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第28話

ピピピピ… アラームが鳴った…多分、桜二の携帯電話だ。 うっすらと瞳を開けると、桜二の背中を撫でて言った。 「桜二…うるさい…」 彼は爆睡してるのか… オレを背中に乗っけたまま、深い呼吸をしながら気持ち良さそうに寝続けてる。 ピピピピ… 「桜二…うるさい!」 オレがいくら叩いても、撫でても、こしょぐっても…桜二は起きなかった… だから、オレは脳内でアラームの音を環境音に切り替えて…彼と一緒に眠った。 スヤァ… 「シロ~…うるさい…!」 オレの部屋から依冬のそんな声が聞こえて…抗議する様にベッドの上で体を弾ませてスプリングをギシギシと鳴らした。 まるで子供みたいな彼にクスクス笑うと、寝たっきりの桜二を撫でながら言った。 「桜二が起きない…だから、今日はお休みしたら良い。」 「ええ…?あっ!ああ!も、もう…8時だ!」 そんな依冬の大声で目が覚めたのか、桜二はオレを背中に乗せたまま、ガバッと体を起こした。 「あ~れ~…」 彼の背中からベッドに転げていくオレを片手で抑えると、時計を見て桜二が舌打ちした。 「ちっ!」 柄が悪いね…? 「ふふ…寝坊した!寝坊した!」 オレがそう言うと、桜二はオレのお尻を叩いてベッドから起き上がった。そのままパジャマのズボンを脱ぐと、ぼんやりと半開きの瞳でオレを見て言った。 「…も、朝ご飯は無し…」 「ええ~~~!」 寝ぼけながらスラックスを穿くと、桜二はフラフラとよろけながら部屋を飛び出して、洗面所へ向かった。 さあ…!お楽しみの始まりだよ? オレは嬉々と口元を上げると、そんな桜二の後を急いで追いかけた。 「ね、焦ってるの?焦ってるの?」 彼の顔を見上げてそう聞くと、彼は無表情にオレを無視して歯ブラシに歯磨き粉を付けた。 …ふふっ! 「ね、髭剃りする?」 無言の彼を見つめてそう尋ねると、彼の為に髭剃りとシェービングフォームを鏡の前においてあげた。 これはいわば呼び水みたいなもんさ。 こうして、油断させておくのさ… 口端から泡を出しながら一心不乱に歯磨きをする彼をニヤけた顔で見ると、同じ様に慌てた様子で洗面所にやって来た依冬に抱き付いて言った。 「桜二が寝坊すると、全滅する!」 「も…忙しんだから…!」 依冬はそう言うと、桜二の隣に体をグイグイと押し込んで、自分の歯ブラシに歯磨き粉を付けた。 あ~!ははっ!面白い! 依冬の歯ブラシを握る手を掴むと、口の中に歯ブラシを入れようとする手に抵抗して、口の中に入れない様に引っ張って邪魔した。 「ん、も~~!」 ははっ!おっかしい!! 不機嫌な顔をする依冬に興奮すると、桜二のスラックスを膝まで下げて、彼にムッとした表情を向けられる。 「あ~はっはっは!」 そんな二人のジト目を、キャッキャと喜んで大笑いすると、嫌がる桜二のスラックスを脱がせて、持ち去った。 月に1回くらいある…“桜二の寝坊”は、オレの楽しみのひとつ。 こうやって、ギリギリを行く彼らをおちょくって遊ぶのが、めちゃめちゃ楽しいんだ! 「…閉じ込めるよ?」 桜二のスラックスを持って逃げ回るオレに、彼がムスッと頬を膨らませてそう言った。 閉じ込めるだって? どこに? 「あ~はっはっは!ば~か、ば~か!」 ソファに乗ってそう言うと、桜二のスラックスをグルグル回して言った。 「シャンパンコールだよ?」 「ちっ!」 昨日…あんなに愛してるって言ったのに…桜二は簡単にオレに舌打ちをした! 「なぁんだ!怒ったぞ!」 オレはそう言うと、桜二の背中に乗って彼の頭をグチャグチャにした。 「…あぁ、もう…最悪だ。」 そんな彼の小さな声を、聞き逃さないよ? 「最悪だ、じゃない!ごめんなさいしろっ!舌打ちして、ごめんなさいしろっ!」 オレはそう言うと、桜二の腕時計を奪って、依冬の携帯を奪った。 「あ~~~!」 依冬が絶叫する中、練習部屋に行くと、ポールに乗って高くまで体を持ち上げていく。 天井にベッタリくっ付くと、眼下でオレを見上げる桜二と依冬に言った。 「ごめんなさいしろっ!」 「俺は何もしてないだろ?携帯を返して…!」 「やだ!」 「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。はい…」 桜二は表情を変えずにそう言うと、手を差し伸べて言った。 「時計返して…」 ふん…! オレは天井すれすれで体をのけ反らせると、桜二の手に彼の腕時計を掠めながらポールを回転した。 もちろん予測し辛い様に緩急を付けて回ったさ?ふふっ! 「ちっ!」 はは…! まぁた、舌打ちしたぁ! 「怒った~?ば~か。ば~か。」 オレがそう言って体をのけ反らせると、桜二が背伸びをしてオレを捕まえて、ポールから引きずり下ろした。 「きゃーーー!」 こうなったら、捕まったスナイパーの如く…袋叩きにあうんだ… 殴ったりしないし、蹴とばしたりもしない… ただ、全裸にされて捨て置かれるんだ。 …酷いだろ? 「ははっ!恥ずかしいでちゅね~?」 桜二が無言で部屋を出る中、依冬がそう言った。 「キーーー!」 怒ったオレは全裸で依冬を追いかけた。 「あ~はっはっはっは!それは不味いよ?」 依冬はソファを挟んでオレと対峙すると、フルチンで走るオレを楽しそうに指さして笑った。 「んきーーー!」 彼はオレの身体能力を甘く見てる。 …フルチンだって、オレはオレだよ? ソファーをジャンプして飛び越えると、依冬目がけて飛び掛かった。 「うわ~~~!」 「行ってきます…」 桜二がそそくさと玄関へ向かう中、依冬はオレに掴まった。 猿と化したオレに、髪の毛をグチャグチャにされて、ネクタイをヘロヘロにされると、しょんぼりと背中を丸めて出勤して行った。 「ふん!」 全裸で仁王立ちして依冬を見送ると、いつの間にかリビングに来たヒロさんがオレの姿を見て言った。 「…シロ、誘ってるの?」 ウケる! 「まさかっ!やめてよ!オレはね、モモの恋人に手を出すほど…身の程知らずじゃないよ?」 そう言うと、冷蔵庫の上にまとめられた…脱がされた自分のパジャマと下着を背伸びして取ってはき直した。 今日の所は…引き分けって感じだな… そんな、朝の戦いの総まとめをすると、髪の毛がボサボサのヒロさんを見つめて言った。 「今日は朝ご飯は無いんだ。だって、桜二が寝坊したからね?そしたら、機嫌が悪くなって…オレを虐めて…気が済んだから、会社に行ったんだ。」 ムカつくひよこの顔をしながらそう言うと、冷蔵庫の中から納豆を取り出して、ヒロさんに手渡して言った。 「だから、一緒に、これを食べよう?」 「何…これ…?」 「これは…納豆だよ?お腹に良いんだよ?」 そう言うと、お茶碗にお米を2つよそってお茶を出した。 ダイニングテーブルでオレと向かい合って座るヒロさんを見つめながら、納豆のパックを開くと、しょうゆとからしを入れて、箸でぐるぐると掻き混ぜた。 ヒロさんはその様子を眺めると、表情を歪めて言った。 「うわぁ…これ、食べても大丈夫なの…?くさいけど…」 オレが臭いって思う食べ物は、パクチーと…アンチョビ、レモングラス。 それ以外は臭豆腐だって…平気だよ。 「こうして…お米に乗せて食べるんだよ?混ぜる派と、乗せるだけ派に別れるけど…オレは乗せるだけ派だな。だって、混ぜたらぐちゃぐちゃになっちゃうもの…」 そう言いながらお米に納豆を乗せると、お箸で上手に摘んで持ち上げて、ヒロさんを見つめながらパクリと食べる。閉じた口から糸が引くと、クルクルとお箸を回転させて糸を巻き巻きする。 「ん~!美味しい!」 オレがそう言うと、ヒロさんは渋い顔をしながら納豆のパックを開いて…同じ様に混ぜ始めた。 百聞は一見に如かずだよ? 食べて見れば、納豆の美味しさに気が付くはずだ! ヒロさんは、オレがした様にお米の上に納豆を乗せると、上手にお箸でつまみ上げて、パクリと口の中に入れた。 「オ~マイ…オ~、オ~マイ、ゴッシュ!」 動揺して何度もそういうヒロさんを見つめながら、ニヤニヤして言った。 「どう?美味しいだろ?」 彼は顔をしかめると首を横に振って言った。 「美味しくないし、臭いし…気持ち悪い!」 あ~あ、全く…! 「食べてると…だんだん好きになって来るよ?」 オレはそう言ってズズズズッと納豆を啜って食べると、空っぽになったお茶碗を見せてヒロさんに言った。 「完食~!」 「シロ?今日はどこへ行く…?」 彼はそう言ってお茶碗と箸を置くと、首を傾げて聞いて来た。 オレは携帯電話の勇吾のメールを読みながら、首を傾げて言った。 「ヒロさんは、どこに行きたいの?」 “イギリスに帰って来たよ…愛してる。チュチュチュチュ~” ふふっ!可愛い…! 昨日の紳士の話は…彼には黙っておこう。だって、自分が掘られた相手の話なんて、オレから聞きたく無いだろ? 見知らぬ土地で成り上がる為に、あの人は手段を選ばなかった…ただ、それだけの話だ。 オレは気にしてないよ。 むしろ、彼らしいなんて…思ってしまうくらいだよ。 ヒロさんは観光情報誌を手に持つと、ペラペラとページをめくりながら言った。 「電車で…お台場のロボットを見に行きたい。」 「オーケー」 “会いたいよ、勇吾。愛してる。ところで、お話が変わりますが、チッパーズのボー君を僕の広報にスカウトしました。YouTubeの収益の8割を彼に。” そんなメールを送ると、ヒロさんのお残しを眺めてため息を吐いて言った。 「納豆残すの?勿体ない…オレに頂戴?」 ヒロさんの食べ残しをズルズルと食べると、彼に口の中を見せて笑った。 「うげ…」 そう言って眉をひそめる顔が…面白かったんだもん。 「電車…えっと、お台場まで…」 支度を済ませて家を出ると、携帯電話でお台場までの行き方を検索しながら駅へ向かう。 そんなオレの携帯電話を一緒になって覗き込みながら、ヒロさんが言った。 「東京の電車はロンドンのチューブみたいに、あちこちを網羅してるの?」 チューブ…それは向こうの地下鉄の事。 前、モモと一緒に乗った事がある。勇吾のおつかいをあの子が手伝ってくれたんだ。 「さあね…ただ、色々な鉄道会社が…あちこちを掘って電車を走らせてる…よし、分かった。やっぱり、ゆりかもめには乗りたいよね?このルートで行こう。」 顔を上げてそう言うと、キョロキョロと上ばかり見上げるヒロさんと手を繋いだ。 危なっかしくって見てられないよ? ここは大都会、東京の一等地。 歩く人の量もそれなりに多くて…ぼやぼやしてると、ぶつかっちゃうから危ないんだ。 「わあ…シロ、凄いビルと、凄い交通量の道路だねえ…」 ハンディカムを手に持つと、ヒロさんがそう言って楽しそうに笑った。 ここよりも、新宿の歌舞伎町の方が凄いよ? 上を見上げると、ビルの隙間に青空が覗くんだ。 それはまるで、籠の中に入れられた虫みたいに、閉塞感と圧迫感を味わわせてくれる。 そして、オレはそんな景色が嫌いじゃない。 ”外苑前駅“に着くと、銀座線、浅草行の電車に乗って、新橋まで向かう。 「ああ…地下鉄の雰囲気はどこも同じだね?」 ヒロさんはそう言うと、吊革に掴まってオレの携帯を覗き込んだ。 「…ここまで行くの?」 「ん、そうだよ?ここまで行って…ここからは“ゆりかもめ”っていう…変な電車に乗る。」 彼の顔を見上げてそう言うと、ヒロさんはオレの顔を見つめて言った。 「まつ毛が付いてるよ…?」 「へ?取って?」 そんなオレたちのやり取りを見ていた女性が、前のめりになって聞いて来た。 「…こんにちは、観光ですか?」 へ?! 今まで電車に乗ってて、人に声を掛けられる事なんて無かったのに… 外国人が一緒だからかな?親切に聞いてくれたみたいだ。 にっこりと微笑み返すと、親切なお姉さんに頷きならが答えた。 「ええ…お台場に行くんです。」 「まあ…お台場。今日は天気も良いし…カップルのデートには、うってつけですね…ぐふ。」 カップル…? オレはヒロさんとカップルじゃない。 ぐふぐふ楽しそうに笑うお姉さんに、訂正しようと口を開くと、ヒロさんがオレの肩を抱いて携帯を覗き込みながら言った。 「シロ…日本科学未来館なんて、素晴らしい施設があるじゃないか…。ロボットの傍で化学を語るなんて…なんて、シニカルなんだ!」 感慨深げにそう言うと、何度も深く頷いて言った。 「あのロボットは設定では未知の合金で作られている。これは鉄じゃない。未知の合金だ。…言ってる意味分かるよね?もはや、地上に実在しない素材で作られているという事なんだ。ある意味、オリハルコンと同じだ。」 彼はゴリゴリの日本アニメのオタク… きっと、オレなんかよりも詳しい筈なんだ。 子供の頃見ていたテレビ番組は、どれも兄ちゃんの好きだったものばかり… お笑い番組と、ニュース…あとは、サッカーのアニメ位だもの。 アニメを語るヒロさんを見上げると、苦笑いして彼の胸を押して体を離した。 …唾が飛んで来るし、カップルだと思われるのが嫌だったんだ。 新橋駅に着くと改札を出て、今度はゆりかもめに乗った。 「運転手さんが居ない電車で…モノレールとは違う。変な電車です。」 オレがそう説明すると、ヒロさんは窓の外を眺めて言った。 「シロ!隣を車が走ってる!」 そうだね、ここは海の上…封鎖出来なかったレインボーブリッジの上だ。 昔、勇吾と夏子さんとお台場で合流して、この道を六本木ヒルズまで帰ったな… あぁ…懐かしい。 お魚の鍋に…チョコレートを入れて、怒られたんだ。 あの頃のオレは…まさか、こんな日が来るなんて思ってもみなかっただろうな… まさか、桜二と依冬と一緒に暮らす様になって…勇吾と結婚して…こんな風に目の前の彼を、観光で案内する日が来るなんて…思ってもみなかっただろうな。 半笑いの表情で、首を横に振りながら思い出に浸っていると、オレの肩を掴んでヒロさんが言った。 「シロ!お台場だ!」 「うん。本当だね?」 彼と一緒に電車の窓から外を眺めると、申し訳程度に作られた人工の砂浜を見て、桜二と夕日を眺めたあの日を思い出す… はぁ… 怒涛の如く…落ちて行ったよな… 苦しくて、辛くて、怖かった。 兄ちゃんの存在だけが…自分の拠り所だったんだ。 あの頃の自分には…もう、戻りたくないよ…。桜二… 神妙な表情で砂浜を見送ると、手に持った携帯電話がブルルと震えて、勇吾からメールが届いた… “良いけど、8割は渡し過ぎだ。3割なら納得できる。” ええ… ボー君たちが築いた土壌なのに、欲張りだな… チップの2割を取る支配人の様に、ほんの少しだけ、慎ましくなれない物かね?頑張った人が多く取るのは当然の事なのに…世の中、間違ってる! 変なの! “時間と労力を使ってコンテンツを作るのは彼らだよ?欲張り!” そう返信すると、ヒロさんと手を繋いで“お台場駅”で降りた。 「うわあ!シロ…見てくれ…これが等身大のロボットだぁ…!」 ヒロさんはそう言うと、絶叫しながらロボットの周りを走り回った。 下から見上げる等身大のロボットは、このアニメを特段好きでもないオレにとっても、壮観だった。 「大きいね?」 笑顔でヒロさんにそう言うと、彼はハンディカムを装備して、下から何度も舐める様にロボットを撮影していた。 …ふふっ、本当に好きなんだ… 連れて来て、良かった! 「良い物を見せて貰った。こんなものを作れるなんて、彼のお父さんは立派な人だ!」 確かに、彼のお父さんは凄い人だ…でも、常軌を逸していた。 ヒロさんの気が済むまでロボットのふもとで過ごすと、お腹を空かせた彼が言った。 「シロ、何か食べよう…?」 納豆ご飯を残すからだよ?まったく! 「こっちに食べ物が売ってる…おいで?」 そう言ってヒロさんと手を繋ぐと、落ち着きのない彼を椅子に座らせて、たこ焼きを買って来てあげた。小腹が空いたら、たこ焼きだ。 「…うぉ、熱い!」 そう言ってしかめる彼の顔が面白くて…ニヤニヤしながら見つめると、ふざけて言った。 「男は熱くても一口で食べるんだよ。日本人はみんなそうしてる。…依冬も、桜二も、オレもね…?」 そんなウソを真に受けて、やけど上等で挑む彼をケラケラ笑って眺めた。 たこ焼きを食べ終わると、モモにロボットの写真を送る彼を見ながら、口元を緩める。 彼からのメールを、あの子は、どんな気持ちで受け取るんだろうか… 待ちわびているのかな…? それとも、片手間に…受け取っているのかな…? モモ…ダンサーの子達…元気にしてるかな。 また、会いたいな。 「ヒロさん?お台場に来たんだ…温泉に行きたかったんでしょ?お目当ての温泉がすぐ傍にある。このまま行こうか…?」 ヒロさんを見てそう言うと、彼は目を輝かせて大喜びして言った。 「フォーーー!シローーー!」 フードコート中に叫び声を轟かせると、人目なんて気にしないみたいにご機嫌に、オレの手を掴んでヒロさんは歩き始めた。 凄いよね…こんな埋め立て地に健康ランドを作るんだもの。 ヒロさん念願の、温泉へとやって来た。 受付を済ませると、ヒロさんが楽しみにしていた”浴衣”を受け取って更衣室へ行く。 「はぁはぁ…シロ…シロ…浴衣…シロ、浴衣…」 これだけ見るととっても変態に聞こえるよね… オレはそんな変態の彼と向かい合って、浴衣を着せてるんだ…。 やっぱり骨格が違うのかな…彼はショーンやケインと比べると、大柄な方ではないのに、オレよりも上半身ががっちりしてるし、肩の筋肉の付き方が違う… 襟を直しながらヒロさんに浴衣を被せると、右を下に合わせて帯を腰に巻いてあげる。 ヒロさんは顔を真っ赤にしながら鼻息を荒くすると、手をワナワナさせながら言った。 「シロ…なんだか、エッチな気分になって来たよ…」 ウケる。 浴衣を着たらエッチな気分になるなら、お祭りは大乱交パーティーじゃないか… ヒロさんを仕上げると、羽織ったままの自分の浴衣を合わせて帯で留める。 これはエロ目的の衣装じゃないから襟足の襟は空けないよ? それはセクシーな着こなしじゃない。 本当のセクシーさは、そんな下品ないやらしさじゃないんだ。 上等な着物を着て、しゃんとすれば…それだけでセクシーだ。 浴衣の後ろ襟は下げ過ぎないで欲しいね…あれじゃ、まるで男を迎える花魁だ。 「シロ…こっちにおいで?」 突然男らしくなったヒロさんはそう言うとオレの手を握った。 「温泉なんて…来た事ないけど、銭湯と同じかな?」 オレは首を傾げながらそう言うと、ヒロさんと一緒に大浴場への案内を目印に、施設内を歩いて進んでいく。 お祭りの様な雰囲気のある作られた日本の空間を抜けると、ハンディカムをオレに向けてヒロさんが言った。 「シロ…胸元を…ちょっとだけ開いて見せてよ…はぁはぁ…」 「はぁ?ばかじゃないの?寝言は寝てから言いな?」 口を尖らせてヒロさんを軽くいなすと、ふん!と顔を背ける。 どうせ後から裸の付き合いをするというのに、この浴衣とか、着物は、外国人にアンタッチャブルなエロさを提供するみたいだ。 長襦袢の恐怖を思い出すよ…? 大浴場の男湯に入ると、脱衣所で浴衣を脱いですっぽんぽんになった。 「シロ…はぁはぁ…シロ…!」 オレの股間を見て興奮するヒロさんに、良い事を教えてあげた。 「ヒロさん、この中には他のお客さんも入ってる。もし、ヒロさんがこの中で他人の裸を見て興奮したら、追い出されちゃうよ?」 オレがそう言うと、ヒロさんは前のめりになった体をしゃんとして、我に返った様にポツリと言った。 「おぅ…」 昨日、楓と過ごしたせいかな…。ヒロさんは、すぐに裸に興奮する様になってしまったみたいだ。 どうぞ、彼が温泉の中で誰かの裸に勃起しません様に… そんな念を込めながら、大浴場への扉を開いた。 「まず体を洗うのが、ジャパニーズスタイルだよ?そして、このタオルは浴槽に入れちゃダメなんだ。良い?暗黙のルールってやつだから、守っても損はないよ?」 オレはそう言うと、手際よく体を洗って、ヒロさんの背中を洗ってあげる。 …桜二の背中より小さくて、依冬の背中より筋張ってる… 知らない男の背中だ! ボコボコと泡が下から噴き出てくる大きな温泉にゆっくりと足を入れると、お尻をぺたんと付けて言った。 「ほほ~!気持ちいい!田中のおじちゃんが言った通りだ!温泉は、入浴剤とは違って、とっても、気持ち良いじゃないか~!」 大きな浴室の開放感のせいか、それとも、温泉の効能ってやつなのか…じんわりと体が温かくなって、とっても気持ちが良いんだ! お風呂の縁に腕を組むとその上に顔を乗せて、頭の上にタオルを乗せた。 首をユラユラ揺らしながらのんびりとお湯に浸かると、兄ちゃんとよく見たお笑い番組を思い出して、ついつい口ずさんで歌った… 「ばばんばばんばんばん…ばばんばばんばんばん…」 いい湯だな~… こんなに良い所なら、今度、桜二と依冬も連れて来てあげよう… あ、でも… 彼らが浴衣を着てうろうろしたら…女の人が沢山付いて来ちゃうな… それはそれで…見ものかもしれない。ぐふふ。 もしかしたら、お姉さんがオレの方に興味を持つかもしれないし…撒き餌の様に彼らを放流するのも、悪くないな… 目を瞑りながらそんな悪だくみをしていると、ヒロさんがオレの肩をツンツンして言った。 「シロ…シロ…、僕と肌の色がそんなに変わらないくらい…真っ白だね?だからシロって名前なの?」 そう言いながらオレの背中にお湯を掛けると、いやらしい手つきで背中を撫でた。 は~!やんなるね? 節操が無いってこういう事だよ? 「ふふ…そうかもね…」 つれなくそう言うと、背後の彼をジト目で見ながら言った。 「桜二は勇吾をボコボコにした事があるんだ…もうちょっと助けるのが遅かったら、勇吾は死んでたかもしれない。そのくらい…桜二は凶暴なんだ…。」 さりげなく“桜二は怖い”という情報を刷り込みつつ、“依冬が怖い”事もしっかり伝える。 「依冬はね、もっとやばいんだ。骨を粉砕するパンチを持ってる。だから、オレに変な事すると、彼らが黙っちゃいないんだよ…?」 オレがそう言うと、ヒロさんはオレの襟足を撫でていた指を止めて、じっと考え始めた。 そうだ、よく考えろ? お前はそもそも仕事をしに来たんだ。 こんな危ないオレに悪戯して、入院なんて事になったら…モモがどう思うか、考えるんだ! 「…シロ?昨日の夜は、また激しいセックスをしていたんだね…?」 ヒロさんはそう言うと、オレの首を手のひらで摘みながらマッサージをし始めた。 ええ…? 桜二と依冬は本当に怖いんだよ? 「本当?あんまり、覚えてないな…ポールダンスで体を酷使したから、あちこち痛くて…そんな、元気なかったよ?」 あちこち体が痛いのは事実だよ? それに、今はとりあえず…そういういやらしい話題を避けた方が無難な気がするんだよね… だって、ヒロさんから…そこはかとなく、オレを狙ってる様な雰囲気が出てるんだ。 「シロ、白人とエッチしたことある…?」 「…無いし、興味ないよ。」 「ケインとは寝てないの?」 「彼とは友達だよ。そんな事しない。」 オレはそう言うと、ヒロさんを見つめて単刀直入に言った。 「ねえ?イギリスから離れた土地に来て、羽を伸ばしてるのかもしれないけど…よく考えて?オレに何かしたら…ひとつ、仕事が減る。勇吾は多分、ヒロさん以外の誰かを通訳に雇うよ。オレはあなたが気に入ってる。だから、変な気を起こさないで。」 「そぉんなつもりじゃないよ!嫌だなぁ!シロ?僕は、そぉんなつもりじゃないよ?」 ヒロさんは半笑いの笑顔でそう言うと、オレの傍からすすっと離れて行った。 …ふん。 全く…たかが外れすぎるのも良くないね? ついこの間、のんけから男に目覚めたヒロさんは…まるであの”大塚さん”の様に、誰彼構わずファックしたくなるみたいだ。 今まで性の対象なんて思ってもみなかった“男”が抱けると分かって、彼の中の好奇心が疼いてしまうんだろうね…。 気持ちは分かるよ? ただね、オレはダメだ。 一番アンタッチャブルなオレに興味を持ったらダメだ。 それは、大塚さんにも言える事。 桜二の描いた絵を見に、たまに大塚さんのアトリエをひとりで訪れるんだ。 その時の彼も、隙あらばオレとセックスしようとしてくる。 でもね、オレはダメだよ。 これ以上、男は要らないんだ。 「外の温泉にも行ってみようか?」 ヒロさんに声を掛けて一緒に露天風呂へ行くと、庭の木に小鳥がとまって美しい声でさえずった。 「ふふ…風情があるね。日本ではこういうのを、粋とか、わびさびって言うんだよ?」 オレがそう言うと、ヒロさんはお湯に浸かりながら空を見上げて言った。 「モモ…今頃、何してるかな…」 それは会えないあの子をしんみりと思う…そんなさみしそうな瞳。 ふふっ!良いじゃないか? 楓の美しさに夢中になる前に、もっとママを恋しがって、もっとママを欲しがれよ。 結局、男なんてそんなもんさ。 あちこちで遊び回っても…最後に帰る所はひとつなんだ。 大塚さんだって…そんな誰かを探して、誰彼構わず抱いてるんだろう… 彼は、ほら…ストイックだからね?ふふ… 温泉を後にすると、ホカホカの体のまま電車に乗って家路に着いた。 ヒロさんは、すっかりいつもの彼に戻っていた。 オレの直球が効いたかな? せっかく出来た金銭の発生する繋がりと、瞬間的な欲求…これらを天秤にかけて、正しい判断をしたんだ。賢い男だよ? 引き際が肝心…なんて、勇吾の大人の言葉を思い出して、電車に揺られる吊革を眺める。 …引き際、ね… 家の近くのコンビニに寄って、ヒロさんと適当な食事を買うと一緒に手を繋いで来た道を帰って行く。 「もう、ここら辺の道は覚えたよ?」 ヒロさんはそう言うと、手を伸ばしてクイッと曲げながら言った。 「ここを曲がって…次の角を左に曲がるんだ…」 …わあ、ご名答だ! 「じゃあ、次からはひとりでここまで来られるね?」 オレはそう言うと、彼と一緒にケラケラと笑った。 「…眠いの?」 「うん…眠い…」 家に着いてテレビを見ながらご飯を食べると、ヒロさんはソファにうずくまってウトウトし始めた。 昨日、朝帰りなんてした癖に、温泉になんて入ってぽかぽかになったからだ! 「ほら…足も上げて、横になってよ…」 甲斐甲斐しく世話を焼いてあげると、ぼんやりとオレを見上げる彼の顔がすっぽり見えなくなるように、ひざ掛けを上から掛けてあげた。 「さてと…」 踵を返してそう言うと、両手を伸ばしながら練習部屋へ向かう。 昨日、酷使した体がまだ痛いんだ…仕事前に、少しでも伸ばしておかないとね? 中の、中の、そのまた奥の筋肉がチリチリするんだよ。 あんな技、シルクドソレイユでもなかなか出来ないよ? ふふっ…自画自賛だ! 練習部屋の中…床にぺったりと胸を付けてゆっくり体を伸ばしていると、音楽を流し続けていた携帯電話がブルルと震えて、メールの着信を知らせた。 “8割は多いだろ?せめて…6割。本当は3割が妥当だよ?” 「はぁ…」 勇吾はがめつい訳じゃない。彼はビジネスの話をしてる… オレはため息を吐くと、天井を見上げて勇吾に返信する。 “あの子をサポートしたい。売春なんてしなくても良い様にしてあげたい。せっかく出来た縁を大切にしたい。だから、8割を彼に。オレはそれ以外に収入もある。住む家だってある。そんなに沢山お金は要らないんだ。” ビジネスじゃない…これは、援助だよ。 自分がそうしてもらった様に、出来る範囲で誰かを助ければ…運命が回るんだ。 不思議な事に、ボー君との出会いは…遡れば1年前からあった。 そして気付かない所で“チッパーズ”が結成されて、海外のファンまで取り込んでいた… それは、オレにとったら寝耳に水の話。 でも、彼らは実在して、オレを応援してくれていたんだ… そんな彼らの活動のお陰で、オレはイギリスのストリップバーでも…あんなに好意的な空気の中、踊る事が出来たんだ。 不思議だよね…本当、不思議なんだ。 “分かった。愛してるよ。” すぐに来た彼の返信を読むと、クスリと口元を緩めて笑った。 …あぁ、良い旦那さんだ。 ひとり、黙々と体のストレッチを続けていると、温泉に浸かったおかげなのか…朝より痛くない体にクスリと笑って言った。 「田中のおじちゃんの言った通りだ…温泉って良いな。好きになった。」 思わぬ所で思わぬ人と繋がって…それが結果的にその先の未来を作っていく… それは、まるで、ステージの上に飛び込みで入って来る支配人の様に予測不能だ。 そんなハプニングも反射的に拒絶しないで、逆に一緒にステージを作り上げて、もっと高みへと昇って行く… 素敵な物になるか、ならないかは…オレの腕の見せ所。 オレの選択ひとつに掛かってる。 運命に…身を任せるって、そう言う事なのかな… 兄ちゃん。 「シロ…お店まで送るよ。」 練習部屋の扉が開いて、顔を覗かせた桜二がそう言った。 「桜二~!今日は、ヒロさんと温泉に行ったんだ。大江戸温泉、意外と良かったよ?」 ニコニコ笑顔でそう言うと、彼は優しく瞳を細めて、両手を広げて言った。 「ほんと?俺は新潟とかの…雰囲気のある温泉に行きたいよ。」 …はは!なんで新潟!? 彼に両手を伸ばして抱っこしてもらうと、まだほかほかする体をギュッと押し付けて言った。 「ほら…まだ体がホカホカしてる。温泉ってすごいね?気持ち良いんだ…」 「ん~可愛い!」 桜二はそう言うとオレの頬にチュッとキスした。 …覚えてる? 彼は今朝、寝坊して、オレに舌打ちした、桜二だ。 オレは忘れてないよ? 「ヒロさん!起きて?仕事に行くよ?」 温泉でポカポカしたヒロさんは、あれからずっとソファでぐっすり眠っていたみたい… ちっとも変っていない寝相に…妙にわらけて来る。 「ねえ!死んじゃったの?起きてよ!」 ヒロさんの体を揺すって、無理やり瞼をこじ開けると、微動だにしない青い瞳が正面に見えた。 「ぷぷっ!桜二、見て…?この顔…ウケる。」 「止めなさいよ…!疲れてるんだよ…」 桜二はそう言いながらも、クスクス笑ってヒロさんを見続けた。 …そう、オレ達は性格が悪いカップルだ。 「ずっと見てると、じわじわと来るよね…なぁんで、こぉんな、間抜けな顔してんだろっ!ぷぷぷっ!」 桜二がそう言って笑うから、オレも一緒になってこう言った。 「ぷ~クスクス!そう言うのを“ジワる”って言うんだよ。間抜けすぎるね…魂の抜けた顔って言うの?おっかしい!ふふっ!」 ふたりでヒロさんを馬鹿にして笑っていると、青い瞳がジロッとオレを見て言った。 「…何か言った?」 おぅ… ヒロさんが起きた…! オレと桜二をジト目で見つめると、彼は体を起こして辺りを見渡した。 オレは両手を上げると、ヒロさんから体を離して桜二の隣に行って首を傾げて言った。 「いや…何も言ってないよ?ね?桜二?」 「うん。何も言ってない。」 彼はふん!と鼻で言うと、両手を伸ばして伸びをして言った。 「あ~、よく寝た!」 そりゃそうだ。 だって、帰って来たのが2:00くらいで…それからずっと5:00まで、ず~~~っと寝てたんだもの。 「昨日、朝帰りなんてするから眠くなるんだ。時差ボケもあるのに、ね?桜二?」 「うん。きっとそうだ。」 オレと桜二がナイスコンビネーションを見せると、ヒロさんは首を振って言った。 「まるで、意地悪兄弟みたいだ…」 ふふっ…! 兄弟…? そう言われて、嫌な気がしないよ。 …彼はどうか分からないけどね。 チラッと横目に桜二を見上げると、彼もオレを見つめて瞳を細めていた。 目が合ってクスクスと一緒に笑うと、ヒロさんを見下ろして言った。 「お仕事に行くよ?」 「はいはい…」 そう言ってヨロヨロと洗面所へ向かう彼の背中を見送ると、桜二を見上げて言った。 「意地悪兄弟だって!」 「失礼しちゃうね?」 ふふっ!まったくだ! いつもの様に大慌てで着替えを済ませると、ぼんやりしたままのヒロさんの顔を覗き込んで言った。 「今日はお家でゆっくりしてる?」 「いや…行くよ。」 オレの通訳に来てくれるの?それとも、楓に会いに行くの? …そんな野暮なことは聞かないよ。 18:00 三叉路の店にやって来た。 「行ってらっしゃい…」 そう言って車で立ち去る桜二に手を振ると、ヒロさんとエントランスに入って行く。 「おう…おはよう!」 エントランスの支配人はそう言って手を上げると、オレの後ろのヒロさんをジト目で見て、手首だけ動かしてオレを手招きをした。 「何…?」 首を傾げて彼の傍まで行くと、支配人はオレの耳に手を当てて内緒話を始める。 「お前の通訳が…昨日、楓と…帰ってったぞ。」 あぁ… オレは口を尖らせると、支配人の耳に手を当てて言った。 「知ってるよ…朝帰りしたんだ…」 そんなオレたちをジト目で見つめると、ヒロさんが言った。 「シロ…早く下に行こうよ…」 「分かったよ~。」 ムスッと頬を膨らませるヒロさんの背中を手で撫でて促すと、ジト目を続ける支配人を無視して階段を下りていく。 「おはよ~楓。」 控室に入ると、鏡の前にはいつもの様に楓が座っていた。 鏡の前にメイク道具を出すと、コートを脱いでハンガーにかける。 背後のふたりの様子を伺いながら…意味も無く、衣装を手で漁る。 何でって? だって、なんか知らないけど…めちゃくちゃ気まずいんだよ。 「おはよう…楓、昨日は、とっても楽しかったよ…」 おもむろにヒロさんがそう言うと、恥ずかしそうにクスクス笑いながら楓が言った… 「…ふふ、ヒロ。僕も…楽しかった。」 なんだ…?! この淡い雰囲気…お互い浮気の癖に…ウケる! 「はぁ~あ…今日はヒロさんと温泉に行ったんだ。だから、体がポカポカなんだよ?」 オレはそう言うと、ソファに座るヒロさんと鏡の前に座る楓の間に立って伸びをした。 鏡越しに見つめ合う二人の間に立ったんだ。 …意地悪? 違うよ。この部屋が狭いんだよ? 「シロ!早く座って、メイクしなよ?」 楓がムスッと頬を膨らませてそう言うから、オレはあの子を見下ろして言った。 「へいへ~い!」 楓の隣に座ってあの子の肩にもたれかかると、耳元で小さい声で言った。 「結果だけ教えてよ…白人のおちんちんは、本当にフニャチンだった?」 「…確かに…少し。はっ!シロ?そんな事、聞いてどうするの!?」 やっぱり…そうなんだ。 ガチガチの桜二や勇吾、ゴツゴツの依冬に慣れてるオレには、物足りない物になるだろうな…だめだな。外国人は、選択から外す事にしよう… ぼんやりとそんな事を考えていると、楓が妙に真剣な表情をして言った。 「やばい、やばい、やばい、やばい!シロ…!僕…ガチで、ヒロが好きになったかもしれない!」 セックスから始まる恋があっても良い。 それが、たとえ、モモの恋人であっても… …いいや、だめだよ。 「ふぅ…」 オレは深いため息を吐くと、肩をすくめた。 「オレ、知らな~い…」 そう言うと、黙々とメイクを始める。 怒った訳じゃない、軽蔑した訳でも無い、ただ、面倒に巻き込まれたくなかった。 このふたりの情事の観客になりたくなかったんだ。 淡い色を付けて鏡越しに見つめ合う二人の世界に入りたくなかった。 携帯電話がブルル…と震えて、勇吾からのメールを受ける。 “チッパーズにメールしたよ。これから仕事?頑張ってね。チュチュチュチュ!” 「ふふ…!ゆ~ご~!」 携帯電話を胸に押し当てて彼を思い浮かべると、うっとりと瞳を潤めて言った。 「仕事が早い…最高だ。」 「あ…楓、ごみが付いてる…」 そんなヒロさんの聞いた事も無い甘い声を聞きながら自分のメイクを済ませると、我関せずな表情でじっくりと衣装を選ぶ。 …今日は、これにしよう… ハイウエストのぶっかい黒いズボンと…白シャツ、サスペンダーに、カンカン帽… まるで明治の西洋かぶれの様な格好だ。 「どう?素敵なステッキがあれば最高だと思うけど?」 ひげをナデナデするように口元に指をあてて動かすと、ポーズを取りながら楓に聞いた。 「ふふ…!お洒落じゃん。はいからじゃん!」 そうだろ? 彼に素敵なお辞儀をすると、ヒロさんに腕を曲げて言った。 「行くよ?ヒロ坊。」 彼は頷くと楓に視線を送りながらオレの腕に手を掛けた。 全く…ロミオとジュリエットじゃあるまいし… 何をそんなに、恋し焦がれた瞳で見つめ合うんだか…理解出来ないよ? 階段を上ってエントランスへ行くと、沢山の人が開店と同時に入店して来た。 「シロ、可愛いじゃん。」 常連さんに衣装を褒められると、オレはクルリと回って美しく一礼して言った。 「お褒めに預かり、光栄です。」 「ほほ!今日は、なんだかいつもより気取ってるな…」 そんな誉め言葉を頂いてふんと澄ました顔をすると、人ごみの中から支配人が顔を覗かせて言った。 「シロ!シロ!おじいちゃんに、可愛い顔して!!」 おい、どうしたよ… いつも以上に振り切ってるじゃないか…? 半笑いの口元にウルウルとうるんだ瞳を向けると、支配人はオレをじっと見つめて何度も頷いた。 きもっ! 君子危うきに近寄らず… オレは支配人を見ると、にっこり笑ってピースサインをしながら足早に通り過ぎた。 「…あなたは、ホストなの?」 ひとりのお客さんに、そう聞かれた。 …ホスト? まさか! オレはその人を見上げると、指を横に倒しながら言った。 「ボカァね、ストリッパーだよ。お兄さん?お洋服を脱ぐお仕事なんだ。このお店は初めて来るの?だったら、一番高いチップを買う事を薦めするよ?そして、僕に渡すんだ。良いね?ふふん!」 「変なしゃべり方だ。」 「ああ…少し変だ。」 似たような体格の二人組はそう言うと、おもむろにオレのカンカン帽を手に取った。 「あ、お触りしたな?はい、お兄さんは1万円のチップを2枚オレの為に買いな?じゃなかったら出禁にしてやるよ?」 オレはそう言うと、ロン毛のお兄さんからカンカン帽を奪い返して言った。 「顔は覚えたからね!ふん!」 そう言って踵を返すと、優雅な身のこなしをして店内へと向かう。 全く!話にならないね? 一見さんでも大歓迎だよ? でも、このオレをホストと間違えるなんて…実に残念じゃないか!! 「マスタービール、シルブプレ!」 カウンター席に座ってそう言うと、すかした様にカンカン帽を斜めにして言った。 「どう?西洋かぶれしてる?」 マスターはオレとヒロさんにビールを出すと、カンカン帽のつばを指で飛ばして言った。 「ふふ…支配人が好きそうな格好だ。」 ええ…最悪だ。 オレは顔をしかめると口を尖らせてビールを一口飲んだ。 「シローーー!ユウゴ!パートナーーー!」 エントランスから店内に入った外国人客が、階段の踊り場で大騒ぎしてそう言った。 「あぁ…ヒロさん、お仕事だね?」 ヒロさんを見て苦笑いすると、彼は肩をすくめて言った。 「シロ?こんなにしょっちゅうああいうお客が来る様なら、勇吾さんのファンは出禁にした方が良いよ。これじゃあ…キリがない。」 まあ…一理あるね。 でも、支配人がそんな理由でお客を止める訳がないよ。 「まあ…あなたがいる内は、オレがちょちょいといなしてやるよ?」 オレはそう言うと、カウンター席を立って常連さんの挨拶回りへと向かう。 「シロ~!可愛いじゃないか!おじちゃんにグルッと回って見せてごらん?」 桜二とそんなに歳が変わらない常連さんはそう言うと、ホクホクの笑顔になってオレを見つめて言った。 「結婚しても、シロはおじちゃんのカワイ子ちゃんだよ?」 ふふっ! 出た…“カワイ子ちゃん”… この年代の人は、この愛称を本気で使ってるの…? 愛想笑いをしながら愛嬌を振りまいて、常連さんに媚びを売る。 これも、お仕事のひとつだよ? 席についてお酒を作ったり、おしゃべりをして、次に繋げるんだ。 こうして顔を覚えて貰ったり、好感度を上げていく…そして、定期的にお店に足を運ぶように仕向けて行くんだ。 ホストも、ホステスも、みんなビジネスでお客さんを誘ってる。 オレもそうだよ? こうして仲良くなっているから、ステージで少しくらいおふざけしても許されるのさ。 「またおいでよ~!」 「ん~!」 次から次へと常連さんを回ると、さっきの二人組を見つけて口元を緩めた。 「あ~…こんなステージの真ん前に陣取って、初めて来たのに、お兄さんたちはやる気だね?はっは~!」 オレはそう言うと、ステージの縁に腰かけて二人組のお兄さんを交互に見て言った。 「双子?」 「…いや、兄弟だ。」 へえ…体格がそっくりだ。 眉を下げて交互に見つめると、手元に置かれたチップを見て言った。 「良いね、オレが言った通りに買ったんだ。お利口さんじゃないか。」 そう言ってクスクス笑うと、目が完全に隠れてるお兄さんの前髪に指を突っ込んだ。 「…ああ」 そう言った声にクスクスと笑い声で応えると、ゆっくりと前髪を持ち上げて、可愛い瞳を見つめて言った。 「見~つけた!ふふっ!」 「…この店は、少し、刺激が強いみたいだ。」 ロン毛のお兄さんがそう言うから、オレはケラケラ笑って言った。 「オレのステージを見てからそういう事は言うもんだよ?こんなに前に居るんだもん、沢山エッチにしてあげるね?あ…のんけ?じゃないよね…?」 こんな店に兄弟で遊びに来るくらいだ…。きっとゲイ…もしくは、バイ兄弟だ。 ステージから降りるとロン毛のお兄さんの肩を撫でて、舐める様に瞳を覗き込んで言った。 「オレはシロ。この店のストリッパーだよ。よろしくね?」 「シロ…シロって…真っ白のシロ?」 前髪の長いお兄さんがそう言うから、オレはロン毛のお兄さんの膝に体を乗せて、にっこり笑って教えてあげる。 「そうだよ?真っ白のシロ。犬のシロ。韓国語では…嫌って意味のシロ。色んなシロがあるけど…オレはオレのシロだよ?」 そう言うと、オレの背中を撫で始めるロン毛のお兄さんに言った。 「あぁ…1万円のチップがもう1枚、増えちゃうよ?お触りはしちゃダメなんだ。」 「シロ、そろそろ…」 支配人がオレを呼びに来たから、お兄さんたちと別れて階段へ向かう。 「あの人たち、面白い…!」 支配人の顔を覗き込んでそう言うと、彼は肩をすぼめて言った。 「…チェリストだよ。」 何それ…?可愛いね。 「ふぅん…カクテルみたいな名前の仕事をしてるんだね?」 オレがそう言うと、支配人はケラケラ笑ってオレのカンカン帽をポンポンと撫でた。 控室に戻ると、潤んだ瞳の恋する楓を通りすぎて、カーテンの前に立つとボソッと聞いてみた。 「楓…チェリストって、なんだか知ってる?」 オレの質問に楓はしばらく悩むと、ポツリと言った。 「…体に爆弾を付けて、自爆する人?」 ふふっ! …それは、テロリストだ!! 「ぐふっ!ふふふふ!やっぱり、お前は面白いな…!ぐふふふ…」 笑いを堪えながらグフグフ言っていると、楓が顔を歪めて言った。 「きも~い!」 酷いだろ? 全く! カーテンの向こうで大音量の音楽が流れ始めて、目の前のカーテンが開いた。 ニヤけた顔を一瞬で営業スマイルに切り替えると、颯爽とステージの上へ歩いて行く。 もちろん、腰を揺らして…めちゃくちゃ可愛くして歩くんだ。 「シローーー!サスペンダーでぶってくれーーー!」 とんでもない趣味だね?親のしつけを疑うレベルだよ? ステージの上に仁王立ちすると、眼下の二人組を見つめて、楓の言葉を思い出した。 テロリスト…チェリスト…テロリスト…チェリスト…ぐふふふふ…!! 最高だ! オレの大好きな “クロスタウントラフィック”をマンボのリズムで踊ると、ステージに膝を付いた。そして、サスペンダーを両手の親指で挟むと、いやらしく腰を動かしながら上から下へと滑らせた。 目の前のロン毛のお兄さんを見つめて口元を緩めると、彼の目の前に移動して、ゆっくりとサスペンダーを肩から下ろして行く。 「シローーー!ズルいじゃないかーーー!」 はは… そんないじけるお客の声を聞きつつ、目の前のロン毛のお兄さんに色目を使ってウインクすると、シャツのボタンを上から外していく。 「ああああ…!」 ロン毛のお兄さんからそんな声が聞こえると、視線を移して、前髪長めのお兄さんを見つめてハイウエストのズボンのボタンを上から外していく。 開いた股間を強調する様にゆるゆると腰を動かすと、いやらしくお尻を突き出して、ゆっくりとズボンを下げて行く… オレの桃尻がプリンとズボンから漏れて現れると、前髪長めのお兄さんは飲んでいたモスコミュールを盛大に吹きだした。 「ああああ…!」 そして、ロン毛のお兄さんと全く同じ反応をすると、前のめりになって言った。 「本番はあるのか?!」 最低だね?出禁だ。 オレはクルッとそっぽを向いて立ち上がると、マンボのリズムをノリノリで踊って腰を揺らしながらズボンを全て脱いで行く。 「シローーーー!フォーーー!」 ズボンを早々に脱ぎ捨てると、ポールに走って向かう。 お客さんが口を開けて期待する中、大きな音を立てながらポールに飛びつくと、一気に体をうねらせてポールを上って行く。 カンカン帽は…いつの間にか頭から落ちて行った…! 「シローーー!いいぞーーー!!」 「きゃーーー!!」 まだまだこれからっ! 足を大きく開くと体の上に持ち上げて、膝の裏にポールを絡めて回転しながら体を起こした。 「フォーーーー!!シローー!最高だーーー!」 全くだ!この曲も…このポールも、マンボのリズムも最高過ぎる…! 堪らんね… 両手でポールを掴むと、お客の上を両足を振り回して滑空して降りていく。 「飛んで来いーーー!受け止めるぞ!!」 止めろよ。骨折するよ? 膝の裏にポールを挟むとねっとりとスローにポールを回って、舐める様にお客たちを見つめていく。 吐息が漏れそうに唇を少しだけ開くと、聞こえない声量で…うっふんと言った。 ふふ…! バク転をしながらポールを離れて、ステージの上に四つん這いになってお尻を突き出しながらフリフリと振ると、シャツが下がって背中が見えてくる。 「きゃーーー!シローーー!桃尻ーー!」 そうだよ? オレのお尻はプリンプリンだ。 膝を広げて体を起こすと、いやらしく体を反らしてシャツのボタンを最後まで外していく。 顔をのけ反らせて、喘ぐように口を動かすと、乱れた髪を鬱陶しくかき上げて目の前の前髪長めのお兄さんを悩ましい目つきで見つめる。 「おいで…!おいで…!」 彼は興奮した様子でステージに前のめりになると、両手をニギニギしてそう言った。 そんな風に、よだれを垂らすやつの所になんて行かないよ? オレはもっと紳士が好きなんだ。 マンボのリズムに合わせて腰を揺らすと、自分の股間を撫でながら体を仰け反らせて、いやらしく腰をファックさせる… 「ああああ…!」 まるで感電でもしたかの様にそう言うと、ロン毛のお兄さんは手元のグラスの氷をガリガリと食べた。 あふふっ!可愛い…! ステージの縁にゴロンと寝転がるお客さんたちが、高額のチップを咥えるのを見届けると、列を作ったお客さんのチップを受け取ったり、パンツに挟んでもらったりする。 「シロの白いブリーフ…最高だ…」 そんな通な意見も笑顔で受け取るよ? 「ありがとうね?」 優しくそう言ってその場を後にすると、眼下のおかしなふたり組を見て首を傾げた。 おやぁ…? おふたりさん、そんなお高いチップを持ってるのに寝転がらないの? 彼らがチップを手で渡そうとするのを横目に見ながら素通りすると、寝転がった他のお客さんのチップを口で受け取っていく。 そして、最後の最後に、ロン毛のお兄さんの目の前に立って言った。 「お兄さん…おいで?」 「え…」 呆然とするお兄さんの手を引いてステージの縁に寝転がした。 強張ってヒシっと固まる姿は、まるで魚雷だ。 「ふふっ!可愛い!」 そう言って笑うと彼の体に跨って乗って、体を仰け反らせて前髪長めのお兄さんの手からチップを口で奪った。 そのまま体を起こすと、自分の口から、ロン毛のお兄さんの唇にチップを運んでいく。 「ほら…咥えてよ…」 彼の目を見つめてそう言うと、うっとりと色づく瞳をニヤけて眺めた。 「直生ばかり、ズルいじゃないか!」 そんな前髪長めのお兄さんの声を無視して、ロン毛のお兄さんにチップを咥えさせると、彼の体の上で、腰をうねらせて自分の乳首を撫でて立たせた。 「ああああああああ!!」 あ~はっはっはっは! ロン毛のお兄さんは目をガン開きにして、オレの体の下で両手をワナワナと動かして、体をもっと硬直させた。 体ごと、勃起してんのかよっ! あ~はっはっはっは!!おっかしい!! これくらいで興奮する様じゃあ…まだまだ、だね? 体を屈めて顔をゆっくりと近づけると、吐息と一緒に彼の唇からチップを奪って、にっこりと微笑みかけながら彼の長い髪を手の甲で撫でた… こんなに長い髪の男と、セックスしたら…どんなんだろう…? そんな知的好奇心が疼いてきちゃうよ? そのまま手を滑らせて彼の頬を優しく撫でると、顔の両脇に両手を着いて逆立ちをした。そして、ゆっくりと足を反対側へと下ろしていくと、美しくポーズを取りながらフィニッシュだ。 「シローーー!良いぞーー!」 歓声を受けながら丁寧にお辞儀をすると、前髪長めのお兄さんが口を尖らせているから、投げキッスをしてあげた。 こんなことで、兄弟喧嘩なんてしないでよね?

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