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第16話
部屋に戻ると、すぐにメモした電話番号から病院を割り出した。
「国立病院…」
それはそんなに遠くない都心部にある病院だった。
夕方の日差しが差し込むリビングで、可愛い桜ちゃんにミルクを飲ませると抱きかかえてゲップをさせた。
上手だろ?だって、オレはロメオのミルク係だからね?
お風呂のお湯張りをしながら、桜ちゃんと一緒に洗濯物を畳む。
「ああ…しわくちゃになっちゃったね?でも…パンツだから良いか…」
そんな独り言を桜ちゃんに呟きながら、桜二のパンツを畳む。
ちゃぽん…
桜ちゃんと裸のお付き合いをして、向かい合って湯船に入ると膝の上に桜ちゃんを乗せた。指先であの子の耳の裏を優しく洗ってあげると、こしょぐったそうに体を捩る姿が…可愛い。
「可愛いね…オレは赤ちゃんがとっても好きみたい。ストリッパーをやめたら、保育士になろうかな…。だって、全然苦じゃないんだもん…。可愛くて仕方が無いよ?桜ちゃん。」
「ぶっぶ…だぁだあ!ん~きゃっきゃ!」
可愛い…
惚けた表情でうっとりと桜ちゃんを見つめた。
しかし、赤ちゃんとのお風呂は入る前の想像をはるかに超えて…困難だった。
桜ちゃんを抱っこしたままだと自分の体が洗えない…でも、浴室の床にそのまま座らせるのも…ちょっと嫌だ。
自分の体を洗う泡があの子の顔に飛びそうで怖いし、手を離したら、転んで頭を打つかもしれない…
心配で…頭なんて洗えそうにないよ…
「待ってて…ちょと、待っててね…!」
仕方が無く浴室のドアを開けっぱなしにして、桜ちゃんをタオルの上にお座りさせながら、急いで髪を洗う。
「あ~ん…あ、あ~ん!」
「あぁ…!泣いちゃった!待ってて…桜ちゃん、すぐだからね?」
そう声を掛けながら頭を急いで洗うと、水が目に入るのもそのままに、桜ちゃんを抱っこしてあやした。
「ごめん…ごめんね…手を離してごめんね…」
もう…この子とひとつになっちゃいたい。
21:00
桜二が帰るって言った時間…彼は帰って来なかった…
新しい肌着を着た桜ちゃんは、オレにも、この場所にも少しだけ慣れた様子で、この場所を楽しみ始めてる。
「ふふ…寝返りしたいの?」
タオルを敷いた床の上、一生懸命体を捩らせる桜ちゃんを見つめて、一緒になって寝がえりの練習をする。
「こうだよ!桜ちゃん…!もっと、こう…体をねじるんだ!」
赤ちゃんに寝返りの熱血指導をしていると、バタンと玄関が閉まる音が聞こえた。
「…おかえり~!」
オレがそう言うと、暗い顔をした依冬が桜ちゃんを見て言った。
「…なぁんで、まだ居るんだよ…!ったく、ほんと…最悪だよっ!」
酷いだろ…?
思うのは自由だ。
でも口に出したその時から…それは言葉になって誰かに伝わるんだ。
「見て?このおもちゃ…可愛いでしょ?こうやって音が鳴るんだよ?」
オレはそう言うと、寝転がって遊べるおもちゃの中に顔を突っ込んで音を鳴らして見せた。
「はぁ…最悪だ…最悪だ!」
依冬はそう言うと、寝転がるオレの足の間に体を入れて覆い被さって来た。
桜ちゃんが見つめる中、オレに熱いキスをすると、頭におもちゃを乗せたままズボンの中に手を入れて来た…
「ちょっと!子供が見てるんだよ!」
「桜二の孫だろ?こんな事、大した事じゃないって思ってるよ!だって…あの桜二の孫なんだからね?」
「だぁめだ!こんな事したら…!ん、もう!」
そう言って体を捩ると、上から覆い被さる依冬を無視してうつ伏せになった。そして、桜ちゃんを見つめて言った。
「桜ちゃん?ハイハイは…こうするんだよ?」
「あ~、シロたん…ハイハイが上手だね?俺にもハイハイさせて~!」
依冬がそう言いながらオレのズボンに手を入れて、オレのモノを撫で始めても、オレは桜ちゃんの前で気持ち良くなったりしない。
だって…オレはこの子の…お母さん替わりだもの。
「んん…だめぇ!」
「なぁにが…気持ち良いでしょ?」
「ん、やぁだあ…!」
オレの嫌がる声に依冬がどんどん興奮していく…
これじゃあ、逆効果だ。
「あぁ…こんなにおっきくして…シロたんは悪い子ちゃんでちゅね~?」
最悪だ…!
「ん、もう…やぁだ!」
体を丸めて嫌がると、依冬は体を起こして上着を脱いで言った。
「このまま…桜二の孫の前で、派手に犯してしまおうかな~?あははは!」
最低だ!
こいつなら、やりかねない!
「そんな事したら、怒って、口きいてやんないからな!」
「はッは~…意外とシロたんは興奮しちゃうかもしれないよ?背徳感を感じて興奮しちゃうかもしれないよ?」
そう言ってシャツのボタンを外し始める依冬を睨みつけると、彼の足を叩いて言った。
「やめろっ!」
「んっ…んん…んああっああん!ああん!あああ~ん!!」
オレの怒鳴り声に驚いた桜ちゃんが盛大に泣き始めると…依冬が眉をひそめてすごすごと退散して行く。
「もう!ほんと…最悪だな!うるさい!」
そんな言葉を乱暴に投げつけると、自分の上着を持って自室へと逃げて行った。
「あぁ…桜ちゃん、怖かったね。気持ち悪い物、見ちゃったね…男ってああしてすぐに欲情するんだ。桜ちゃんも…大きくなったら、ああなっちゃうのかな…。ああ、それは嫌だな。」
そう言って泣き声を上げる桜ちゃんを抱きかかえると、まだ帰って来ない彼を思った。
桜二…早く帰って来てよ。
依冬が危険だ…
溢れる母性を出してるオレに…欲情してるんだ。
マザコンだから…
自分の部屋で、桜ちゃんと一緒にベッドに横になってあの子を寝かしつける。
「トントン…トントン…ふふ、可愛いね…トントン、トントン…」
眠りかけの虚ろな半開きの瞳が…勇吾みたいで、とっても可愛い。
ガチャリ…
背後でドアの開く音が聞こえて、窓に映った依冬のシルエットを見て…ゾッとする。
風呂上りなのか…パンツいっちょで佇むその姿は…夜這いをする変態義父の様相だ。
ギラギラした瞳でオレが桜ちゃんを寝かしつける背中を見つめてる…
こいつはとんでもない…マザーファッカーだ。
言葉の通りの…やばい奴だ。
いつもよりも積極的、かつ、いつもよりも暴力的。
きっと依冬の征服欲に火が付いたんだ…
子供を守る母猿の傍に突然現れて、無表情でファックしていくボス猿みたいに…
彼の中の征服欲が…疼いてるんだ…!
「…シロ…寝た?」
いつの間にかオレの頭の上まで近づいて来ると、顔を覗き込むようにして依冬がそう言った。
「ね、寝てないよ?今…桜ちゃんを寝かしつけてるんだ…」
オレはビビッてないよ?
だって、この子は子犬の様に可愛い依冬だもん…ビビってなんかないさ。
オレは警戒心をひた隠しにしながら、背後で動く彼の気配に全神経を集中させる。
ギシッ
「…やめてよ…」
「なぁにが…」
「もう…嫌いになるよ?」
「なぁんだよ…」
そう言ってオレのパジャマの中に手を入れると、依冬はオレを抱きしめながら体を撫で始めた。
「ん、だめぇ…やめて…!」
「ふふ…やだ、やめない…」
オレの乳首をいやらしく撫でると、仰け反る首に荒々しくキスをして息を荒くしていく。
彼の息が耳元を揺らして、桜ちゃんをトントンする手を止めさせる。
「だめぇ…いや、離して…」
「なぁんで…俺の事嫌いなの?」
嫌いになりそうだよ?これは割と…本気で、だ。
オレの耳たぶを音を出して舐め始める彼を無視して、目を閉じた桜ちゃんに布団を掛けると、オレのモノを握って扱き始める依冬を背中に付けたまま、廊下に逃げて行く。
「んん~、も、もう!依冬の馬鹿!」
そう言って彼の足を引っぱたいて怒った顔を見せると、依冬の何とも言えないニヤけた顔を見て絶望する…
子犬→忠犬→野獣→その次の段階…
彼の…封印されたドS…狂犬が、目を覚ましてしまった…!
「…桜二!」
「はは、ダメだよ…シロ、桜二はいない。逃げたいの?俺から逃げたいの?ふふ…こんなに勃起させて…嫌がるなんて、悪い子だね…」
そう言ってオレを廊下に押し付けると、パジャマのズボンを乱暴に引っ張り下ろした。
「んん…やぁだ!だめぇ!」
オレの剥き出しになったお尻を撫でて、何度もぺちぺちと叩くと、冷たいトロトロした液をオレのお尻に垂らして言った。
「あぁ…シロはエッチだね…やだやだ言っても、ローションを垂らされただけで、気持ち良くなっちゃうの?それは…いけないよ?」
突然かけられた冷たいローションに驚いただけだい!
それに、いけないのは…お前と、お前の性癖だ!
「怒るからね…!」
そう言って体を捩って依冬を睨みつけると、彼は恍惚の表情を浮かべてオレを見下ろした。そして、そのままオレの中に指を入れると、いやらしくかき回し始める。
「あっああ…!やぁだ…依冬、や、いやん…!」
「ああ…可愛い…!堪んない…!犯しちゃいたい…!」
これは依冬の封印されし性癖だ…年に数回現れてはオレを滅茶苦茶にして行く…この前の”止まらないセックス野獣“の次の段階、”ドSの狂犬“…
彼の悪い性癖。
でも、今日は桜ちゃんというカンフル剤によって、いつもとは別の次元へと向かっているようだった。
「はぁはぁ…ほらぁ、シロ…大きい声出したら、赤ちゃんが起きちゃうよ?エッチな声を我慢しないと…起きちゃうよ?」
オレの中に大きなモノを沈めると、興奮しながらそう言って腰を激しく打ち付けてくる。
「んっ!んんっ!んぁっ!はぁはぁ…やぁだ!あっあん…!依冬!だぁめぇ…!」
オレのお尻を撫でる依冬の手に爪を立てながら、月の明かりが入る廊下で依冬にファックされる。
扉が開いたままのオレの部屋のベッドで、桜ちゃんがもぞもぞと動いても、依冬の腰は止まらなくて…どんどん快感が頭を真っ白にさせていく。
「ん~!ダメぇ…イッちゃう…イッちゃう…!」
「はは…いけないね…赤ちゃんがいるのに、こんなにエッチになって…」
依冬はそう言うと、床に突っ伏したオレの体を起こして、今度は壁に押し付けながらファックした。
乱暴に脱がされたパジャマが乱れて、肩から落ちて背中を滑り落ちていく…
「エロイんだよ…!いちいち、エロイんだよっ!」
そんな理不尽な言葉を投げ付けられながら、彼に乱暴に犯される。
「ふぎゃあ…あ…ああん!ああ~~ん!」
この異常な空気を察したのか、桜ちゃんがベッドの上で泣き出した。
ごめんね…桜ちゃん、彼は変態なんだ…
「あっ!依冬…!だぁめぇ!やめて、も…もう!ダメぇ…あっああん!!」
足を振るわせてオレがイクと、背中に圧し掛かった依冬もうめき声を上げてオレの中から出してイッた…
桜ちゃんのけたたましい泣き声が響く中、激しい快感にふたりで動けなくなっていると、桜二が帰って来てオレたちを見て言った。
「…何してんだよ…」
本当だよ…
最低だ、依冬は最低だ。
絶対に、子供を作っちゃダメな男だ。
「桜ちゃん…ごめんね、怖かったね…オレも、怖かった…」
気が済んだ依冬が耳栓を付けて自分の部屋に閉じこもると、なかなか泣き止まない、可愛い桜ちゃんを抱っこしてリビングであやした。
「お~よちよち…よちよち…」
そう言いながらユラユラ揺らしていると、桜二が鬱陶しそうに眉をひそめて言った。
「うるさいんだよ…」
知ってるよ。
でも、桜ちゃんが泣き止まないんだ…
きっと、依冬の暴力的な性を空気で感じて怖かったんだ…可哀想に。
あんなのR18指定だよ…
「おむつも平気だし…ミルクもさっき飲んだばっかりなんだ…どうしたんだろう…どこか、痛いのかなぁ…?桜二…どうしよう…」
眉間にしわを寄せる桜二の傍に行くと、泣き止まない桜ちゃんを見せた。
「あっち行って!」
そんな桜二の言葉に、ウっと悲しくなって涙をぽたぽた落とすと、すすり泣いて言った。
「うっうう…桜ちゃんが、泣き止まない…うっうう…うう…どうしよう…」
「…もう!」
そう言うと、桜二は顔を背けながらオレを抱き寄せた。
そして…桜ちゃんを抱っこしたままのオレを抱きしめて言った。
「この子の母親について…聞いた。子供を産んだ後、父親が逃げて…精神的に追い詰められていたみたいだ。1人で育てられないって…泣きついた所を、母親…つまり、俺の相手だ。そいつに拒絶されて…なぜか、ここに来たみたいだ。」
桜ちゃんの泣き声が強くて…聞き取り辛かったけど…桜二は、当時、妊娠させてしまった”凛子さん“に連絡を取ったみたいだ。
「娘だったんだね…ふふ。」
兄ちゃんの子供も…娘だった。
2歳の時に…兄ちゃんに殺されちゃったけど。
生きていたら…今頃、何をしていたんだろう…
兄ちゃんと手を繋いで、公園に行ったりしていたのかな…
可哀想だ。
色々な思いの入った涙を落としながら、桜二の腕に頬ずりして言った。
「桜ちゃんのお母さんの事、教えてくれて…ありがとう。桜二…」
泣き疲れたのか…オレが泣いたのが嫌だったのか…桜ちゃんはいつの間にか眠りについた。
桜二の胸に顔を埋めて、腕の中の桜ちゃんを優しく抱きしめて言った。
「桜二…赤ちゃんは可愛いけど…大変だった…。なかなか寝てくれないし、お風呂も簡単に入れられない。ミルクも何回もあげないとダメだし…哺乳瓶はその度に消毒しなきゃダメなんだ…おむつも交換して、危ない物を避けて…目を離す事なんて出来ない…ひとりで育てるなんて、とっても大変だよ…」
オレの頭を撫でる桜二の温かさを感じながら、彼を見上げて言った。
「1番嫌なのは、依冬がおかしくなる事だ!オレが桜ちゃんと遊んでいると、傍に来て体を触るんだ…!さっきも、桜ちゃんを寝かしつけしていたら、パンツいっちょでオレの所に来るんだよ?レイプ魔のマザーファッカーなんだ!」
「ぶふっ!ほんと?」
本当だ。こんな嘘、吐いてどうするんだ…!
桜二がシャワーを浴びる間、ひとりで部屋に戻る気もしないで、桜ちゃんを胸の上に寝かせてソファにゴロンと横になる…
また大泣きされるのが、ちょっとだけ怖いんだ。
こんなに可愛いのに…オレは赤ちゃんの手荒い洗礼を受けた気がするよ…
まるで、お前みたいなひよっこ…俺の相手にならん!って蹴散らされてる気分だ。
「まだ起きてたの…?」
風呂上がりの桜二を見ると、彼がブランデーを寝酒で飲む間、桜ちゃんを胸に乗せたままソファで寝た。
疲れた…
「ふっふぎゃ…ふぎゃあ!あっああ~ん!」
あぁ…
オレが気を抜いたせいで、桜ちゃんがまた起きちゃった!
「ああ~ん!桜二、どうしよう~~!桜ちゃんが、また、泣いちゃった~!」
「うっるさいなあ!もう!何時だと思ってるの!?」
依冬がそんな最低な大声を出して、部屋から飛び出して来た。
「うるさい!クズ!今は夜の2時だ!時計も読めなくなったのか!」
オレは怒ってそう言うと、桜ちゃんを抱きしめてリビングの窓から青山霊園を覗いた。
いっそのこと…あそこでお散歩でもしようかな…夜風に触れたら桜ちゃんも落ち着くかもしれない。
「シロ?練習部屋は…防音だろ?」
そう言った依冬をジト目で睨みつけて、怒った声で言った。
「…何が言いたいんだよ!」
「…泣き止むまで、そこに置いておけば良いんじゃん…」
平気な顔してこんな酷い事を言う…そんな男だと知っていたけど、ムカつくね?
オレは殺気を立ち昇らせて依冬を睨みつけると、凄んで言った。
「はあ?よくもそんな事、言えるな!」
「だって…うるさいんだよ。その泣き声が…うるさくて、頭痛がしてくるんだ!」
さっき、さんざん人の事をレイプした癖に!
こいつは紛れもない結城さんの息子だ!
つまり、クズって事だ!
「桜ちゃん…寝ようよ…」
やっと泣き止んだ桜ちゃんを自分のベッドに寝かせると、疲れてウトウトする瞼を持ち上げて、隣で目をランランと輝かせる桜ちゃんを見つめて言った。
「だっだ!だ~っだ!きゃっきゃ!ん~きゃっきゃ!ばふぅ!だだだ!」
可愛い…でも、眠い…
眠いよ…桜ちゃん…
「だ~っだ!ん~、ん~…あっああ~ん…あ~ん…」
隣の部屋でベッドに入った桜二のため息が聞こえて、桜ちゃんのおしゃべりが泣き声に変わるのを聞くと、ムクリと体を起こして桜ちゃんを抱っこして、無言で窓の外を見つめた。
桜二の娘が…まいっちゃうのも頷ける。
赤ちゃんとは…最強の武器かもしれない。
人の精神を崩壊させる武器だ。
無垢?無邪気?違う…
これは…リーサルウエポンだ。
「ああ~ん!あああ~ん!」
腕の中でハッスルする桜ちゃんを見下ろして、泣きじゃくる頬を撫でて、ぽたりと涙を落とす。
全然、寝てくれない…
「シロ…こっちにおいで…」
桜二のそんな声が聞こえて…オレは泣き止まない桜ちゃんを抱いたまま、壁を通り抜けて彼の部屋に行った。
「…また、泣いちゃった…」
オレがそう言うと、桜二はベッドをトントンとして言った。
「ここに置いて…お前はもう横になりなさいよ。朝から沢山動いて…疲れてるだろ…」
優しい…桜二は、オレにだけ優しい。
「ひっく…ひっく…桜二、でも…桜ちゃんが泣き止まないんだぁ…このまま寝るなんて出来ないよ…うっうう…どうしたら良いのか、分かんない!」
オレがそう言って泣き始めると、桜二はオレをベッドに寝かせて言った。
「放って置けば…泣き止むだろう…」
その間…彼はこの桜ちゃんの泣き声を、ゼロ距離で聞き続けるというの?
そんな…神経が太い方でも無いのに?
「…うん。」
でも、もう疲れたんだ…
彼のいう通り、ベッドに横になりたい…
オレの隣で未だに泣き続ける桜ちゃんのお腹をトントンして…オレの頭を撫でる桜二の手のひらの温かさに、癒される…
「泣かないで良い…」
そう言ってオレの頬を拭う桜二が…お父さんに見えた…
安心して頷くと、いつの間にか眠り始めた桜ちゃんにホッとする。
そのまま気が抜けて行く様に眠りに落ちて…それ以上、桜ちゃんの夜泣きで起きる事は無かった。
赤ちゃんって可愛い。
でも…育てるのは、可愛いだけじゃダメなんだって…良く分かった…
こんなしんどい事を繰り返して…親は成長していくのかもしれない。
「だっだ!だ~っだ!ばぶぅ~!」
そんな声で目が覚めると、オレを見つめる可愛い桜ちゃんと目が合った…
あぁ…桜ちゃん。
こうしてる時は…マジで天使なのに。一度牙を剥くと、君は悪魔に見える。
桜ちゃん越しに桜二を見ると彼はまだ眠っていた。
枕元に置いた彼の手を桜ちゃんが握っていて、胸をショットガンで撃ち抜かれる衝撃を受けた。
「あ…ああ…!」
慌ててベッドサイドの桜二の携帯を取ると、決定的瞬間を写真に収めた。
「なにこれ…奇跡だ…奇跡の一枚だ…」
オレはすぐにその写真を自分の携帯に転送した。
待ち受けにしよう…おじいちゃんと一緒って…タイトルで、写真展に応募しよう…
「だっだ!だっだ!」
「違うよ…じ~じだよ?このイケメンが…桜ちゃんのじ~じだよ?」
手をバタバタさせる桜ちゃんの手のひらに指を入れて、握ってもらう…モロー反射って言うんだ。お猿が木から落ちない様にギュって握る反射がある。その、名残が…残ってるって…陽介のお母さんは言ってた。
本当かな…?
人は猿から進化して無いのに…
桜ちゃん越しに、可愛い寝顔の桜二の髪を撫でる。
優しい男…
オレを視姦してレイプした依冬とは雲泥の差だ…
それとも、この子が…自分の娘が生んだ赤ちゃんだからかな?
ふふっ…
「ええ~?桜ちゃんと、凛子の間に生まれた女の子の…子供?」
朝の5時…勇吾とテレビ電話で話してる。
暗い室内、勇吾はワインを片手に持って、画面越しに桜ちゃんをあやしてくれてる。
オレはその間に朝のミルクを準備するんだ…
「でもさ、その子が…その赤ん坊の母親が、今どこに居るのか…分からないんだろ?」
勇吾はそう言うと、ワインを注ぎながら桜ちゃんにアッカンベして、ひとりでケラケラ笑った。
「うん…どうしてここが分かったのかも分からない。夏子さんが言うには…ネットニュースを見て来たんだ!って言ってたけど…そんな気もしない。」
哺乳瓶を流水にあてて人肌程度に温度を下げると、勇吾の目の前に座って、桜ちゃんにミルクをあげた。
「ふふっ…可愛い…昨日の夜、全然寝なかったんだ…。きっと、いつもと違う場所に…怖くなっちゃったんだね…」
んくんくミルクを飲む健気な姿に…胸が締め付けられて、涙が落ちた。
「シロ…赤ちゃんと一緒に居て、どう?」
ワインを飲みながら勇吾がそう言うから、オレは首を傾げて言った。
「まだ一日しか一緒に居ないけど…思っていたよりも大変だった。ふふっ!…大変だった。」
「そう…」
勇吾は優しくそう言うと、ただ黙って、オレが桜ちゃんにミルクをあげるのを眺めていた。
桜二が起きて来て…依冬が起きてくる。
オレは勇吾とテレビ電話を終わると、ふたりに謝った。
「ねえ…桜ちゃんの夜泣きの事、ごめんね…。まさか、あんなに泣くとは思わなかったんだ。今夜はもう少し対策をしておこうと思ってる。」
オレがそう言うと、依冬が絶叫して言った。
「はあ?!もう次はないよ?だって、今日児童相談所の人が来るんでしょ?そのまま連れて行って貰ってよ!」
「でも…」
「シロ…俺がその…相手の家に赤ん坊を連れて行くから…」
桜二がそう言ってオレの髪を撫でた…
これはオレの自己満足。それは分かってる。
でも、この子を邪険にしたくない。たらい回しにするみたいに…したくない。
お母さんは桜ちゃんをオレに預けた。
だから、お母さんが迎えに来るまで…オレが面倒を見ていたいんだ。
「…田中のおじちゃんに相談してみる…」
そんな事を言って、話をはぐらかした。
ベビースリングを付けて桜ちゃんを抱っこしながら朝ご飯を食べて、いつもの様に桜二の卵焼きをほおばる。
「だっだ!だぁだ!ん~だ!」
「ふふ…桜ちゃんには早いよ?でも…食べられる様になったら一つだけ分けてあげる。」
そう言って可愛い桜ちゃんにチュッとキスをした。
今日も雑誌の記者たちは桜二と依冬の駐車場にたむろしている…
田中のおじちゃんに言ったのに!
オレは桜ちゃんを連れて、彼らの前に行くと言ってやった!
「警察に言ったから、すぐにおまわりさんが来るよ?」
オレがそう言うと、彼らはオレに抱かれた桜ちゃんに一斉に注目して言った。
「あ…!その赤ちゃんは…その、赤ちゃんは養子か何かですか?」
はあ?
「違うよ。この子は可愛い桜ちゃんだよ…?ねえ、可愛いでしょ?お母さんが大変だから、ちょっとだけ面倒を見てるんだ。ねえ、とっても良い子だよ?抱っこしてみる?そうだ、桜ちゃんとオレの写真を撮ってよ。」
そう言ってポーズを取ると、桜二と依冬にキスを貰って彼らを見送った。
「ほら、早く!桜ちゃんが可愛く写るアングルで撮って?」
そう言って何度もポースを変えると、昨日も来ていた女性記者が言った。
「…桜ちゃん?」
オレの胸元にすっぽりと納まった桜ちゃんを、瞳を歪めて見つめる彼女にそこはかとない違和感を感じた。
子供が苦手だとしても…こんなに感情を込めて睨む必要はないのに…
「…そうだよ。名前が分からなかったんだ。だから、おじいちゃんの名前を取って…桜ちゃんって呼んでる。可愛いだろ?桜が名前に入ってるなんて…素敵だ。」
オレがそう言うと、目の前の女性記者は明らかに嫌悪感を露わにして言った。
「はあ…下らないですね…」
ふぅん…
「まっま!まっま!あ~まっま!あぁあ~ん!」
胸の中の桜ちゃんはそう言うと、記者の女性に手を伸ばして体を捩った…
ママ…
桜ちゃん…
この人が、あなたのお母さんなの…?
この人が…桜二の、娘。
オレは彼女に視線を向けず、胸元の桜ちゃんの頭を撫でながら言った。
「…悲しい事に、子供は親を選べない。でも…産まれたからには、死ぬまで生きるしかないんだ…。誰を恨んでも仕方が無い…。ただ、自分の人生を生きていくしかない。」
頭を撫でるオレの手を鬱陶しそうにしながら、胸の中の桜ちゃんはずっと…彼女に手を伸ばして唸って泣いてる。
「…ふん。」
彼女は鼻で笑う様にそう言うと、他の記者の中に隠れる様に行ってしまった。
追いかけないよ。
君が桜ちゃんを迎えに来るまで…追いかけない。
この子はオレが預かってる。
だから、安心して…気持ちを沈めてくれ…
きっと、何か事情があるんでしょ…?
だったら、それが終わったら…迎えにおいで…
そうこうしていると、自転車に乗ったおまわりさんがやって来て、彼らを蹴散らした。
ふふっ!
もっとやっちゃって?
おまわりさんに追い掛け回されるゴシップ雑誌の記者を見ると、泣いていた桜ちゃんもケラケラ笑って、気が逸れたのか、お母さんを目で探さなくなった…
オレはおまわりさんに感謝しながら自宅へと戻って、洗濯物を急いで片付ける。
「…桜ちゃん?今日は、ちょっとお出かけするよ?」
オレがそう言うと、桜ちゃんはケラケラ笑ってオレを見ながら寝返りを打った。
「ああああ!!桜ちゃん!!寝返り出来たの!?すごい!すごい!すごいぞ!!」
子供の成長はあっという間なんて言葉…良く耳にしていたけど、ピンと来ていなかった。
でも、今、目の前で確実に出来る事が増えたこの子を見ると…その言葉の本当の意味を心の底から理解する。
昨日、出来なかった事が、今日、出来る様になる…
人はそれを成長と呼ぶ。
桜ちゃんは確実に…昨日よりも成長した。
こんな短い期間で、成長する事が出来るなんて…伸び率半端ないね?
この子は、強い子になるぞ!
「さあ、行くよ?」
オレはそう言うと、桜ちゃんをベビーカーに乗せて、ロメオの真似をして準備した“お出かけセット”をベビーカーの下に入れた。
「歩いて20分くらいだから…丁度いいお散歩コースだね?」
ベビーカーに乗った桜ちゃんにそう言うと、携帯電話がブルルと震えた。
“今日、店に来いよ。抱いてやるから。”
最低な支配人のメールを読むだけ読んで、鼻でフンと笑う。
ほんと、どうしようもないまま60歳を過ぎて…あのままの状態で死んでいくんだ。
ある意味、つい最近まで童貞だった大塚さんと同じ位、希少な生き物だよ?
太陽が昇って地面を照らすのに、1月の空気は思った以上に寒いんだ。
「桜ちゃん…?寒くない?」
ベビーカーを覗き込んでそう聞くと、桜ちゃんは自分の洋服をモグモグと口に入れてキョトンとした瞳をオレに向ける。
…可愛い!!
桜二にもこんな時期があったの?ねえ…ねえ…!
桜二が…服をモグモグと…口に入れて…ヨダレでびちゃびちゃにするなんて…はぁはぁ…
それはいけない妄想の始まりだ…!
「ねえ?桜ちゃん、お家の中にいるより…お外に出た方が気が紛れるね?そうだ…今度、公園に一緒に行こう?お砂場セットを作ってあげる。」
…返事なんて返って来ない。
でも、オレは桜ちゃんに話しかけ続けた…
どうしてか?
そんなの分からない。でも、可愛くて…ついつい話しかけちゃうんだ。
そうこうしていると…あっという間に辿り着いてしまった。
国立病院…
「ここに、桜ちゃんのひいじいちゃんが捕まってるよ?息子を刺したんだ。クズだろ?」
そう言ってベビーカーの桜ちゃんに首を傾げると、桜ちゃんはオレの顔を見て同じ様に首を傾げて見せた。
…可愛い!
ベビーカーを押しながら病院へ入ると、受付を覗き込んでにっこり笑顔を向けて言った。
「すみません…こちらで刑事事件の措置入院をしてる…結城さんに会いに来たんです。彼はどの病棟に居ますか?」
赤ちゃんがいるからか…受付の人はオレを女性だと思ったみたいだ。
「お母さん、結城さんに面会するには…事前に警察に許可を取らないといけないんです。」
なる程…殺人未遂の犯人だもんね。
オレは悲しそうに眉を下げると受付の女性に言った。
「あぁ…この子に…どうしても……会わせて、あげたくて…」
その気持ちに嘘はないよ?
ただ、オレの言葉で…受付の女性が何を思うかは…自由だ。
「え…?」
「まだ…産まれる前だったので…」
「ええ…」
「一目だけでも良いから…この子に会わせてあげたくて…オイオイオイオイ…」
「…じゃあ…ちょっとだけ…」
オレは何も嘘は吐いてないよ?
でも、目の前の女性は、この子をあのジジイの子だって思ったみたいだね?ふふ…
看護師さんに連れられて堂々と廊下を歩いて進んでいく。
ベビーカーに乗った、桜ちゃんと一緒にね…
「…どうぞ」
そう言われて案内されたのは、警官がジロリとオレを睨みつける個室の病室の前。
…田中のおじちゃんと一緒に捜査していた刑事がいたら、一瞬で終わるな…
彼らはオレの顔を見ているからね…
ガララ…
病室のドアを開くと、ベビーカーを押したまま中に入った。
「ほほ!」
そう言って笑顔を向ける恐怖のジジイを見つめて言った。
「…久しぶりだね?元気にしていた?」
彼の周りに…弁護士らしき男の姿は無い。
結城さんは身を乗り出してオレを見つめると言った。
「なんだ…湊。お父さんに会いに来てくれたのか?」
「違うよ…」
オレはそう言うと、顔を近づけて笑って言った。
「オレはシロだよ?ふふ、お馬鹿さん。」
笑顔を消して唖然とする結城さんの隣に座ると、ベビーカーの桜ちゃんを結城さんに向けて座らせた。
「…ねえ?随分、良い部屋に入院してるじゃないか?」
そう言って部屋を見渡すと、オレを睨みつける彼を見つめて言った。
「ご飯は?美味しいの?」
そんな言葉を投げかけるオレに顔を背けると、結城さんは手元のナースコールを押そうとした…
「怖いの…?」
目だけ動かしてオレを見る彼の顔に顔を近づけると、にっこりと笑って、もう一度言った。
「ねえ…オレが怖いの?」
「退けっ!そんな訳無い!お前みたいな汚い男娼!どうして俺が怖がると思うんだ!」
「ふふっ!どうしてか?そんなの見たら分かる。あんたは、その、汚い男娼に抜いて欲しくってウズウズしちゃうからだよ…。ほんと、とんでもないどスケベだ。」
そう言うと彼の唇をペロリと舐めて言った。
「ねえ…オレを抱きたい…?」
うっとりと瞳を色付けて、だらしなく開いた彼の唇を撫でると、頬を優しく包み込んで抱きしめてあげる。
オレはこの人を怖いなんて思わない…だって、桜二と依冬のお父さんだ。
どスケベな遺伝子を彼らに次いだ…ただのスケベ親父だもの。
「湊…」
そうポツリと呟いたっきり、結城さんは大人しくなった…
違うんだ。
湊じゃない。
「彼は居ない。居るのは…オレだけ。」
そう言って結城さんの髪を後ろに流して、彼の瞳を正面から見つめた。
桜二によく似てる…でも、性格は…きっと、依冬に似てる。
「彼はあなたを裏切った…でも、オレは、あなたを愛してあげるよ。」
彼の頭を両手で抱え込むと、じっとオレを見上げる彼を見下ろして、にっこりと笑って言った。
「オレは…あなたを傷付けない。」
「ふふっ!」
結城さんは吹き出して笑うと、オレを薙ぎ払って言った。
「ほらな…!お前は汚い男娼だ!」
「湊だって…とんだ、ビッチじゃないか…?」
そう言って彼のサイドテーブルに置いてあったプリンを開けると、一口食べて言った。
「まずい!冷蔵庫に入れておかないと温いプリンになるだろ?」
彼がジト目でオレを見つめる中、オレは自由に彼の周りで振舞った。
お前なんて怖がっていないって…彼に教えてあげた。
「ねえ?逮捕されたら何色の服を着るの?」
彼のベッドの上に腕を組んで頭を置くと、そう尋ねながら足をぶらぶらと揺らした。
「…知るか。」
ふふ…
「そうだな…あなたには上等なシルクの生地で服を作ってもらおうか?そして独房には猫足の天蓋付きのベッドを置いてあげる。ふふっ!後は…何が欲しい?」
彼の顔を見つめてそう聞くと、彼はオレをジト目で見つめたまま言った。
「…もう、帰れ!」
「ふふ…疲れちゃった?じゃあ…明日、また来るね?楽しみに待ってて?」
そう言ってオレを睨んだままの結城さんにキスすると、桜ちゃんのベビーカーを押して病室を後にした。
看護師さんにお礼を言って病院を後にすると、来た道を歩いて戻る。
久しぶりに見た彼は…何ら怖くない。ただの桜二に似たジジイだった。
「桜ちゃん?今日のお散歩はお終いだ。お家に帰って…ミルクを飲んで…お昼寝をしようね?」
ベビーカーでお利口さんにしている桜ちゃんにそう言うと、お出かけセットの中のお茶を一口飲ませてあげる。
「わあ…ロメオより上手に掴むね?」
両手でしっかり持ってお茶を飲む桜ちゃんに、お母さんの片鱗を感じて胸が熱くなる。
ちゃんとお世話してもらっていた。
お茶も上手に飲めて、お利口にベビーカーに座って居られる。
笑顔も沢山ふりまけるし、喃語だってよくしゃべる。
この子は…愛されてる。
「桜ちゃん?お母さんが迎えに来るまで…たんたんと一緒に居ようね?」
オレはそう言うと、桜ちゃんからお茶を取りあげてベビーカーを押した。
だって、ベビーカーをガンガンとお茶で殴り始めたんだもの!
暴力的な所は…大人になったら治まるかな?
家に帰って来ると、桜ちゃんの手を洗っておもちゃの傍にお座りさせた。
急いでお昼のミルクを作りながら、桜ちゃんの丸くて小さい背中を見つめる。
…可愛いな。
この子の本当の名前は何て言うんだろう?
まるで、偽名を使っていたどこかの誰かみたいに…ミステリアスだね?
「はい、桜ちゃん。お待たせ?」
ミルクを見るとお腹が空いた事を思い出したように、あんあんと泣き始める桜ちゃんを膝に抱っこして、パクパクと動かす唇に哺乳瓶をあてる。
「ふふっ!ほんと…この顔…可愛い…」
うっとりと瞳を細めるとそう言って、桜ちゃんの頬を手のひらで包み込んだ。
ピンポン…
いつの間にか、桜ちゃんと眠ってしまっていた…
目を擦りながらインターホンを出ると、玄関先の相手が言った。
「児童相談所の者です。先日、刑事さんからお話を伺いまして訪問に来ました。」
はぁ…桜ちゃん…
オレは、しぶしぶ玄関のドアを開くと、児童相談所の職員を部屋の中に招き入れた。
「初めまして…私、恵(めぐみ)と申します。」
そう言って差し出された名刺を無視すると、部屋に歩いて向かって言った。
「どうぞ?こちらです。」
表情も変えず、何もリアクションもせず、恵さんは出した名刺を胸に戻すと、オレの後を付いて来た。
そして、リビングに敷いた毛布の上で眠る桜ちゃんを見て言った。
「この子ですか?」
そうだよ…でも、この子のお母さんが誰だか…オレは知ってる。
このまま児相に引き取られてしまったら…桜ちゃんとお母さんは離れて暮らす様になるの?
この子は…オレと違って愛されているのに…?
児童相談所の職員…こいつらの目は節穴だよ。
ハッキリ言って…信用してない。
人の家の年頃の男を物色する様な…節操のない女が務まるような仕事だからね…
眠る桜ちゃんの隣に跪いて、あの子の様子を確認する恵さんの背中を冷めた瞳で見つめると、ため息を吐きながら言った。
「ええ……忙しい彼女に頼まれて、一旦、預かってるだけなんです。」
嘘を吐いた。
でも、こいつらに吐く嘘は…オレの中では正義だ。
恵さんはオレを訝しげに見上げると、首を傾げて言った。
「昨日…伺った話と…少し違うようです。」
「何を聞かれたのかは知りませんが…田中刑事は、すぐに問題を大きく解釈するんです。それに…少しボケ始めてる。」
飲み終わった哺乳瓶を拾い上げると、流しで洗いながら言った。
「用事が終わったらお母さんが迎えに来ます。」
オレのその言葉に恵さんは黒いノートを取り出して言った。
「その方の…住所と氏名を教えて頂けますか?」
「嫌です。教えません。」
そうハッキリ言うと、驚いた表情を見せる彼を見つめて言った。
「私の兄は児相の女性に誑かされて、自殺して死んだんです。だからかな…個人的にあなたを信用出来ない。どうぞ、現状を把握なさったらお帰り下さい。」
哺乳瓶を洗って消毒液につけると、目の前の恵さんを見つめて玄関へ向かった。
「…どうぞ、お帰り下さい。」
「…何か、困った事があったら…こちらに連絡を下さい…。また来ます。」
そう言って渡して来た名刺を受け取ると、首を傾げてもう一度言った。
「お帰り下さい。」
田中のおじちゃん…オレはやっぱり彼らを信用する事は出来ないよ。
どうしても、あの女の顔がチラ付くんだ。
おじちゃんは…この恵さんを良い人だって言ってたけど…オレはそうは思えない。
きっとこの男も、ろくな奴じゃないんだ。
人の家をかき回すだけかき回して…滅茶苦茶にしていくだけなんだ。
玄関を閉めて鍵を掛けると、桜ちゃんが眠るリビングの床に再びゴロンと寝転がって可愛い寝顔を見つめた。
「…どうするの…?シロ…」
そう言いながらオレの髪を撫でる兄ちゃんに言った。
「…あいつらは信用出来ない。兄ちゃんの末路を知っていたら、尚更ね…」
オレがそう言うと、兄ちゃんは悲しそうに眉を下げて言った。
「兄ちゃんは…ひとりぼっちだったんだ。誰にも、相談出来なかった…」
「だから何だよ!そんな隙を見せるから、あんな女に付け込まれて中出しなんてするんだ!馬鹿だよ!あんたは大馬鹿だ!」
オレは体を起こして怒ると、悲しそうに涙を落とす兄ちゃんを睨みつけて言った。
「その上、可愛い娘を殺すなんて…信じられない!」
「要らなかったんだよ…俺には、そんな物、要らなかった…」
兄ちゃんはそう言ってオレを抱きしめると、優しい声で言った。
「シロが要ればそれで良いんだ…」
ひとり涙を落して、自分勝手に作った兄ちゃんの残像に縋ってる。
こんなに可愛い子供を…殺せる訳ないよ…
要らないなんて…思う訳がない…
蒼佑は、優しい人だったんだ。
きっと…きっと…あの女の事だって…兄ちゃんは愛していた。
それなのに…あんな強硬を取らせてしまったのは、誰のせい?
オレのせい…
独りぼっちだった…誰にも相談できなくて…蒼佑はひとりぼっちだった。
オレがいれば…それで良い…
そんな風に、思ってなかったでしょ?
「はぁ…」
ため息を吐いて項垂れると、桜二のお守りと勇吾の結婚指輪を見つめてポツリと言った。
「こんなに男を縛っても…あなたの空けた穴が埋まらない…」
左手に巻いた桜二のお守りを撫でながらそう呟くと、膝に頭を置いて涙を落とした。
目に見える危うさは消えたとしても…燻ってるし、疼いてる…
「あ~あ…うっう…兄ちゃん…」
体を丸めて疼いた心が躍動しない様に押さえつける。
落ち着け…落ち着け…
寝た子を起こす様な事はするな…
これ以上、この辛い気持ちを追いかけちゃダメだ…
目を瞑って込み上げてくる感情が引いていくまで、ヒシっと体を固めて耐える。
「だっだ…ばぶぅ…だんだん!だ~んだん!だ~だっだ!」
桜ちゃん…
そっと瞼を開くと、目の前の桜ちゃんが目を覚ましてオレに手を伸ばした。
その姿に…溢れた涙が色を変えて頬を伝っていく。
「…桜ちゃん!」
可愛いあの子を抱きしめて、乱れた心を落ち着かせてもらう…
無垢で純真で…真っ白な人に、しみた傷を癒してもらう。
オレはまだ治ってない…治ってない…
今でも、兄ちゃんと、幼い自分に、縋ってる。
でも…そんな自分を俯瞰して見れるようになってる。
だから、どうしようもなく…危なくなったら助けてもらおう。
それまでは…まだ、兄ちゃんと離れたくないんだ。
まだ、蒼佑と一緒に居たい。
あの人を、愛してるんだ…
「兄ちゃんに…会いたいよぉ…」
そんなどうしようもない思いを、真っ白な人を抱きしめて、癒してもらう。
夕方、桜ちゃんをベビースリングに入れると、お出かけセットを片手に持って出かける。
どこにって?
ふふ、お店だよ?
ジジイが抱いてくれるって言うからね、身だしなみを整えて向かったのさ。
18:00 三叉路の店にやって来た。
店の外には大きなトラックが停まっていて、開きっぱなしのエントランスと、床に敷かれた汚れ防止シートの上を歩いて店内へと向かう。
手すりに掴まりながら階段を下りると、ステージの前に再び立てられたポールを見上げて口元を緩めて笑う。
「桜ちゃん?この棒に登って、たんたんは踊るんだよ?凄いだろ?」
オレがそう言うと、桜ちゃんはキョトンとして口からよだれを垂らした。
あぁ…桜ちゃん!
これは大人の嗜みなんだ…桜ちゃんにはまだ早いよ!
「よっ!お前、結婚したらしいな?常連さんから連絡があって、はぁ~!?って驚いたよ?全く…!まさか、あの二枚目と結婚するなんて思わなかった!彼氏が可哀想だ…!あ~、可哀想だ!」
支配人はそう言うとオレの胸に抱かれた桜ちゃんを見て、悲鳴を上げた。
「なぁんで、今度は子供まで作って!!馬鹿野郎!!」
「馬鹿野郎はお前だ!オレは子宮なんて無いぞ!」
首を振って呆れると、目の前のポールを見上げて言った。
「ずいぶん時間がかかったじゃないか!どうしてなの?あっという間に終わると思ったのに…オレが考えていた3倍くらいの時間が掛かってる。」
「ちっ!うっせえなあ!どっかの誰かがガンガンに揺らすから、天井の基礎が痛んでたんだよっ!お前に修理代を請求したい所だよ?」
そう言ってオレのお尻を蹴飛ばすと、オレの胸の中で抱かれる桜ちゃんを見て言った。
「性別は?何歳?」
ふふっ!意外だな…支配人の目じりが下がって見える。
「桜ちゃんだよ?大体…7カ月。男の子。桜二の孫なんだ…」
「はぁ~~~~~!?」
支配人の大声に驚いた桜ちゃんが、顔を引きつらせて泣き出しそうになった。
「よいよい、よいよい、大丈夫、怖くないよ?怖くないよ?」
そう言いながら体を動かして、桜ちゃんの気を紛らわせると何とか泣くのを堪えることが出来た。
「ふふっ。えらいね…桜ちゃん。ダメだよ?赤ちゃんの傍で大きな声を出さないで?びっくりしちゃうんだ。ね?」
オレがそう言うと、支配人は眉を下げて言った。
「彼氏の…孫…おじいちゃんと付き合ってるなら、俺と付き合っても変わらないな?」
そのロジックが分からないよ…
「どうしてオレを呼んだの?」
気を取り直してそう尋ねると、支配人がポールを指さして言った。
「登ってみて?」
ふふっ!
ニヤけた顔をそのままに、支配人に言った。
「良いの?オレが初めてのポールに登っても…良いの?」
ベビースリングを外して支配人に付け直すと、桜ちゃんを中に入れて言った。
「このお尻の所で座ってる構造だから、背中に手を添えるの忘れないでね?」
ガチガチに固まった支配人は、同じ様にガチガチに固まった桜ちゃんを抱えて、おっかなびっくりの表情のまま頷いた。
さてさて…
工事の人が出入りする中、オレはコートとズボンを脱ぐとTシャツとパンツ姿になって、ポールに手を掛けた。
「よっ!」
そう言って体をゆっくり持ち上げて行くと、支配人に警戒していた桜ちゃんがオレを見つめて笑顔になった。
「桜ちゃん~!ほら~クルクル~だよ?」
そう言うと、膝の裏をひっかけてポールをゆっくりと回った…
あぁ…この場所だ…
オレが戻るのは…この場所…!
ポールの上から見える光景を懐かしいなんて思ってしまう気持ちに、ふいに涙が溢れてこみ上げる嗚咽が止まらなくなった。
ポールに掴まって動きを止めると、オレを見上げる支配人に言った。
「は…早く、早く、踊りたい…!」
そんなオレの言葉に、彼は眉を下げると困った顔をして言った。
「はぁ~、分かってるよ。だから、私財を投げ打って一生懸命直してんだろ?」
この店が好き…
この人も好き…
この場所が…大好きなんだ。
「早く…直して…オレの店なんだ…」
オレがそう言うと、ケラケラ笑って支配人が言った。
「馬鹿野郎!そういう事はな、お前の名前で売り上げが一日に1000万以上、これが1か月続いたら言って良い言葉だぞ?」
そうなんだ…
知らなかった…
オレはポタリと落ちる涙をそのままに、支配人を見て言った。
「じゃあ…そうなる様に、努力するよ。」
彼の嬉しそうな顔を見て胸を詰まらせると、体をポールに絡ませて、もっと高くまで登っていく。
まるで水中に潜ったような無重力を演出して、美しくて華麗なポールダンスを魅せてあげる。
勇吾の所で、ちょっとだけ魅せ方のポイントを掴んだんだ。
それを生かして…もっと、上手に綺麗に見える様に踊ってあげる。
「うわあ…ポールダンスって、すごいな…」
そんな工事の人の声を耳に聞きながら、オレを見上げる支配人が喜ぶような素敵でエキサイティングなポールダンスを踊ってあげた。
両足を離すと回転しながら一気に滑空して降りて、最後の最後でゆったりと舞い降りると、ゆっくりと足を地面に付けてポールから離れた。
目の前で嬉しそうに目じりを下げる彼を見つめて、丁寧にお辞儀をすると、にっこりとほほ笑んで言った。
「早く踊りたい。」
「…分かってるよ!」
脱いだズボンを穿いて桜ちゃんを受け取ると、ベビースリングの中に入れて、コートを上から着た。
「孫の面倒…大変だな。」
桜ちゃんの頭を撫でながら、穏やかな表情をして支配人がそう言うから、オレは吹き出して笑って言った。
「あなたが意外と子供が平気で驚いた!」
そんなオレの言葉に口元を緩めると、桜ちゃんを瞳を細めて見つめて言った。
「俺だって…子供の1人や2人いるさ…」
は…?
固まった表情のまま支配人を見つめると、彼は顔色を変えていつもの調子で言った。
「なぁ~んてな?うっそぴょ~ん!」
いや、絶対嘘じゃない…!
でも…
嘘って事にしておくか。
「なんだよ。馬鹿だな…」
オレはそう言って笑うと、彼の頬にキスして言った。
「じゃ、またね?」
「店に来るときは左手の薬指の指輪は外して来いよ!…ここは熟女バーじゃねんだからな?萎えるんだよ!」
ハイハイ…
そんな憎まれ口、慣れっこだよ。
家に帰ると、桜ちゃんの手洗いをして、ミルクを準備する。
この後は…おむつを交換して、お風呂の準備をしよう…
オレの夜ご飯は…納豆で良いや…
「あっああ~ん!あ~~ん!」
桜ちゃんがお腹を空かせて泣き始める頃、オレはピッタリのタイミングにミルクを用意出来た。
「はいはい。ちゃんと作ってますよ?」
そう言って桜ちゃんを膝に乗せると、手慣れた様子でミルクを飲ませて、例の如く…可愛い唇を眺めてほほ笑んだ。
あの支配人が…子供の1人や、2人…居るような人に思わなかった。
全く生活感が無いから…てっきり独り者だと思っていた。
桜ちゃん?
人って分からないね…
良い人に見える悪い人もいれば…悪い人に見える、良い人もいる。
「ただいま…」
「あれ…?早いじゃない?まだ8:00だよ?」
オレと桜ちゃんがお風呂から上がってリビングで着替えをしていると、桜二が家に帰って来てオレを見て言った。
「…シロ、ちゃんとした物、食べて無いだろ…?」
そう言って買って来てくれたのは…つるとんたん。
「ふふ…やっぱり、あなたは、優しい…」
オレにだけ。
…そうかな?
あなたの娘を見たよ?たぶん彼女がそうだ…
きっと、明日も来るだろう。
置いて行った桜ちゃんの事が…心配なんだ。
でも、まだ今は…気持ちが落ち着いていないみたい。
きっと…あなたを見たからかな…
桜ちゃんの肌着を着せて、お洋服を着せてあげると、自分のパジャマを着て桜二が作ってくれた、つるとんたんを食べる。
その間…彼は微妙な距離で桜ちゃんを眺めて、どうしたら良いのか、困ってるみたいに眉を下げっ放しにしてる。
可愛い…
大きい桜二と、小さい桜ちゃん…
可愛いな…
「ねえ?今朝、とっても良い写真を撮ったんだ。桜二の携帯で撮ったの。見てみて?」
つるとんたんを啜りながらそう言うと、彼は自分の携帯を取り出して確認し始めた。
「あ…」
そう言って携帯をじっと見つめる桜二が、とっても優しそうな瞳をしていて、オレは少しだけ…寂しくなった。
ふふっ…おかしいよね。
彼が、自分以外に優しい目を向けるのが…寂しいんだ。
それが例え…桜ちゃんでも。
ほんと、勝手だよね…
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