくる彼の髪を掴むと、廊下の壁に思いきり打ち付けて、彼のポケットから勇吾の携帯電話を取り返した。
「あのね…こういうの、洗脳って言うんだ。人の弱みに付け込んで、相手を自由に操って。…ねえ、聞いても良い?それで、愛は得られるの?」
オレはそう言うと、真司君から手を離して彼に背中を向けた。
後ろから襲い掛かりそうな勢いだけど、オレはお前が意気地なしだって知ってる。
どうせ、何も出来ない。
もし飛び掛かって来たとしても、倍返しにしてやるだけだ。
悠々と歩いて勇吾のオフィスまで戻ると、ドアを閉じて鍵をかけた。
「勇吾?メグは歩けるまでに回復した。今度、モモとお見舞いに行ったら良い。」
彼を見ないでそう言うと、サンドイッチとコーヒーを手に取って勇吾の膝にドガっと座った。
「このお店のハムは…パサパサしてる…嫌い。」
そう言って、ハムだけ取り出すと、勇吾の口の中に入れた。
「オリーブも美味しくない。」
そう言うと、オリーブを指で摘んで、彼の口の中に入れた。
「真司は…?」
「さあね…」
力なく尋ねる彼にそう言うと、コーヒーを飲んで顔を歪めた。
「まずい!」
そう…アートディレクターが朝食を買った店は、腹を満たす為だけの店だった…
「もうダメ…お腹すいちゃう…」
そう言って体を捩って彼の首に両手を回すと、ギュッと抱きしめて頬ずりして言った。
「勇吾?なにか美味しいものを食べさせてよ…」
「良いよ…」
そう答えると、勇吾はオレをギュッと抱きしめた。
それは弱々しく、繊細な手つきで…まるで壊れやすい物に触れる様に、オレを抱きしめて抱えた。
「勇吾…寂しかったんだね。ごめんね…。もっと早くに、勇気を出して、あなたに会いに来れば良かった…」
オレがそう言うと、勇吾はしゃくりあげる様に泣いて言った。
「シロ…シロ…どこにも行かないでよ…真司が…怖いんだ!」
1年ぶりに抱きしめた彼は、強引でわがままな勇吾じゃない、弱くて脆い…繊細な男になっていた。
「何が怖いの…?」
そう言って彼の頬を掴んで自分へと向かせると、震える唇に優しくキスをした。
「シロ…シロ…!」
ボロボロと涙を落とす彼の瞳をじっと見つめると、端的に簡潔に言った。
「真司君は精神的に病んでる。メンヘラのオレが言うんだから間違いない。彼のご両親に連絡して、病院を受診させなさい。それで問題は解決する。あなたの罪悪感は、モモと一緒にメグをお見舞いに行く事で落とし所を見つけなさい。それが済んだら、すぐにポールダンスの構成を考えなさい。3月に公演するというのに、まだ決まっていない事が多すぎる。良い?今、やらないと、お前はダメになる。真司と堕ちるか、オレと踏ん張るか…今、ここで選べ。」
オレの乱暴とも取れる言葉に唇をフルフルと震わせると、勇吾は絞り出すような声で叫ぶように言った。
「…決められない…!」
「違う。決められないんじゃない。決めるんだ。今すぐに。」
オレは引かない。
今、引いたらだめだ。
ここまで来たら…押し切るしかない。
彼がどう選択するかなんて…分からないさ、これは、賭けだ。
でも、どっちにしても…今、オレの目の前で答えを出す事に、意義があるんだ。
いつもは無視出来る様な些細な事でも、自分の心のバランスが崩れている時に襲ってくると、対処出来ない時がある。
それは誰でも同じ。
勇吾はオレと離れて過ごして…寂しくて、悲しくて、辛かった…。そんな時、真司君の狂気に晒されたんだ。
それが彼のストレスになった。
ストレスは極限まで溜まると、正しい判断力を鈍らせてしまう。
物にも人にも執着しない彼は…真司君の行動が理解できなかった。
そして、彼の異常なしつこさに…参ってしまったんだ。
だからこそ、真司君を追い払った今、先延ばしにしてきた判断を…下す事に意義があるんだ。
その一つの決断が自信につながって…次の判断を下す理由になるんだ。
彼の目をじっと見つめて答えを待っていると、勇吾はオレを見上げて言った。
「怖い…怖いんだ…シロ。お前を愛したから、こんな事になってしまった…!」
勇吾はそう言って涙を落とすと、両手で頭を抱えてオレを睨みつけて言った。
「…お前が、来なければ良かった!」
胸が痛いよ…
あなたの口からそんな言葉…聞きたくなかった。
勇吾の瞳の奥にぐるぐるのブラックホールが見えて、彼を飲み込み始める。
判断を下せない代わりに…彼は、オレに八つ当たりを始めた…
それは常軌を逸した思考回路だ。
どうしてオレを愛したら…こんな事になるなんて…そんな考えに至るんだよ。
馬鹿野郎…
「シロのせいだ…!真司をずっと愛し続けていたら、メグが落とされることも無かった!そうだろ?それに…それに、シロは…桜ちゃんや依冬君、死んだ兄貴の物じゃないか!まるで…高級な売春婦みたいに…あちこちの男を渡り歩いてる!今だって!ケインを手玉に取って!お前は真司が言う通り、ビッチだ!真司は俺しか愛さない…お前と違って、俺しか愛さないんだ!」
勇吾はそう言うと、オレを膝から下ろして突き飛ばして言った。
「お前なんて要らない!選べと言うなら選んでやる!俺の人生に必要なのは…お前じゃない!真司だ!」
憎悪の表情を浮かべてオレを睨みつける勇吾を、ただ…ジッと見つめ返して、唇を噛み締めて涙を落とす…
傷付かない訳じゃない。悲しくない訳じゃない。
だって、彼の言葉も、声も、表情も、全てオレを傷付ける為に用意したものだもの…
オレを避けて…オレから逃げて…オレを忘れて…
それで、あなたが幸せになるなら構わないさ。
でも…今のあなたは…到底、そんな風には見えないよ。
傷付いて震える心をそのままに、自分勝手な感情をぶつける勇吾に、オレの自分勝手な感情をぶつけて言った。
「…だったら、どうして桜二に言ったんだ!軟禁されてるなんて…言ったんだ!」
オレを睨みつける勇吾を睨み返してそう言うと、彼の横っ面を思いきり引っぱたいて言った。
「助けて!って言ったのはお前だろ!寝ぼけた事言ってんじゃねえよっ!オレに助けて欲しくてぎゃんぎゃんギャン泣きしてたくせに、今更、お前なんて要らねえなんて!ふざけた事言ってんじゃねえよっ!!」
怒り心頭の勇吾が椅子から立ち上がろうとするのを両手で抑え込んで、彼の膝に再び跨って乗ると、彼の柔らかい髪を鷲掴みにして、自分の顔を寄せて言った。
「このままじゃ、お前の公演は大コケだ!良いのか!良いのかよ!今まで一生懸命やって来たのに!腑抜けのままじゃ、誰も付いて来ないぞ!良い物なんて作れない!いじけて、べそかいて、しっぽ巻いて、ヒステリーな奴の言いなりになって!!みっともなく腐っていくのか?…違うだろ!?違うだろ!?丹田に気合を入れろよ!男だろ!勇吾!!」
思いの丈を叫んで目の前の彼にぶつけると、眉を歪めて悔しそうにオレを見上げる彼を見つめて言った。
「今しかない!これ以上長引かせるな!逃げるな!さっさと片付けろ!」
「う…うるさいっ!」
勇吾は怒鳴ってそう言うと、オレを抱えてオフィスの外に連れて行った。
ドアの向こうには、オレと勇吾の怒鳴り合いを、聞き耳を立てて聞いていた野次馬が沢山いた。その中に、ヒロさんが見えて…彼が感情を込めて日本語を英語に訳していた光景が目に浮かんだ。
勇吾はそんな事、意に介さない様子でショーンの前に行くと、彼の目の前にそっとオレを置いて言った。
「…真司の家族に連絡をする…彼を引き取ってもらう。」
彼がそう言うと、ショーンはオレを後ろから抱きしめて言った。
「分かったよ。勇吾。」
「勇吾?その後はモモに連絡して?それが終わったらオレに美味しいラーメンをご馳走するんだ。良いね?」
オレがそう言うと、勇吾は何も言わないでオレの頭をぐしゃっと撫でてオフィスへと戻って行った。
バタン…
「フォーーーー!シローーー!」
彼のオフィスのドアが閉まったと同時に、一斉にスタッフが歓声を上げてオレを胴上げする。
天井にぶつかりそうな勢いの胴上げに、体を翻してショーンに両手を伸ばして助け出して貰った…
ここのスタッフは、どっかの誰と似て…リミッターが外れてる。
「凄いぞーーー!勇吾が、我に返ったーーー!」
「丹田に気合が入ったぞ~~!」
「このままだったら、辞めようかと思ってたんだ~~!」
そんな物騒な事まで、ヒロさんは感情を込めて訳してくれた…
「ふふ…やっぱり、君は勇吾のジュリエットだ…」
ショーンがそう言ってオレを抱きしめた。
彼のしゃくりあげる泣き声を聞きながら…胸の奥がフルフルと震えてくるのを感じて、左腕の桜二のお守りをそっと…握った。
…とっても怖かった。
勇吾にオレの声が届かなかったらどうしようって…怖かった。
でも、あそこまで傷付いて核心に迫ったのに、引く事なんて考えられなかった。
だから、思いっきり彼の触れられたくない場所を鷲掴みにして、目の前に見せつけてやった。
…このままだと、公演が大コケする。
きっと、その言葉が効いたんだ。
「うん…その様だね…」
一言そう言うと、ショーンの大きな背中をポンポンと叩いて、涙を落とす彼の目を拭ってあげた。
「見て?これは…しゃちほこだよ?名古屋城の上にある魚だ。」
オレはそう言うと、スタジオでストレッチをするケインに体を反らした“しゃちほこ”ポーズを見せて笑った。
「しゃちほこは…どこで見られるの?」
伏し目がちに彼がそう聞いて来るから、オレは逆立ちしながら教えてあげた。
「ん~…名古屋城。日本の…名古屋って所にある。そこには…“みそかつ”って美味しい食べ物があるんだよ?そして、モーニングが豪華なんだ。コーヒー一杯の値段で一食分の食事が付いて来るんだ。すごい太っ腹だろ?」
オレがそう言うと、ケインはオレの足をつんつん触って言った。
「左に重心が傾いてる。」
へ?
「…ほんと?」
「イエス」
体のバランスが悪いのかな…
「これならどう?」
「ノー」
「ん~…じゃあ、これなら?」
「ソーソー」
ゆっくり足を下すと、自分の体のズレを見ても分からないのに、鏡を見て確認する。
「ばかだな、ケイン。どこもズレて無いじゃないか!」
オレがそう言って鏡越しに彼を見ると、彼は頬杖を付いて言った。
「この頬杖を付く癖が歪みを生むんだよ。そして、それはいつか、お前の心の歪みになって行くんだ!」
「あ~はっはっは!馬鹿野郎!」
ケインとふざけて遊んでいると、スタジオに勇吾が入って来て言った。
「シロ、ラーメン食べに行くよ。」
ふふ…
「ほ~い!」
オレはそう返事をすると、ケインの頭を叩いて勇吾に抱き付いて言った。
「オレの頬杖の癖が体の歪みを生んで、それが、いつか心の歪みに発展していくんだって!」
「ふふっ、ほんと?」
そう言ってフニャっと笑う彼を見上げて言った。
「ケインが言う事だから…多分、本当だ。」
コートを羽織って勇吾の差し出した手を握ると、スタッフがニヤニヤして見送る中、彼と中華街へと出掛けた。
ここへきて…やっと、まともな食事にありつける!
「勇吾?イギリスはご飯にあんまり力を入れない国なの?オレはショーンとケインにご馳走になったけど、どれも大して美味しくなかった!つるとんたんが食べたいよ。」
彼の顔を見上げてそう言うと、勇吾は瞳を細めて言った。
「いつから来てたの…?」
オレは彼から目を逸らすと、屋台のおじさんを眺めながら首を傾げて言った。
「勇吾の電話を貰った次の日。だから…1月1日に東京を出た。」
「今日は…1月5日だね…それまで、どうしてたの…」
オレの髪を撫でながら勇吾が聞いて来るから、彼の顔を見上げて教えてあげる。
「まず、”ハーマジェスティーズシアター“に行ったら勇吾に会えるかなって思って、行ってみた。そうしたらガードマンに、こうやって…摘み出された!ん、ほんと、あったま来ちゃうよ!」
オレがそう言うと、勇吾は嬉しそう目を細めて笑った。
「で、偶然にもその時、ケインに会って、彼が彼女とデートに行くのを邪魔して無理やりご飯をご馳走させたんだ!ここで、やっと勇吾に繋がる手がかりを手に入れたんだ。その後はトントンだ。ショーンに会って、ヒロさんが通訳してくれて…今に至る。」
そう言うと、彼と繋いだ手に指に引っかかる物を感じて、グイっと自分に引き寄せてまじまじと眺めた。
「あ~!これはオレの大事な物なんだ。返して?」
クスクス笑いながらそう言うと、彼は目を潤ませながら言った。
「これ…?これはお守りなんだよ…」
それはオレが彼のオフィスでぶん投げた…彼がくれたピンキーリング…
何故か今は勇吾の小指にはまっている。
「そうなの…?じゃあ…仕方ないね?」
オレはそう言うと、勇吾の腕に抱き付いて、久しぶりの彼を堪能する。
吸われた気力がまだ完全に回復した訳じゃない。
でも、確かに手応えを残す彼に、もう、大丈夫だと思った。
彼を見上げてにっこり微笑むと、勇吾は表情を曇らせて言った。
「シロ…さっき俺が言った事…」
「勇吾。人は弱くて、脆くて、儚い。勇吾の好きなロミオとジュリエットも、アンナカレーニナも、そんな人間のどうしようもない弱さと…脆さと儚さを、抗えない感情を主軸に表現している。誰しも共感する物だからこそ、長く愛されるんだ。今回、勇吾はそんな物を体感したんだ。なぜ、人を拒絶するのか…なぜ、堕ちていくのか…考察して、自分の物にして、演出に生かせば良い。」
オレがそう言うと、彼は大粒の涙を目に湛えながら、そっとオレの唇にキスして言った。
「…うん、分かった。」
…大丈夫だ。
勇吾はオレの所に、帰って来た。
去年。いいや…一昨年。
オレが入院して、ロンドンに戻らなきゃいけない彼の予定を狂わせた。
その時の彼への恩を返せたかな…?
白い生まれたての青さを持つデンドロビウムの花束をくれた、素敵な彼に…
恩返しが出来たのかな…
「シロ…会いたかったよ…愛してる。来てくれて…嬉しい…」
そう言った勇吾の瞳はとっても優しい色を付けて、オレを温かく包み込んだ。
「うん…オレも、あなたを、とっても愛してる。」
そう言うと、首を伸ばしてオレに顔を寄せる彼の唇に、チュッとキスをした。
ズズズズズ~~!
元気をすごいスピードで取り戻した彼が、いやらしい目で見つめる中、念願の麵を掴んで一気に啜って口の中へと入れて行く。
「ふふ~!久しぶりのまともなご飯だよ?」
オレはそう言うと、次の麺をスープから引き上げて、口の中へと吸い込んでいく。
ズズズズズズ~~!
あぁ、堪んない!この、喉越し!
ショーンもケインも腹に入れば良いタイプだから、味への拘りも、へったくれもないんだ。食に対して淡白すぎる!
ニヤニヤしながらオレを見つめる勇吾は、どうせろくでもない事を考えてるんだ。
「…どこに、泊まってるの?」
「コンノートってホテル。」
オレがそう言うと、勇吾は顔を歪めて言った。
「高い所じゃん…もう、チェックアウトして、勇ちゃんの部屋においで。」
ふふ…!
久しぶりに彼が自分の事を“勇ちゃん”と呼ぶのを聞いて、嬉しくて口元が緩む。
「分かった。依冬にそう伝える。」
彼のお皿から餃子を取ってそう言うと、パクリと一口で食べて美味しくて悶絶する。
「ん~!勇吾?夜ごはんも美味しい所に連れて行ってよ。後、パブにも連れて行ってよ。楓が彼氏と行ったんだ。ストリップバーにも行きたいな。後…」
「…いつまで居るの?」
オレの頬を撫でて彼がそう聞いて来るから、彼の手のひらに頬ずりして答えた。
「勇吾とセックスするまで。」
…それは昔、オレが同じ事を聞いた時、彼がオレに言った言葉。
そんなオレの答えにクスクス笑うと、勇吾は瞳を細めて言った。
「んふふ…じゃあ、我慢すればずっと傍に居てくれるの?」
お馬鹿さん。
彼の足に自分の足を摺り寄せて、なでなですると、甘い声を出して言った。
「もう…オレが我慢できないよ?」
そうだよ。
だって、1年ぶりの勇吾が目の前にいるのに、彼とエッチをしないなんてオレには出来ないよ。
「ふふっ!可愛いね…もう、このまま連れて帰っちゃおうかな。」
そう言ってオレの足を足で挟んで、自分の股の間に持って行くこの人は、間違いなく…いつもの勇吾だ!
彼はすごい勢いで気力を回復して行ってる。
それは、オレの気持ちが追い付かない程だ…
「ダメだよ…だって、勇吾はこれから…オフィスに戻って…3月に踊るポールダンスの構成を考えなくちゃいけないんだから!」
オレはそう言って、彼の足の間から自分の足を引き抜くと、眉をあげて言った。
「モモが困ってる。早く考えてあげて?全く!いけないよ?快楽主義者なんだから!」
…そう、彼は今までぼんやりと過ごしてきた分のしわ寄せを、自分自身の手で、こなさなくてはいけないんだ。
本当は今にも襲い掛かって、彼の服をはぎ取って、ドロドロに絡まって行きたいけど…今年の5月で…23歳になる予定のオレは、そんな風に本能に支配されない。
強い精神と、清い心を持った、優しくて良い子のシロなんだ。
ロンドンの中華街にあるラーメン屋さんは、ここでは美味しい方だった。でも、日本でこの味だったら…絶対、客足は遠のいて、店はつぶれるだろうね。
…でも、餃子は美味しかった。
ポケットに両手を突っ込んで歩く勇吾の腕に、自分の腕をそっと入れて、ギュッと抱きしめると、彼の腕に頬を付ける。
「勇吾…オレのポールは何点だった…?」
彼を見ないでそう聞くと、彼はオレを見下ろして言った。
「点数の付けようがない。最高だった…。夢中になって見入ってしまったよ…」
「ふふ…!」
彼の腕に頬ずりしながら、彼のリードする歩幅で彼のオフィス兼スタジオまで戻ると、ショーンがオレたちを見て、ニヤニヤ笑いながらワザとらしく視線をそらした。
「おい!セックスして来てないぞ!ラーメンを食べて来たんだ!」
ショーンの背中をバシバシ叩いてそう言うと、彼は咳込みながら言った。
「そ、そ、そんな事考えてないよ…シロは、ちょっと刺激的すぎるなぁ…」
頭の中ではもっと刺激的な事を考えていたくせに…オレにそんな事を言うなんて…
「勇吾?ショーンはきっと、むっつりスケベだよ。」
オレに手を伸ばす勇吾にそう言って、彼の手を握りながら彼のオフィスへ一緒に入って行く。
「ヒロさんは面白いんだ。感情まで一緒に訳してくれる。ある意味役者だよ?訳者の…役者だ!あ~はっはっはっは!」
真面目に仕事を始める勇吾に無視されながら、彼の部屋のソファにゴロンと寝転がって無駄口を叩くと、彼の仕事する姿を眺めながら…うっとりする。
なぁんて…綺麗な男だろう。
コンコン
ノックの音と一緒に顔を覗かせたケインが、オレを見てにっこりとほほ笑む…そして、オフィスに入って来ると、ゴロンと寝転がるオレの上におもむろに覆い被さって来た。
「なんだ。なんだ。」
すっぽりと覆い被さられてオレがそう言うと、ケインは首を横に振りながらほほ笑んで言った。
「シロ…アイ、ラブ、ユー!」
「ふぁ~はっはっはっは!」
「シロ…アイ、ウォン、チュー!」
「ひ~ひっひっひっひ!」
うっとりとオレを見つめる顔がおかしくて…彼が何か言う度に大笑いをすると、そんなオレを見て、一緒になって笑うケインが…誰かに似ていて、瞳を細めた。
「ねえ…もっと何か言って?」
彼の頬を両手で撫でながらそう言うと、うっとりとトロけた瞳をするケインの背中に手を回して、優しく撫でてあげる。
彼はニヤリと口端を上げて笑うと、オレの鼻に自分の鼻を擦り付けて言った。
「シロ…ユア、ソー、ビューティーフォー…」
「あ~はっはっはっは!」
おっかしい!!腹がよじれるっ!!
「何の用だ…?ケイン。」
いつの間にか傍にやって来た勇吾が、オレたちを見下ろしてそう言った。
「オー…ウ」
体を起こして勇吾を見ると、ケインは両手を上げて肩をすくめた。そして、首を横に振りながら、クスクス笑って退室して行く…
何しに来たんだよっ!なんて、突っ込みは…日本でしか通用しないのかな…?
チラッとオレに視線をやりながらオフィスの扉を閉めると、勇吾は肩を落として鼻でため息を吐いた。だから、オレは彼にフォローする様に言った。
「ケインはバカなんだ。でも、切れ者だ。きっと勇吾の様子を見に来たんだ。」
オレがそう言うと、勇吾はオレの目の前に立って眉を下げて言った。
「シロ…シロたん…ギュってして…」
「良いよ?勇吾、おいで?」
オレの言葉が終わると同時に、すごい勢いで抱き付いて来る彼を抱きしめると、ギュッと胸の中に沈めこんで隠してあげる。そして、優しく彼の柔らかい髪を撫でて、愛おしく何度も髪にキスしてあげた。
勇吾はトロンと瞼を落として、感情が無くなった人形の様な瞳になると、オレの胸に頬を付けて、体を縮こませて甘えた…
ほらね…勇吾は、赤ちゃん…
彼の頬を手の甲で撫でて、うっとりと瞳を細める彼に言った。
「勇吾?陽介の所に産まれた赤ちゃんね…とってもかわいいんだ。名前がロメオって言うの…」
「ぷふっ!」
「笑わないで…」
ロメオが眠りそうな時…ちょうどこんな瞳をするんだ。
ぼんやりと…空虚を見つめるような、遠い目をして…感情を失った人形の様に、魂が抜けたような表情をする。
勇吾の頬を撫でて、彼の柔らかい髪の中に指を立てて手櫛で解かしてあげると、気持ちよさそうに目をつむる彼にキスをしてあげる。
赤ちゃんみたいで、可愛いんだ…
「シロ…勇ちゃんを置いて行かないでよ…」
消え入りそうな弱々しい声でそう言う勇吾に、彼の傷ついた心を優しく撫でる様に穏やかな声を出して言った。
「傍に居るよ。」
「シロ…勇ちゃんを嫌いにならないでよ…」
「愛してるよ。」
小刻みに震える彼の体を両手でしっかりと抱きしめると、もう…大丈夫だよと、何度も手のひらで撫でてあげる。
安心して良いよ。オレが傍に居る。
何もかもから…守ってあげるよ。
真司君が、怖かったんだね…
オレとは違う狂気を持った彼は、勇吾にとっても恐怖心を与えた。
話し合っても、話が通じない怖さ…
しつこく付きまとわれる怖さ…
自分のせいで、誰か身近な人が危険に晒される怖さ…
勇吾は、それに耐えかねて…真司君を受け入れてしまったんだ。
「もう…大丈夫だよ。勇吾の傍にはオレがいるからね…」
彼の体を全身で包み込むと、傷付いたこの人が早く癒される様に…祈った。
強くて…強引で、勢いのある勇吾は…独りぼっちで寂しくて、悲しくて、辛かった。
そんな弱ってる心では、次々と襲ってくる真司君の執着心をかわす事が出来なかったんだ。
あちこち傷付いて…痛々しい姿になって、可哀想に…
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