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第18話

桜ちゃんがいなくなった部屋は、卵焼きの無い朝食と同じ… オレは部屋を出ると、落ち込んだ気持ちのまま結城さんに会いに行った。 彼の病室の場所は分かった。 後は、あの病室の前で暇そうにしてる警官を、どうにかするだけ… 「あっ!ち、痴漢~!痴漢が、出た~~!」 物陰に隠れて高い声でそう言うと、じっと身を潜めた。 「ん?なんだぁ?」 首を傾げながら警官が廊下を歩いて行くを確認すると、彼が通り過ぎた瞬間に忍び足をして結城さんの病室へと向かった。 ガララ… 静かに扉を開くと、オレを見てギョッとする結城さんに手を振って言った。 「静かにして…?バレたらオレが怒られちゃう!」 「馬鹿野郎!出て行け!」 そう言って喚き散らす元気の有り余る老人の傍まで行くと、彼の頬を引っぱたいて言った。 「うるさい…!赤ちゃんの方が静かに出来るよ?」 「ぐっ!」 悔しそうに眉をしかめる結城さんに言った。 「ねえ…聞いてよ。今日とっても悲しい事があったの…。もう、沢山泣いたから、目が赤くなっちゃった…見て?ねえ、見てよ。」 そう言って一方的に彼に目元を見せると、彼の膝に頭を乗せて言った。 「慰めて…」 「ふふっ!」 彼が吹き出して笑うのを初めて聞いた。 …それは、そんなに悪くない。 なかなかの楽しそうな声だった。 オレは彼の手を自分の頭の上に乗せると、そのまま撫でる様に動かして言った。 「可哀想に…シロ、可哀想に…赤ちゃんを取られて、可哀想にのう…」 「ぶふっ!」 なんだ、このジジイはちゃんと笑いのツボを持ってるじゃないか… 桜二に甘えるみたいに、クッタリと結城さんの膝に顔を擦り付けた。 「ねえ…オレが子供の頃…母親が酷い奴でさ、しょっちゅう殴られてたんだ。年の離れた兄ちゃんが守ってくれたんだ。でも、オレが6歳の時、母親の売春客の相手をさせられた時期があってさ…ほんと、最悪だった。」 彼の膝を布団越しに撫でながらそう言うと、結城さんはへらへら笑って言った。 「だから、お前はビッチなのか…?」 ふふっ!やんなるね? オレは彼の膝をグーで叩くと怒って言った。 「そういう事言うの、止めた方が良いよ?嫌われるよ?」 「ふふっ!」 彼はそう言って笑うと、オレの髪を撫でて言った。 「それで…その後は、どうやってビッチになって行ったんだ…」 「その時…知らない男の相手をするのが怖くて…兄ちゃんにお願いしたんだ。終わるまで、傍に居てって…」 「ぷっ!」 さすがクズだな。笑うポイントが酷い… オレは結城さんの顔を見上げると、彼の頬を撫でながら言った。 「その間だけ、まるで体を襲う感覚が、目の前の兄ちゃんがくれている物の様に感じて、気が紛れたんだ。そしたら、兄ちゃんは、そんなオレを性的な目で見る様になった。程なくして、売春客も、母親も家に居なくなった。兄ちゃんはオレにやたら触れたがる様になって、それでも踏み止まってた。でもね、オレはそれを分かってて兄ちゃんを誘惑し続けたんだ。」 「そんな小さい頃から、お前は立派なビッチじゃないか…」 瞳を細めてそう言う彼が…一瞬、桜二に見えて、彼に微笑む様に笑いかけて言った。 「ふふっ…。それで、とうとう小学校4年生の時に、兄ちゃんがオレに手を出したんだ。そこからはトントンだ。でもね…ある日そんな甘くて楽しい生活に暗雲が立ち込めたんだ。」 オレはそう言うと、眉をひそめて続けて話した。 「なんと、オレが中学生の時、兄ちゃんが児童相談所の女と密会をする様になったんだ…!」 「ふはは!捨てられたな。もう、お前には飽きたんだ!あはは!」 酷いだろ? この話を聞いて、こんなに爆笑する人…この人位だよ? 「はぁ…全く、酷いジジイだ!」 そう言って彼の頬をペチンと叩くと、ぼんやりと彼の瞳を覗き込んで言った。 「ねえ…キスしてよ。」 そんなオレの言葉に、彼は瞳を細めると言った。 「その後は…どうやってビッチを保ったんだ…?」 「はぁ!もう!やんなるよ!」 そう言って彼のお腹に顔を付けると、モゴモゴ話しながら言った。 「…オレは壊れて…兄ちゃんの目の前で頭をかち割った。流血するオレを見た兄ちゃんは…絶叫して、同じ様に壊れた…」 オレがそう言うと、彼は意外にも笑わなかった… 「その後は最悪だ…疑心暗鬼を繰り返して、兄ちゃんを信用する事なんてもう出来なかった。兄ちゃんはオレを沢山の男に襲わせて…幼い頃の様に部屋の隅に座って…泣きながらオレが犯されるのを見続けた。」 「へえ…」 結城さんはそう言うと、オレの髪を撫でながら言った。 「それで…ビッチになったの?」 「まだ終わりじゃない!」 彼の胸を叩いてそう言うと、そのまま手を撫で下ろしながら言った。 「兄ちゃんと関係を持った児童相談所の女が…勝手に妊娠して、勝手に子供を産んでいた。兄ちゃんは…それがオレにバレるのが怖くて…2歳になる娘を殺して、自殺して死んだ…そして、オレは立派なビッチになったんだ。」 そう言って彼を見上げると、結城さんはオレを見下ろして言った。 「そんな兄貴…どこが良いの?」 ふふっ! 「分からないよ…今となっては、まるでパブロフの犬みたいに…まるで反射の様にそう思うんだ。誰に愛されても、誰に求められても、もう…オレはダメみたい…治らない傷を、膿まない様にする事しか出来ない…」 そう言ってクスクス笑うと、オレを見つめる彼の瞳を見つめて言った。 「あなたも…そうなんでしょ?」 「…さあね。」 誰かと同じ様にそう言うと、彼はオレの頭を持ち上げて言った。 「帰れ。」 それは、昨日よりも少しだけ穏やかな表情… 「ねえ…キスして…?」 彼の目の前に顔をかざしてそう言うと、オレを見つめる彼を見つめた。 「ちっ!」 そう舌打ちすると、結城さんはオレを薙ぎ払って言った。 「帰れっ!ブス!」 最低だな。 「ふんだ!なんだよ!オレは、赤ちゃんを取り上げられて悲しみに暮れてるのに!ちょっとぐらい優しくしてくれても良いだろっ?」 ガララ… 地団駄を踏んで怒っていると、知らない中年男性が病室に入って来てオレを見て言った。 「おや…どうも…」 彼が多分、依冬と桜二が話していた…森さん。 「あぁ…悪だくみの時間だね。そんな事しなくても、オレはあなたに会いに来るのに…お馬鹿さんだな。」 そう言ってケラケラ笑うと、あっけにとられた顔をする結城さんにキスして言った。 「また、明日来るね?」 「も、もうっ、来るな!」 そんな照れ隠しの言葉を背中に浴びながら病室を出ると、田中のおじちゃんが廊下でオレを待ち構えていた。 あぁ…バレたか… 「おじちゃんが何て言ったのか…覚えてる?」 静かにそう言うと、怒りのオーラを放ちながら言った。 「一体、中で、結城と何を話していたんだ!」 「遊んでいただけだよ…?ねえ、オレ…恵さんに、桜ちゃんを預けたよ。」 暗い表情を彼に向けてそう言うと、田中のおじちゃんは眉を下げて言った。 「聞いたよ…」 この繋がりの“報・連・相”は実に密で、実に、迅速だった… ため息を吐きながら顔を背けると、項垂れて言った。 「そ…」 こんなに虚しくて無力を感じることは無い。 さっきまで腕の中に居た…可愛いあの子が、もういないんだもの。 「母親と連絡を取って…面談の予定を入れたと言っていたよ。どうも…出産したら、相手の男が逃げたみたいなんだ。それでも踏ん張って育てていたけど、仕事との両立に…ポッキリ心が折れちゃった様だよ。」 そう言ってオレの頭を撫でると、顔を覗き込んで言った。 「恵さんは…養護施設で育った人でね。」 え… 養護施設…それは身寄りのない子や、訳ありな親の子、一時保護を受けた子が行く場所… オレも短期だけど、何度かお世話になっていた場所。 子供同士の中に変な序列があるから、あまり好きじゃなかったんだ。 「そうなんだ…だから、あの人は…」 見た目は普通の大人なのに、中身は予想外に柔らかくて暖かい… 傷付いて暴れるオレを見ても、ドン引きしないで話しかけてきたのか。 「でも…桜ちゃんはオレの前から…居なくなってしまった…」 ぽたぽたと落ちていく涙が病院の廊下を濡らして、しゃくりあげて泣く声が静かな廊下に響いて消えた。 「家まで送るよ…」 そう言ってオレの背中を撫でる田中のおじちゃんに言った。 「明日も来るって…結城さんに、約束した。」 「ほほ!なんで、そんな約束して…はぁ。弁護士に会っただろ?彼は曲者なんだ。証拠の穴を探してるし、情状酌量を狙ってる節がある。君が結城の周りをうろつくことは…得策じゃない。得策じゃないんだ。」 田中のおじちゃんはそう言ってオレの肩を抱くと、廊下を歩きだした。 「結城さんが、あの弁護士と結託して依冬と桜二を脅した…。怖い目に遭わせるぞって…ほのめかした。桜二は知らないけど、依冬はビビっちゃってるんだ…。可愛そうだと思わない?実の父親に怯えて…震えるんだ。」 項垂れたまま足元を見てそう言うと、田中のおじちゃんは首を傾げて言った。 「そういう事は、警察に相談すれば良いんだ。」 「ふふっ…!不思議だね。どうして誰も相談しないんだろう。オレが依冬でも…警察には相談しないね。だって、何も解決しないから相談しても時間の無駄なんだ。」 クスクス笑いながらそう言うと、隣で釈然としない表情を浮かべる田中のおじちゃんに言った。 「結城さんと、少しだけ、仲良くなった…。彼は依冬がビビる様なジジイじゃなかった。ただの…壊れた、哀れな男だった。まるで、オレと似たような…疼く、治らない傷を抱えてる。そんな人だった。だから、彼に教えてあげたいんだ…。この傷は、死ぬまで治らないって…教えてあげたいんだ。」 それが何に繋がるなんて分からないけど…自覚することが大事って、土田先生はよく言ってる。だから、結城さんに自覚させてあげたかったんだ。 反射の様に、居ない誰かを“愛してる”と思い続けてる事を… オレを通じて自覚させてあげたかった… 見えるものが全て…土田先生の名言だ。 シンプルだけど…いつまでも迷い続けるオレや結城さんの様な者に、落とし所を付けてくれる言葉。 兄ちゃんは、もう、いない…居るのは、桜二と依冬と、勇吾… そして、彼らはオレを愛してくれる。 それが全て… あの人には、湊は、もういない…居るのは、オレ… そして、オレはあの人を愛してあげる。 それが全て… 兄ちゃんは、居ない。 だって、目に見えないから… それが、全て。 「送ってくれてありがとう。また、明日行くよ…」 「ほほ!懲りないなっ!ダメだよ!」 そんな突っ込みを貰いつつ、家の前で田中のおじちゃんと別れると重い足で階段を上って行く…。 この階段…ベビーカーを下すのがとっても大変だったんだ。 カギを開けて玄関を入ると、桜ちゃんに買ってあげたベビーカーを見て胸が苦しくなっていく。 怖くて…泣いてないだろうか… 寂しくて…泣いてないだろうか… 居ても経ってもいられなくて、恵さんに貰った名刺を探して、彼の携帯電話に電話を掛けた。 「…もしもし、桜ちゃんは泣いてない…?」 何の挨拶も無しにそう聞くと、電話口の彼はふっと口から息を吐いて言った。 「泣いてないですよ。」 「…そう。良かった…」 たった一言そう言うと、電話を切って、洗濯物を乾燥機にかけた。 お花に水をあげて、ロメオに買ってきたお土産を見つめる。 「ロメオ…たんたんは、お前のお土産をひとつ、桜ちゃんにあげちゃったんだ。1番楽しそうな…木のぶっぶを…桜ちゃんにあげちゃった。」 広げられたお土産を紙袋にしまいながらそう言うと、桜ちゃんにあげたダブルデッカーの木のおもちゃを手に取って床で転がした。 「これを…あの子に持たせてあげれば良かった…だって、とっても気に入ってたんだ。」 ポロポロ涙を落としながらそう言うと、すぐにまた電話を掛けた。 「もしもし…恵さん…桜ちゃんのお気に入りのおもちゃ…渡してあげたいんだ。」 オレがそう言うと、電話口の彼は優しい声で言った。 「…取りに伺います。」 電話を切ると、桜ちゃんの木のぶっぶを綺麗な布で拭いてあげる。 床に叩きつけて色が剥げてしまった車輪を、指で撫でながら涙をポロリと落とす。 養護施設で育った恵さん…彼は黒縁眼鏡をかけた神経質そうな、優しい男の様だ… ピンポン… え…早すぎだな。 恵さんは…黒縁眼鏡をかけて、神経質そうで、優しい、早い男だったみたいだ。 ガチャリ… オレは玄関を開いて相手を見た。 「…森さん。」 それは恵さんじゃない。結城さんの弁護士…森さんだった。 「…今すぐ、手を引く様に言え…!」 脅す様な低い声でそう言うと、オレの胸ぐらを掴んで彼は言った。 「か、家族に…何かしたらっ!絶対に許さないからなっ!」 あぁ… 桜二が、彼の家族に何かしたみたいだ… 依冬はそんな小賢しい事しない。 そんな精神的に追い詰めるような事をするのは…桜二だけ。 「はぁ…」 ため息を吐くと、手に持ったダブルデッカーのおもちゃを指先で撫でながら言った。 「オレは何も知らないよ…でも、これはある意味、反射だ。あんたが先にして、彼らが反応した。それだけの事だよ…。」 そう言って彼の手を自分の胸から退かすと、口を歪めて笑って言ってやった。 「恨みを買う仕事ってのはさ…なかなか安穏と出来ないもんだよね?良いの?オレにこんな事して…彼らがまた反応するかもしれないよ?」 「脅しかっ!」 森さんはすごい形相でそう言うと、ギラついた瞳をオレに向けた。 なんだ… この男は大したことないじゃないか… 大切なものが危険に晒されるなんて、思わなかったのかな。 人の不幸を飯のタネにしてる癖に…覚悟が足らないんだ。 「脅しってのとは違う。これは…どちらかというと…忠告だ。」 オレはそう言うと、彼の顔をまじまじと見つめて言った。 「彼ら意外に、顔を覚えて…いつか殺してやろうって機会を伺ってるやつが、あんたには何人いるのかな…?」 彼を覗き込んでクスクス笑うと、森さんはオレの頬を引っぱたいて言った。 「お、お前っ!俺は仕事でしてるんだっ!」 「…どうしましたか?」 いつも、オレが玄関先で誰かに襲われると現れる、恵さん。 眉をひそめて黒縁眼鏡の細い瞳を歪めると、森さんのすぐ傍に立って彼を見下ろした。 「突然、殴られました…」 左の頬を押さえながらそう言うと、恵さんの後ろを付いて来た田中のおじちゃんに言った。 「…暴行で訴えます。」 「はあっ?お前っ!この野郎っ!」 怒り心頭な表情でオレの胸を掴むと、森さんは今度はオレの頭を殴りつけた。 咄嗟に田中のおじちゃんが彼の手を掴むと、後ろ手に回して言った。 「…13:34、暴行で、現行犯逮捕します。」 意外だよ。 人って言うのは…こんなに脆くて、こんなに弱いんだ… 飄々と人の恨みを買うような仕事をして来たくせに…いざ、自分の身内が狙われると狼狽える。 勝手だよね… こんなに動揺して、こんなに狼狽えて、馬鹿みたいに煽りに乗って…暴力を振るった。 弁護士なんて…言葉の端々まで気を使って…揚げ足を取られない様に、綿密に言葉を選ぶ、鉄のような心が必要な仕事だと思っていたのに… ウィークポイントを突いただけで…あっという間に、ただの人まで成り下がるんだ。 ざまあねえな… 「はい。この車…桜ちゃんの…ううん、どん吉のお気に入りなんだ。渡してあげてください…」 オレはそう言って恵さんにダブルデッカーの木の車を手渡すと、彼を見上げて聞いた。 「…また、電話しても良いですか…?」 オレの乱れた髪を指先で直しながら瞳を細めると、恵さんが言った。 「…もちろんです。」 森さんがパトカーに乗せられるのを見送ると、桜ちゃんの居なくなった部屋で映画を見始める… 3人の男が赤ちゃんの面倒を見る羽目になるって言う…なんともタイムリーな映画を見た。 「ああああ!桜ちゃ~~ん!」 映画を見ながら絶叫して桜ちゃんへの愛を叫ぶ。 知ってる…あの子は、桜ちゃんじゃない。 …どん吉なんて、酷い名前だ。 あんなセクシーな目元をしてるのに…どん吉なんて… 大人になった時、セックスしてる時に、彼女はあの子をどう呼べば良いんだよっ! これじゃ…モテないじゃないか…! 「…で、その映画を見て…泣いて、俺に電話を掛けて来たの…?」 明るい真っ白な布団の中で、半開きの瞳をもっと薄く開いて勇吾がそう言った。 オレは桜二のバスタオルを噛み締めながら彼に言った。 「だってぇ!っだってぇ!」 「…でも、よく耐えたじゃないか…。もっとごねるかと思ったけど、意外にすんなりと子供を預けた様子に安心したよ?寂しかったら、犬でも飼えば良いんだ。名前を…桜ちゃんって名前にして、チワワでも飼ったらいい。」 酷いだろ…? ジト目で寝ぼけた瞳の彼を睨みつけると、口を尖らせて言った。 「どん吉なんて…変な名前を付けられていた…」 「あ~はっはっはっは!ロメオよりやばいな!それを日本では、キラキラネームとか…DQNネームとか言うんだろっ?あ~はっはっはっは!!」 寝起きでそんなに大笑いして…血圧が高くなって、倒れちゃえば良いんだ…! 「はぁはぁ…どんきっつぁん…ぷぷっ!どんたん…ぷぷぷ!ねえ…シロは、どん吉をこれから何て呼ぶの?」 勇吾がそう聞いてくるから、オレは顔をキョトンとさせると、不貞腐れた様に首を傾げて言った。 「…もう、呼ばない。だって、オレには…もう、関係ないもん。」 「関係なくない。そのお母さんが落ち着いて、どん吉と暮らせるようになったら、たまに、面倒見てやれば良いだろ?桜ちゃんがじいちゃんなんだからさ…。仲良くして、離れなかったら良いじゃないか…」 あぁ…! 「そうか!そうだ!…確かに、勇吾の言う通りだ!!」 満面の笑顔になってそう言うと、急に寂しさが薄れていく。 桜二の娘が落ち着いて…どん吉と二人でまた暮らせるようになったら、今回の様に…あの子を預かったり、一緒に遊びに行ったり…出来るかもしれない。 「…うわぁ…!勇吾は天才だ!あ~はっはっは!愛してるよ!ハニー!」 携帯を手に持って転げまわりながら喜ぶと、寝起きの彼に別れを告げてさっき見た映画をもう一度見る。 そうだ…どん吉と、永遠のお別れをした訳じゃない。 桜二のヒステリックな娘が落ち着いたら、またあの子を預かれば良いんだ! だって、あの子は…生きてるんだ! 「ふっふ~!」 不思議だね…あんなに号泣しながら見た映画なのに、今はケラケラ笑って見れる。 勇吾は…凄いな…ふふ。 ローテーブルに置いた携帯電話がブルル…と震えて、支配人からのメールを受け取った。 “明日から営業します。体を綺麗にしてから来てください。” どういう意味だよ… そこはかとなく、気持ち悪い文だな… 「さあさ…やっと、お仕事が出来る…!」 そう言って伸びをすると、そのままストレッチを始める。 …桜ちゃんの負荷が恋しいよ。 オレの自宅には練習部屋がある。だから体が鈍ることは無い。 でも、あの店の、あの雰囲気で踊るのは…久々だからね。 楽しみでもあり、緊張でもある。 “シロ!明日、遅刻しないでね!” そんな楓からのメールを流し読みしながら、映画の続きを見て、ストレッチをする。 美しくてブレないアラベスクをキープすると、伸ばした手の先、リビングの壁の影に誰かが見えた。 「…兄ちゃん」 オレがそう呼ぶと兄ちゃんはオレの傍まで来て、何も言わないでオレを見つめると、伸ばした手の先を掴んで揺らした。 「ああ…!」 簡単に揺らされて体をよろけさせると、兄ちゃんを見つめて言った。 「ん、もう、揺らさないで…!」 「ふふ…シロの体幹は?」 え…? 「…シロの体幹は、こんなもんじゃブレないんだろ?」 兄ちゃんはそう言うと、首を傾げてオレの顔を覗き込んだ。 そうだよ、そうだけど…あなたにだけは、簡単にブレる。 あなたにだけは…簡単にブレて、揺らいで、バランスを崩して…すぐに崩れ落ちる。 大好きな兄ちゃんの瞳を見つめると、胸が熱くて、苦しくて、辛いんだ… 「兄ちゃん…もう、消えて…」 そんな突き放す様な言葉を言った癖に、兄ちゃんと見つめ合って、まるで彼がそこに居るような気がして…腕を伸ばして抱きしめた。 …居ないんだ、馬鹿野郎。 何回、言えば分かるんだよ…シロ。 兄ちゃんは、もう居ないんだ。 分かってるのに…間違ってるのに…手放せないで、未だに縋ってる。 ひとりきりのリビングで呆然と立ち尽くすと、行き場の無くなった両手で、自分を抱きしめた。

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