＃シロ ピピピピ アラームが鳴って重い瞼を開くと、同じ様に半開きの瞳をオレに向ける勇吾と目が合った。 「…眠いのぉ…」 そう言って彼の胸に顔を埋めると、グダグダに甘えまくる。 あったかい… ほのかに良い匂いがする、勇吾だ。 「むふふっ…」 彼の胸に頬ずりしてムフムフ笑うと、勇吾はオレの髪を撫でて言った。 「シロ…エッチして良い？」 信じられない… オレは彼の胸を撫でると、クスクス笑いながら言った。 「ん、もう…ちょっとだけだよ？」 ちょっとだけのエッチ… それは普通に、全て、滞りなく行われるエッチだった… 熱く激しい朝を過ごしてすっかり目が覚めると、桜二（スーツケース）に荷物を詰めて勇吾と一緒にホテルを出た。 「おっこらしょ…」 そんな掛け声…聞こえなかった振りするよ… 勇吾が大きな彼の車にスーツケースを抱えて詰め込むのを眺めながら、まるで東京の通勤ラッシュの様な、朝のロンドンの街を眺める。 忙しなくどこかへ向かう人達は、ここで働いて…ここで生活してる。 彼らにとって、この街は日常で、ホームだ。 オレには非日常で…完全に、アウェーだった。ちょっと前までは…そうだった。 でも、話をする様な知り合いが増えて、勇吾の車で道路を走って、少しだけ…この街に慣れてきた。 難なく朝食を調達する事に成功したら…もっと、馴染む気がするよ？ 「勇吾？美味しい朝ご飯が食べたいよ？全然良いのに出会えないんだ。」 「ん～…どんなのが良い？」 「んっとねぇ、パサパサじゃないハムのサンドイッチ…と、コーヒー。」 勇吾が助手席のドアを開いて、オレのお尻を押しながら助手席に押し込む。 彼の車は…大きいんだ… 「ねえ？この…装甲車みたいな車は何て言うの？」 運転席に乗り込んだ彼にそう聞くと、ペンギンの付いた車のキーを差し込みながら勇吾が言った。 「ハマー…」 まるで装甲車みたいに武骨で…大きな…ハマー… 東京の道路事情と大して変わりない細い道の多いロンドンで…どうして勇吾はこんな大きな車を乗ろうと思ったんだろう… 朝のロンドンを慣れた様子で勇吾が車を走らせる。 彼にとっても、ここ、イギリスはホームなんだ。 「待ってて…」 勇吾はそう言うと車を路肩に停めて、走って向かい側のお店へと消えた。 「今日の朝ご飯は、美味しい物だと良いな…」 携帯電話を取り出すと、ポチポチと桜二と依冬に一斉送信する。 “勇吾の車、ハマーは大きくてびっくりした。戦車だ。” 店から出て運転席に戻ると、彼はオレの膝の上に紙袋をポンと置いて、すぐに車を出した。 手元の携帯がブルルと震えて、さっそく届いた依冬からの返信を読んだ。 ”小さい男って…大きな車に乗りたがるんだ。逆に大きな男はミニクーパーに乗る“ 「ぷぷっ！」 確かにそうだ。 小さなミニクーパーに背中を丸めて乗る背の高い男を何人も見て来た。 でも、勇吾はそんなにチビじゃないよ？ ”勇吾はオレより少しだけ背が高い“ オレがそう返信すると、ブルルと携帯が震えて、今度は桜二からの返信を読んだ。 “体の大きさじゃない、あっちのサイズだよ？” 最低だね… “桜二の座布団、全部、没収だよ…” オレはそう返信すると、膝の上に置かれた袋の中を覗き込んだ。 紙に包まれていても分かる。この良い匂いと、ほのかに暖かいサンドイッチ…！ 「んふ！美味しそうだね？」 そう言って勇吾を見ると、彼はオレの震える携帯を見て言った。 「勇ちゃんといるんだから、桜ちゃんたちと盛り上がらないんだ。俺だけ愛して、俺だけ見てよ。ね…？シロ。」 ふふ… 「ごめんね…勇吾。」 そう言って携帯電話をリュックに入れると、体を乗り出して、彼の大きな車から下を覗き込んだ。 子供なんて下にいたら…ためらわず轢き殺すくらい視界が悪い。 ミラーがもう一つ要るよ？ 窓を開けて外の空気が流れ込んでくると、凍てついていたイギリスの風が、少しだけ…柔らかくなった気がして、瞳を閉じて顔に風を浴びた。 「今日…モモとメグの所に行くんだ…お前も、来てくれる？」 「良いよ。」 オレはすぐにそう返事をすると、朝のロンドンの街並みを窓から眺めた。 不思議だな… この街に慣れた人の車に乗っているせいか…まるで自分も前からここに住んで居る様な気になってくるよ… ほんと、オレは単純だ。 駐車場に車を停めると、助手席のドアが開くのを待って、膝の上の紙袋を勇吾に手渡した。彼の手を掴んで車から飛び降りると、フルフルと体を震わせて言った。 「はぁはぁ…怖いい…下りるの、怖いい！」 オレがそう言うと勇吾はクスクス笑いながらオレの手を繋いた。そして、そのままぐんぐん歩いて行く。 胸を張って肩で風を切って歩く彼は…素敵だ。 柔らかい髪が風でなびいて…まるで、王子様みたいだ。 「シロ。おはよ。」 道端でオレを待っていたヒロさんは、今日もオレの通訳として同行してくれる。 「おはよう！」 元気に声を掛けて、ヒロさんに言った。 「今日の朝ご飯は上出来だよ？後で少し分けてあげるよ？」 彼はクスクス笑うと、勇吾の手元の紙袋を見て言った。 「さすが、勇吾さんは…そんな所の朝食をとるのか…セレブは違うね。」 セレブ？ 「あ～はっはっは！おバカさんだな。勇吾はセレブじゃない。」 彼の言葉に大笑いすると、勇吾を見て首を傾げた。 ヒロさんはそんなオレを見て、ヤレヤレと肩をすくめると物知り顔で言った。 「シロは知らないからそう思うかもしれないけど、こっちでは彼はちょっとしたタレントよりも演劇や舞台のアイコン的存在になってるよ？」 ふぅん… だとしたら…尚更、気持ちを持ち直す事が出来て…良かった。 彼の失墜なんて…見たくないし、きっと周りもそんな彼を望んでいないだろうからね。 「シロ～！マイ、フェア、レディ、オハヨー！」 ケインがそう言いながらオレに走り寄って来て、オレの体を持ち上げると、クルクルと回しながら言った。 「ドウデスカ？ケインハスゴイデショ？」 「ふふっ！あふふ！わ～ははは！すごいぞ～！」 そう言えば…勇吾に、まだ、回してもらってないな… そんな事を考えながら彼を見ると、勇吾はムスッと頬を膨らませてオレを見ていた。 あぁ…やきもちを焼いたんだ。 可愛い人だな。 ケインの腕から下ろしてもらうと、彼と変顔のあいさつを交わして、ケラケラ笑った。 そして、ポケットに両手を突っ込んだ勇吾の腕に自分の腕を掛けると、彼を見上げて言った。 「ふたりきりの時、回してよぉ。まだ、回してもらってないよ？勇吾とオレのお決まりなんだから、早めにぐるぐる回してよ？」 そう言ってクスクス笑うと、彼は手に持った紙袋を地面に置いて、そのままオレを持ち上げて言った。 「シロ、パッセ！」 「あふふっ！」 上手にアラベスクしながらパッセすると、勇吾の元で働くスタッフがオレ達を見て言った。 「朝から…お熱いね…」 「勇吾！回してよ！」 彼を見てそう言うと、勇吾はオレの体を一瞬上に浮かせて、太ももを支えていた手を離した。 あ… オレは咄嗟に体を捩ると、彼の首に両手で掴まった。 「あ～はっはっはっは！」 一度離した両手ですぐにオレをキャッチすると、勇吾は口元を緩ませながら、グルグルとオレを回した。 そして両手でギュッと抱きしめると、耳元で優しく言った。 「シロ…愛してる。」 あぁ…勇吾。 「勇吾…愛してるよ。」 彼の背中をギュッと抱きしめると、自分の顔を彼の胸に押し付けて、グリグリと擦り付けた。だって…堪らなく嬉しかったんだ。この腕も…この体も、この人の心も…全て自分を向いている…。それが、とっても嬉しかった。 「ケインもあれくらい出来る。しかも、もっと高く飛ばしてあげられる。」 ヒロさんがケインの呟きを拾って口を尖らせながら、そう訳した。 はは！なぁんで勇吾と対抗してるんだ！ 「そだね～？」 そう言いながら、オレをジロジロ見るケインに首を傾げて変顔してやると、彼も応戦して同じ様に変顔して見せた。 ふふっ！変な人！ まるで、俺を見て！俺を見て！って…纏わり付く子供みたい。 そして、オレはそう言う子供を鬱陶しく思わないで、可愛いって…思ってしまうんだ。 「ケイン、行こう？」 そう言って彼に手を伸ばすと、嬉しそうに瞳を細めてオレの手を握った。 ね？可愛いだろ？ これだけで、こんなに嬉しそうにして、満たされた顔をするんだもの。 可愛いったらありゃしないよ？ ほんと…誰かに似てる。 彼を見上げてにっこりとほほ笑みかけると、急にケインの視線がオレの後ろに外れて、彼の表情が険しく歪んだ… 「勇ちゃぁんっ！」 そんな声が聴こえた… その瞬間、勇吾が声の方を振り返りながら、オレの体を反対方向へと突き飛ばした。 でも、オレは体幹が凄いんだ…そんなもんじゃ、よろけないよ。 踏ん張って勇吾と彼の視線の先を見据えると、ゆらゆらと揺れる人影を捉えた。 真司君… 手元にキラリと光る何かを構えた彼は…勇吾を、ただ見据えて蜃気楼のように揺らめいていた。 「勇ちゃぁん！酷いよぉ！」 ナイフを持って勇吾に向かってくる真司君を、彼は…甘んじて受け入れるつもりなのか… 構えもしなければ、逃げもせずに、微動だにしなかった… 馬鹿野郎…！！ 「勇吾！」 オレはそう言うと、踏ん張った勢いのまま勇吾と真司君の間に入った。 「シロ！だめだっ！」 そんな勇吾の悲鳴を聞きながら、怒りに顔を歪める真司君を正面から見つめる。 どうして…そんなに…自分から 苦しむんだよ…！ 刃物を握って伸ばした真司君の腕を両手で挟んで掴むと、彼の体を自分の腰に乗せて、体を屈めながら、思いきり上に押し上げた。 オレに投げ飛ばされた勢いで、彼の手からナイフがこぼれて落ちると、それをケインが思いきり遠くへ蹴飛ばしたのを確認して、真司君を抱き締めて言った。 「バカ野郎！何考えてんだ！！こんな事して！何考えてんだ！お前は美しいプリンシパルだろっ！バレエの頂点のプリンシパルだろっ！！しっかりしろよっ！！」 「シロ！馬鹿野郎！何考えてんだ！危ないだろ！どうして…！こんな、危ない事するんだ！もし刺されたら…どうするんだっ！」 腕の中で震えて泣きじゃくる真司君を感じながら、オレの背中に覆い被って怒鳴る勇吾の声を耳元で聞いた… 「シロ！こんな事！するなっ！！」 だって… お前は、甘んじて刺されるつもりだったじゃないか… どうして、分からないかな…？ そういう温い態度が…彼を、苦しめて、暴走させるんだ！ オレは勇吾を振り返ると、ダラダラと涙を流しながら彼を睨みつけて言った。 「お前が温いから！お前がはっきりしないからッ！真司が壊れるんだ！オレに怒った様に、彼に怒れよッ！もう二度と…目の前に現れるな！って、引導を渡せよッ！とどめを刺してやれよっ！それが…それが、お前の愛情だろっ！」 「うるさいっ！」 勇吾はそう言うと、オレの体を真司君から引き剝がそうと腕を掴んだ。 だからオレはもっと真司君を抱きしめて、腕の中の彼に言った。 「こんな男のどこが良いんだ！プリンシパル！ストリッパーが好きなこんな男のどこがそんなに良いんだ！名声があるからか！？それとも、温くて無責任な愛情をくれるからか？それは、あんたを本当に愛してる人なら、与えない物なんだぞ！」 「シロ！いい加減にしろよっ！離れなさい！そいつは危ないからっ！離れなさい！」 勇吾はオレの体を真司君から離そうと、思いきり引っ張り上げ始める。 ポールダンサーを舐めるな！オレは鉄砲が来ても彼を離さないぞ！ 腕の中でオレと一緒に揺すられる彼を見つめて言った。 「本当にあんたを愛してる男は、あんたが悪い事をしたら叱ってくれる！あんたが自分をコントロール出来なくなるまで、放って置いたりしない！つまり、勇吾は、あんたを、愛して無いんだ！！目を覚ませっ！縋る価値のない、ぼんくらの男だ！」 「シ～ロ～ッッ！！」 怒った勇吾が馬鹿力を出して、オレを真司君から引き剥がすと怒鳴って言った。 「お前は！何を考えてんだッ！！この、バカタレッ！！」 髪を振り乱して息を荒くして勇吾と睨み合っていると、バタンとドアが閉まる音がして、上品な服装の女性が駆け寄ってきた。 「真ちゃん！」 そう言って泣き崩れる真司君を抱きしめる、その人は、彼のお母さんの様だった… 「刃物を持って…刃物を持って襲い掛かってきました。」 ヒロさんがそう言うと、真司君のお母さんはオイオイと泣いて真司君に言った。 「真ちゃん…何て事を…もう、帰ろう…」 「シロ…」 ポツリと…抑揚のない声で、真司君がオレを呼んだ… 「何…？」 オレがそう応えると、彼は言った。 「そんな…屑な男…も、要らない…。僕の事…“そいつは危ない”って…言いやがった…」 「そうだな。自分がそうさせた癖に…自分の罪が分かってないんだ。こいつといると、あんたが苦しむだけだ…。」 ため息を吐きながらオレがそう言うと、真司君は思いきり表情を歪ませながらボロボロと涙を落して言った。 「シロ～！…そいつを…絶対、野に放たないで！二度と…二度と…！誰にも触れさせないで！！お前が責任持って…二度と人に迷惑を掛けない様に、縛って、自由にさせないで！！」 それは強がりでも、嫌みでもない…彼の心の叫びだ… 散々…彼が無茶苦茶しても何も言わなかった癖に…最後の最後で“危ない奴”と思われていた事実を知って…真司君は急に我に返った様だ… こう言っちゃなんだが、君も大概だろ？と思った事は伏せておく… 肩を落として眉を下げると、真司君を見つめて言った。 「…分かったよ。真司。二度と…誰の迷惑にもならない様に…暗い場所で、柱に…縛り付けておく…」 それを聞くと安心した様に頷いて、お母さんと一緒にタクシーに乗って帰って行った… 「はぁ…？俺が、悪いの？」 そう言って肩をすくめる勇吾の胸に一発パンチすると、人差し指を立てて彼を指さして言った。 「お前…さっき、刺されるつもりだっただろ…？！」 オレのその言葉に、勇吾は眉をあげると、地面に置いた袋を手に抱えて言った。 「いいや？勇ちゃんは、見事にゆらりとかわすつもりだった…酔拳みたいにね。」 絶対、嘘だ。 わざと刺される事で事件にして、強制的に彼が監督される状況を作ろうとしていた。 やっぱり、この男は情は持っていても、彼を愛してなんかいない。 自己中の無責任男だ。 「シロ…ノー…」 朝から凄い修羅場を経験して、その場に居合わせた全員がドッと疲れた。 項垂れたケインの背中を優しく撫でると、彼はオレを抱きしめて言った。 「投げ技は日本の国技なの？俺にもして良いよ？シロ…俺も投げてよ…ねえねえ！」 興奮したヒロさんが顔を赤くしながら、ケインのセクハラを臨場感たっぷりに訳してくれる。 「はぁはぁ…シロ…俺も投げて…！ベッドに投げて！マウントを取って！ぶん殴ってくれよぉ！なあ！シロ！そのまま熱いキスをして、絡まって寝技に入って…はぁはぁ…」 仕事熱心なヒロさんを連れて、怪訝な顔でケインを見つめる勇吾と一緒に彼のオフィス兼スタジオへ入って行く。 「シロ～！お見事だ。すぐに問題を解決したね？びっくりだよ？」 スタジオに入ると、モモがそう言ってオレの頭をナデナデして言った。 「勇吾がメグの所に行きたいって…連絡してきた。ほんと、ママの一声はすごいね？」 「ふふ…」 オレは伏し目がちに笑うと、モモを見上げて言った。 「ダンスの構成が決まった。今日はそれを一通り踊ってみて貰おうと思ってるよ。どうかな？モモ、構わない？」 オレがそう言うと、彼は眉をあげて言った。 「待ってたよ。」 公演の演目内容はこうだ。 ５本並んで配置したポールを使用する。 初めに4人がポールダンスを踊って…曲の途中で、センターが登場する。そして、最終的に５人で踊る。 これがオープニングだ。 その次にベーシックなスタイルを見せる演目を入れる。 １０人いるポールダンサー…モモと、メグを入れると１２名…これを４人ずつ３グループに分けて、1曲ずつ踊って、順々にポールダンスを繋いでいく。 その次はトリッキーな技を使った演目。 身軽な４人が、並べられたポールを回って踊りながら、渡り歩く。アクロバット要素の強いものだね。 そして、最後はオープニングの逆、並んで配置されたポールに５人が踊って、徐々に数を減らして…最後はセンターのソロで終わる。 これをオーケストラの生演奏で…踊るんだ。 最高じゃないか… 「ふふ…きっととっても素晴らしい舞台になるよ？」 モモを見つめてオレがそう言うと、彼は肩をすくめて言った。 「ママの贔屓目だよ。」 あはは！言うね？ 構成が決まってしまえば、後は踊って行くだけだ。 「シロ～～？まず何やるの？」 そう聞いて来るダンサーの子に首を傾げて言った。 「音楽を聴きたいと思います。」 そう言うと、オレは日本から持ってきた“ひよこ”を1人づつに配って言った。 「これでも食べながら音楽を聴こう…まずは曲の感覚を掴まないと、タイミングが分からないだろ？タイミングが分からなかったら緩急の付け所が分からない。全てはここからだ。」 「わ～～い！お饅頭だぁ！」 ウフフ…可愛い…！ ホクホクしながらモモと構成表を見つめて音楽をみんなで聴き込んでいく。 「あっ！今の所で、グルンと行くの？」 「そうそう…今の、ズッチャ！の所で、バシンと決まる様に…その前で十分に整えるんだ。」 楓とした様に、智とした様に、言葉は違くても、同じ事を目の前の彼らとしていく。 「シロ？ここでそんなに一気に足をあげられないよ…タイミングがズレちゃう…」 「腹筋で上げるんじゃない。その前の動きの反動を使うんだ。勢いをそのままに一気に体ごと持って行ってごらんよ。早すぎる事はあっても、遅くなることは無い。早すぎるタイミングを腹筋で調節するんだ。」 ポールの下から上を見上げて楓にする様にアドバイスすると、彼らはいとも簡単に一発で決めてくる。 「そう！そんな感じだ！」 「やった～！」 さすが、すごいダンサー達が集まってる。 「良い感じだよ。前もこんな風に的確に言われたら良かったのに…時間の無駄だったよ？大体、バレエダンサーなんて…ストリップと何の関係があるのさ…」 モモがそう言って頬を膨らませるから、オレは雑学を教えてあげる。 「モモ？バレエも昔はパトロンを付けてなんぼの世界だったんだよ？言葉は悪いけど、お抱えの旦那を付けるんだ。ストリッパーと同じさ。今でこそ格式高い雰囲気だけど、結局、金を出す男が見るのは…やりたくなるか、そうじゃないか。それだけだ。」 オレはそう言ってクスクス笑うと、腕を伸ばして言った。 「こういうしなりが…バレエの動きにはあるんだ。…これは、とても妖艶で美しい…。ポールダンスをしてダイナミックなだけじゃない、こういった繊細で妖艶なしなりを見せると、一段と踊りのクオリティが上がる。その為にも…バレエは必要なんだ。」 モモはオレの話をじっと真剣な表情で聞くと、ニヤッと笑って言った。 「…シロは、ただのバカじゃないね？」 「あ～はっはっは！言うね？」 「シロ、どんな感じ？」 ショーンがそう言ってスタジオに入って来た。 どんな感じ？ オレの隣に来て首を傾げる彼に、同じ様に首を傾げてぶりっ子して言った。 「え～…見せて欲しいの～？」 「ぷっ！」 オレの様子を見たダンサーの子達がクスクス笑い始める。 ショーンはその雰囲気にタジタジになりながらも言った。 「そりゃ…一応…見せて欲しいよ？」 「じゃあ…ショーンの一番エッチな顔を見せてよ…ふふっ！そしたら見せてあげる…」 オレはそう言うとショーンの体にしなだれかかって、スリスリと頬ずりしてみせた。 「あ～はははは！」 ポールの上で大笑いするダンサーの子と一緒にケラケラ笑うと、顔を赤くしてムッとするショーンに言った。 「ごめんね？ちょっとからかったんだよ？」 どうしてこんなことをするのか…それは彼らがストリッパーだからさ。 男を挑発して、いなして、鼻で笑う。 それがストリッパーだ。 ギラギラした瞳を向けて勝手に興奮してる、馬鹿な男を冷たい目でいなすんだ。 その雰囲気を忘れると、ただのアスリートになっちゃうからね？ ある意味、このスタジオは彼らとオレがいる内は、ちょっと意地悪な女子が集まる、秘密の花園だ。 「じゃあ…ショーンに見せてあげよう…」 オレはそう言うと、音源を流し始めた。 「わあ…あの動き…綺麗に整ってるじゃないか…」 ショーンがそう言ってにっこりと笑った。 動きを伝えるよりも、曲に合わせて覚えた方が良い。 着地点が分かってれば、そのための準備が出来るからね。 「こんな感じだよ？ふふ…どう？一番のエッチな顔したくなった？」 「あはは！見せてよ～！一番のエッチな顔、見せてよ～～！」 悪乗りしたストリッパーたちにからかわれて、ショーンがすごすごと退散しながら言った。 「踊りは上出来だよ！ただ、からかうのはどうかな？それはあんまり良くないよ？」 ふははっ！ 「ショーン？僕たちはストリッパーです。そして、ストリッパーとはこういうものです！」 オレはそう言うと美しくピルエットを回って、彼に丁寧にお辞儀をしてみせた。 「…もう！」 顔を赤くすると、ショーンが逃げる様にスタジオを出て行った。 これがケインだったら、多分、一緒に悪乗りし始めるんだ。 「…さあ、おふざけはお終いにして、次の動きをまた一緒に音楽を聴いて掴んでいこう？」 ここに集まったダンサーたちはみんな凄腕だ。 だから楓や智に教える時よりも、ずっと楽ちんなんだ。 「シロた～ん…ご飯、食べに行こ～う…」 みんなで音楽を聴いていると、勇吾がそう言ってスタジオに入って来た。 「はぁ…ぼんくらが来たよ。ママ。」 モモはすっかり勇吾を“ぼんくら”と呼んで、オレを“ママ”と呼ぶ。 勇吾はそんな事意に介さない様子で、オレの隣に座ると楽しそうにニコニコと笑ってオレを見つめてくる。 そんな彼を、ダンサーの子達は吹き出して笑いながら見て言った。 「シロ、気が散るよ！」 ぷぷっ！確かに… 「じゃあ…また明日だね…」 「ねえ、シロ？その音源、貰えないの？聴き込んで来るよ。」 ダンサーの子がそう言うから、オレは首を横に振って言った。 「ひとりで踊るなら聴き込むのも良いんだけど、これはみんなで踊るから、みんなで聴いた方が良いんだ。先入観なしに共通の認識って言うものを作るために、みんなで聴いてるんだ。」 伸びをしながらそう言うと、ダンサーの子は頷いて言った。 「オーケー」 ふわふわした楓が７人と…真面目な智が３人…リアリストなハニが1人…こんな感じのメンバーだ。 「シロたん？今日は何を食べる？えっ？勇ちゃんを食べたいの？もう…勇ちゃんなら何杯でも、お代わりオッケーだよ？」 ヒロさんはそんな勇吾のデレた言葉も、漏れなく訳してみんなに伝えた。 「ハーーー！？ファック！」 ふふっ！ ”技術指導”なんてたいそうな言い方だけど、結局はいつもやってる事と同じ。一緒に踊りを考えるだけだ。 「勇吾、今日は美味しいハンバーガーが食べたいよ。」 オレがそう言うと、彼はにっこり笑って手を差し伸べて言った。 「良いよ。行こう？」 ふふっ…素敵だろ？ 勇吾と一緒にハンバーガーショップへ行って、彼がサイン攻めにあう中、のんびりとコーヒーとハンバーガーを食べる。 揚げ方が絶妙なフライドポテトを気に入って食べ切ると、彼の分まで少しだけ食べた。 仲良く手を繋いで、ちょっとだけ寄り道をして彼のオフィス兼スタジオへと戻ると、モモとメグのお見舞いへと向かう。 勇吾の大きなハマーの後部座席にふんぞり返ってモモが座って言った。 「シロ？勇吾と、どこで出会ったの？」 どこ…？ふふっ！ 忘れもしない… 「オレは東京の新宿、歌舞伎町のストリップバーで働いてるんだよ。そこで出会った。」 モモを見てそう言うと、彼は身を乗り出して言った。 「どっちの方が先に好きになったの？」 へ～？意外だよ？ モモはもっとリアリストでクールだと思っていたのに…まるで智みたいだ！ 人のこういう話が大好きで…やたらと耳年増なんだ。 オレは首を傾げてモモを見つめると、答えを考えあぐねる。 だって、好きになった瞬間なんて…覚えてないよ。 ただ、彼が、とても、綺麗だった…その衝撃は今でも覚えてる。 「俺だよ。見た瞬間、恋に落ちた。」 「ファ～～～～！」 勇吾はそう言うと、オレにウインクしてチュッとキスを飛ばした。 オレはただ、ケラケラと笑うモモを見つめて肩をすくめた。 勇吾は嘘つきだ。 だって、見た瞬間に恋に落ちてなんて無かったもの。 あっという間にメグの自宅に到着して車を降りると、先を歩くモモの後ろを付いて行く。 「勇吾。一緒に行こう…」 オレはそう言うと、両手をポケットに突っ込んだ彼の腕に自分の腕を乗せた。 ピンポン モモが呼び鈴を押すと、鼻の頭の赤い男の子が顔を覗かせた。 「メグ。勇吾が会いたいって。」 モモがそう言うと、玄関のドアを開いて２０歳くらいの赤毛の男の子が、もじもじと体を揺らして家の外に出て来た。 体のバランスを上手に取りながら歩く姿に、居ても経っても居られなくなった勇吾は、メグの目の前に行って言った。 「あぁ…メグ。メグ…！すまなかった…こんな目にあわせて…俺を許してくれ…！」 そう言って、項垂れて涙を落とす彼の背中を見つめる。 …ずっと言いたかったんだ。ずっと…謝りたかった。 真司君を咎めなかった事も、彼を野放しにした事も…止められたのに、何もしなかった事を、後悔してる事を…彼は謝りたかったんだ。 それは心を蝕む罪悪感…オレが、兄ちゃんに抱いた感情と…同じ。 ただ、彼には、謝る相手がいる。 だから、大丈夫だ… 許してもらえなかったとしても…オレの様に心を蝕む事なんて無い。 頭を下げる勇吾を正面から見つめ続けるメグは、隣に立ったオレを見ると一言言った。 「あんたが…こいつのママ？」 その言葉に、しくしくと泣く勇吾を見て、目の前で腕を組んで口を尖らせるメグを見た。そして、ふたりを交互に見ると肩をすくめて言った。 「イエス…メイビー…」 オレの胸を小突くとまくし立てる様にメグが言った。 「どうして、こんな馬鹿、放っておくのさ！真司ってヒステリーな基地外に腰を振る様な、こんな馬鹿！あんたの躾がなってないから、周りが迷惑するんだ！」 ふふっ…その通りだな… オレはメグを見つめて肩を落とすと、ため息を吐きながら勇吾を見て言った。 「…こんなに、馬鹿だと思わなかったんだ。」 「ぷっ！ふふっ！あははは！！あ～はははは！！」 そんなオレの言葉に、メグは吹き出して笑うとオレを抱きしめて言った。 「東京から勇吾をぶん殴るために来てくれたんでしょ？…もう少し早く来てくれたら良かったのに…そうしたら、僕は落とされずに済んだのに…。」 その通りだよ… 「ごめんね…ごめん。メグ。」 涙をぽとりと落として、気丈に振舞うタフで優しいメグに謝ると、彼はケラケラ笑って言った。 「まだもたつくけど、僕は奇跡を起こして歩けるようになった。そして、その奇跡はまだ続いてる。ぼんくらの目が覚めて、こうして僕に頭を下げた。次の奇跡は、ステージに復帰すること。それは、もう決まってる運命なんだ。」 あぁ…強いな。 そんな心強い、強がりを、なんて言って受け止めたら良いのか、分からないよ。 ただ、オレ達を気遣う優しい気持ちに、感謝するしかなかった。 彼は…勇吾を許してくれたんだ… 一時は、もう二度と、歩けなくなる…とまで言われてどん底まで落ちた気持ちも…理不尽に憤った気持ちも、全て…水に流してくれた。 悲しいくらいに、とっても…優しい子だった。 もっと早くに来てくれたら…そのメグの言葉が、ただただ、痛かった… 「また来るよ…」 「二度と来んな！ぼんくら！」 これは挨拶だ。意訳すると“また来てね！”になる。 …そうだろ？ ３人でメグの自宅を後にして、車に再び乗り込んだ。 夕方のロンドン…道路はほどほどに混んでる。 「あ、観覧車だ…」 橋の上から見えた観覧車を指さすと、後部座席のモモは興味無さそうに鼻で笑って、勇吾は…何も聞いていなかったのか、そのままぼんやりした顔をして運転し続けた。 …楓が言ってたな、彼氏とイギリスに旅行へ行った時、観覧車に乗ったって。 あれの事かな… 良いな、オレも乗りたい。 車体の大きな勇吾の車は、まるで強引に突き進む彼の様に…他の車を蹴散らす様に走って進む。 大きなタイヤのお陰か、少しの溝を通っても全然揺れたりしない。 「シロ、何か曲をかけてよ。」 後部座席のモモはそう言うと、大きなシートの上でストレッチを始めた。 そうか…彼はこれから仕事か… 「オーケー」 モモのリクエストによってオレが選んだ曲…それはスティービーワンダーの“I Ｗish“。 「お～、ふふ、良いね…！」 ご機嫌になったモモは体を大きく伸ばし始める。 「ヒロさん？…狭くない？」 すっかりモモの伸びた足に押しつぶされる彼を見つめてそう聞くと、ヒロさんは鼻の下を伸ばしながら言った。 「ノー…」 あぁ… のんけだった彼は、いつの間にかこの女王様に…ときめいてるみたいだ… ノリの良いスティービーの曲を、口でパーカッションしながら歌うと、勇吾が一緒になって歌い始める。後部座席のモモは楽しそうに両手を動かしてノリノリで踊り始めて、ヒロさんはそれを見て、悦んでる… ふふっ！カオスだ！ モモを店の前まで車で送ると、あの子はオレの頬にキスして言った。 「上出来だよ、ママ。ありがとう。これで、練習に集中出来そうだ。」 「良かったよ…」 きっと、勇吾も同じ気持ちだ。 口には出さないけど、きっと…同じ気持ちだ。 謝る機会を彼にくれて…ありがとう。モモ。 彼が店に入って行くのを見送ると、妙に歌舞伎町の三叉路の店が恋しくなって来た。 オレの帰る場所… 早く、戻りたいな…あの店に。 ヒロさんを送って勇吾のオフィス兼スタジオに戻ると、彼の仕事がひと段落着くまで…彼のオフィスでケインと遊んで待った。 「ズルしてる…」 オレがそう言ってジト目を向けると、ケインは涼しい顔をしながらカードを一枚取って言った。 「ハァ～！フルハウス！」 絶対、いかさましてる！ 「嘘だ！こんなに連続で上がる訳無い！絶対いかさましてる！」 オレはそう言うと、テーブルに乗ったトランプを両手で滅茶苦茶にして暴れた。 「オ～…ノ～！」 ケインは半笑いを浮かべながらオレを見て、首を横に振りながら落ちたカードを集めてる… ムカつく顔だ！ ポーカーのやり方くらい知ってる。 酔っぱらった桜二が相手だったら、オレは連勝する事だって出来るんだ。 なのに、一回も勝てないなんて…ケインがズルして、いかさましてるに違いないんだ！ 「そうだ！ポーカーじゃなくって、ババ抜きしよう？」 オレが気を取り直したころ、勇吾が上着を持って言った。 「シロ、遅くなったね…帰ろう。」 なんだ… ババ抜きだったら…オレがいかさま出来たのに。 ケインと別れて、気取ってないレストランで夜ご飯を済ませると、彼の自宅へと彼の車で向かう。 それは閑静な住宅街… まるで、映画に出てくるような開けた並木道を行くと、勇吾は大きなハマーを路肩に停めた。 「なんだ…郵便物が…散乱してる。」 こじんまりとした庭付き平屋の白い一戸建て… 玄関のドアを開くと足元には山のように郵便物が積み上がっている。 彼はそれを跨いで避けると、オレに手を伸ばして言った。 「しばらく帰って来てなかったから…」 そうなんだ… あぁ、きっと、真司君の部屋に行っていたのか…。 郵便物のせいで”桜二”が玄関で足止めを食う中、勇吾が慌てて部屋を片付け始めるのを棒立ちで眺めて、部屋を見渡した。 外から見たよりも、彼の部屋は広く感じた。 きっと色の調子を合わせた家具のおかげだ。 桜二が家具を揃える時、そんな事言ってたもん… ソファにドカッと座ると、勇吾の掛ける掃除機を避けて足を上に上げる。 真司君はあの郵便の山から、オレの手紙だけを抜いてたのか… 病んでるな… 横目に眺めてゾッと背筋を震わせると、洗い物を始める勇吾の背中を見つめる。 兄ちゃんじゃない。 ぼんくらの勇吾の背中だ… 彼はいそいそと片付けをしながらオレを見て言った。 「ちょっとしたら…勇ちゃんはまた、職場に戻って…残った仕事を済ませてくるから…シロはお風呂に入って…勇ちゃんの為に可愛い恰好で寝て居なさいね？」 はは…馬鹿野郎だな。 「ほ～い…」 そう適当に返事をすると、テレビを付けて英語で話す人を眺める。 勇吾は郵便物の山を一枚、一枚、確認しながらゴミ箱に捨てていくと、オレの“桜二”をコロコロと持って来て言った。 「シロ？勇ちゃんの引き出しにお洋服をしまっちゃいなさい？」 …はぁ？ 不満げに口を尖らせて勇吾を見ると、彼はウルウルと潤んだ瞳をオレに向けて言った。 「シロが…家にいる…！」 ルンルンと体を揺らして寝室に掃除機を掛けに向かう彼の背中を、散策ついでに追いかけていく。 「オ～…外国っぽいね？」 シャワールームを覗くと、ほのかに彼の香りがして…口元が緩んでいく。 この人と一緒にいたら、オレもあの香りがする様になるのかな。 花の様に甘くて、上品な…あの香り。 ベッドマットの下に手を入れてゴソゴソする彼を見下ろしながら、彼の香りがする寝室にクラクラしてグルっと体を一回転させる。 「ふふっ！ここは…勇吾の香りがいっぱいするね？」 オレがそう言うと、彼はベッドマットの下から何かを引っ張り出して、胸にあてて言った。 「シロ…ごめんね…」 そう言って彼が見つめた物。それは大塚さんが描いたオレのデッサンだった。 頬杖をついてつまらなそうに視線を逸らす自分の顔を見つめて…桜二はそれの色付きを持ってるなんて、彼には言えない。 「ここに…隠しておいたんだ。」 ポツリとそう言った勇吾の柔らかい髪を指先で摘んで撫でると、体を屈めてキスをして言った。 「桜二も…お前も、本物よりもそっちの方が好きみたいだ…」 「そんな事ない。本物のシロは…話せるし、触れるし、俺を…愛してくれる。」 そう言ってオレの頬を撫でてうっとりと瞳を色付けると、優しいキスをしながらベッドに押し倒して言った。 「みんなが俺をぼんくらって言っても…シロは俺を愛してくれるだろ…？」 どうかな…？ 「ふふっ…そうだね。オレは、ぼんくらな勇吾を愛してるからね…。甘えん坊で、赤ちゃんみたいに可愛いあなたが大好きなんだよ。たまに見せるキリッとした姿は…あなたの一片でしかない。」 彼の頬を撫でて、何度もくれる勇吾のキスを笑いながら受け取ると、ギュッと彼を抱きしめて言った。 「あぁ…勇吾、もう離さないよ…。可愛そうに…寂しがりのあなたを一人ぼっちにして、 ごめんね…。」 残った仕事を片付けに勇吾が再び外出すると、オレは彼の部屋を散策して回った。 寝室と、書斎…リビング…後は、洗濯機と乾燥機が置かれた部屋…広めのシャワールームと、洗面所と、トイレ。 「桜二の住んでた六本木ヒルズの部屋より、少し小さい。」 ポツリとそう呟くと、時計を確認する。 夜の…９：４０ 向こうだと…朝の５：４０… 桜二にテレビ電話を掛けると、すぐに出た寝ぼけたままの彼の顔を見つめてクスクス笑って言った。 「勇吾の部屋に来たよ？桜二…桜二…今日は大変だったんだ！」 そう言って話始めたのは、真司君の襲撃と、それを格好良く撃退したオレの武勇伝だ。 「はぁ～！？」 寝ぼけながら桜二が大声で怒った声を出すと、隣の部屋から依冬が同じく寝ぼけた顔でやって来て、桜二から話を聞いて顔を青ざめさせて言った。 「なぁにしてんだよ！シロ、危ないだろ？勇吾さんなんて、一回刺されたら良いんだよ。刺される経験者として、桜二からも何か言ってよ！」 そう言われて、ボサボサの寝癖を手櫛で整えると、桜二がムスッと頬を膨らませて言った。 「シロ…もう、ダメだ！危ない事するなら帰っておいで！」 わぁ…桜二が怒った！ 眉間にしわを寄せた顔が…格好良くて、結構、好きだ。 距離があるせいか…余裕のオレは、ニヤニヤしながら愛しのふたりが怒っているのを眺めて言った。 「…みんな、オレの事を勇吾のママだって言うんだよ？酷いと思わない？オレは勇吾よりも年下なのにさ～。ふふっ！」 桜二の怒った顔を見つめながら、そっと画面越しに彼の頬を撫でると、ポロリと涙が落ちていく。 胸がキュンと苦しくなって、無性に彼に会いたくなって堪らなくなる。 「シロ…俺も、もうダメだよ…もう帰って来てよ…。せめて、いつ帰るか目標を頂戴よ…。桜二なんて、昨日見えないシロとお風呂に入ってて、怖かったんだよ？」 ぷぷっ！ それは…面白いじゃないか！ オレは涙を落としながらケラケラ笑うと、依冬をジト目で見つめる彼を見て、お腹を抱えて笑った。 「水鉄砲をひとりで掛けて、あはは…あははは…って薄気味悪く笑ってたんだ。怖いよ。シロ…もう、帰って来てよ！」 クゥ～ンと鳴き声をあげながらそう言うと、依冬はグシグシと目をこすった。 あぁ…依冬…可哀想に…寂しいんだね…？ オレもお前に会いたいよ… 可愛い笑顔を、すぐ傍で、見つめたいよ。 「勇吾は元気になった…もう、帰って来て？依冬がイライラして物を叩き付ける音が怖いんだ。昨日も思いきり何か叩きつけてた…」 「そんな事、してない。」 「していた…夜中の1時に何か叩きつけてた！」 「してない！」 ふたりの言い争いが始まる中、オレは腕を組んで考えた。 モモ達は思った以上に勘も良くて、踊りを考える想像力も豊かだった。 きっと、形になるまでそんなに時間は掛からないだろう…うん。 「4日頂戴？そしたら帰る。」 そんなオレの言葉に、依冬と桜二は項垂れながら言った。 「…４日？」 「勇吾はもっと長い時間をひとりで過ごして来たって言うのに…」 オレはそう言うと、桜二に兄ちゃんの写真を見せて貰って、心の中で兄ちゃんに言った。 “兄ちゃん…形だけだよ。寂しがりなあの人が安心出来るなら…良いだろ？” 画面越しの兄ちゃんは少し眉を下げると首を傾げて見せた。 そんな気がした。…ふふ。 憔悴しきった桜二と依冬と別れを告げると、電話を切ってスティービーワンダーを携帯から掛け流した。 ひとりでウキウキと踊る中、流れるのは…Signed,Sealed,Delevered！ 「ふふ…今頃、モモは店で踊ってる筈だ…良いな、オレも踊りた～い。」 体が鈍らない様に？ いいや、違うね。 楽しくって、体が勝手に踊っちゃうんだ。 桜二と依冬と離れて、寂しくって…すぐに死ぬと思った自分は、意外にもタフに環境に適応して行ってる。 そんな自分に、惚れ惚れするよ… オレも、まんざらじゃない！ 「フンフン！フン～ン！アイム、ユアーズ…ア～～～！」 声に出して歌いながら勇吾の部屋で踊っていると、ガチャリと玄関が開いてワインを持った彼が帰って来た！ 「勇吾～！」 オレはそう言うと彼に駆け寄って思いきり抱き付いた！ そんなオレをクルクル回す彼に、満面の笑顔を落として言った。 「勇吾、早く、結婚しよう！」 その後の展開なんて、想像通りとしか言い様がない。 喜んだ彼がオレを抱きしめて永遠の愛ってやつを誓って…キスをする。 そんなロマンチックで…ドラマチックな展開だ。 ストリップバーでプロポーズされた。 オレは良いよって言ったのに、彼は半信半疑だったのか、桜二と依冬を気にしているのか、あれ以来その話をしなかった。 だから、オレは自分から話して、彼に結婚する意思がある事を伝えた。 結婚なんて意味がない、そう思っていたけど…勇吾がそれで安心するなら、オレは全然しても構わなかった。 オレだって勇吾が大好きだもの。抵抗なんて何も無かった。 「あ～大変だ。シロが俺と結婚したら、桜ちゃんが俺に殺害予告をするよ？ふふっ！依冬君なんて、スワットを雇って俺を暗殺するかもしれない！ふふふ～！ねえ？シロ？勇ちゃんの扶養に入るの？うふふ、うふふふ、シロは勇ちゃんの物だ～！やった～～！あはははは～！」 大笑いしてワインをガブガブ飲む彼を見ながら、郵便の束の中に、彼に送った最後のはがきを見つけて手に取って差し出して言った。 「あ、これ、最後に送ったやつ…見て？」 「あぁ…ふふ…」 そう言ったきり、大人しくなった彼を見つめて、自分が書いた彼の自宅の住所を眺めながら、それを書いた時の気持ちを思い出した… とっても、心配だったんだよ… だから、今、目の前に彼がいる事が… 本当に、嬉しい。 次の日、 彼の車に乗って、美味しい朝ご飯を膝に乗せて、勇吾のオフィス兼スタジオへ向かう。 「勇吾？雪だ…！」 車の外に、チラチラと舞い落ちる雪を見てオレがそう言うと、彼は一緒になって窓の外を眺めて言った。 「これは、積もるかもしれないな…」 ほんと？ 「積もったら…雪だるま、作ろう？」 今まで一度も作ったことの無い…雪だるま。 勇吾はオレを見ると、にっこりと笑って言った。 「良いよ。勇ちゃんがシロの為に、一番、大きな雪だるまを作ってあげる！」 ふふっ！ すっかりいつもの様子に戻った彼に、嬉しいと思う気持ちと同時に、せっかく一緒にいられるのに、それが永遠に続かない事への悲しさを感じた。 「前から思ってたんだけど、この曲、ちょっと、テンポが分かんないね…？」 そう言って首を傾げるモモと、ダンサーの子達を見つめて、同じように首を傾げる。 今日もスタジオでは、ストリップダンサー１１名とオレで、音楽を聴いてる。 ただ、エンディングで踊る予定の、チャイコフスキーのバレエ曲…くるみ割り人形の”花のワルツ“で思わぬ事態に突入した。 「前の公演の時は言われた通りに動いたけど…どうしても分からないんだよね？シロ、このワルツの３拍子で、どうやって踊れば良いのか、分からないまま踊ってるんだ。」 そう言ってメインで踊る４人が顔を見合わせながら、ね～？って言ってる。 ３拍子…？ 「…別に、３拍子に合わせる必要はないよ。決めるポイントさえ押さえておけば…」 「分かんな～～い！」 オレの言葉を遮る様にそう言うとダンサーの子はジタバタと手足を暴れさせて…まるで、楓みたいだ。 困ったな… 典型的な３拍子の拍子が、こんなにも彼らを苦しいめると、思わなかった…！ オレはこの音楽で踊るのが好き。のびやかで華麗で、曲と動きがマッチしたオレの言う所の“ファンタジア効果”を発揮できる曲だと思ってる… でも、彼らはこの…ズン、チャッチャの３拍子が気になって仕方が無いみたいだ。 どうしてもリズムに意識が行ってしまうんだ。 オレは気にせず踊れて…彼らは拍子に惑わされる… オレと…彼らの違い…それは何だ？ ふと、思い立つと、心配そうに様子を見守るショーンに言った。 「…ねえ、みんなに、バレエの映像を見せてみようかな…？」 キャスター付きの大きな画面を、カラカラと音を出しながらショーンが運んでくる中、自分の持ってる“くるみ割り人形、花のワルツ”の動画を大きな画面で再生させる。 「うげっ！」 そんな拒絶反応も、想定内だよ？ バレエを知らない人が、初めて見た時感じる感想のトップ１０に入る反応だ。 でも、踊りをする人なら分かる筈。 バレリーナがどれだけマッチョか…すぐに分かって、開いた口が塞がらなくなる筈さ。 腕を組みながらじっと画面に映る優美な花のワルツを眺めると、背後に勇吾が来てその様子を一緒に眺めてる。 「シロたん…花のワルツをみんなに見せて、何してるの…？」 耳元で彼がそう言っても、オレは画面を見つめたまま相手にしない。 だって、ソリストがこれから凄いターンを連続で繰り出すんだもん。 見逃したくないだろ？ 「わぁ！すごい！」 そんな声をあげながらダンサーの子達がどよめき始める。 そうだろ？ こんな…不動にしない連続のターン…痺れるだろ？ 彼女たちはこれを涼しい顔をしながらやってのけるんだ。 どうだい？ 痺れて堪らないだろ？ エロくお客を魅了するストリッパーも、格式高く伝統を繋ぐバレエも、無茶な動きを平気な顔してこなして、華麗に魅せる事に変わりは無いんだ。 煙たがる事は無い。バレエともっと、仲良くしようじゃないか。 「勇吾が考えた構成の中に、ピタッと曲と動きを合わせる箇所がいくつかある。そのタイミングと、今、見せた動画のソリストがポーズをとるタイミングが、まったく同じだ。」 「へ～！見てて、何となく、そう思った！」 ふふっ！ オレはそう言ってワチャワチャするダンサーの子達を見ながら言った。 「この情景を頭の中に叩き込んで踊れば、3拍子なんてリズムに惑わされない。目の中に、情景を展開させて、一緒に踊るんだ。」 オレはそう言うと、ポールを掴んで体を持ち上げていく。 「ショーン、かけてよ。」 そう言って流してもらった曲は、もちろん…花のワルツ。 体を美しく回転させながら、フィギュアスケートの演舞の様に、残像を残して形を変えてスピンしていく… オレはバレエの情景を目の奥に浮かべながら、美しく体を反らして次々とポーズを決めていく。 「あぁ！シロ！綺麗～～！！」 「合わせるのは３拍子じゃない、この情景に合わせるんだ。」 そう言いながら体を高く持ち上げていくと、視線の先の勇吾と目が合った。 彼は…昔そうしたみたいに…瞳からボロボロと涙を落してオレを見つめてる… 馬鹿だな…なんで、泣くんだよ。 泣き虫の、へそ曲がりの、さみしんぼめ… 「シロ～～！ファンタスティック！」 ショーンが大喜びしてそう言うと、オレはにっこりと笑って体を反らしながら手を弓なりに伸ばしていく。 そう…最終的に花びらになってユラユラと揺れて…地面へと落ちていく…そんなイメージだ。 「ここからはバレリーナじゃない。もう…花びらになるんだ！」 オレはそう言うと、モモが満面の笑顔でオレに歓声を送る中、ポールを滑る様に落ちて地面へとふんわりと着地した。 「シローーー！素敵じゃないかーーー！」 そう言いながら次々と抱き付いてくるダンサーの子達にもみくちゃになると、オレを見下ろしてほほ笑む彼に聞いた。 「ねえ…こんなイメージで良いの？」 オレの問いかけに、彼は瞳を細めるとゆっくりと頷いて言った。 「その通りだ…完璧だよ…シロ。」 良かった。勇吾のイメージ通りだったみたいだ。 どうしてか…彼の求めるイメージがぴったり嵌るんだ… それは前から感じていた、不思議な感覚。 彼の見てるものがオレにも見えて…オレが見てるものが…彼にも見えてるみたいな…そんな不思議な感覚の共有…というか、同期？を感じてならない。 人はこれを”気が合う”とでも表現するんだろうか… 「じゃあ…こんなイメージを頭の中に描きながら、もう一回やってみようか？」 オレがそう言うと、我先にダンサーの子達がポールに上って踊り始める。 みんな…良い子なんだよ。 ただ、ちょっと口が悪いだけなんだ。 そう、オレと同じだ。ふふっ！ 「シロたん…？とっても綺麗だよ…。勇ちゃんはすっかり骨抜きだ…」 オレの背中に抱き付いてそう言うと、勇吾はクッタリと頬をオレの肩に乗せて甘え始める。 「うわ…」 みんながジロジロ見ても…ケインが馬鹿にしても、ショーンが話しかけても、勇吾はじっとオレの肩に頬を乗せて、ベタベタと甘える。 こんな彼と…離れる事が出来るんだろうか…