32 / 37
第32話
桜二の娘は姿勢を正すと、オレの顔を覗き込んで言った。
「あの…お話を伺いました。私たち、親子を援助して頂けると…。その、申し出を頂いて…どうして、そこまでして頂けるのか…正直、良く分からないんです。だって、肉親でさえ…助けてくれないのに、あなたは…他人じゃないですか…。」
そう言うと、桜二の娘はどん吉の頭を撫でて言った。
「私の…母は14歳で私を産みました…。父親は…あなたと一緒に住んで居る男です。母は私が産まれる間際まで、自分でも妊娠に気が付かなかったそうです。おろすには成長しすぎて、仕方が無く出産したと言っていました。当然、子供の母に子供を育てる事なんて出来ません。祖父母が両親の代わりをして…私を育ててくれました。」
彼女はオレをじっと見つめたまま…自分の生い立ちを話し始めた。
オレはただじっと彼女の瞳を見つめて、その話を聞いた。
「ずっと、年の離れた姉だと思っていた人が…実の母親だと知ったのは、祖父母が事故で亡くなった一昨年でした。…ショックでした。自分の母親がそんな若いうちに出産した事も、相手の男が居なくなった事も、自分自身の存在も…許せなかった。」
あぁ、可哀想に…
オレは唇を噛み締めると、涙を落とす彼女を見つめて…話を聞いた。
「丁度その時…私の妊娠が分かった。付き合っていた男は…子供が産まれたら入籍すると言って…この子が産まれる直前まで、私に体を求め続けました。でも…いざ、この子が産まれると…まるで準備でもしていたかの様に、跡形もなく消えました。あてにしていた収入も無い…働くにも、幼いこの子を預ける先も、金銭的な余裕もない…」
どん吉の柔らかい髪を撫でながら涙を落とす彼女は、以前の様な鬼の姿ではなく…紛れもない、お母さんの姿をしていた。
その美しい様に見とれていると、彼女はオレを見て言った。
「実の母親に、金銭の援助と、この子の面倒を頼みました。でも、彼女自身、男に寄生して生きている様な人で…子育ての経験もなかった。私の事も、娘とは思っていないようでした。簡単に追い払われて…相手にもしてくれなかった。仕方なく…友達にこの子をお願いして…単発の雑誌記者のアルバイトをしました。そんな時、あなたの取材に訪れた先で…あの男を見つけた。」
彼女はボロボロと涙を落とすと、必死の形相でオレに訴えかけた…
「あいつは…私を捨てた癖に!自分だけ、良い所に住んで!自分だけ…!何食わぬ顔をして生きていた!それが…!それが…!!堪らなく、ムカついた!!」
「…そうだね。」
オレはそう言うと、興奮した彼女の手を撫でて言った。
「それは、当然の気持ちだよ…」
「だから…この子を玄関前に置いて…当てつけの様に、メッセージを添えました。この子の存在や、私の存在を知ったあなたに捨てられて…孤独になれば良いと思った。だけど…次の日、あなたはこの子を抱っこして…現れた…。可愛い、可愛いって言って…」
桜二の娘はオレの手を握り返すと、顔を覗き込んで聞いて来た。
「どうして?どうして?どうしてそんな事が…出来るの?どうして、私に援助しようとなんて思ったの?どうして?…そんなに、あの男が好きなんですか?」
桜二が好きだから…
だから、彼の娘を助けたいの?
いいや、違う。
幼い頃の…自分の様に…寂しい思いをこの子にさせたくないんだ。
幼い頃の自分の様に…疎まれる様な環境に、この子を晒したくないんだ。
オレは彼女の瞳を見つめると、自分のショルダーバッグの中から、兄ちゃんの写真を取り出して、彼女に見せた。
「これはね…オレとお兄さん。この時は…6歳だった。お兄さんは…16歳。オレの母親は…あまりいい人ではなかった。父親は、君と同じ…産まれた時から居ない。3人兄弟の次男だ。母親はオレにだけ暴力を振るって、その度に通報や、一時保護を受けていた。そんなオレを守ってくれていたのが…このお兄さん。」
瞳を細めて写真の兄ちゃんを見つめながらそう言うと、彼女に言った。
「オレが6歳のころ…丁度この写真のころ。母親は自分の売春相手にオレをあてがったんだ。お兄さんは怒って、何度も大人の男に殴られた。オレはそれを見るのが怖くて…男の言いなりになる事を選んだ。」
「嘘でしょ…?」
桜二の娘はそう言うと、口を押さえて黙ってしまった。
まあ…当然の反応だよね…
「そんな生活はオレが小学校に上がった時に終わった。母親は夜の仕事で…男を見つけてね、帰って来なくなった。オレは、お兄さんと、弟と…3人でやっと普通に暮らせるようになった。でもね、オレが4年生のころ、お兄さんと近親相姦の関係になったんだ。それは、決して無理やりじゃなく…自分で望んで、そうなった。」
オレがそう言うと、桜二の娘はすっかり黙ってオレを大きな瞳で見つめた。
それは…何言ってんの?この人?って…そんな目だ。
ふふっ…。
「でも、お兄さんは…そんな関係に葛藤があったみたいで、児童相談所の職員の人に相談していたんだ。そうしたら、その女性と…恋人関係になってね。子供まで作った。」
オレがそう言うと、桜二の娘は首を振りながら言った。
「その、そのお兄さんは、あなたを捨てて、その女性と家庭を持ったんですか?」
「いいや。自殺して死んだんだ。オレが…17歳の誕生日を迎える前日、2歳になる自分の子供を殺して、首を吊って死んだ。ずっと、一緒に居るのが…当たり前だったせいか、オレはお兄さんがいないと何も出来なかった。そんなオレに、この事実を知られたくなくて…知ったら、オレがどうにかなってしまうって思って、逃げる様に死んでいった。」
オレはそう言うと、写真の兄ちゃんを見つめてため息を吐いた。
「命はね…産まれたら、死ぬまで生きるしかないんだ。それがどんな環境で…どんな待遇を受けて、どんなに辛くても、死ぬ時が来るまで生きるしかない。君が言う通り、オレは桜二が大好きだよ。だから、彼の娘である君や、彼の孫のどん吉を助けたいって思う。でもね、それだけじゃないって、分かって欲しい…。」
どん吉のヨダレを持ってきたあの子用のタオルで拭いてあげると、彼女に手渡して言った。
「ほんの少しだけど、この子の面倒を見て思い知ったんだ。夜泣き…ぐずりにほとほと参ってね。色々試して、色々考えて、色々悩んだ。」
どん吉を見て目じりを下げてそう言うと、桜二の娘はクスッと笑って言った。
「頑固なんです…嫌だって思うと、自分の思い通りになるまでごねて…とにかく、頑固者なんです。」
ふふっ!誰かにそっくりだ。
「ひとりで育てるのは…本当に、大変だよ。」
彼女を見つめてそう言うと、首を傾げて言った。
「ねえ?お手伝いさせてよ。さっき話した通り…オレは生い立ちがあまり良くない。でも、今、まだ生きてる。それは沢山の人に助けて貰いながら生きてきたからだよ。甘えても良いんだ。助けて貰っても良いんだ。自分から孤独になる必要は、ないんだ。」
涙を落してオレを見つめ返すと、桜二の娘は悔しそうに顔を歪めて言った。
「どうしても…どうしても、あの男が憎い!私を放ったらかしにして…!ぬくぬくと生きて来た!そんな男と一緒に居る、あなたから…金銭のサポートを受ける事に…抵抗を感じてしまうのは、私の下らない意地でしょうか…」
あぁ…そうだよね。
そこが引っかかってしまうよね…
当然だよ。
オレは肩を下げて俯くと、ため息を吐きながら言った。
「桜二は…今更、自分のやった事がどんな事か…気付き始めたみたい。君へのサポートの話をしたら、自分も協力したいと言った。ただ、頑固者で…格好つけだから、オレからの支援って事で渡してくれって言われた。馬鹿だろ?…彼も、君とどう向き合って良いのか…考えあぐねてる。でも、それは、決して拒絶じゃない。」
表情を険しくした彼女に、携帯電話で撮った“とっておきの1枚”を見せると、目じりを下げて言った。
「この写真…彼に見せたら、じっと見つめて嬉しそうにしてた…。はぁ、ほんと…馬鹿な男だ!言い訳する訳じゃないけど、彼もなかなか壮絶な人生でね。自分のお母さんが育児放棄したからって…世の女性を、全部、敵の様に思って…大事に出来なかったんだ。」
桜二とどん吉が手を繋いで眠る写真を見つめると、彼女の頬に…一筋の涙が伝って落ちて行く…
悲しい人間のサガ。
どんな酷い親でも…子供は愛して欲しいと願うんだ。
「彼が許せないならそれで良い。オレはそれが目的じゃないよ。この子を…どん吉を、君がひとりで育てられるようになるまで、一緒に見守って育てたいんだ。これは、君とオレ、ふたりの契約で…約束事で、ふたりだけの話だ。」
彼女の瞳をじっと見つめてそう言うと、彼女はオレの瞳の奥をしっかりと見つめ返して言った。
「…よろしく、お願いします…!」
深々と頭を下げるこの子に…愛されて育った育ちの良さを感じる。
娘の代わりにこの子を育てた祖父母は、この子を愛して育ててくれたんだ…
だったら、君は大丈夫だ。
ほっと、安心すると瞳を細めてほほ笑みながら言った。
「こちらこそ…よろしくお願いします。」
小難しい話も終わり、綺麗な木目の床にちょこんと座ったどん吉にノックアウトされると、あの子の両脇を抱えて大好きな高い高いをしてあげる。
「どん吉~!高い、高~い!ふふっ!かっわいい!」
キャッキャと笑う声とあの子の笑顔にくらくらすると、ギュッと抱きしめて頭を撫でた。
…可愛い。
「シロさんは…子供が好きなんですね…」
桜二の娘はおずおずとオレの隣に正座すると、どん吉の背中を撫でて言った。
「私は…この子が産まれた時、どうやって抱いたら良いのかさえ分からなかった。」
「シロって呼んで?君の事は…薫(かおる)ちゃんって呼ぶ。良い?」
彼女の顔を見てそう言うと、彼女が頷くのを確認してにっこりと笑って言った。
「薫ちゃん、オレはね…知り合いの赤ちゃんで特訓を受けていたから上手に出来たんだよ?初めから上手になんて…はぁ、とても無理だ。だって、赤ちゃんは…とっても繊細だもの…怖くて抱っこなんて出来なかった。ふふっ!」
そう言って笑うと、薫ちゃんも口元を緩めて笑った。
良かった…
この子の笑顔が見れて…良かった。
恵さんが間に入って…契約書という形で取り決めを結んだ。
後々トラブルにならない様にこういう物は大切だと勇吾から言われていたので、オレはきちんと全文読んで、同意して契約を結んだ。
「薫ちゃん…オレは大体いつも17:00には仕事に行くんだ。それまでだったらどん吉を預かれるから、何かあったら連絡をしてね?」
オレがそう言うと、恵さんが横からオレに言った。
「定期的に預けたり、預かったりする決まりを作ったら、念の為、私に連絡して下さいね。把握する事が仕事なので…」
ふふ…
オレは彼を見つめると、にっこり笑って言った。
「分かったよ。恵さん。ありがとう。」
信じてなかった。
信じれなかった。
この人も、この人の仕事も、この”児童相談所”という物、自体…オレの敵の様に感じていた。
でも、この人は…本当に、どん吉と薫ちゃんを救ってくれた。
オレに約束した事を…守ってくれた。
田中のおじちゃんが言った通り…この人は、良い人だ。
「薫ちゃん?恵さんは良い人だ。オレは初め、彼にどん吉を取られるって大泣きしたんだ。ふふっ!酷いよね。でも…彼は絶対どん吉と薫ちゃんを一緒に住めるようにするからって、オレに約束してくれた。そして…それを果たしてくれた。良い男だ!何か困った事があったら、彼に言うんだよ?」
ケラケラ笑ってそう言うと、彼を見つめて、眼鏡の奥の優しく微笑む瞳にほほ笑み返した。
薫ちゃんは仕事が見つかるまで、もうしばらくどん吉を施設で預かってもらう事になった。シングルマザーの補助の申請と、仕事をいくつか紹介してもらえるとの事で、彼女はとても安心したみたいだ。
薫ちゃんは、オレに、どん吉の誕生日が…6月26日である事と、改名を考えてる事を教えてくれた。
男が居なくなって…やけになって付けた名前だそうだ…
連絡先を交換すると、彼女に言った。
「薫ちゃん、いつでも遊びにおいで?」
「…うん。」
彼女はそう答えると、オレだけに聞こえる声で言った。
「お父さんが…意外とイケメンで、びっくりした…」
ふふっ!
あったり前だろ?オレの桜二だよ?ふふっ!
オレはにっこり笑うと、彼女の頭をナデナデして言った。
「近くで見ると、もっと格好良いよ?今度、見てみたら良いよ。」
「嫌だ、気持ち悪い!」
はは…酷いなぁ。
彼女が他の職員と一緒に帰るのを見送ると、ひとり遊びをするどん吉の隣に座って、あの子の髪を撫でた。
「どん吉…良かったね。お前はラッキーだ。」
「シロさん…」
恵さんはそう言うと、オレの隣に座って顔を覗いて言った。
「あなたの気持ちは彼女に届いていた。だから、今日…あなたが来ると知った彼女は電話口で泣いていた。それは…うれし涙だと思いました。彼女は、あなたに理解されて…救われたんです。」
「ふふ…この行為に意味なんて求めてないし、見返りなんて求めてない。尊敬して欲しいとか…ありがたがって欲しい訳でも無い。ただ、この子が…救われるなら、それで良いんだ。この子が…お母さんと一緒に暮らせるのなら、それだけで良いんだ。」
オレはそう言うと、恵さんを見上げて言った。
「あなたも…そんな気持ちで、このお仕事をしてるんでしょう?」
彼はオレを見つめると、瞳を細めて笑った。
そうじゃなかったら…こんなに献身的に関われない。
「いつも…突然電話して、ごめんね…」
「良いんですよ。いつでも電話してくれて…」
そんな呟きを交わしながら、ふたりで背中を丸めて、小さなどん吉をただ眺める。
そんなオレたちをよそに、どん吉は赤いダブルデッカーの木のおもちゃを口に入れてヨダレだらけにして振り回した。
「わ~~~!はは!」
可愛いどん吉、お前は運がいい。良かったね。
タクシーで家に帰る途中…ショルダーバッグの中の兄ちゃんの写真を見つめた。
兄ちゃん…良かった。
あの子を救えた…
「本当?」
いつの間に隣に座った幼い頃のオレが、足をブラブラさせてそう言った。
オレは彼を見つめてにっこり笑うと、自分の膝の上に乗せて窓の外を眺めた。
兄ちゃんを思い出に変えたと言うのに…オレは、どうしてこの子を手放せないのかな…
この子は…オレが自分の過去と向き合った時から、こうしてたまに現れてはおしゃべりしていく。
まるで…自分の疑問を代わりに言ってる様なこの子に、救われる時もあれば、落ち込む時もある…
それはまるで…自問自答を繰り返している様だ。
あ…
窓を眺める視線を固めると、今までこの子が現れた時の事を思い出して、眉間にしわを寄せて行く…
もしかしたら…オレは、この子で…自問自答をしていたのかもしれない。
家の前、タクシーを降りると、幼い頃の自分と手を繋いで門扉を開いた。
一緒に階段を上って…玄関の前まで来ると、あの子を見下ろして言った。
「シロ…今までありがとう。ここからは、ひとりで行ける。」
「…本当?」
幼いオレは心配そうに眉を下げてそう言うと、オレを見上げて言った。
「兄ちゃんも居なくなって…本当にひとりで大丈夫なの?また、苦しむんじゃないの?もう…ひとりは嫌だよ…」
そうだね…ひとりぼっちは嫌だ。
あの子の目線の高さまでしゃがみ込むと、じっと瞳の奥を見つめて言った。
「大丈夫。オレはひとりじゃなくなった。桜二と依冬と、勇吾が居る。兄ちゃんだって…忘れた訳じゃない。いつも…オレの記憶の中で生きてる。だから、心配しないで。オレを…信じて。」
オレの言葉に拒絶反応を示す様に、あの子は瞳を歪めて駄々をこねる様に言った。
「兄ちゃんが良い!」
あぁ…そうだね、兄ちゃんが良い…
その気持ちを、否定出来ないよ。
だって、オレは未だに兄ちゃんを…心から、愛してる。
でも、愛して偲ぶ事と、答えを求めて縋る事は、違うんだ…
唇を噛み締めて涙を堪えると、シロを見つめて静かにもう一度言った。
「大丈夫…。もう、大丈夫…。シロ、オレが居るだろ。怖くない。」
まるで殺されそうな勢いで悲鳴を上げると、あの子はオレを叩いて言った。
「兄ちゃん!兄ちゃぁん!兄ちゃんが居ないと、ダメなんだ!兄ちゃんじゃないとダメ!兄ちゃんが良い!兄ちゃんに会いたい!兄ちゃんが恋しい!兄ちゃんが…兄ちゃんが…兄ちゃんが傍に居ないと、ダメなんだ!兄ちゃんが傍に居ないと、シロは壊れちゃうんだ!!」
それは、オレがずっと心の中で…思っていた、素直な…気持ち。
それを、否定しないよ…?
…オレは、兄ちゃん以外…愛せないんだ。
「そうだね…シロ。オレも、兄ちゃんが一番好き…」
あの子を抱きしめてそう言うと、ギュッと自分の中に押し込んで飲み込んでいく。
「兄ちゃんを…愛したまま、狂わないで生きていく…」
大丈夫…もう、怖くないんだ…
瞼の裏に、幼い日の兄ちゃんとオレが映って…ほろりと涙が頬を伝って落ちた。
もう、怖くない。
兄ちゃんを、偲ぶ準備が…やっと、出来たんだ。
立ち上がって涙を拭うと、玄関の鍵を開けて扉を開いた。
ヒロさんは出かけたのか…家には誰も居なかった。
ダイニングテーブルの上に置かれた…ひらがなで書かれた書置きを手に取ると、目で流し読みした。
“かえでとあそんでくる。しごとはかれといくことにした。ひろ”
はぁ…最後のセックスでも楽しんでるのかな?
ほんと、最低だな。
ヒロさんが、少し嫌いになったよ。
「もしもし…うん。分かった。確認して…一度、踊ってみるね。え?ほんと?ふふっ!嬉しい!本当?あははっ!あの時は大変だったんだ。腕がプルプルして…ふふ。」
突然鳴った携帯電話にすぐに出ると、勇吾からの電話だった。
ボー君がYouTubeに新しい動画をアップしたみたい。
それは、オレがお客さんに大ウケした…あの、依冬が感動して涙を流した時のポールダンスの動画だ。
勇吾はとっても興奮した様子で、オレを滅茶苦茶褒めてくれた…
「あんな風に踊れるのは…お前だけだよ。シロ!」
そんな嬉しい言葉と、愛のささやきを聞いてクスクス笑うと、お仕事のお話をした。
メグの抜けたパートの動画と、楽譜…音源を依冬のパソコンに送ったそうだ。
「明日、一度見て見たいから…そうだな、そっち時間のお昼に、この前みたいに練習部屋でビデオ通話しながら見せてよ。良い?」
ビジネスモードの勇吾は、なかなかタイトなスケジュールを組んでくる。
たじたじになりながら電話を持って頷いて応えると、声だけは元気に言った。
「わ、分かった~!」
電話を切ると、やけに身軽になった体と心に思いきり深呼吸して酸素を送った。
オレも素直じゃないね…もっと、早くに申し出ていれば良かった…
「もう!とんでもない男だ!親の躾がなってない!」
ぶつぶつ文句を言いながら、ヒロさんの散らかしたソファーの周りを片付けると、依冬の部屋へ行って彼のノートパソコンを手に取った。
「なぁんだ!ヒロさんはリビングは汚すのに、依冬の部屋は綺麗に使ってるじゃないか!どういう事だ!もう!」
まるで桜二の魂が乗り移った様に、オレの小言が止まらないよ?
ふんふん!鼻息を荒く依冬の部屋を出ると、リビングでノートパソコンを開いて勇吾が送ってくれた動画やファイルをダウンロードした。
コーヒーを片手にのんびりと窓の外を眺めると、青山霊園の枯れ木の枝に緑色の可愛い小鳥が飛んで来た。
「あ…メジロだ!可愛い!」
もうすぐ春が来るのかな…
こぶしの花が咲いて…美しい大輪の花を落とす頃、梅のつぼみが開いて…桜が咲き始める…そして、春がやって来る。
「どれどれ~」
ダウンロードが終わった動画を開くと、メグのパートを見ながらメモ帳に鉛筆を走らせて、ポイントを書き出して行く。
「ふぅん…振付自体はそんなに高度な物でもないみたいだ…要はタイミングか…」
ぶつぶつひとりでそう言うと、楽譜を依冬の部屋で印刷して音楽を流して聞いた。
楽譜?
読めないよ?
でも、黒い点が付いてる所で音が鳴る事は知ってる。
オレが把握したい事は、その程度で十分なんだ。
「あ~…なる程、このテンポは導入が難しいな。メグは凄いな…。こんなに次の動きへの切り替えの早い子は珍しい。勿体無いな…また、踊れるようになって欲しいな…。可哀想に…。」
「シロ~!お店まで送ってあげるよ?」
玄関の閉まった音なんて聞こえないくらい集中して動画を見続けていると、元気いっぱいの依冬がオレの隣に座って、パソコンの画面を覗き込んだ。
「あれ、もうそんな時間…?」
「そうだよ。どんきっちゃん、どうだった?」
彼はそう言うと、オレを後ろから抱きしめてクッタリと頬を肩に乗せた。
「…どん吉、可愛かった。恵さん同席で、彼女と契約書を作ったんだ。」
「見せて…」
そう言って手を差し出す彼に、ローテーブルに置いたままの契約書を手渡すと、パソコンを閉じて店に行く支度をする。
「…毎月10万円も援助するの?」
部屋へ向かうオレにそう言うと、依冬は顔をしかめて言った。
「一体何に使うんだよ?」
「無認可の保育園しか空いてないんだ。フルタイムで預けて働くと…給料が飛んじゃうくらい費用がかかるんだ。プラス、彼女の初任給は17万、行くか…行かないかだろう。妥当だと思うけどね?むしろプラスしてあげたいくらいだ。」
オレはそう言うと、急いでシャワーを浴びに向かう。
働くお母さんは大変だ…毎月8万も9万も保育料で取られて、育児に仕事に奮闘しなくちゃいけないなんて…男はいったい何してんだろうね?
自分の性別が、嫌になるよ。
シャワーを浴びて髪を乾かすと、服を着替えて、リビングへ戻った。
保育園のパンフレットを眺める依冬の背中が、なんだか、どこかのお父さんに見えて、口元を緩めて笑うと、彼の背中に抱き付いて言った。
「パパ?見て?お昼寝の後に、おやつの時間があるんだ。このおやつはなんと、毎日違うものが出るんだよ?ん~~楽しみだね?」
依冬の頬にチュッとキスすると、彼はまんざらでもない様子で言った。
「情操教育の項目が、少し足りない気がする…もっと良い園は無いの?」
ははっ!馬鹿野郎め!
「今の時代…預かって貰えるだけで万々歳なのよ?分かってないわね?」
クスクス笑いながらそう言うと、ショルダーバッグにメイク道具を入れてタオルを突っ込んだ。
「おし、準備オーケーです。」
オレがそう言うと、依冬は契約書類を綺麗にまとめて戸棚にしまった。
「コピーして、勇吾さんにも送っておこう。」
そう言うとオレの手を握って玄関へ向かう。
ヒロさんの事を聞かないのは、きっと書置きを見たから…
そうだよね?
「さっきメジロが木の枝にとまったんだ。もうすぐ春が来るよ?」
靴を履きながらオレがそう言うと、依冬は首を傾げて言った。
「春は3月から4月を言うんだろ?まだ1か月も先じゃないか…。シロは気が早いんだ。」
ふふっ!
3月になったら、急に春が来る訳じゃない。徐々にゆっくりと…春になっていくんだ。
ばかやろ!
18:00 三叉路の店にやって来た。
依冬の車に手を振ってお見送りすると、いつもの様にエントランスへ向かう。
オレと目が合うと、支配人が渋い顔をするから肩をすくめて言った。
「なぁんだよ?」
「お前の通訳が下で楓とシッポリしてんだよっ?なんとかならないのかい?声が聞こえて気持ち悪いんだぁ!」
はぁ…?!
オレは肩を落とすと大きなため息を吐いて言った。
「もう、明日から来ないよ。彼は今日でお終い。」
「クビか?」
実質そう言う事になる。
彼はママの監視下にいないと手が付けられない。
やりたい放題なんだ…!
たまにいるだろ?ママの前だけお利口さんが…ヒロさんがそれだ。
彼を見てると…桜二と依冬、勇吾が、こんなに馬鹿じゃなくて良かったって、つくづく思うんだよ?
階段を下りて控室の扉を開くと、事の最中のふたりに言った。
「仕事だ。もうやめろ。」
鏡の前にメイク道具を置くと、鏡越しにヒロさんを見つめて言った。
「すぐにセックスするって、オレに言ったよね…その言葉、そのままヒロさんにお返しするよ。しかも、自宅じゃない場所でも、すぐに腰を振るんだ。とんでもない馬鹿犬だよ?」
彼は慌てて入れたモノを取り出すと、パンツとズボンを直して言った。
「勇吾のせいで、僕は明日帰る事になったんだ!最後の愛を確かめ合ってただけなんだよ?あんまりじゃないか!シロ!」
はっ!
よく言うよ…
オレはグッと目に力を込めると、鏡越しにヒロさんを睨みつけて首を傾げて言った。
「…ん?」
こんなオレの顔を見た事が無いヒロさんは驚いた様に目を丸くすると、分が悪いと気が付いたのか…大人しくなった。
彼には…鞭を持ったママがぴったりだな。
「シロ…シロの旦那さんは…横暴だ!ヒロは、まだここに居たいのに!呼び戻すなんて!」
そう言って眉を下げてオレを詰る楓に言った。
「あぁ、楓ちゃん。彼は仕事で来てるからね…仕事が終われば帰るのさ。そんな事、初めから分かってただろ?」
ベースメイクをしながらそう言うと、楓の背中を撫でてヒロさんを睨みつける。
彼はオレと目が合うと姿勢を正しくして、ソファに腰かけ直して、オレから視線を逸らした。
綺麗に別れられる様に、勇吾のせいにしろとは言ったけど…
こいつの無作法加減に苛ついて来るよ。
調子に乗ってるこいつには、鉄拳制裁が必要だ。
モモに、チクろうかな…
「シロ?ごめんね?怒ったの?…白人を嫌いになっても、ヒロさんを嫌いにならないで?」
19:00過ぎ…いつもの様にカウンター席に座ると、しきりにご機嫌取りをするヒロさんを横目に見て言った。
「ねえ…モモに言っても、良いんだよ?」
「勘弁してください!」
「オレは3月の公演前に現場に合流するんだ。もちろん、モモと再会して沢山おしゃべりするだろう。君にはその間に入って通訳をして貰いたいんだ。その時に、君とモモが険悪だと面倒だろ?だから、言わないんだ。分かる?」
平謝りを始めるヒロさんを見下す様に煽って見ると、ふん!と顔をそらした。
こういう男は付け上がらせたらダメだ…
「やあ、シロ!今日も美しいね?」
ヒロさんはスイッチが入った様に縮こませた体を起こすと、イケメンの顔になってそう言った。
ぷぷ!
この人の…この通訳の妙技を見ちゃうと、こんなクズでもクビになんて出来ない!
だって、とっても面白いんだ。
クスクス笑いながら顔を反対側に向けると、昨日もやって来たフランスの紳士にほほ笑みかけて言った。
「こんばんは。3月の…勇吾の公演に出演する事になったよ。ごめんね。だからあなたのお仕事は手伝えないんだ。」
オレの言葉に瞳を輝かせると、フランスの紳士はうっとりしながら言った。
「ぜひ、観に行くよ…!」
なんだろうね…この、溢れる貴族感は…
見た目のせいかな、勇吾の元カレも、目の前のこの人も、やたら上等に感じるんだ。
おかしいな…
「あぁ!シロ…今日はどんな踊りをするの?とってもセクシーな衣装だね?よく似合っているよ!」
分かった…
ヒロさんの喋り方が、この前の勇吾の元カレと同じなんだ。
彼は声優の様に声色を使い分ける。
ざっとオレが聞いただけでも、数えきれないパターンが存在するんだ。
乱暴者用の声色…
女の子の声色…
のんけの声色…
ゲイの声色…
そのほか…もろもろ、微妙に変化を付けて、枝分かれする様に細分化されてる。
そして、目の前のフランス人は、勇吾の元カレと同じ…上等な男の声色なんだ。
ぷぷっ!
オレの口元が緩むと、目の前の彼は嬉しそうに瞳を細めて言った。
「…可愛いね。食べちゃいたいよ。」
ウケる!
「た、食べちゃダメだよ…ハンニバルじゃないか。」
オレはそう言うと、彼を見つめて言った。
「昨日は失礼したね、改めて、お名前教えてよ。」
「良いんだよ。私はロニー・オリヴィエ…オリと呼んで…?」
彼はそう言うと、オレの顔を覗き込んで微笑んだ。
ふふっ!
オレに叱責されたヒロさんは…いつもよりも仕事熱心に彼の情緒を表現してくる。
それが、おかしくて…笑ってしまいそうだ。
「オリは、東京に仕事で来たの?」
彼を見つめてそう尋ねると、じっと瞳を細めてオレを見つめて言った。
「シロに…会いに来たんだよ?こんなに近くで話せると思わなかった。とっても嬉しいよ。」
へえ…
口元を緩めて微笑むと、彼のブロンドの髪を撫でて言った。
「…勇吾のパートナーだから、見に来たの?」
「ノン!違うよ。YouTubeを見て感銘を受けた。君のポールダンスを生で見たくて来たんだよ。」
オリはそう言うと、オレの撫でた手のひらをそっと掴んで、手の甲にキスした。
うわあ…
「アジア人特有の釣り目をしてるから、やたら外人にモテるんだ。」
突然、聞いてもいない事をカウンターの中のマスターが言って、オレとオリの間にチーズを置いた。
なる程ね…
オレたちから見たら彼らの顔の造形は自分たちと違う、珍しい物に映る。
彼らも同じ様に、オレたちの顔の造形が珍しいのか…
「勇吾は凄い広告を打ち出したよ?…見た?」
彼はそう言うと、カバンの中からタブレットを取り出してオレに見せた。
画面の写真には偉そうにふんぞり返る勇吾と、大きな垂れ幕が写っている。
「あ…」
思わず顔を真っ赤にすると、すぐに目を逸らした。
だって、彼はオレが踊る姿を垂れ幕にしていたんだ…
「うわ、恥ずかしい…」
そう言ってタブレットを下げると、オリに言った。
「彼は、少し、やり過ぎてると思う…」
「いや、君が…彼のメインなんだ。見てくれ!この偉そうな顔…自身に溢れてるだろ?彼にとって、君はメインで、パートナーで、オンリーワンなんだ!」
オリはそう言うと、瞳を輝かせて言った。
「僕の舞台にもぜひ立って欲しいよ…。ポールダンスだけじゃない、君のコンテンポラリーも注目してるんだ。しなやかで長い四肢が…美しいんだ。」
どうかしてる!
嬉々としてオレに語り続ける彼は…まるで、どこかの誰かを見ている様に、オレを舞台へ誘ってくる…
おっかしいね、まるで…勇吾だ。
同じ様な仕事をしているからかな、彼の積極的なプレゼンは勇吾に似た勢いと、強引さを感じた。
彼と上品におしゃべりしていると、背後がガヤガヤと騒がしくなって、突然誰かに肩を掴まれた。
「シロ~~!」
ヒロさんがこんな馴れ馴れしい声色を使う輩は…ただ一つ。
…勇吾の、過激なファンだ。
オレの肩を掴んで後ろに振り向かせると、ケラケラ笑って写真を撮ろうとして来た。
「なんだ!君たちは!失礼じゃないか!」
素敵なオリがそう言ってオレの肩から彼らの手を退けると、颯爽と立ち上がって、オレを守った。
この状況と、ヒロさんの勇ましい吹替のお陰で、キュン死しそうになる…
「あぁん?うっせんだ!フルコース野郎!お前の脳みそをテリーヌにしてやろうか?」
勇吾のファンも負けてはいなかった。
さすが、彼のファンだけあって…暴言の内容が酷かった。
「なぁんだって?!君はフランス料理を馬鹿にするのか?イギリスなんて…フィッシュアンドチップスしか食べていないんだろう!だから、そんなにゴロツキの様に粗暴になるんだ!」
「はぁ?フィッシュアンドチップスはイギリスのソウルフードだぞ!馬鹿にすんじゃねえよ!」
いつの間にか口論の内容が自分のお国自慢と、相手のお国侮辱に代わると、ヒロさんがオレに耳打ちして言った。
「もう、面倒くさい…」
確かに…
彼らは一向に口論をやめないんだ。
手が出せない代わりに…言葉のジャブを繰り広げてる。それがどれも下らない侮辱で…程度が知れるよ。
「他のお客様の迷惑になります。ご退店願います。」
ウェイターはそう言うと、素敵なオリ共々…店内から追い出してしまった…
「あぁ、彼は嵐のように過ぎ去って行ったね…まるで勇吾みたいだ。」
ポツリとそう言うと、ヒロさんは身を乗り出して言った。
「彼はシロと恋人になりたそうだったね?勇吾に似ているなら、悪く無いじゃないか…」
はんっ!
オレはヒロさんをジト目で見つめると、鼻で笑いながら言った。
「もう、男は要らない。」
「あ~はっはっは!言うね?」
勇吾が設置した張り紙の効果なのか…外国人のお客は来れど、以前の様にリミッターの外れた状態で絡んでくるお客は少なくなった。
訴訟が身近な国の人への警告は…訴訟をちらつかせる事が1番効果があるみたいだ。
遠目で見たり、丁寧に話しかけてくれたり、落ち着いた様子になった勇吾のファンにオレは満足してるよ?
ああやって、たまに来るバカを除いてはね?
そうこうしていると店内が暗くなって、ステージの上が煌々と輝き始める。
楓のステージが始まるんだ…
「…行かないの?」
隣に座るヒロさんにそう聞くと、彼は肩をすくめて言った。
「ここからでも見える。」
ぶん殴ってやろうかな…?
胸糞が悪いヒロさんの隣に座る事を止めると、楓が踊る音楽のリズムに合わせてステージの前でステップを踏んで踊り始める。
「シロ~~!」
ステージの上で楓がそう言うから、オレはあの子に投げキッスをして一緒に踊った。
「フォーーー!いいぞ~~!仲良しだな~~!」
そうだよ?
オレと楓は、仲良しだ。
オレにつられたお客が一緒に踊り始めると、店内がクラブの様にざわつく。
それで良いんだ。
「楓~~!綺麗だぞ~~!お前が、いっちばん綺麗だぞ~~!」
エキサイトするオレを捕まえると、常連客達がチップを咥えさせてステージの上に放った。
扱いが雑?
良いんだ。いつもの事だもん。
「楓~~!来て~~!」
オレがそう言うと、にっこり笑顔の楓がルンバを踊る様に徐々に近づいて来た。
おっかしい!めっちゃ面白い!
「ア~!シロ~!ファック シタイデスカ?」
そんな片言の日本語を話すと、どこかに身を潜めていた“過激派の勇吾ファン”が、オレの足の間に体を入れて、腰を振った。
「オ~イエス!オ~イエス!ファックユー!シロ!ファックユー!」
「やめろっ!」
そう言いながら腰を振る恰幅の良い男に体を捩って抵抗するけど、大きな手に腰を掴まれたのと、対格差があり過ぎて…全然、ビクともしない!
最悪だ…!!
お前なんて、桜二に殺されれば良いのに…!
「ん、もう!やっめろ!ん、きーーー!」
怒り狂ったオレは相手の頭をぼかすか殴って、抵抗した。
そんなオレの両手を掴むと、恰幅の良い男は体ごと伸し掛かるようにして、オレの手をステージに押し付けてへらへら笑って言った。
「ドント ドゥ ザット ビッチ!」
「ヘイ!」
誰かがそう言うと、オレに覆い被さる男の肩を引いて一発ぶん殴った。
「ヒロ~!!」
恋する楓の声を聞くと、体を起こしてステージ下の様子を眺めた…
そこには常連客に足蹴にされる先ほどの男と、すらっと佇むヒロさんが居た。
なんと、あのクズのヒロさんが、恰幅の良い”過激派の勇吾ファン“をワンパンダウンさせたのだ!
「ぶっ殺しちゃえよっ!ヒロ!」
オレはそう言うと、床に座り込んだ男に食って掛かった。
「ノーノー…」
ヒロさんはすかさずオレを持ち上げると、カウンター席に連れて行って椅子に座らせた。
「なぁんだ!」
怒ったままのオレが椅子を下りようとすると、後ろからギュッと抱きしめて言った。
「だめだめ、シロは落ち着いて…何もしちゃダメだよ。」
「なぁんで!」
背中の彼に何度も頭をぶつけて抗議すると、体を捩って彼の腕から逃れようとした。
でも、全然ビクともしないんだ…!
「彼らはわざと君を煽ってるんだ。暴力なんて振るった日には…勇吾さんに慰謝料を請求し始めるよ?」
ヒロさんはオレの耳元でそう言うと、こつんと頭を付けて言った。
「これからはあんまり簡単に人を殴っちゃダメだよ?堪えて…証拠を残して…訴えるんだ。それが大人の喧嘩だよ?」
大人の喧嘩…?
バッカみたいだな…!
オレはヒロさんの腕を両手で撫でると、ポンと叩いて彼に言った。
「も、落ち着いた!」
「嘘だね。僕はシロを見て来たからね?君がこの位で落ち着く訳無いって知ってる。だから、まだこうして…仕方なく、抑えててあげるね?」
彼はそう言うと、ため息を吐きながらオレを両手で抱きしめた。
「はぁ…」
手も足も出ない状況にため息を吐くと、目の前のマスターが、困り顔をしながらオレにビールを差し出して言った。
「にくいね…色男…」
ウェイターがさっきの男を店から追い出すのを見届けると、やっと、ヒロさんの拘束が外れた。
「はぁ~、やっと自由になった!ヒロさんって意外と力が強いの、びっくりだよ。」
オレがそう言うと、丁度のタイミングでウェイターが無事の確認をしに来た。
「シロ、掘られた?」
「んな訳無い!でも…むっかついた!」
両手をワナワナさせてそう言うと、ウェイターはオレの頭をポンポン叩いて、ヒロさんに言った。
「ありがとうございました。外国人同士の喧嘩で済みました。彼は店員に暴行を働いた事で、これから警察です。」
わあ…!
「ザマミロだ!」
オレはそう言うと、目の前のビールをガブガブ飲んだ。
「なぁに!?シロとヒロはそう言う関係だったの?嫌だな!僕をからかったの?ふん!」
カウンター席に来た楓がそう言って頬を膨らませた。
…そういう関係?
何を言ってるの??
オレは頭の上にクエスチョンマークをたくさん出すと、楓を見て言った。
「オレは男なんて要らない。オレが欲しいのは子供だ。」
「ぷぷっ!」
マスターが吹き出し笑いをしてオレを見て言った。
「だったら、男と付き合わないで、女と付き合えよ。」
オレはマスターを指さしながらケラケラ笑って言った。
「確かにそうだ~。あははは!」
…さてと。
ヒロさんと楓が微妙な空気になって、居心地の悪いカウンター席を離れると、階段を上ってエントランスの支配人に会いに行った。
「なんだ…おじいちゃんが、恋しくなったのか?おいで~?」
彼はオレを見つけると、両手を広げてそう言った。
ふふっ!
オレはそんな彼を見つめてクスクス笑うと、頬杖をつきながら言った。
「3月の…25日、26日、27日、28日、29日、30日…お休みを取る。」
「はぁ?!なぁんで、そんな長期間休むんだよ!ばっかやろう!」
はぁ…そう言うと思ったよ?
支配人は口を尖らせると眉を上げて、ふん!と顔を横に振った。
だから、オレは彼の顔を覗き込んで言った。
「27日と、28日に勇吾のストリップ公演がイギリスであるんだ。」
オレの言葉にもっと顔をしかめると、支配人は吐き捨てる様に言った。
「はん!旦那のそれを観に行く為にお休みが欲しい…なんて、主婦みたいな事言うようになるんじゃあ…お前の結婚は、失敗だな!もう、シロはオワコンだ!リトミックの先生にでもなって、子供に変なダンスでも教えてな!ブス!」
「…出るんだ。」
彼の手を掴んでそう言うと、オレを見つめて固まる彼に、もう一度、言った。
「オレが…舞台に立つんだ。歌舞伎町の、この店のストリッパーの、シロとして…イギリスの有名なホールで踊るんだ。だから…前日から現場入りして、リハーサルをしなくてはいけない…後は、移動に日を跨ぐから…これだけ、お休みが必要なんだ。」
支配人は顔を固めたままオレの話を聞くと、眉をひそめて言った。
「…本当に?」
疑い屋の彼の為に、フランスの素敵な紳士…オリが見せてくれた“勇吾と垂れ幕”の写真を見せた。
自分の写真が使われた垂れ幕を見るのは、やっぱり抵抗があるけど…これを見せたら、一目瞭然だろう…?
「はい…こんな感じで、向こうで宣伝してます。」
オレの携帯電話を奪い取ると、支配人は英語も読めない癖に、読んでる様に目を泳がせた…
「はっ!!」
急に表情がパッと明るくなると、支配人は大急ぎでどこかに電話をかけ始めた。
「もしもし?!花を…1番大きい花輪を、3月の27日に、イギリスまで…うちの店の名前をデカデカと付けて…シロ、頑張れって…書いて、届けてくれ!色は、今までにない…綺麗な花輪を作って!一番目立つように、派手にしてくれよ…!」
涙をタラタラ流しながらそんな電話をするから…オレは彼に抱き付いて言った。
「馬鹿だな!…まだ…まだ、1カ月の先の話だ!」
「馬鹿野郎!こういうのはな!早めに予約しておくもんなんだよっ!?こうしちゃいられない!どこでやるんだ?そのストリップ公演は、どこでやるんだ?」
ボロボロと涙を落としながらオレの腕を掴むと、必死の形相で聞いて来るから、オレは彼を抱きしめて言った。
「馬鹿だな!ハーマジェスティーズシアターだよ…!馬鹿!」
「ハーマジェスティーズシアター…」
支配人は急いでメモを取ると、さっきかけた番号に再び電話して言った。
「おい!さっきの花輪、イギリスの、ハーマジェスティーズシアターに27日に届く様にしてくれ。くれぐれも…きっちり仕事してくれよな!」
かちゃりと受話器を置くと、オレを体につけたまま呆然と立ち尽くした。
お客さんが不思議がって二度見していく…
だって、何も話さないで…ただ、呆然とする支配人にオレが抱き付いてるんだもの。
…それって、変だろ?
「お前が…イギリスで、踊るのか…」
ポツリと支配人がそう言ったから、オレはコクリと頷いて言った。
「…そうだよ。」
オレの背中を撫でながらオレの頭に頬を付けて、彼が、もう一度聞いて来た。
「うちのストリッパーが…シロが、踊るのか…」
オレは体を離すと、支配人の顔を見上げて笑顔で頷いて言った。
「そうだ。オレがこの店の看板を背負って…イギリスで、宣伝して来てやる。」
オレの鼻をつまむと、ピッと離して支配人が言った。
「良かったじゃねえか…。やりたかったんだろう?…頑張れよ。」
ふふっ!
おかしいよね…
だって、涙が止まらなくなるんだ…
この人がオレをストリッパーにスカウトしたんだ。
彼が居なかったら、今のオレはいない…
彼が居なかったら、今のオレはいないんだ…
「あっああ…うわああんん…!」
両手で彼に抱き付くと、泣きながら頬ずりをして言った。
「あぁあああん!ありがとう…!オレを、オレを…見つけてくれて…ありがとう!!」
彼が居なかったら、桜二にも会えていないし、依冬にも会えていない。
勇吾にだって会えなかったし…こんな素晴らしい環境にたどり着けずにいただろう。
彼が居なかったら、オレは生きていなかったかもしれない。
兄ちゃんを恋しがって…気が狂って…死んでいたかもしれない。
「お前は…目立つからな。あの時じゃなくても…遅かれ早かれ、俺の愛人になっていたさ…。そう決まってんだ。こうなるって…ずっと前から、決まってたんだよ。」
支配人はそう言うとオレを強く抱きしめた。
「…頑張れよ。」
「はは…うん、うん。」
ただ、彼の力強い抱擁が…嬉しかった。
今、この場にいる運命が、今、自分を巡る環境が、一歩でも違ったら違う未来になっていた事に…恐れをなすとともに…間違いなく、選んで、進んできた自分に…
感謝して、泣いた。
「ほら、踊ってこい…!目なんか赤くして踊ったら、ぶっ飛ばすぞ?」
いつもの様にそう言うと、支配人はオレのお尻を叩いて送り出した。
「…もう、分かってるよ!」
いつもの様にオレもそう言うと、控室の階段を下りていく。
控室の扉を開いて、カーテンの前に行くと手首足首を回して首をぐるっとゆっくり回した。
さて、気持ちを切り替えよう。
オレはね、KPOPが大好きだ。
でも、ポールを踊る時に曲を使った事は無かった。
理由は簡単だ。
KPOPの曲を流すと、エロいストリップじゃなくて、KPOPのダンスを踊り始めてしまうからだ。
どうしても体に染みついた振付が、自然と手足を動かしてしまうんだ…!!
掛け声だって…付けてしまう恐れがあるんだ!
今日は敢えて、そんな危ない橋を渡ってみようと思う。
カーテンの向こうで大好きな音楽が流れ始めると、さっそく口ずさみながらステージへと向かった。
ベースの利いた重低音が体の奥をズンズンと揺らすのを感じると、自然と重心が低くなって、怪しい雰囲気を体中にまとわせる。
ハードで…パンクなエロを演出しよう…
黒い革パンを張らせるように両足を開くと、腰を下げて上に着た黒いシャツをお腹まで捲り上げながら腰をユラユラと横に揺らした。
「キャーーー!シローー!セクシーー!」
あぁ…この曲大好きなんだ…!
高まる気持ちを押さえつつ、革パンのチャックを下げると、自分の下着を見せながら腰をゆるゆると動かして、目の前のお客を見つめて、口端をニヤリと上げる。
「はぁはぁ!こらぁ!あかんぞ!」
そんな声に首を傾げながら四つん這いになると、胸を床に付けてお尻を高く上げた。
ヒクヒクといやらしく動かすと、シャツが下がって背中が見えていく。
うねる様に体を起こすと、床ファックしながらシャツを乱暴に脱ぎ捨てる。
「きゃーーーー!!なんか、良い~~~!!」
そうだろ?
イメージとしては…エッチする時、さて、やるぞと…シャツを脱ぎ捨てる依冬を参考にしたんだ。
なんか良いんだよね、あの動きがさ…
エロくて、セクシーで、荒々しくて、堪んないんだ。
上半身裸でチャックの開いた革パンを穿いてポールへ近付くと、思いきりバク宙しながらポールに絡みついていく。
「きゃーーー!」
そうだね、この曲にはなよなよしたエロは似合わない。
パンチの聞いた、ハードなエロが良く似合う!
引っかかる革パンを上手にポールから離しながら高くまで体を持ち上げると、膝裏で掴んで体を離していく。
まるで遠くを覗く海賊の様にポールから体を離すと、一気に腕を絡めて回転しながら滑空していく。
このスピード感は…メグのパートのそれと同じ…
オレも、彼の様に…踊れるって事だ。
ステージに降りると、チップを咥えて寝転がるヒロさんを見下ろして、深いため息を吐いた。
「あんたがチップを渡す相手は、オレじゃないんじゃないの?」
大音量の音楽にかき消される声でそう呟くと、お尻をフリフリしながら革パンを可愛く脱いで行く。
もう、ハードはお終いだ。
だって曲が変わった。
厳つい重低音が、可愛いテンポ刻む様になったんだ。
「シロ~~!踊って~~!」
革パンを半分脱いだ所で…オレはKPOPアイドルの踊りを踊り始めた。
「あははは!」
笑われたって仕方が無い。
だって、体が勝手に動くんだ!
「ほんと、好きだな~~!」
そんな常連さんの声に笑顔を向けると、前屈しながら革パンをすべて脱ぎ捨てて、ステージの袖に蹴飛ばした。
「ねえ、そんなに好きならシロもアイドルになれば良いじゃないの!」
パンツにチップを挟むお姉さんがそう言った。
オレは肩をすくめると、にっこり微笑んで言った。
「アイドルはね…なるもんじゃない。見るもんだ。」
寝転がるお客さんのチップをひとつづつ口移しで貰って行くと、ゲイのお客さんが言った。
「シロ?なんだか最近、グッとエッチだね?」
「そうかね?」
首を傾げてそう言うと、常連さんはクスクス笑ってオレにもう1枚チップを見せて言った。
「…触りたくなっちゃうよ。」
ふふ…
「それをしたら、出禁だ。」
そう言ってほほ笑むと四つん這いになって、彼が自分の股間の上に構えるチップを口で受け取りに行く。
「堪んないよ…」
そんなため息混じりの声に口元を緩めながら、ゆっくりと体を起こしていくと、最後に残したヒロさんを見つめてため息を吐く。
「まったく、どうかしてるね?揉めさせたいの?」
ヒロさんの頭を膝で挟むと、そう言って頬を膨らませて彼を見下ろした。
「なぁんだ、最後の夜だからお礼にチップを渡しに来たのに、散々だね?」
本当に…この人の日本語は流ちょう。
しかも、オレの傍に居たせいか…口調が似て来てるんだ。
ヒロさんは一万円のチップを3枚も口に挟んで、オレに向けて言った。
「サービスして!」
全く!もう!
彼の体に腰を浮かせて跨ると、彼の胸を両手で撫でてあげる。意外にもヒロさんの胸筋はなかなかのものだ。
勇吾ほどじゃないけどね…
「あぁ…ヒロさん、知らなかったよ。こんなに良い体をしていたんだね?」
彼を見下ろしながらそう言うと、ヒロさんは頬を赤らめて言った。
「一緒にお風呂に入っただろ…?」
ふふっ!確かに!
見てなかったよ。
体を沈めて彼の顔を覗き込むと、吐息を頬に当てながら唇に舌を這わせてチップを受け取っていく。
「あぁ…シロ、シロ…愛してる…結婚しよう?」
そんな言葉…聞かなかった事にするよ?
惚けた表情の彼を真顔で見つめると、優しく頬を撫でてほほ笑みかけた。
彼を見つめたままゆっくり体を起こすと、後ろに思いきり足を振り上げてバク宙する。
そして、彼の顔の脇に手を着くと、真下の彼に向ってアッカンベをして言った。
「やなこった!」
リビングを汚すし、だらしが無いし、すぐに浮気をする。そして、何より…
オレの楓を傷付けた。
クルリと客席に顔を向けてポーズを取って…フィニッシュだ!
ともだちにシェアしよう!