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第10話

「シロ?今日は、14:00からちょっとお出かけするから、覚えておいてね?」 彼のオフィス兼スタジオに入ると、勇吾がそう言ってオレにウインクした。 用事…? 「分かった。」 首を傾げながらそう言うと、スタジオに入ってダンサーの子たちに挨拶をする。 「おはよ~!」 彼らは妙によそよそしい顔をしてオレの挨拶に応えると、澄ました顔をしてストレッチを始めた。 なんだ? なんだか…様子がいつもと違うよ? 「シロ…おはよう。」 そう言ってヒロさんとモモが一緒にスタジオに入って来た。 あ… シンと鎮まったスタジオの中、ぎこちなく離れるふたりを見つめて… ダンサーの子達が思った事と、同じ事をオレも思った。 このふたり…出来てる。 しかも、朝一緒に来るなんて…これはもう…ヒロさんはモモに未知の領域を開発されたに違いない。 間違いない。絶対にそうだ。 「…おはよう、モモ。」 オレはニヤけた顔をしながらモモにそう言うと、ヒロさんを見つめて言った。 「おめでとう…ヒロさん。」 「えっ!何が!?何がなの?!」 分かり易く動揺する彼を見つめながら、スタジオに入って来たケインに言った。 「あのふたりはデキてる。」 彼はオレの頬を撫でるとうっとりと瞳を細めて言った。 「俺とシロも…デキてるよ?」 ふふっ!変な人! ストレッチを済ませると通し練習をしながらショーンと動線の確認をする。 「ここで…こっちに、はければ良いのか…」 そう言って頭を悩ませる彼の背中を見つめながら、頭の上を美しく回るモモたちを見上げて首を傾げる。 彼らは何だか様子がいつもと違って変なんだ。 「ヒロさんの事以外で、何か隠し事でもあるの?」 ポールから降りたモモにそう聞くと、彼は首を捩れる程曲げて、間抜けな顔をして言った。 「べ、べ、べ、別に~~!」 ふぅん… 何か隠し事をしてる事は分かった。 でも、それが練習に支障がないのなら、別に構わないさ。 「シロ!14:00だよ!行くよ!」 スタジオにオレを呼びに来た勇吾に手を引かれると、グイグイと進む彼に引っ張られてあっという間に車に乗せられる。 練習着のまま車に押し込められると、オレは勇吾を見て怒って言った。 「ちょっと待ってよ!こんな格好で来ちゃったじゃん!コートすら着てないのに、強引だぞ!」 オレの言葉に彼は首を傾げると、後部座席からオレのコートを取って言った。 「どうせ、着替えるんだから…関係無いんだよ。」 はぁ? 勇吾の運転する車が小さな教会の前に停まると、カメラを持った人がわらわらと集まって来た。 彼は運転席を降りると、助手席のドアを開いて、オレに両手を広げて言った。 「シロ、おいで?」 オレは首を傾げながら彼に抱き付くと、そのままお姫様抱っこされて教会の中まで連れて行かれる。 パシャパシャとこちらに向けてシャッターを切るカメラを構えた人たちを眺めて、首を傾げて勇吾に聞いた。 「…勇吾?あの人たちは誰?」 「え?カメラが趣味の一般人だよ。イギリスでは、ああいう真剣な顔をしてカメラを持つのが流行ってるんだ。」 勇吾はそう言うと、オレを教会の床に下ろして言った。 「さあ、お着換えタイムだよ。」 お着換え…? 何に? そう言って連れて行かれたのは教会の奥の一室… 壁にかけられた衣装を見て、開いた口が塞がらなくなった。 それは、真っ白で柔らかな…上等なオーダーメイドのタキシード。 あれ?昨日…採寸したばかりだったよね…? こんなに仕上がるのが早いとは、思わなかった… それにしても…上等なタキシードは真っ白に光り輝いて…見事の一言だった。 胸ポケットに入れられた水色のポケットチーフは、安っぽくないトロみを艶で感じさせて、真っ白なタキシードのアクセントになってる。 「わぁ!見て?こんなに綺麗な色のスーツ…見た事が無いよ?まるで…ふふっ!デンドロビウムみたいな透き通った青い白さを感じる。」 オレがそう言って手のひらでスーツを撫でていると、後ろでパンツ姿になった勇吾が言った。 「シロ、早く着替えて!他の人の結婚式の間に無理やり入れて貰ったんだ。だから、ほら、早く、支度して!」 「はぁ~?」 訳も分からず彼の勢いと一緒に着替えを済ませると、彼に襟を直して貰いながら聞いた。 「…結婚式をするの?」 「そうだよ。こっちでは役所に届けるか…こうやって教会で結婚式をして、やっと結婚が成立するんだ。」 勇吾はそう言うと、オレの髪を整えながら器用にキスをした。 「わぁ!良い香り!」 再び教会に戻ると、甘くて上品な花の香りが漂ってオレの鼻を掠めた。 「勇吾?とっても良い香りがする!」 オレと腕を組んで先を歩く彼にそう言うと、勇吾はニヤリと口端を上げて言った。 「…見てごらん?」 そう言って彼が指さした先には、教会の壁を埋め尽くすほど沢山飾られた…真っ白な花。 それは来た時には無かった…大量のデンドロビウムの花だった。 殺風景な小さな教会は、まるでデンドロビウムの花園の中に来てしまった様な錯覚さえ覚える、花に囲まれたデンドロビウムの香りでいっぱいの教会に変貌を遂げていた。 「素敵だ…」 オレの中の微かな乙女心が爆発して、目の前の勇吾があっという間に素敵な王子様に見え始める。 なんだ…これ… これが…結婚式? まるで異空間に来た様な…そんな気にさせてくれる。 オレと彼が主役の物語のフィナーレみたいだ… すっかり場の空気に飲まれて惚けると、勇吾のエスコートで教会の祭壇の前に連れて来られた。 デンドロビウムの花同様、いつの間にか現れた彼の会社のスタッフや、ダンサーの子達が、教会の椅子を埋め尽くして笑顔をオレ達に向けた。 まるで…舞台の場面展開だ。 あっという間に場面が切り替わって、役者が大急ぎで配置されるんだ。 祭壇の脇には、ショーンとケインが色のついたタキシードを着て立っている。 髪を手櫛で後ろに流しながら、息を切らして涼しい顔を決め込んでる。 きっとみんなで壁一面のデンドロビウムを急いで飾ったんだ。 ふふっ! 素敵な演出だ! 前を見つめて、胸を張って、タキシードのボタンを直す勇吾を見つめて、王子様のような凛々しい彼にうっとりしていると、祭壇の前に神父がやって来てオレと勇吾を交互に見た。 英語で話す神父を眺めながら、彼が話してる途中なのに神父の手元の書類にそれぞれサインを記入するショーンとケインを見て吹き出して笑う。 「あふふっ!喋ってる途中なのに…!」 「時間が押してる…」 凛と胸を張ったまま勇吾はそう言うと、オレを横目に見て頬を赤くした。 え…赤くなってるの? 可愛い… なんて可愛くて、素敵な王子様なんだろう。 兄ちゃん…オレは異国の王子と結婚します。 これでふたつの国に永遠の平和が訪れるでしょう。 目の前に小さなクッションに乗ったリングが差し出されると、勇吾がオレの左手を取って、薬指にリングを差した。 「あぁ、ピッタリだね?」 オレがそう言うと、勇吾はオレの手に自分用の指輪を持たせて自分の左手を差し出して言った。 「シロ、俺の手に嵌めて?」 ふふっ! 彼の左手を手のひらに乗せると、彼の薬指に指輪を通した。 「ふふ、こっちもピッタリだね?」 オレがそう言って顔を上げると、彼がチュッとキスして言った。 「俺達は結婚した。本当に結婚した正真正銘の夫婦だよ。ダーリン。」 「わあ…凄い…嬉しいよ。」 陽介の結婚式と違う。長ったらしい登場もしなければ、長ったらしい演出も無い。 簡略化されてるけど見せ場を持った、良い結婚式だ! モモから渡された白いブーケを片手に持つと、素敵な勇吾と腕を組んでバージンロードを歩いて教会の出口へと向かう。 「勇吾…とっても素敵な結婚式だね…」 隣の彼を見つめてそう言うと、彼は嬉しそうにほほ笑んで言った。 「良かった…シロが気に入ってくれて、嬉しいよ。」 素敵だよ。 本当に…王子様みたいだ。 …まさか彼と結婚するとは思わなかった。 お店で会った時の事を覚えてる? あなたが現れた瞬間…あまりの美しさにオレは体が固まったんだよ? 桜二と仲良くする様子に…彼を取られるんじゃないかと戦々恐々としたんだ。 教会の外へ出ると、勇吾の会社のスタッフが長い棒を駆使して、オレと彼の頭の上に桜の花びらを散らした。 結婚式恒例のブーケトスを済ませて、壮絶な女の戦いを引きつった笑顔で見届けると、カメラが趣味な一般人に話しかけられる勇吾を置いて、地面に落ちた桜の花びらをかき集める。 「モモ~!」 そう言ってあの子の頭の上に放り投げると、チラチラと舞い落ちる薄ピンクの花びらを一緒に見上げて眺める。 「あぁ、これで、勇吾のぼんくらが少しはまともになってくれるね?」 モモの隣で、そう言って通訳をしてくれるヒロさんを見つめた。 うっとりと瞳を色付けてモモを見つめるヒロさんに、勇吾の優しい瞳が重なって見えてる。 勇吾も…オレをそんな目で見てくれるんだ。 いいや…勇吾の方が、もっと熱っぽくて、もっと情熱的で、もっと恰好良い。 彼が…1番素敵だ。 水色の青空を見上げて両手を高く上げると、舞い落ちる桜の花びらと一緒に手のひらをユラユラと揺らして桜を舞わせた。 「あぁ…!勇吾~!見て~!」 それがとっても綺麗だったから、綺麗な物が大好きな彼に見せてあげたくて、そう言った。 「あぁ…とっても素敵だね…」 そう言ってオレを後ろから抱きしめると、彼はオレの頬にキスをして言った。 「俺のシロ…愛してるよ。」 ふふっ! 首をのけ反らせて彼を見つめると、そっと彼の頬を撫でながら、彼の唇にねっとりと舌を這わせて言った。 「知ってる…」 「ふふ…可愛い」 兄ちゃん、オレは勇吾と結婚した。 乙女心が爆発しちゃう…とっても素敵な結婚式を挙げて貰ったんだ。 兄ちゃんにも、見せてあげたかったな… いいや、兄ちゃんは多分、呼んでも、来ないだろうな。 ふふ… カメラが好きなイギリス人に沢山写真を撮って貰うと、勇吾と一緒に白いタキシード姿のまま彼のオフィス兼スタジオへと車で戻った。 「あっという間だったけど、とっても素敵な結婚式だったね?」 オレがそう言うと、運転席の王子様が言った。 「シロ?いつ、桜ちゃんと依冬君に言うの?」 あ~…、はは! オレは首を傾げると、自分の左手の薬指に嵌められた指輪を撫でながら言った。 「…わざわざ、言う必要はないでしょ?」 「あ~、それは後々のトラブルの元になるよ?」 「じゃあ…勇吾から言ってよ。」 「え…」 手の甲を目の前に持って来て、滑らかに光る美しい指輪を眺めていると、勇吾が言った。 「あなたの小鳥になりたい…」 ふふ…知ってる。これはロミオが言った言葉だ。 「私もあなたを小鳥にしてしまいたい…でも、きっと抱きしめて…殺してしまうわ。」 オレがそう言うと、彼はクスクス笑いながら涙を落した。 「ミセス…ご飯をどうぞ!」 勇吾のオフィスに戻って服を着替えると、ショーンがそう言ってオレに美味しそうな食べ物を献上した。 「ほほほ!これは…美味しそうなチキンだ!」 勇吾のオフィスでケインに見守られながらチキンを食べると、携帯電話を見つめていたケインが大笑いしながら言った。 「見て?シロ。演出家の勇吾氏、東京のクレイジーボーイと結婚!って記事が載ってる!あはは!あ~はっはっは!」 はぁ!? 英語なんて読めない。 だけど、ケインが差し出した携帯電話の画面に映ったオレと勇吾の写真を見たら、あの時のカメラ好きのイギリス人が、一般人じゃない事くらいすぐに気が付いた。 あぁ…オレが言う前に…どうか、依冬の目に届きません様に…! 「ふん…」 「なになに…夜のストリップバーでプロポーズをして…来店していた客や店員に祝福を受けると、勇吾氏はすぐに東京のクレイジーボーイと結婚式をした。破天荒かつ異端児であった彼はとうとう、本当の特別を手に入れたのかもしれない。だって!あ~はっはっは!この記者は冴えてるな。」 そう言って笑うケインを横目に、とぼけた顔をしながら書類を整理する勇吾をジト目で見て言った。 「ハニー?オレのナイトに話を付けておいてね?」 「んぐっ!」 動揺して机の上の書類をバサバサと落とした勇吾を無視して、オレにチキンを切り分けてくれるケインとショーンを見つめて言った。 「ダンサーの子達は通し練習が出来るまでになった。オレがいなくなった後、早めにオーケストラの代表みたいな人に彼らの踊りを見せた方が良いよ。そして、彼らにもオーケストラの演奏を生で聴かせてあげるんだ。」 「どうして?」 首を傾げるショーンを見ると、チキンを口に放り込みながら言った。 「空港で…面白い子に会ったんだ。その子が言うには…オーケストラの生演奏は、体を持って行かれるそうだ。ふふ!体中が痺れるポールダンスと…体が持って行かれるオーケストラの生演奏。これらがぴったり合ったら…最高だ!だけど、この凸凹がうまく合うように綿密な準備が必要だ。それにはまず、お互いを知らないとね?」 オレはそう言うと、勇吾のデスクから要らない紙を1枚貰って、再び彼らの元に座って言った。 「これはオレの極秘情報だよ?夫の勇吾の会社だから、特別に教えてあげる。」 そう言って紙に書いていくのは、ダンサーの子達がこれからやった方が良い事… まるで、楓に渡した“チップの受け取り方”リストの様に、智に渡した“簡単なポールの回り方”メモの様に…彼らにもオレの極秘情報を教えてあげる。 「ふふ…シロは意外にタクティカルだな…。感覚的に見える君にも、行動の理屈があるんだ。」 ショーンはそう言って驚いた様に目を丸くすると、勇吾を振り返って彼に言った。 「後で、コンマスに連絡を取っておくよ。」 オレの話を聞いていたのか、勇吾はコクリと頷くと書類を封筒に入れながら言った。 「シロは賢いんだ。俺はこの子の可愛さだけに惹かれた訳じゃない。こういうシビアで職人のようにストイックな所も…とっても魅力的で好きなんだ。」 勇吾… 止めろよ…キュン死するだろ… もう…もう…恥ずかしいじゃないか…! 書き上げたリストの隅に、照れ隠しに可愛いうさぎの絵を描くとキラキラの星をまわりに描いた。 「ぶほっ!何これ…」 あまりの可愛いうさぎに吹き出して笑ったケインに、穏やかな表情で教えてあげた。 「これは…ラビットだよ?キュートなラビットだ…!スターがキラキラして…可愛いだろ?ふふっ!勇吾みたいだ。」 オレはそう言うと、ウサギの絵の下に“勇吾”と書いて笑った。 「グフッ!」 わざわざ覗きに来た勇吾が、恥ずかしくってそう笑った声を聞きながら、出来上がったリストをケインに渡して言った。 「3月に公演を見に来るから、あの子たちを最後まで…よろしくね!」 後ろ髪を引かれない訳じゃない。 短い時間だったけど、ダンサーの子達と一緒にいる間、オレはポールダンスに夢中になる事が出来た。桜二と依冬に会えない寂しさを、彼らと過ごす事で…疲れと共に紛らわせる事が出来た。 日本とイギリスのストリッパー。 どちらかというと、イギリスの子達の方が…アグレッシブで技術への向上心が強かった。彼らの持つ“プロ意識”は、オレの心にも火をつける。 もっと美しく魅せる様に、もっと無重力を感じさせる様に、もっと彼のイメージに近付く様に…次から次へと目標が増えて行くんだ。 公演まで一緒に完成させたかった。 それがオレの本音だよ。 でも、3月まで帰らない訳に行かない。 だって、今度は桜二と依冬がおかしくなり始めてるんだ。 「勇吾?初めてのイギリスは、とっても楽しかったよ…」 彼がデスクで頭を抱えて考え事をしている中、ポツリとそう言うと、彼のオフィスの窓から外を見下ろした。 街行く人をじっと見つめて、彼らの日常を眺めて、これがオレの日常になったら、どんなに素敵か…思いを馳せる。 楽しかったな… もっと、彼の傍に居たかった… 勇吾の公演に短期間でも携われて…光栄だった。 「さてと!どうなったか見に行ってみよ~う!」 そう言うと、両手を上に上げて右に左に体を動かしながら彼のオフィスを出て、スタジオへと向かった。 勇吾のオフィスには、いつの間にか広まった彼の結婚をお祝いするお花が沢山届けられていて、ちょっとした花屋の様になっていた。 「ミセス…この花…どうします?」 そう聞いて来るスタッフの子にオレは肩をすぼめて答えた。 「東京のオレの自宅に送って?」 あと2日で帰るというのに、今日も、のんびりとモモやダンサーの子達の美しいポールダンスを下から眺める。 さっき結婚式を挙げたのに、みんなも一緒になってお祝いしたのに、練習が始まったスタジオは独特な緊張感を保って、心地よかった。 「俺と不倫してみようよ…」 仰向けに寝転がってストレッチするオレに覆い被さって、ケインがそう言った。 この人が誰かに似てるって思ってた。 ちょっと薄味にした…桜二だ。 彼に似てる。 という事は、つまり、ちょっと薄味の兄ちゃんだ。ふふっ! オレはね、もっと濃いのじゃないとダメなんだ。 薄味じゃあ、オレの心はビビッとこないよ? トロっとトロみが出るくらい濃くって、濃厚な、咽るくらいの兄ちゃんじゃないと… 「やだよ~!」 そう言って笑うと、ケインの骨盤に足を置いて思いきり上に持ち上げた。 「ああ~!」 そう言ってふざける彼を下から笑いながら見つめて、ケインを乗せた足をグラグラ揺らしながら言った。 「ほらっ!飛ばしてやるぞ~~!」 「危ない!シロ!」 ショーンに怒られて、ビビったケインを床に下ろしてあげると、ショーンが熱心に話し出す動線の話を適当に相槌を打って聞く。 そんな風に過ごして、今日が終わって… 明日がまたやってくる。 「あはは…夏子さん、ふふっ!ダメだよ。桜二には…まだ言って無いんだ。」 勇吾の部屋に戻ると、彼に掛かってきた夏子さんの電話を代わって、驚いてシャウトしまくる彼女の声を聞きながらそう言った。 「ど、どうすんのよ。シロ坊…。あんた、また、とんでもない爆弾をこさえたわね…。あたし、知~らない!」 ふふっ! さすが同じ業界の人…話が広がるのが早いね。 教えてもいないのに、あっという間にフランスの夏子さんの耳に、オレと勇吾の結婚の話が届いた様だ… オレを見つめてワインを飲む勇吾を眺めながら、彼女の話題の矛先を変えようと試行錯誤する。 「夏子さん?勇吾の3月の公演ね、オレがダンスの指導をしたんだよ?ねえ、見に来てよ。見に来て感想を教えて?公演を観にまたイギリスに来る予定なんだ。だから、その時、一緒にご飯でも食べに行こうよ?」 オレがそう言うと、電話口の夏子さんはブフブフ変な声で笑いながら言った。 「予定が合えば行くわよ。…あたしはそんな事よりも、桜二とビースト君の反応が知りたいのよ!東京に戻ったら、すぐに連絡して!」 あぁ…彼女の関心はそこなんだ。そこ意外…どうでも良いんだ。 「…うぅ…分かったよ。」 諦めてそう言うと、勇吾に電話を代わって彼が手に持っていたワインをガブガブ飲んだ。 怒ったりしない。 桜二と依冬の結婚観は知ってる。 陽介が早々に離婚した時、リビングのソファで言ってたもん。 「あはは!だから言ったんだ。結婚なんてしても意味が無いってさ!俺は絶対に結婚なんてしない。結婚なんて、負担と責任と、ストレスしか生まないね。」 桜二はそう言って鼻で笑ってた。 「結婚?同性婚が出来ないんだもの、どうでも良いよ。そんな形式に拘るくらいなら…弁護士に頼んで、財産を残した方が良い。」 と、依冬は眉をひそめながら言ってた。 だから、オレが結婚したって…怒ったりしない。 「ねえ?勇吾。お土産に何を買っていこうかな?」 オレがテイクアウトの箱を突いてそう聞くと、彼はワインを飲みながら、胸ポケットから2枚の紙を出してオレに差し出して言った。 「ロイヤルバレエの公演、明日見に行こう?」 え…? 「キャ~~~~!!」 大喜びしてチケットを受け取ると、ソファの上にダイビングして暴れた! ロイヤルバレエの!公演!! 「キャ~~~~!!」 チケットを胸にあてて大喜びすると、オレを覗き込んでほほ笑む彼に飛びついた。 「勇吾~~~!嬉しい!やった~~~!」 こんな素敵なプレゼント、最高じゃないか! 生のバレリーナを見られるってだけで、さっきまでの憂鬱な気持ちなんて吹っ飛んでいく。 「眠れる森の美女だよ…」 オレを抱きしめながら勇吾がそう言って、興奮して跳ねるオレの体を優しく撫でて落ち着かせる。 「ふふっ!嬉しい!嬉しい!あ~~!楽しみだ!!」 満面の笑顔で彼を見上げてそう言うと、オレを見下ろす優しい彼の瞳と目が合う。 この人は、オレが何が好きか…良く知ってる。 「眠れる森の美女だったら…リラの精と、赤ずきんちゃんが好き…。カラボスも好き…」 彼の胸に頬を付けてうっとりとそう言うと、頭の中に”眠れる森の美女”が流れ始めて目をつむると、情景が頭の中で再現される。 ”眠れる森の美女”を鼻歌で歌いながら彼の腕の中で体を揺らすと、まるでチークダンスを踊るみたいに彼がオレをリードして一緒に踊り始める。 ふふ… こんな風に出来るの…この人だけ。 「何時から?」 優しく瞳を細める彼を見つめてそう聞くと、彼はチケットを眺めて言った。 「6時…開演。」 あぁ…!最高だ! 「興奮して、さっきみたいに叫ばないんだよ?」 そんな事前注意を受けて、彼の胸に顔を付けてクスクス笑うと言った。 「はぁい…」 ピピピピ あと、1日… 重たい瞼を持ち上げると、いつもの様に半開きの瞳の美しい男と目が合った。 「6時…開演…」 「ふふ、おはよう…シロ。」 オレの頭の中は”眠れる森の美女”でいっぱいだ… 勇吾と恒例の朝セックスをしても…ふとした瞬間に目の中に情景が浮かんでくるんだ。 「シロ…!勇ちゃんともっとまじめにセックスしてよ!」 どういうことだよ。 ムスッと頬を膨らませる勇吾を見つめて首を傾げると、ニコニコ笑って言った。 「真面目にしてるよ?ねえ?勇吾、この席は…オペラグラスが要る?要らない?」 枕元に置いたチケットを手に取って裸の彼に聞くと、勇吾は首を傾げて言った。 「あぁ…もう、こんな風に勇ちゃんとのセックスをおざなりにするなら…行くの止めようかな…チケットポイって捨てちゃおうかな…」 …はぁ?! 「だぁめ!」 眉毛を下げてそう言うと、心を入れ替えて…全身全霊の思いと共に彼とセックスした。 「…ね?シロは真面目にやってるでしょ?」 両腕の中に包み込んだ勇吾を見つめて、快感にうっとりと酔いながらそう言った。 「あぁ…気持ちい…イッちゃいそう…!」 そう言って首を伸ばす彼の唇を、熱心に食んで舌を入れて絡めていく。 「あぁ…勇吾、オペラグラスは?要るの?要らないの?」 腰を激しく動かしながらそう聞くと、彼は苦笑いしながら言った。 「…要らない!あっああ…イキそう…シロ、シロ…!!」 やった!やった! 肉眼で見られる距離なんて…! そんなの大好きなKPOPアイドルのコンサートよりも…ずっとずっとずっとずっと、レアな座席じゃないか!! 「あぁ…!勇吾…!イッちやう、イッちやう…!止まんないで…!もっと来て!もっと来てよ…!はぁはぁ…あっああん!!」 彼の膝の上で激しくイクとオレの中でドクンと果てる彼のイキ顔を惚けた瞳で見つめる。 「かわい…あぁ、勇吾可愛い…」 トロけたままそう言うと、オレの中でドクドクと震えながら精液を吐き出す彼を感じながら、目の前でフルフル震えるカワイ子ちゃんに卑猥で下品なキスをする。 舌で何度も彼の舌を舐めて、よだれと一緒に彼の舌を飲み込んでいく。 今日も…オレと勇吾は…絶好調の様だ。 「見て?これなんだと思う?」 オレはそう言うと、忙しく働くショーンを呼び止めて“赤ずきん”のポーズをして見せた。 「…さあね…」 つれない態度のショーンの後ろを付いて行くと、彼がオレを振り返る度に赤ずきんのポーズをとって見せた。 「もう…一節、踊って見せてよ。」 観念したショーンがそう言ってオレを見下ろしたから、にっこりと笑いながら“眠れる森”の“赤ずきん”を踊り始めた。 「ふふ!何でこれを踊ってるでしょうか?」 そう言って伸ばした指先でショーンの鼻をチョンチョンと叩くと、目の前で横に振って言った。 「オオカミして?」 「嫌だよ…そもそも、なにを踊ってるのかさえ分からない。」 なぁんだ! ショーンてつまらない男。 男らしくて、堅実で、愉快、礼儀正しくて、ノリが普通… オレはもっとふざけた人が好き! 「ケイン!オオカミして~!」 そう言って通りがかったケインに”赤ずきん“の踊りを見せると、彼はすぐにオレをリフトして連れて行く… こういうのが、大好き! 「あ~ははは!ねえ?どうしてこれを踊ってるか知ってる?」 オレがそう聞くと、上に持ち上げたオレをズルズルと体に沿わせて下ろしながらケインが言った。 「ノー…」 「そ、れ、は、ネ…!今日、ロイヤルバレエの”眠れる森の美女”を見に行くからだよ~~!」 そう言ってケインの上で片手を伸ばして大きく振りかぶると、オレの遠心力につられて彼がよろけた。 「こら~!ぶれるなよ!ケイン!」 理不尽にそう言って怒ると、口を尖らせて不満顔をするケインにスタジオまで運ばれる。 「このバレエオタクを働かせて!」 そう言って放り込まれたスタジオで、モモとヒロさんがいちゃつく中… 頭の中に出来上がった情景が素敵で…指先に振れたポールに手を掛けると、勢いを付けながらバク宙する様に体を持ち上げていった。 「わぁ!サマーソルトだ!」 ふふっ! “眠れる森の美女”で登場するリラの精は、針で刺しても死なないって言った。 眠るだけだって…言ったんだ。 ふふ…彼女のジェスチャーもバリエーションも大好きだ。 そして、勇吾が構成したポールダンスも…大好き。 でも…だんだん物足りなくなってくるんだ…こう、ガツンと来るような…そんなパンチのある物が欲しい。 エキサイティングで…驚いて、息を飲むような…そんな刺激が、欲しい! 頭の中に出来上がったクラシカルで上品な情景を、ぶち壊して行く様に、派手で乱暴な踊りと合わせていく。 「よっ!」 勢いを付けて体を持ち上げていくと、天井に足を付けて下を見下ろした。 「良い子はマネしちゃダメだよ~?」 そんな注意だって忘れない。 だって…俺よりも年下のダンサーの子が見てるんだもの。真似して怪我したら…大変だろ?公演前の大事な時期なんだ。 「シロ~~!ノ~~!」 オレを見上げてそう言って笑うケインを見つめる。 ノーなんて言ったって…お前は、もっとやれ!って思ってんだろ! 「いっくよ~~!」 そう言って天井を踏みしめて走ると、ガンガンとポールを揺らしながら、思いきり体を振って滑り落ちていく。 「フォーーーー!!」 一気にスタジオの雰囲気を、暴れん坊なオレのステージに変えていく! キリの良い所で膝の裏にポールを挟むと、勢いをそのままに体を仰け反らせて上に着たTシャツをゆっくりと捲っていく。 「シローー!」 ドンドン集まってくるお客…いや、スタッフに笑顔を振りまいて、頭の中の“眠れる森の美女”をリスペクトファックしていく。 尊敬しながら、凌辱して行くって言うオレの造語だよ?ふふ…! ポールに膝を固定すると、リラの精のジェスチャーをしながら、組んだ両手を頬に当てて体を横に倒して “寝るだけ~”のジェスチャーと共に、真っ逆さまに落ちていく。 「オ~~~!シット!」 そんな汚い言葉を…オレは聞かないよ? すぐさま腕にポールを絡めると、派手に片足をあげてポーズを取った! 「バカヤロ~~~!」 そんな日本語!誰が教えたんだよ! 知らないうちに、勇吾の会社のスタッフは要らない日本語ばっかり覚えて、得意げに話すんだ。 「タマゴヤキ~~~!ヤダヤダ!フォ~~~!」 ほらね?最低だろ? こんなんじゃあ…盛り上がった気持ちが、萎えちゃう! 両手でポールを掴んで足を離すと、もじもじと足を動かしながら既に半分下げたスウェットを脱ぎ捨てて、パンツ1枚になった! 「タンデン~~~!キアイイレロ~~~!」 ははっ! 笑わせんなよ…オレの丹田にはいつも気合が入ってる。むしろ、気合しかない! 「よっ!」 そう言って体を逆さに向けると、ポールを太ももでがっちり挟んだ。 体を仰け反らせて、もっこりする股間をアピールする事も忘れないよ? 「キャーーーー!」 良いね。 女性の黄色い声は万国共通、興奮する! 「チップ、シルブプレ!」 大きな声でそう言うと、逆さになって太ももに挟んだポールを、一気に離して真っ逆さまに落ちていく。 「ノーーー!」 あははは!! イエスだ! 見事に太ももで挟み直すと、体を持ち上げて華麗にスピンしていく。 視線の先に…怒った顔の勇吾が見えても…オレは止まらない! だって夕方のバレエが楽しみ過ぎて、体がワクワクして止まらないんだ! 「はい。お終い。」 オレの脱ぎ捨てた服を拾い集めると、腕にかけながら勇吾が手を伸ばして来た。 「ん~~!だって、楽しみなんだ~~!」 オレはそう言うと勇吾に両手を伸ばして、クッタリ抱き付いて、頬ずりしてキスをした。 「ここで始めるなよ…!」 そんなショーンの声を聞きながら、オレに服を着せる勇吾を見つめた。 「ねえ?何時に行く?」 オレがそう言うと、彼はオレのスウェットを履かせながら言った。 「5時に一度家に帰って…着替えてから行く。」 ほうほう!ほうほう! 「ねえ?楽しいかな?楽しくないかな?」 オレがそう聞くと、彼はオレにTシャツを着せながら言った。 「好きなら楽しいだろうね~…」 ふふっ! 「大好き!」 「ふふ…」 動画でしか見たことの無い”眠れる森の美女”を…舞台で、しかも…あの、ロイヤルバレエの公演で観られるなんて…!! 「楽しみ過ぎて、死んじゃうよ~~!」 そう言って暴れるオレを抱き抱えると、勇吾はそのまま自分のオフィスへと運んでいく。そして、オレをソファの上に乗せると、デスクに戻って黙々と仕事を始めた。 「あぁ…楽しみだな~。楽しみだ。どんな舞台なんだろう…!プリンシパルはどんなに上手なんだろう?オレが気になってるのは、赤ずきんの衣装だよ?安っぽいのは嫌だ。ビロードの上等なケープを被せてあげて欲しい。オオカミの被り物も大事だ。あんまり変なのだと、わらけちゃうからね?」 ソファに寝転がって天井に向かってぶつぶつ話していると、勇吾が一冊のパンフレットをオレのお腹の上に置いて言った。 「日本語で書かれてる…読んでたら良い。」 そう言うと、手元の書類を見ながら再びデスクへと戻って行く彼の背中を見送った。 「どれどれ~?」 そう言って中身を見始める。 それは今回見に行く“眠れる森の美女”のパンフレット! すっかり大人しくなったオレは、彼のくれたパンフレットを何度も何度も読み返した。 「シロ?明日が最後?」 勇吾のオフィスの中、パンフレットに夢中なオレのお腹に顔を乗せると、モモが寂しそうにそう言った。 「…そうだよ?寂しいの?」 彼の髪を撫でながら首を傾げてそう聞くと、モモはグスンと涙を落として言った。 「シロが…好きなんだ…」 ふふ… 「嬉しい…。モモはとっても頑張り屋さんだからね…勇吾がポンコツになって、大変だったよね。でも、踏ん張って…耐えた。とっても、お利口さんじゃないか。」 オレがそう言うと、オレの言葉を訳しながらヒロさんがグスグスと泣き始める… 「シロ…行かないでよ…」 そう言ってオレのお腹に顔を擦り付けると、オレの左手を持ち上げて言った。 「勇吾を置いてくの?」 ふふ…可愛い… オレはモモの頬をナデナデすると、にっこりと笑いながら彼の頬を掠めて、唇にチュッとキスして言った。 「置いてかない。出かけるだけだ。また、戻ってくる。」 そう言うと、思い立ったように立ち上がって、勇吾に言った。 「置いてく、ない、出かけるだけ~!」 「ぶふっ!」 それは…”眠れる森の美女”でリラの精が踊るジェスチャーのパロディだ。 本家はジェスチャーでこう言う。“針、刺す、死ぬ、ない、寝る”だけ… 肩を揺らして顔を伏せて笑う勇吾は、このギャグが気に入ったみたいだ。 「ばか!」 そう言うと、怒ったモモとヒロさんがオフィスを出て行った… 「秀逸なのに…振り切りすぎててモモには、まだ、早かったみたいだ…」 ポツリとそう言うと、再びパンフレットを読み始めた。 そう…置いて行くんじゃない。桜二と依冬と別れた時の様に…ちょっと買い物に行くような感覚で、出かけるだけ…。 「シロ、行くよ。」 待ちに待ったお声を聞いて体を起こすと、勇吾と手を繋いでコートを掛けて貰う。 「ちょっと行ってくるよ。」 勇吾がショーンにそう言うと、すっかり興奮の下がったオレを見て、手を振って言った。 「楽しんでおいで!」 ふふ!もちろんだ。 彼の家に戻ると、一回エッチをしてからシャワーを浴びて服を着替えた。 「ちょっと…大きいかもしれない。」 勇吾がそう言いながらオレのシャツのボタンを留めて行くのを見つめて、すぐに垂れ下がる彼の前髪を、何度も手のひらで上に上げた。 「キスして…?」 そう言って彼に唇を突き出すと、チュッと優しいキスを貰って口元を緩めて笑う。 ちょっと…? いいや、彼の服は大分、大きかった。 シャツを中にしまうと、オーバーサイズ感が満載のスラックスを太いベルトで留めて、長い裾はあえて2回ほど折って穿いた。 ジャケットは着ない。その代わりに可愛いベストを着せてもらった。 「韓国ではこんな風にくるぶしが出るズボンを穿く時は、赤い靴下を履いてMJをリスペクトするんだ。」 そんな、でたらめを勇吾に言うと、彼は自分のネクタイを締めながら言った。 「…そうなの。」 嘘に決まってる。 依冬の高いコートを上に羽織ると、再び勇吾と一緒に手を繋いで車へと向かった。 「わあ…パルテノン神殿だ…!」 それは昔アニメで観た…星座の属性を持つ男子が戦っていた舞台によく似た造形の建物…ロイヤル・オペラ・ハウス… ロイヤルバレエの…劇場だ…!! 体が弾むオレを見下ろすと、勇吾は眉を下げて言った。 「叫んじゃダメだよ?ここからは、シロはお利口さんのシロになるんだ。そうだろ?」 そう。お利口さんしか入れない…格式高い劇場だ。 「うちの娘はまだ5歳なのに…とってもお利口さんだから、ロイヤル・オペラ・ハウスに入場を許可されたんですよ?」 そんな自慢話をしていた常連客の奥さんを思い出す。 オレだって…お利口さんだい。5歳児に負けて堪るか。 「もちろん…叫んだりしない。」 オレはそう言って微笑むと、彼と組んだ腕にグッと力を込めた。 「ミスター…」 勇吾が誰かに呼び止められる中、オレは劇場のエントランスを見上げて息を飲んだ。 「すごい…ゴージャスだ…」 こんな煌びやかな世界が…あるんだ。 派手な訳じゃない、ギラギラしてる訳じゃない、それなのに…漂う高級感に…すっかり飲み込まれた。 「勇吾…早く、行こうよ…!」 そう言って彼の腕を引っ張ると、彼は誰かとのおしゃべりをやめてやっと歩き始めた。 「ねえ?どこの席?どこの席?」 桜二がくれたブレスレットに付いた蹄鉄、まさしくそんな形をしてステージを囲む様に設計された劇場の客席… オレと勇吾は2階席の丁度ステージの真ん前の席に腰かけた。 「あ…」 正面からステージを見て…あの時の光景がよみがえる。 約1年前…公演を控えた彼が、オレに送った動画に映った赤いドレープのカーテンが…目の前に見えて固まった。 あぁ…あの時、ストリップ公演をしたのは、この劇場だったのか… なる程ね… 「ふふ…勇吾のストリップ公演はここだった…だから、真司君が必要だった…。彼はロイヤルバレエのプリンシパルだからね、彼を技術指導に組み込む事で…ウインウインな宣伝効果を謳って…この場所を使い易くした。はぁ、最低だな…」 オレがポツリとそう言うと、彼はオレの背中を撫でて言った。 「…素敵だろ?」 彼の頭の中は…舞台とそれに関わる事しかないんだ。 この人の愛は…オレにしか向かない。 誰の物にもならないオレの様な、危なくて…取扱注意な物件にしか、興味が沸かないんだ。 客席がどんどん埋まって行くと、ステージの真下でゴソゴソと人影が動き始めた。オーケストラがスタンバイを始めたんだ。 「生演奏で…バレエ…」 胸に手を当てると、まだ開かないステージの赤いカーテンを見つめながら、これから展開される素敵な時間を想像して…首を振って言った。 「素敵だ…!」 照明が暗くなって…ステージのカーテンが開くと…目の前に現れた美しい舞台にクラクラして倒れそうになる。 すぐに感極まって目からボタボタと涙が零れて、オレの視界を歪めて観劇の邪魔をする。 「ほら…泣いてたら、見れないよ。」 そう言ってオレに良い匂いのハンカチを手渡すと、オレの顔を覗き込んで勇吾が言った。 「可愛い…ずっと見たかったの?」 「…うん。うん。」 16歳になったオーロラ姫がカラボスの呪い通り、糸車の針を手に刺して、100年の眠りについてしまった… 美しいリラの精のブレないターンに息を飲んで、体中に鳥肌が立っていく… 「泣かないの…」 隣でそう言われても…素敵すぎて、胸がずっと震えるんだ。 目覚めたオーロラ姫が王子と踊るパ・ド・ドゥがあまりに美しすぎて、オレは涙が止まらない。 こんなに極まってしまうのは…きっと音楽のせいだ。 オーケストラと…バレエが、ファンタジア効果を生み出してるからだ。 前のめりに観劇するオレの手を、隣に座った彼がギュッと握って、優しく指で撫でた。 オレのお気に入り…赤ずきんが登場して、オオカミと追いかけっこをすると、担がれて袖まで退けて行った。 「ふふ…!可愛い…」 笑った目からぽろぽろ落ちていく涙を拭くのが、もう…面倒だよ。それくらい…止まらないんだ。 こんなに素敵な世界があるだなんて… 北斗君が言っていた“体を持って行かれる”感覚は分からないけど…オレは心を持って行かれたよ。 「うっうう…勇吾…勇吾…!とっても、とっても良かったぁ…!うう…うっ…」 公演が終わって他のお客さんが退席する間、オレは止まらなくなった涙を止める落としどころを探していた。 勇吾は感動に震えるオレの体を両手で抱きしめて、優しくナデナデしながら言った。 「…可愛い。離したくないよ。」 「3月の公演でも、あんなに泣くの?」 車へ向かう帰り道、勇吾がオレを見下ろしてそう聞いて来た。 組んだ彼の腕に頬を預けると、暗くなった街をぼんやりと見つめながら言った。 「多分…もっと、泣く。」 「じゃあ…2回は見ないとね…」 すぐにそう言った彼に吹き出して笑うと、不意に優しいキスを貰って、緩んだ口元で頷きながら言った。 「…うん。そうする…」 「依冬…?とっても素敵だった…バレエ…最高に素敵だった…」 勇吾の部屋でソファに寝転がりながら依冬にそう言うと、彼はオレを見て首を傾げて言った。 「シロ?バレエも良いけど、桜二の様子を見て…?怖いを通り越して…悲しくなってくるんだ…」 依冬はそう言うと、携帯電話を持ちながら部屋を移動し始めた。 「なぁに?桜ちゃんがどうしたの?」 勇吾がそう言ってオレの隣に腰かけると、携帯画面を覗き込む様にオレの体にもたれかかって来た。 「シロ…ふふ、そうだよ…。あふふ…だから言ったじゃないの…柏餅の葉っぱは食べられないんだ。桜餅の葉っぱは食べられるけど、柏餅の葉っぱは食べられない。ふふ…」 リビングでそう言いながら桜餅を食べている桜二の背中を映すと、依冬はすぐに自分の顔にカメラを向けて言った。 「明後日、帰って来るんだよね?飛行機のチケットは…勇吾さんが取ってくれますか?それとも、こっちで取っても良いですか?」 依冬がそう言うと、桜餅を口に入れた桜二が振り返って画面を見ながら近づいて来た。 「シロ…何してるの。お前の分の桜餅もあるんだよ?大好きな粒あんだよ?それとも…こっちの桜餅ちゃんを食べるかい?ふふふ…ふふふふ…」 …桜二! 「桜二…桜二…可哀想に…ボロボロの桜餅ちゃん…!!」 「シロ…!寂しいよ…!このままだと…ボロボロの桜餅から、カピカピの乾燥した桜餅になっちゃうよ!え~ん…え~ん…!」 寂しさとは…人の人格を大きく変えていくものなんだろうか… 画面の向こうでボロッカスになった桜二を見つめて愕然としていると、オレの首にチュッチュとキスしながら勇吾が言った。 「ビースト依冬君、飛行機の事は俺がちゃんとやるから大丈夫だよ。ふふ…まあ、夫として当然だけどね。」 勇吾がそう言うと、依冬はジト目を向けながら鼻で笑って言った。 「夫?あぁ…演出家のごっこ遊びか何かですか…?」 「ははっ!まあ…そう思いたい気持ちも分からんでもないよ?」 勇吾はそう言うと、オレの左手を掴んで携帯のカメラに向けた。 「…なんだ、ただの指輪ひとつで…そんなに浮かれて、ほんとどうしようもない年の取り方をしてる…」 依冬がそう言って馬鹿にすると、勇吾は鼻で笑いながら言った。 「まあまあ…落ち着いて!」 「シロ!その人を一発ぶん殴って!」 「あぁ…もう、ケンカしないでよ…桜二?もうすぐ帰るよ。そしたらいっぱいゴロにゃんして良いからね?」 オレがそう言うと、項垂れていた桜二が急に顔を上げて言った。 「にゃんにゃんしたいお!」 勇吾が強制的に通話を切って言った。 「…あんな、桜ちゃんは見たくない。」 それは…同感だ。 「桜二と依冬は…1週間が限界だ…」 指を立てて勇吾の髪を手櫛で撫でながらそう言うと、彼のくれるキスを笑顔で受け取りながら言った。 「オレが飛行機に乗ったら…桜二と依冬に結婚した事を伝えてよ…」 彼はそれを聞くと、じっとオレを見下ろして瞳を歪めて涙を落した。 「行くなよ…」 そう言ってオレに覆い被さると、グシグシと顔を擦り付けて来た… 彼の柔らかい髪がオレの鼻をくすぐって、彼の良い香りが胸の中に広がって行く。 「勇吾…オレはあなたの小鳥だよ…」 彼の背中を撫でながらそう言うと、彼はオレを抱きしめて言った。 「俺も…シロの小鳥だよ…」 ふふ… 明日が終われば、オレは彼としばらく離れる。 でも…それは永遠じゃない。オレは彼の小鳥になった。 翼が生えたんだ。 だから…また、彼の窓辺に止まる事が出来る。 そうだろ…? ピピピピ 最終日… アラームの音に目を覚ますと、両手で顔を覆いながら彼が要るであろう方向に頭をもぞもぞと動かした。 コツンとぶつかった良い香りのする体に体を埋めると、クッタリと甘えて言った。 「勇吾…おはよ…」 「ふふ…おはよう。」 今日は、いつもと違う方法で彼の体に抱き付いてみた。 それは、日常になって来た自分の生活を否定する行為なのか…それとも、日常に変化が欲しくてそうしたのか…どちらかかは分からない。 いつもの様に朝のセックスを済ませると、仲良くふたりでシャワーを浴びて、仲良く体を拭き合いっこした。彼が香水を手に取るのを見つめて、自分の首を伸ばして言った。 「勇吾の匂い、付けて?」 「ふふ、良いよ。」 彼は香水を自分の体に付けると、残った少しをオレの首にチョンチョンと付けた。 洗濯乾燥を済ませた自分の洋服を着ると、彼の下着入れに自分の猫柄のボクサーパンツを入れた。 ちょっとした悪戯心だよ? 桜二が沢山入れたから…パンツのストックには困らなかった… 勇吾、気付くかな…?ふふ。

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