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第22話
「シロ、おいで!楓にチップ渡して!」
楓のショーが終わると、お客がオレにチップを咥えさせてステージに寝転がせる。
もちろん、オレはお姉さんを一緒に抱きかかえると、ステージの上で彼女を襲った。
「エロガキは変わらずだな!」
そんな暴言を受けても、平気だもん!
オレから逃げようと体を捩らせるお姉さんに、両手、両足でしがみ付くと言った。
「オレと赤ちゃん作ってよ~!」
「最低だな!」
割と本気で言ったのに、お姉さんは、オレの腹を思いきり叩くと逃げて行ってしまった…
「あぁ…シロは、本当に悪い子だね?」
ステージでお姉さんに伸されたオレを見下ろすと、楓はニヤリと口端を上げてオレに覆い被さって来た。
「フォーーー!楓ーー!シロにお仕置きしろ~~!」
そんな外野の声に、楓は目の奥をギラリと光らせて言った。
「もちのろんよ!」
オレの顔にゆっくりと近付くと、口に咥えたチップを唇で掴んで持って行った。
そのままオレの脇の下に両手を入れると、ステージにズルズルと引き上げて行く。
「あ~はっはっは!」
大笑いするオレの足の間に体を入れると、そのままオレのお尻を持ち上げて言った。
「ファックしてやるぞ~~~!」
最悪だ!
今日はついてない…
「やっちゃえ~~~!楓~~!シロをやっちゃえ~~~!」
「ふふっ!どうしてやろうかな~?あっ!そうだ!」
オレの体の上で楓は何かを思いつくと、体を屈めてオレにキスした。
「おぉ…」
そんなマジの声が聞こえてくるようなガチのキスをすると、楓はオレから唇を離して言った。
「鼻の穴!かっぽじれっ!」
「え…?」
どういう事…?
彼の顔を見上げたまま戸惑っていると、楓は再びオレの口に唇を覆う様に付けて、思いきり息を吹き込んだ。
「ぶほっ!」
「あははは!どうだ~!まいったか~?」
鼻から息を吹き出されて…妙に羞恥心を感じさせられると、楓は意気揚々とカーテンの奥へと退けて行った。
「あぁ…シロ、ブホッて…やられたね…可哀想に。」
そんな声をお客に掛けられながら、まるで…スカート捲りをされた女子のような…羞恥心を抱えたままステージの上で放心する。
「はっ!」
我に返ると、目の前のお客のショットガンをテーブルに叩きつけて、お客と一緒に一気飲みする。
「あ~はは…!シロ、もう一杯飲めや~!」
すっかり出来上がったお客がそう言って、オレにもう一杯ショットグラスを差し出して言った。
「あはは…テキーラじゃダメだぁ…シロ、もっと強いの持って来いよ~!」
彼の言葉にコクリと頷くと、カウンターへ行ってスピリタスの瓶を手に持って戻って来た。
「シロ…お前…」
ウェイターが止めるのも無視して、ショットグラスにスピリタスを注ぐと、すすっとお客の前に出して言った。
「どうぞ?」
「はは…なんだ、水みたいじゃないか!」
そう言ってお客がショットグラスに手を掛けると、慌てて追いかけて来たマスターが怒った顔をして言った。
「これよりも…こっちの方が美味しいですよ?」
そう言ってオレが並々に注いだスピリタスの入ったグラスを手の中に隠すと、違うショットグラスと入れ替えた。
ウェイターにしょっ引かれてカウンターに連れて来られると、マスターのお説教が始まる。
「スピリタスを、ストレートでショットでお客に出すんじゃないよ!急性アルコール中毒になったらどうするんだ!96度もあるんだぞ?救急車が来て、アルコールを管理する俺が怒られるじゃないか!」
「だって、もっと、強いの持って来いって、あの人が言ったんだもん!」
オレがそう言うと、マスターは首を横に振って行った。
「良いか?彼はもうテキーラのショットを4~5杯飲んでんだ。そろそろバタンと倒れて、周りのお友達とお家に帰るんだ。そんな酔っ払いにスピリタスなんて飲ませてみろ?下手したら死ぬぞ。」
ふふっ…!
この前のお姉さんは、スピリタスに火を付けて飲み干した。しかも、そのあと平気な顔をしてサンバまで踊ってた。
酒豪がいるなら、彼女がそうだ。
オレはダメだ…だって、さっきのテキーラが、効いて来た…
目を回してヨロヨロしながら階段を上ると、ごにょごにょ言ってる支配人の背中にくっ付いて眠った。
「なんだかんだ言ってね、酔っぱらってどうしようもなくなると、俺のとこに来るんだもん。シロは多分、俺の事が好きなんだろうな~って思うんですよね~?」
支配人がそう言いながら、オレをおんぶする様にして、お尻を撫でた。
彼の話し相手はケラケラ笑うと、訝しがるような声で言った。
「あはは!お父さんだと思ってんじゃないの?」
「んな訳ない!この子はね…結局、俺の事が、1番、大好きなんですよ?」
「シロ、結婚してんじゃん!」
「なに…さっき破局したからね?俺の目の前で、もう!別れる!って言ってたからね?ちゃんと聞きましたからね。はいはい。終わった事、という事でね…」
「あぁ…茂ちゃんは、また自分の良い様にそんな事、言って~!悪いおじ様ぁ!」
このノリ…
多分…いつもホスト目当てで遊びに来る、お姉さんと話してるんだ…
彼女以外、支配人を茂ちゃんなんて呼ぶ人いないもんね。
ぼんやりと開いた瞳で支配人のスーツの生地を眺めると、爪を立ててガリガリとほじくった。
「あっ!馬鹿野郎!俺の一張羅で爪とぎするんじゃねえよっ!」
支配人がそう言ってオレのお尻をペチペチと叩いた。
フラフラと彼から離れると、後ろの棚にぶつかってそのまま座り込んで寝た。
ダメだ…呑まれた…
ビールもろくに飲み干せなくなったオレの体に…テキーラが染み渡った…
寝る以外の選択肢がない。
「シロ?シロ?寝てるだけ?それとも急性アルコール中毒になった?」
「まさかぁ!」
支配人の問いかけにそんな返事だけはちゃんとして、彼の足元で丸まって眠る。
飲んだくれた時は、ここが一番の安全地帯だって知ってる。
楓の所は色々な意味で危険だし、お客の前で寝る訳にもいかない。だから、ここに来るんだ。
知ってる?
ラーテルって動物は、一番強いんだ。
毒を解毒する力があるから…毒蛇に嚙まれても死なない。
こんな風にぐったりと眠って…静かに体内の毒が無くなるのを待つんだ。
そして、解毒が済んだら、また起き上がって歩き出す。
オレもそうだよ?
「もう良くなった!」
そう言って体を起こすと、支配人の体を掴んで起き上がる。
「お前…これから踊るのに、そんなんで大丈夫かよ…」
支配人が据わったオレの瞳を覗き込んでそう言うから、ケラケラ笑って言ってやった。
「オレはね?ラーテルだから、あははは!大丈夫なんだよぉ?」
そのままふらふらと階段を下りると、控室に入ってメイクと着替えを済ませる。
「シロ?僕、もう帰るからね?」
「ん~!また明日ね~?」
頬にキスを貰って楓を見送ると、ストレッチをしながら目を覚まさせる。
「お仕事…お仕事…!」
飲んだくれても、お仕事はしっかりとパーフェクトを心がけるよ?
ここは、オレの大事なステージだからね?
水をがぶ飲みして体を動かすと、大分スッキリして来た。
昔はテキーラなんて、かき氷のシロップと同じ様に一瞬、喉が焼ける程度だったのに…年を取ったのかな…?
「はぁ~やだねえ…」
このまま年寄りのストリッパーになって行くなんて…時間というのは残酷だね?
カーテンの裏に立つと、手首と足首をぐるっと回して、首をゆっくりと回した。
大音量の音楽がカーテンの向こうで流れると、お客が大盛り上がりをする。
どうしてかって?
この曲が有名だからだよ。
グローリア・ゲイナーのI Will Survive…失恋の曲だね。
カーテンが開いてステージの上に行くと、60年代の曲に合わせて振り付けて踊る。
「シローーー!もう、もう、結婚は終わったのか!」
そんなお客の声に笑顔を向けると、曲に合わせてポールを駈け上って行く。
オレは自由だ~!なんて気持ちを入れて、回転しながら体を持ち上げていく。
無重力?いいや、重力はしっかりとあるよ。
それを無視して、体を強引に持ち上げていくんだ。
まるでそう見えるようにね…?
肩も、腕も、悲鳴を上げて行くけど…構いやしないさ…
「勇吾の、バカヤロ~~~!」
ポールの上で回転しながらそう言うと、体を仰け反らせて、ランの花びらの様に背中で弧を描いていく。
「なんだ!シロ、夫婦喧嘩か!?」
仰け反った両手でポールを掴むと、ポールを掴んでいた太ももを緩めて両足をそろえて逆立ちをする。
「シローーー!」
…オレは勇吾なんていなくったって、十分に凄いんだ。
勇吾なんて、いなくたって…!
ボー君が、オレの凄さを発信してくれるんだ!!
両手に力を込めると、沈み込んで一気に体を上に持ち上げた。
ポールを掴んだ手を離して、瞬時に入れ変えると、揃えた両足を体の前までグルンと下ろして…その勢いのまま回転しながら降りていく。
膝裏にポールを掴んで体の向きを変えると、腰からゆっくりと体を仰け反らせていく。
この曲の様に…パワフルで…勢いのある…そんな、ポールダンスだ!
DJが上手に60年代のグローリア・ゲイナーのI Will Surviveから…現代のデスティニーチャイルドのSurvivorに曲を移していく…どちらも、失恋…というか、自立の曲だ…
ポールから降りると、不機嫌そうな顔をしたまま、衣装のボディスーツのチャックを下げていく。
いやらしく腰を動かしながら、目の前の男だけに愛想を振りまいて、白くて細い肩を厳ついボディスーツから覗かせていく。
「はぁはぁ…シロ…」
惚けた顔をしたまま、オレに睨み付けられるお客を見つめ続けると、ボディスーツを腰まで下げて膝を付いて四つん這いになって、胸を床へと沈めて行く。
しなる腰に注目を集めると、ゆっくりと膝を開いて腰をゆるゆると動かした。
ファックされてるみたいにいやらしくお尻を動かすと、クッタリと色っぽい瞳をお客に向けながらヨダレを垂らした。
「シロ…勃っちゃうからぁ…やめなさぁい…」
仏の様に穏やかな表情になったお客がそう言った。
ふふっ!
きっと、もうギンギンに勃ってるんだ。
クスクス笑うと、彼から視線を外して立ち上がった。
そして、前屈しながらボディスーツを下まで脱ぎ切ると、足で放って袖に投げた。
エントランスから桜二が店内に入って来るのが見えても、オレはムスくれた顔のまま踊った。
「機嫌悪子だな~?」
チップをくれるお客にそう言われても、オレは機嫌の悪い顔を崩さないよ?
「そ、そ、そんな顔が…最高に好きだぁ…」
そう言うお客がいても、オレは機嫌の悪い顔を崩さないよ?
みんなからチップを集めると、にっこりと笑顔になってお辞儀をしてカーテンの奥に退けて行く。
「はぁ…久しぶりのステージなのに、誰かさんのせいでムカムカが収まらないよ。」
誰も居ない控室でポツリと呟くと、早々に私服に着替えて返り支度をする。
誰かさんのくれたショルダーバックにメイク道具を放り込んで肩に掛けると、コートを手に取って控室を出た。
金勘定を始める支配人を横目に見ながら店内へと戻ると、階段の踊り場からカウンター席の彼を見つめながら階段を下りた。
「桜二…今日、嫌な事あった。」
彼の背中に頬を付けてそう言うと、桜二はクスクス笑って言った。
「随分、機嫌が悪いんだ…俺の聞いた話によると、勇吾にブチ切れたそうじゃないか…もう、離婚だね?」
はぁ…
もう、どいつもこいつも…馬鹿野郎ばかりだな…
「抱っこしてって!」
そう言って彼の背中をバシバシ叩くと、背中によじ登って言った。
「おんぶしてって!」
「全く…どっちだよ…」
そんな、ぶつぶつ言う桜二の声なんて、知らない!
彼の肩に顔を乗せて、ガジガジと肩を噛んで言った。
「文句言うな!」
「へいへい…」
「姫の機嫌が悪いぞ~!」
家に帰ると、桜二がリビングに行きながらそう言った。
嫌になるね!?
喧嘩を売ってるとしか思えない!
「あぁ…!今、片付けてた所だよ?」
ボサボサ頭のままの依冬はそう言うと、ソファの周りに散らばった食べ残しや、ビールの空き缶を大急ぎで片付け始める。
桜二はオレのお着換えセットを手に抱えると浴室前にセットして言った。
「お湯を張っておきました。今日は…どの入浴剤にしましょうか?」
「…ふん!」
オレは入浴剤の箱を漁ると、白い入浴剤を手に取って桜二の体を手で押して言った。
「あっち行って!」
「さすが!俺も、その入浴剤が良いと思って…」
彼が無駄にオレをヨイショするのを無視して脱衣所の扉を閉めると、服を全部脱ぎながら洗濯機に乱暴に放り込んだ。
シャワーを頭から浴びて体を洗うと、顔に滴る水を無視してそのまま浴槽にちゃぽんと浸かった…
はぁ…
「ボー君たち…チッパーズは良い子なんだ。勇吾のファンだけクズなんだ…。外国人、みんなが酷い奴じゃないんだ。ケインもショーンも、勇吾の職場のスタッフだって良い子達だった。モモも、ダンサーの子達も…良い子だった。今日来た、あいつらだけ…嫌な奴なんだ…」
ぶつぶつそう言いながらお風呂に浸かると、両手にお湯を溜めて顔に掛けた。
「はぁ…」
深いため息を吐いて、浴室の天井を見上げてポツリと呟いた…
「勇吾は…クズだな。」
だって、オレの自宅の前に、取材か、嫌がらせか、どちらの目的か分からない…ゴシップ誌の記者が張り込んでいても、彼は何もしてくれなかった。
オレがお店に立つと分かってるのに、自分のファンや、その他に向けて、迷惑をかけるな!の一言もポーズも無かった。
オレが迷惑だって話しても”どこの記者か写真撮っといてよ~“
…それだけ。
…なんで、オレがそんな事しなきゃダメなの?
普通、そういう事って…お前がやるんじゃないの?
「…ムカつく~!」
浴槽の水面を手のひらでバシャバシャ叩くと、全部、自分の顔に跳ね返って来て、顔中水だらけになる。
「くそっ!くそっ!くそっ!くそっ!!」
右手に付け替えたままの結婚指輪を見つめながら、苦々しい顔をしてリングを外すと、内側に彫られたメッセージを眺めて、口を歪めて言った…
「小鳥になりたいだぁ?お前なんて…焼き鳥にして食ってやるよっ!この、口だけ男!」
桜二がケチ・くさ男(お)だとするなら…勇吾は、くち・だけ男(お)だ!
調子の良い事ばっかり言って、結局、人に全てを丸投げするんだ!
「ん、もう!頭来ちゃうね!」
そんな事を言いながら、左手の薬指にリングを戻していく自分にも腹が立つ!
「惚れた弱みか!惚れた弱みなのか!違う!真司君が、野に放つなって言ったから!オレは、あいつを嫌でも繋ぎ留めなきゃダメなんだぁぁっ!」
浴槽のお湯を叩いて頭から水だらけになって暴れると、少しだけ…すっきりした。
好きじゃない…
何もしてくれないで、放ったらかしにして、遠く離れた所からケラケラ笑うだけなら…誰だって出来る…
誰だって出来るんだ…
「勇吾の馬鹿…」
そう言うと、もう何も話したくなくなって、口をお湯の中に沈めた。
暴れたせいか…浴槽のお湯が少なくなった…
手のひらでお湯を掻き混ぜながら、ぼんやりとお湯の上に出る指先を見つめる。
ネッシーが本当に居るなら…きっと、こんな感じに背中が見えるのかな…
それとも、こんな感じかな…?
そんなどうでも良い事を考えながら、指先で湖面に浮かぶネッシーの背中を何パターンも再現した。
のぼせたのか…気持ちが落ち着いたのか…すっかり大人しくなるとお風呂を出て、桜二が用意してくれた着替えを着て、洗濯済みの新しいパジャマを着た。
リビングへ向かうと桜二と依冬がお揃いのパジャマを着てオレの登場を待ち構えていた。
オレはそれを横目に見ながら冷蔵庫へ向かうと、ミネラルウォーターを手に取ってガブガブと飲んだ。
妙に…似合ってる。
このイケメン達と、この可愛らしいパジャマの相性は、思ったよりも良い。
ついうっかり、怒りを忘れて、しっぽを振りながら近付いて行ってしまいそうだ…
「ねえ?シロ?見て?俺の緑の…可愛いでしょ?」
「俺の黒いのも…かっこいいだろう?」
ご機嫌取りに必死な彼らを無視すると、自分の部屋に行って布団に潜った。
何がこんなに苛つくのか…
なにがそんなに嫌だったのか…
勇吾のファンに邪険に扱われた事?
それとも、英語を話せないという理由で…馬鹿にされた事?
枕詞の様に付きまとう…彼の名前?
家の前に毎朝集まる…桜二の娘を含めた、雑誌記者の存在?
オレが相談しても…何もしてくれない彼が、1番、ムカつく。
「はぁ…」
深いため息を吐くと、目を閉じて眠った。
もう、うんざりだった。
「シロ?朝だよ…」
そんな桜二の声に瞳を開くと、黒い猫柄のパジャマを着た彼と目が合った。
「可愛いね…」
そう言って彼の胸を撫でると、そのまま彼の首に手をかけて自分の方に引っ張り寄せる。
「おっと…」
そう言ってよろける彼を抱きしめると、桜二の頬に頬ずりして言った。
「ね…オレのファンクラブがあるって知ってる?」
「…いいや。いつ、発足されたの?」
桜二はそう言うと、オレの体を抱えて持ち上げた。
「新大久保でハニとSM対決をした時、その場にいたボー君って子がオレのファンになったんだ。彼が発起人になって…世界中にオレのファンを増やしてくれてる。」
桜二の体にしがみ付きながらそう言うと、彼のうなじにキスして言った。
「彼らは自分たちの事を何と呼んでいるか、知ってる?」
「…さあね?シロのファン…じゃないの?」
桜二のぼさぼさの髪を撫でながらクスクス笑うと、正解を教えてあげた。
「チッパーズだ!」
「あふふ!…あぁ、あっはっは…あぁ、そう。ふふっ!」
抱っこして貰いながら彼のパジャマの襟を直すと、彼の頬を両手で撫でて言った。
「チッパーズの、公式の挨拶方法を知ってる?」
「…ん~、分かんない…」
「こうだ!」
オレはそう言うと、桜二の目の前で指ハートをして指を擦り合わせた。
「ぶふっ!ストレートで…下品だな?」
「冗談だと思ってるでしょ?チッパーズは本当に実在するんだよ?」
オレがそう言うと、桜二はへらへら笑ってオレをソファに置いて言った。
「あぁ、そうだね…」
絶対、冗談だと思ってる…!
寝れば治るって…本当だ。
昨日のイライラはすっかり解消された様に、心穏やかに目覚める事が出来た。
ただ、勇吾の事はムカついている事に変わりない。
そのイライラを当たり散らす事をしなくなっただけだ…
「おはよう~…」
緑の猫柄パジャマを着た依冬が、目を擦りながら起きて来た。
「どうして…こんなにボロボロになっちゃうの?」
そう言いながら依冬のグチャグチャに乱れたパジャマを綺麗に直してあげると、ギュッと抱きしめて言った。
「依冬…依冬…?森さんはオレに暴行を働いた件で、結城さんの弁護が出来なくなったって。昨日、結城さんがそう言ってた。彼は多分、求刑通りの刑を受けるよ…。」
彼の胸に頬を付けてそう言うと、依冬はオレの頭を撫でながら言った。
「えぇ…そうなの?って言うか、毎日、連日会いに行ってるの?もう、危ないから近づいちゃダメだよ…。まったく、はぁ…」
若いのに、おじいさんの様なため息を吐く依冬を抱きしめると、同じ様にため息を吐いた。
「はぁ…そうだねぇ。」
そんな気の抜けた返事をすると、視線の先の桜二がオレを見て口元を緩めて笑った。
…彼らは、オレが結城さんとセックスしたなんて知ったら、大騒ぎするだろう。
だから、オレは墓場まで持って行くつもりだよ?
限られた時間の中で、あれが最大限の一手だった。
あの方法が、あの人には一番手っ取り早い方法だったんだ。
…それに、オレも嫌じゃなかった。
だって、クラクラスルくらい…色っぽいジジイだったんだもの。
「依冬君は…良い体をしているねぇ…」
ふざけてそう言うと、彼のお尻を両手で撫でて、揉んだ。
「もしもし…恵さんですか…?桜ちゃん…じゃない、どん吉の様子はどうですか…?」
リビングの窓から青山霊園を眺めながら、コソコソと電話を掛けると、電話口の彼は、今日も、嫌な顔ひとつもせず、どん吉の様子を教えてくれた。
「ミルクを飲んで…元気に遊んでいる様ですよ。」
…良かった。
ホッとした気持ちと…寂しい気持ちを噛み締めながら、電話口の彼に言った。
「…分かりました…ありがとう。」
恵さんは彼が言った通り、オレがいつ電話を掛けてもどん吉の様子を教えてくれた。
児童相談所を信用できないオレの為に…彼は努力してくれてる。
この人は、優しい人だ…
チャリン…
新しい500円貯金箱を差し出すと、依冬から500円を徴収して桜二が言った。
「この前の500円玉貯金を利用して、お箸を新しく買い換えました。」
「おお!さすがだね!」
自分しか支払ってない500円玉貯金なのに、依冬は何の疑問も抱かずにそう言って桜二を褒め称えた。
依冬は馬鹿じゃない、素直なだけだよ?
「シロの箸は…この、水色の猫の絵が描いてあるやつだよ。依冬のは…この茶色の…俺のは黒いお箸。分かった?」
桜二はそう言いながらみんなにお箸を配ると、依冬を見て小言を言った。
「お前は箸をかじる癖がある。それを直さないと、またすぐに箸がダメになる。」
依冬はキョトンとした顔を彼に向けると、首を傾げながら言った。
「そうかな…?」
オレは可愛い水色の猫の箸に体を揺らすと、桜二の卵焼きを摘んで持ち上げた。
「あぁ~…!綺麗な黄色。」
うっとりとそう言うと、ガブリとかじって歯応えを楽しむ様にモグモグした。
「ん~~!桜二の卵焼きは、やっぱり、最高に美味しいね?卵焼き屋さんを開くなら、歌舞伎町みたいな街が良いよ?だって、みんな家庭の味に飢えてるからね?」
ケラケラ笑ってそう言うと、依冬が首を傾げたまま体の動きを止めた。
この子はたまにこうなる。
頭の中で一生懸命考えてる時に見られる、停止状態だ。
きっと思考に全エネルギーを使ってしまって、他の機能が停止してるんだ。
「もし、そうするなら…毎月のテナント代と光熱費、みかじめ料を回収出来るだけ儲けが無いとダメだね。それには、ひとつ1、000円で売るとしたら…1日に500個は売らないとダメだ。卵を仕入れるにしても、卵焼きひとつ作るのに3個卵を使うとして、単純計算で1、500個の卵を仕入れる必要がある。それを保存するための冷蔵庫と、仕入れ先を考えないとダメだね。歌舞伎町に店を構えるのは良いと思う。きっと酔っ払いが買っていくだろうし、あそこで働く人たちも利用すると思う。ただ、そうなると…1000円の単価で、客が付くのか心配ではある。使う卵をこだわる必要があるかもしれない。そうすると必然的に仕入単価が上がって…」
「もう…良いよ。」
オレはそう言うと、依冬の夢の無い長い話を止めた。
ごちそう様をすると、洗い物をする桜二の背中に甘ったれて言った。
「勇吾は、オレが困ってるって言うのに、ケラケラ笑うだけで何もしてくれないんだ。酷いだろ?ボー君が言ってた。予測出来る事に事前に対応しないのは勇吾の落ち度だって!」
「…ボー君は、すごいしっかりした事を言うんだね…」
桜二はそう言うと、洗い物を手際よく片付けて冷めた口調で言った。
「そういう理想論は…働いてない人がよく言う事だ…」
ああ!
…桜二がボー君を馬鹿にした!
パジャマのボタンを外しながら自分の部屋へと向かう桜二の後ろを追いかけると、彼の腕を引っ張りながら言った。
「違う!ボー君は、きっと働いてる!ニートじゃないよ?オレのファン、チッパーズだもん。」
「ははは!何それ!だっさ!」
通りすがりの依冬がそう言ってオレを馬鹿にするから、彼の後を追いかけて言った。
「ダサくないよ?チッパーズは全世界に進出してるんだ。こうやって…合図するんだ。」
オレはそう言うと、白いシャツを羽織った彼の目の前で指ハートをこすり合わせて見せた。
依冬はオレの指ハートを見ると、オレの目を見て、にっこり微笑んでキスして言った。
「可愛いね?チップが欲しいの?」
ん、もう!
彼らはチッパーズをオレの作り出した冗談だと思ってる!
今度、ボー君に会わせてやろう…!
「…YouTubeにオレをアップロードしてるのは、ボー君なのに…」
ポツリとそう言って桜二を目で探すと、依冬がオレの手を掴んで言った。
「…ほんと?」
「うん…でも、YouTubeの収益は全部お店に還元してるって言ってたよ?」
妙に真剣な顔をする依冬にそう言うと、ボー君がくれた名刺を取り出して彼に渡した。
「肖像権で訴えたりしないで?良い子だったんだ。」
彼の顔を見上げてそうお願いすると、依冬は瞳を細めて言った。
「どっちみち権利の主張はするさ。ただ、広報の様に使わない手はない。コンタクトを取ってみようかな…。良い?」
オレは首を傾げると、依冬を見上げて言った。
「虐めたりしないで?優しくしてくれるなら良いよ。」
「分かった。約束するよ。ふふっ、チッパーズは…実在したんだね?」
依冬はクスクス笑うと、ボー君がくれた名刺を携帯で撮影してオレに返した。
彼はオレのファンに失礼したりしない。
礼儀の分かる外っ面を持った男だからね?
ズッカケを履くと、今日も桜二と依冬の前に立って玄関を出た。
また今日も、例の雑誌記者達がいるかもしれないからね…?
でも…勇吾が昨日言ってた。
弁護士に頼んで、取材拒否したからって…勇吾が言ってた。
もしかしたら…今日はいないかもしれない…
そんな期待を抱きつつ、階段を下りながら駐車場を見ると、うんざりして言った。
「見て?依冬…勇吾の権威は海を越えると霞むみたいだ。誰も彼の言う事なんて聞かないし、誰も海外の弁護士の言う事なんて聞かない。そもそも、話自体、彼らに届いているのかも…不明だね?」
オレがそう言うと、依冬はオレの肩をポンポン叩いて言った。
「そろそろ、俺の弁護士に頼んでみよう…。もともとは勇吾さん発信の記者達だ。彼が対応するのが筋だと思って何もしなかったけど、シロだってうんざりしてるよね…。」
あぁ…そうだ。
早々に田中のおじちゃんに言ったのに、交番のお巡りさんはそんなにしょっちゅう見回りに来てはくれなかった…。
毎日、毎日、同じ時間に巡回に来てくれるだけで良いのに…それすらしてくれない。
きっとオレが交番にいた方が、市民の安全を守れる。
…そんな気がしてならないよ。
「気を付けてね~…」
そう言ってふたりに手を振ると、オレの周りに集まってくる記者を無視して部屋に帰った。
「今日は、何も話さないんですか?!」
そんな言葉を投げかけられたって、もう、うんざりだ。
毎朝、毎朝、うんざりだ…
「はぁ…」
玄関に入ってため息を吐くと、目の前に置かれたどん吉のベビーカーを見つめる。
「どん吉…会いたいな。」
こんなささくれだった心には、あの子の可愛い笑顔が必要なんだ…
ベビーカーのシートを撫でると、項垂れてしゃがみ込んだ。
どん吉…
「シロがいるよ?」
俯いた視線に小さい子供の足が見えた。
幼い頃のオレが姿を現して、オレの顔を覗き込むとにっこりと笑って言った。
「どうして?シロがいるのに…他の子が良いの?」
「違うよ…シロは、大きいだろ?」
「大きくないよ?シロはシロより大きくない。」
ふふっ…確かにそうだ。
オレは幼い頃の自分の手を握ると、一緒にリビングへ歩いて向かう。
あの子はオレを見上げると、にっこり微笑んで言った。
「ねえ?シロ。勇吾はシロの事、要らないみたいだね?」
「え…?」
戸惑って固まるオレの足にしがみつくと、あの子はとっても優しい笑顔をして言った。
「…だから、大事にしないんだよ?だから、ほったらかしにするんだ。」
そうなの?
…そうなのかな…
床に力なくへたり込んで座ると、幼い頃のオレがギュッと体を抱きしめて言った。
「傷付いた?シロ…勇吾がシロを大事にしなくて…傷付いたの?」
そう言ったあの子の声が耳の奥を行ったり来たりして、オレの頭を揺らす。
傷付いた…
傷付いたのかな…
「…分からない。」
そうポツリと答えると、目に見えない幼い頃の自分を抱きしめて膝の上に乗せた。
「もう…良く、分からない。」
どん吉に会いたい…ロメオに会いたい…
真っ白で汚れの無い人に、自分を癒して欲しい。
この子や兄ちゃんと話すと…胸の奥が疼いて来て怖いんだ。
まるで、また、あの、混沌がオレを覆い被してしまう様な、恐怖を感じるんだ。
近頃は、彼らの表情が…初めの頃と違って、暗く影を落とした表情に見える…
産まれた瞬間から酸化していく生き物みたいに…彼らも劣化して行ってるみたいだ。
”本物は…朽ちていく過程も美しい…“
そんな自分の言葉を思い出して、唇を噛み締める。
彼らはオレが頭の中で作った“偽物”だから…こんなに、醜く、朽ちて行くんだろうか…
見つめていると…飲み込まれてしまいそうな、ぐるぐるのブラックホールみたいな瞳から目を逸らすと、触れもしない幼い頃の自分を両手で抱きしめた。
…そろそろ、潮時なのかもしれない。
この子とも…兄ちゃんとも…別れなければいけないかもしれない…
このまま続けていると、良くない気がする。
#桜二
「また、やってるな…」
ベビーカーに仕掛けた盗聴器はそのままにしてある。
ある一定の距離まで離れると音は拾えないけど、録音した分を毎晩聞きながら寝ている。
変態?
違うよ。理由があるんだ…
どうしてかって…?
ひょんなことから、シロが独り言を話している事実を知ったんだ。
それは、どん吉に一方的に話しかけていた様なものじゃない…
もっと、病的で…見逃す事の出来ない、独り言。
あの人の主治医…土田医師には既に報告済み…
同じ轍は踏まないさ。
俺の手に負えなくなる前に…専門医に助けてもらう必要があるんだ。
あの子はまだ不安定で…燻っている。
イギリスにひとりで行けた経験は…あの子に自信を与えた。
だけど、そんな事関係ないみたいに…シロは俺や依冬に隠す様に、狂っていた。
まるでオンとオフ切り替えられるように…器用に、バレない様に…狂っていた。
仕掛けたままの盗聴器の録音を聞いた時、あの子の独り言を聞いて鳥肌が立った。
まるで、ひとり芝居でもする様に…誰かの声色を真似て話し出したんだ。
察するに余りある、その声の主は…幼い頃の自分と…お兄さん。
児童相談所の男が家に来た後…あの子はお兄さんを詰って…お兄さんの声真似をしながら自分に話しかけた…
「あぁ…やってんな…」
それが俺の第一声だ…
それは諦めにも似た、絶望にも似た感情。
あの人から、お兄さんは切っても切り離せない。それは周知の事実だ。
だからこそ…
間違った方法でお兄さんと繋がって居ようとするあの人が、哀れで…可哀想だった。
シロの中では、お兄さんを思い出にする事が出来ないんだ。
「可哀想だよ…シロ、俺の壊れた恋人…」
ポツリとそう呟くと、盗聴器の電波が届く圏外になったのか…あの子の声も聞こえなくなった…
勇吾のクソッタレが、再びあの子を振り回してる。
あいつの取り巻きや、あいつの情報欲しさで毎朝自宅前に集まる記者。
その他もろもろが、あの子のストレスになってる。
「だぁから、あんな男、止めとけって言ったんだ…」
ハンドルを切りながらそう言うと、想定内の渋滞にブレーキを踏む。
土田先生の見解はこうだ…
シロは…自覚して浸ってる。
あの人は自分で自覚しながら…あの独り言をしてる。
だから…放っておいても、平気だと言った。
いつか自分でけじめを付けて…手放す時が来ると、そう言った…
本当かよ。
土田医師の話を聞いた時も、そして今もまだ、半信半疑でいる。
このまま放って置く…
その選択が後々の後悔を生まないか、不安なんだ。
赤ん坊に執着する様子も、微笑ましくなんて見られない。
あの子の中には、いつも必ず、闇が潜んでる…
だから、行動や趣向の理由を探してしまう。
赤ん坊が好きなのは、自分の幼い頃をだぶらせて愛を注いであげたいから…
どん吉を手放さないで取り乱したシロを見たら、それが確信になった。
俺をお兄さんと混同して縋りついて来たあの子の表情が…痛々しくて、堪らなかった。
「はぁ…シロ。愛してるよ。何があっても傍に居るよ…」
徐々に進む渋滞を、苛立ちもせずに毎日の事の様に過ごすと、携帯電話を手に取った。
スピーカーにして電話を掛けると、電源が入っていない為掛かりませんと来た。
「クソッタレだな…お前は、ほんと、いつもクソッタレだ。」
そうポツリと呟くと、右折信号を待ってハンドルを切って渋滞を抜けた。
俺に出来る事…
このまま、あの子の病的な独り言を無視して…気付かない振りをする事。
それは思った以上に辛くて、しんどい事だけど…
同じ轍は踏まない。
専門家の言う通り、指示に従うさ。
それが思った以上に辛くて、しんどくてもね…
#勇吾
「ああ!あこがれの地…日本にぃ…ヒロさんがぁ…来たぁああああ~~~!」
成田空港のタクシー乗り場まで来ると、ヒロがひとりで絶叫した…。
俺は彼を無視してタクシーのトランクにスーツケースを入れると、浮足立っておかしくなったヒロを後部座席に詰め込んで、運転手に行き先を告げた。
「南青山の…ここまでお願いします。」
“も、もう、うんざりだ!”
電話を切る時…あの子が言った言葉と、震えた声が…耳から離れなくて、すぐにヒロを拾って、飛行機に乗った…。
俺は着の身着のまま…ヒロは事前に話したお陰か、すっかり荷物を纏めていたから話は早かった。
「あぁ!勇吾さん!見て下さい!あれが…お台場です。」
ヒロは有名な建物が見える度に、窓を指さして俺に教えてくる…
「…知ってるよ。」
興味なさげにそう言うと、携帯電話を取り出してあの子にメールする。
“シロ…ヒロが成田空港に着いて、今そっちに向かってるよ。”
…俺も一緒だけどね。
いつもなら10分もすれば返事が帰って来るのに、あの子からの返事もないまま…あの子の家に到着した…
「はぁ~…随分、ビーストは奮発したな…」
彼らの住む…愛の巣に…初めてやって来た。
青山霊園のすぐ裏。閑静な住宅街に佇む超高級住宅だ…
この2階部分が…彼らの占有だというから驚いた。
「勇吾さん…?僕の日本情報が正しければ、ここは超時価の高い場所ですよね?そして、このマンションは…とても、豪華に見える…シロは本当にここに住んでるんですか?だとしたら、あの人は大金持ちじゃないですか!ストリッパーは日本だとそんなに儲かる職業なんですか?」
「…ん、うるさい…」
俺はまくし立てるように話すヒロを片手を立てて制すると、門扉に着いたインターホンを押した。
ピンポン…
「…反応がありませんね?」
「きっと、トイレにでも行ってるんだ…」
訝しげに俺を見つめるヒロの視線に耐えると、もう一度インターホンを押した。
ピンポン…
反応がない…
留守なのか、居留守なのか…
あの子の事だ。居留守はないだろう。
だって、ヒロも一緒なんだ。彼を思ったらあの子は居留守なんて使えないさ。
「…留守にしてるみたいだね…」
俺がポツリとそう言うと、ヒロは辺りをキョロキョロしながら言った。
「勇吾さん!あの、青山霊園には大久保利通が眠っていると聞きました。日本の明治維新で活躍した方です!僕はアニメで知ったんですがね?彼はとても素晴らしい人の様です!ぜひ、お墓参りしてみたいです!」
はあ?
「嫌だよ…墓参りなんて…自分の先祖の墓だって行かないんだ。なんで、他人の墓に行かなきゃダメなんだよ…」
前のめりに俺を誘ってくるヒロを煙たがってそう言うと、手で払って言った。
「ひとりで行ってきなよ。ここで待ってるから…」
俺の言葉を聞くと、ヒロはいそいそとスーツケースからハンディカムを取り出して言った。
「え…!?本当ですか?じゃあ…お言葉に甘えて…」
携帯でグーグルマップを開くと、ヒロはピンポイントで“大久保利通の墓”を検索した。
「ふむふむ…なるほど…じゃあ…この道を行けば良さそうだ。」
携帯を眺めてそう言うと、ヒロはさっさと行ってしまった。
それにしても…墓までグーグルマップにポイントとして出てくるなんて…安らかになんて寝られそうにないな…
シロの大豪邸を目の前にぼんやりと佇むと、腕時計を見た。
11:00…こんな時間に、どこへお出かけしてるのさ…ダーリン。
#シロ
「ふふっ!おはよ~!」
時間ピッタリに結城さんの病室へやってくると、彼の部屋の前に座る田中のおじちゃんに声を掛けた。
彼は口を尖らせると、涼しい顔をして言った。
「これで、最後だ!」
オレの為に、わざわざここの見張りをかって出てくれた、優しい人。
彼の顔を覗き込むと、眉を下げて言った。
「分かってる。ごめんね…ありがとう。」
踵を返して病室の扉を開くと、オレを見つけて笑顔になる彼を見つめて言った。
「おはよう。今日は良い天気だよ?」
そう言って病室へ入ると、後ろ手で扉を閉めた。
「…なんだ、今日も来たのか…」
そんな憎まれ口を聞く結城さんのベッドに腰かけると、彼の唇にキスして言った。
「今日で最後だよ?次に会う時は…あなたは刑務所に入ってる。」
オレの言葉に口元を歪めて笑うと、オレの髪を鷲掴みにして言った。
「…ほんと、憎ったらしいガキだな…シロ。俺に痛い目に遭わされたいのか?」
ふふっ…
口元を緩めて笑うと、桜二にするみたいに、彼の髪に指を立てて後ろに流しながら言った。
「…痛い目に、遭わせたいの?」
彼はそんなオレの首筋に顔を埋めると、何度も首を食むようにキスをした。
優しく髪を撫でていた手で彼の髪を鷲掴みすると、自分の首から彼を離して首を傾げて見た。
そして舌を出すと、結城さんに向かって言った。
「舐めて?」
「ふふっ…」
彼は口元を緩めてほほ笑むとオレの舌に自分の舌を絡ませようとする。
届くか届かないかの所で、彼の髪を引っ張って遠ざけるとクスクス笑って言った。
「なぁんだ…蛇みたいな男なのに…舌はそれ以上伸びないんだ…」
「あぁ…良いからキスさせろよ…!」
乱暴にそう言うと、結城さんはオレの体を掴んでベッドに沈めて行く。
「ふふっ!ダメだ!本当に…お行儀の悪いジジイだな。」
オレはそう言って笑うと、結城さんの体を足で挟んで自分に引き寄せた。
「シロ…抱きたい…」
熱い息を吐いてオレを見下ろす彼を見つめると、優しく頬を撫でて言った。
「湊くんは…残念だったね。」
”湊くん“の名前を聞くと、結城さんの顔が固まって…まるで処理落ちした依冬の様に微動だにしなくなった。
可哀想な人…オレと同じ、ポッカリと心に穴が開いてしまった人…
「湊…お父さんの所に戻って来てくれたの?」
オレを見下ろす彼の瞳が、ぐるぐるのブラックホールにあっという間に飲まれて…うっとりと歪んだ瞳が、恐ろしいくらいに虚無を映し出した。
あぁ…オレも、こんな目をしていた。
頬を撫でていた手を伸ばすと、結城さんの頭を掴んで自分に引き寄せた。
優しく両手で彼の頭を抱くと、自分の胸に押し付けて優しく何度も背中を撫でてあげる。
「ごめんね…オレは湊くんじゃないんだ。彼は…死んだ。もう、居ない…もう、会えない。どんなに願っても、どんなに否定しても…もう、居ないんだ。」
まるで、自分に言い聞かせる様にそう言うと、オレの胸に顔を埋める結城さんに言った。
「ここにいるのは…湊くんとは全然違う、シロだけだよ。見た目は似てるけど、知ってるだろ?オレはとってもビッチな男娼なんだ。だから、オレの愛はあちこちに向いてる。でも、あなたが望むなら他の男たちの様に、片手間に愛してあげる。でも、絶対に傷付けたりしない愛だよ。どうする…?あなたが選んで良いよ?」
そう言って彼の頬を包み込むと、涙でボロボロの瞳を見つめて言った。
「…このまま狂っていくか…それとも、オレと違う生き方をしてみるか…あなたが選んで良いよ?」
結城さん…彼は湊くんを愛していた。
初めのきっかけなんて知らない。
でも、こんなに狂ってしまう程に、湊くんを愛していたのは確かな事実だ。
「…選べない…」
そう言って歪んだ瞳をオレに向けると、ぐるぐるのブラックホールを歪めながら大粒の涙を落して、オレの胸に縋りついて泣いた。
オレは彼をギュッと抱きしめると、包み込む様に胸の中に入れて小さな声で言った。
「オレも…兄ちゃんを思い出に出来ないで…ずっと縋ってる。でも…そんな事を続けていると、いつか狂ってしまうんだ。そんな未来しか無いって知ってる。ねえ…結城さん。オレと一緒に…彼らを思い出にして、次に、進んでみようよ…」
怯えてしまわない様に、優しい声でそう言うと、胸の中の結城さんはグシグシと泣きながら顔を擦り付けて言った。
「…出来ない。愛してるんだ…湊を、まだ、愛してる…あの子が死ぬのを目の前で見た、あの日から…ずっと、頭の中で何度もあの時を繰り返してる…!終わらない悪夢みたいに…いつも、必ず死んでしまうあの子を見下ろすんだ…。」
あぁ…可哀想だ…
「可哀想に…辛かったね…。そんな悲しい思いをして、正気でいられる訳がないんだ…!」
そう言って彼を思いきり抱き締めると、泣きじゃくる結城さんに言った。
「でも…あなたは湊くんと死なずに、生きる事を選んだ…。もう、その時、決心は付いていたんだよ。」
グルグルのブラックホールをオレに向けて、今にも襲い掛かってきそうな恐ろしい男の髪を何度も撫でて、無防備のまま…彼の毒を全身に浴びて、一緒に溺れていく。
「湊くんを手放す決心が…付いていたんだ。だから、生きた。」
オレがそう言うと、激情に駆られた結城さんはオレの髪を掴んで枕に押し付けた。それは髪の毛が抜けてもおかしくないくらい…リミッターの外れた、暴力だ。
オレはたじろがないで、彼の歪んだブラックホールを覗き込んで言った。
「何がいけなかったのかなんて、今更、考えても時間は戻らない。自分を責めても、他人を恨んでも、時間は戻らない…。もう…兄ちゃんも、湊くんも…この世にはいないんだ。来世でなんて会えないし、天国なんかも無い。だから、もう二度と会えないんだ。」
「黙れっ!シロ…っ!お前だけは許さない!そんな見た目をして!俺を絆したつもりかっ!今!この場で!お前を殺しても構わないんだぞっ!!」
髪の毛を逆立てた結城さんは、全身の力を両手に込めてオレの首を絞めて言った。
「湊!湊!戻っておいで!お父さんが…今すぐ、お前に新しい体を用意してあげよう。それは遊び過ぎてすごく汚れた体だ…。でも、お前にそっくりで…お前によく似た声を出す。でも…お前よりも、汚くて、お前よりも、ズルくて、お前よりも、意地汚くて、お前よりも…強い…」
オレの首を絞める彼の手を撫でると、手のひらを滑らせて彼の腕を撫でる。
口が自然と開いて、頭が冷たくなっていくのを感じながら、目の前でオレを絞め殺そうとする男の腕を優しく撫でて、ほほ笑んであげる。
オレは死ぬのなんて怖くない。
今、彼に絞殺されたとしても…何とも思わない。
桜二に会えなくなる恐怖なんて無い。
だって、人はいつか死ぬ生き物だから…
「うわぁあああ!」
首を絞めていた手が緩んで、我を忘れて取り乱した結城さんが両手を顔にあてて叫び始める。
あなたは、本当に桜二に…そっくりだ…
酸欠になった頭を持ち上げると、オレに跨って叫び続ける彼を見上げた。
そのまま彼の体に抱き付くと、激しく慟哭して揺れる胸に頬を付けて言った。
「ねえ…オレと…足りない物を補って…最後まで、生きてみよう…」
そう言って彼の腰を抱きしめると、目を瞑って…祈った。
この人はオレと同じ…狂ってるんだ。
愛する人に囚われて、もう二度と味わえない愛を渇望してる…
「無理だ…もう、死んでしまいたい…」
ポツリとそう言うと、結城さんはオレの体を覆い被す様に抱きしめて言った。
「殺して…俺を殺して…シロ。」
「だめだ…」
そう即答すると、彼の頬を両手で掴んでぐるぐるのブラックホールを見つめて言った。
「オレはあなたが好きになった。オレと同じ…どうしようもない悲しさを抱えたあなたを、好きになった。だから、手放さない。殺さない。愛してあげる。」
大粒の涙すら落とさなくなった呆けた彼のブラックホールを手のひらで撫でると、何度も唇にキスをして言った。
「オレの為に生きて。オレを愛してよ。あなたと同じ、どうしようもない悲しさを抱えてる…湊くんの代わりじゃない、シロを愛してよ。」
「ふふっ…!あふふっ…、畜生…!」
オレの唇に舌を入れて熱くて甘いキスをくれる彼を抱きしめると、両手で彼の背中を撫でて抱きしめた。
可哀想な人…
オレは彼が可哀想で、ならないよ。
誰にも吐き出す事が出来なかった思いは、ドロドロのタールになって…彼の体中を汚してしまった。
身動きもままならなくなって、風が吹いただけでもボロボロと壊れていく様は…
まるで、自分を見ている様で…
堪らなく、愛おしくて、堪らなく…悲しかった。
「良い?オレがあなたを愛するから…あなたは、オレを愛するんだ。」
そう言って彼の頬を撫でると、涙を落とすばかりで何も話さず頷くだけの彼を見つめた。
「ふたりで…ひとつだよ?」
まるで…自分の様な彼にそう言うと、結城さんはコクリと頷いて言った。
「分かった…」
良かった。
彼がオレの手を握り返した。
だったら後は簡単だ。
彼が満たされるくらい、止めどなく愛してあげれば良いんだ…
ガララ…
時間が来たのか…田中のおじちゃんが病室に入って来て言った。
「…時間だよ。」
「はぁい…。じゃあ…次は、別の場所で会おうね…」
そう言って彼の頬を撫でると、潤んだ瞳を向ける彼の唇にキスして言った。
「愛してるよ…」
瞳を歪めるとポロリと綺麗な涙を落して彼が言った。
「俺も…お前を愛してるよ…」
ふふっ…知ってるよ。
田中のおじちゃんに促されると、彼の病室を後にした。
「何をしたの…?どうして、結城があんな風になったの?」
オレの顔を覗き込む田中のおじちゃんにクスクス笑って言った。
「オレと彼はよく似てる…。思考がじゃない。立たされた境遇がよく似てる。だから、分かるんだ…どこが痛くて、どこが足りないのか…分かるんだよ。」
病院の廊下を歩いてエレベーターの前まで行くと、田中のおじちゃんを見つめて言った。
「だから、狂わない様に生きていく為に…傷を舐め合おうって…言ったんだ。」
「はあ?」
田中のおじちゃんはそんな気の抜けた声を出すと、首を横に振りながら言った。
「…よく、良く分からんな…」
ふふっ…!
「今度は正規のルートで面会へ行くよ。」
病院の外へ出ると振り返ってそう言った。
田中のおじちゃんはオレを見つめると、目じりを下げて言った。
「もう…無茶苦茶はしないで、桜二さんや依冬君を心配させてはダメだよ…?おじちゃんは生きた心地がしなかったよ。全く…度胸が良いのか、ただのおバカさんなのか…」
多分、両方だ。
「は~い。」
ふざけてそう言うと、ムッと口を尖らせる田中のおじちゃんに手を振って病院を後にした。
帰り道、携帯電話を見ると勇吾からメールと、電話の着信が来ていた。
「ふんだ…」
眉を上げてムカつくひよこの顔をすると、内容も確認しないでそのまま携帯をポケットに突っ込んだ。
なんだ、今更!
口・だけ男の口車には、もう乗せられないんだからな!
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