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第34話

月日は流れて…あっという間に桜二の誕生日…3月8日を通り過ぎて行った。 誕生日プレゼント? あげたよ? 彼が欲しがっていた、サングラスを買ってあげた。 その後が男前だっただよ? オレは彼にディナーをご馳走したんだ、その場所は…オレと彼が初めて出会った… あのホテルの…最上階のレストランだ。 ふふ…!粋だろ? 乙女の心を持つ桜二は、ウルウルと瞳を潤ませて言ったんだ。 「あぁ!シロ…!なんて、素敵な夜なんだっ!」 ははっ!笑っちゃうよね? だから、オレは言ったんだ。 「ボカァ…君の誕生日の度に、このレストランを予約するよ…そして、おじいちゃんになっても…変わらず、君のお皿から魚の料理をかっぱらってあげる!」 最高に格好付けてそう言うと、桜二はグシグシと泣いていたっけ… 彼は、意外と乙女で、ロマンチストなんだ。 すぐに開かれた結城さんの裁判は、彼に減刑や無罪を争う姿勢がない事が、かえって良い心証を与えた様で…実刑は食らったけど、少しだけ減刑された。 オレ? オレはもちろん彼が刑務所に入ってすぐに差し入れを持って行ったよ。 彼の好きなミステリー作家の本と、子供の名づけの本と、依冬がインタビューを受けた、日経何とかって本を差し入れした。 嬉しそうに瞳を細めて依冬の載った本を眺めた彼は…もう、蛇なんかじゃない。 オレの愛する可愛いおじいちゃんだ。ふふっ! 桜二の娘…薫ちゃんは、無事に仕事を見つけて、フルタイムで働きながら葉太を育ててる。 なんと初任給でオレに、つるとんたんをご馳走してくれたんだよ? …泣けるね? どん吉…改め、葉太(ようた)と名付けられたあの子は、元気にすくすく育ってる。 薫ちゃんは葉太を連れてうちによく遊びに来るけど、たまに桜二とバッティングしては、お互い気まずそうにしてる。 けど…桜二と、彼女も…反発はし合っていない。 そんな不思議な関係…。 「あ…なんだ、来ていたのか…」 「別に…シロたんに、会いに来ただけです…」 そうは言いつつ、チラチラと桜二を伺いみる彼女の視線は…お父さんを見る様なもんじゃない。まるで、イケメンを眺める女子の物だ! 「桜二?見て?葉ちゃん、こんな事まで出来る様になって…可愛いだろ?」 オレの手を掴んで立ち上がる葉ちゃんを見せると、桜二は葉ちゃんの足を突いて言った。 「歩くの?」 ふふっ!まだだ! 「今はまだ、ジャンプするくらいしか出来ないけど…もうちょっとしたら、前に進む方法を覚えて行くみたい…凄いよね、赤ちゃんって…」 そう言うと、瞳を細めて可愛い葉ちゃんを見つめた… オレはこの子のお世話が、楽しくってたまらないよ。 だって、あっという間にハイハイが出来る様になって…今では掴まり立ちまで出来る様になった…。 あれよあれよという間に…きっと、歩く様になるんだ。 あっという間にどんどん出来る事が増えて行く… 赤ちゃんは、やっぱり無敵の超人だった。 「目が離せないの…この前は、私がご飯を作ってる最中にテーブルに顎をぶつけて舌を切ったんだよ?も~、本当…!焦った!すぐに歯医者に連れて行って…傷を見て貰って、大事には至らなかったけど…ほんと、焦った!」 薫ちゃんはそう言うと、オレの隣に座って葉ちゃんを抱っこした。 「舌なんて…切るなんて、どうかしてるよ?葉太…。ママ、ビックリしたんだからね?」 そんな薫ちゃんの言葉に、桜二を見つめると顔を強張らせた。 未だに舌先に残る傷痕を口の中で撫でると、薫ちゃんの髪を撫でて言った。 「葉ちゃんは、オレと似て来たな?」 今度、ロメオと一緒に動物園に行く約束をしてる。 オレと、薫ちゃんと…陽介。 そんな、変な組み合わせの3人と…ロメオと、葉太。 …ねえ? もしも、このふたりがくっ付けば…最高だと思わない? だって、そうしたら…オレは、ロメオと葉太、ふたりといっぺんに遊べる様になるんだから。 …あぁ、違うよ? そんなのは微かに期待してるだけ。 無理やりくっ付けようとなんて、しないさ。 でも、優しい陽介は…お父さんにはピッタリの人。 そして、しっかり者の薫ちゃんは…お母さんに、ピッタリの人。 そんな風に…勝手に思ってるだけだい。 「シロ…パスポートは自分のバッグに入れないでって言っただろ?」 「だって、オレのだから…」 「失くすって思われてるんだよ…」 依冬はそう言うと、運転席に座ってエンジンをかけた。 いつもよりも大きな車で、3人で向かうのは…空港だ。 オレは自分のショルダーバッグからパスポートを取り出すと、後部座席に一緒に座った桜二に手渡した。 彼はそれを受け取ると、ぶつぶつと文句を言いながら自分の胸ポケットにしまった。 …なんだよ!ふんだ! 桜二の大きなスーツケースをコロコロと転がして、空港のカウンターでチェックインを済ませると、依冬がオレに航空券を手渡した。 「シロ…バカンスシーが空いて無かったから…ビジネスシートにしたよ。でも、今回はビジネスんでいくんだから、何の問題も無いよね?」 ニヤニヤしながら依冬がそう言ったから、オレは鼻で笑って言った。 「何言ってんの?バカンスシートなんて無いよ?ぷぷっ!依冬は恥ずかしいね?そんな物あるって思ってたんだ!あっはっはっは!」 憮然とする依冬を見て大笑いすると、彼がスーツケースを預ける後姿を見つめて、桜二に言った。 「オレと桜二の荷物はひとつのスーツケースに収まったのに…依冬はあんなに大きなスーツケースに何を入れたのかな?」 「ローションだよ…」 桜二がそう言って、オレがケラケラ笑うと、依冬が言った。 「お土産は何が良いかな~?」 「そんなのひよこに決まってる!ダンサーの子が喜んで食べたんだ。今回はもっと沢山、買って行ってあげよ~!」 オレはそう言うと、お土産屋さんに行ってひよこをふたつ買った… 今回はお別れなんてしないで…一緒に、飛行機に乗るんだ。 3人で海外旅行なんて…最高じゃないか! 手荷物検査を受けて飛行機にグンと近付くと、この前、来た時と違って…桜二と依冬が傍に居てくれることに、身震いするほど嬉しくなった。 オレはもう、ひとりでイギリスまで行けるよ? 行けるけど… やっぱり、3人でいる方が良い。 「依冬がね…バカンスシートって行ったんだよ?ぷ~、クスクス!」 飛行機の中、隣に座った桜二に耳打ちしてそう言うと、彼はニヤニヤして言った。 「だっさいな…」 なぜか、胸の奥がムカッとしたけど…きっと気のせいだ。 13時間のフライトは見れるだけの映画を見て過ごした。 だから、泣いたり…笑ったりと、情緒が暴走して、気が付いたら爆睡していた。 ヒースロー空港に到着すると、タクシーに乗って、オレだけハーマジェスティーズシアターへ向かう。 これから…リハーサルがあるんだ。 事前に渡されていたスタッフのIDカードを見せると、屈強のガードマンは道を空けて、オレを中へと通した… 前とは違うね? 高揚した気分で震える足を動かして、劇場の中へと入って行く… 「わあ~~~!」 客席から入ると、天井を見上げてクルクルと回る。 凄い…!素敵な所だ!! 「…シロ!お帰り!…おいで!」 ステージの上から、勇吾が満面の笑顔で両手を広げた。 はちきれんばかりの笑顔になると、彼に向って客席を抜けて走って行く。 「勇吾~~~!」 そう言ってステージの上の彼に飛びつくと、クルクルと回してもらって…ギュッと抱きしめて貰う… 「…ふふ、ただいま、勇吾。」 彼と見つめ合ってそう言うと、チュッとキスをした。 「ダーリン…会いたかったよ。」 「ん、も~!」 イチャイチャし始めるオレに、モモの檄が飛んだ。 「シロ!待ってんだ。早くして!」 「はい~~!」 急いで舞台袖で着替えると、ケインとハイタッチして、ヒロさんにウインクして、ショーンにアッカンベしてステージに戻った。 解せない顔のショーンがウケた。 「さあ、始めましょうかね…」 オレがそう言うと、勇吾が指を差して言った。 「シロが踊るのは…あそこだよ。」 それは特設されたステージの中央…オーケストラの真中… 「わあ…」 これは…体が持っていかれる所じゃない…吹き飛ばされかねない。 「オーケー…」 ビビりながらポールに近付くと、下を見下ろした。 勇吾は1階の客席を半分ステージに変えて、周りをぐるっとオーケストラが取り囲んでる。 だから客席は2階と3階部分のみ…こりゃあ、大胆だね? 勇吾にコアな人気が出る理由が分かる。 思いきりが良いんだ。 「じゃあ…初めから行くよ。」 勇吾がそう言うと、照明が落ちて真っ暗闇になる。 指揮者が棒を振ると、足元から音が沸き上がって来る! わああ!!凄い!! 練習した通りにポールへ体を持ち上げていくと、眼下に広がる光景に思わず視界が歪んで行く。 素敵だ…! なんだ、これは…信じられない!! こんな素晴らしい景色…見た事が無いよ… いつも踊ってるお店のポールから見る光景が好きだ。 でも、これは…全く違う! お店ではオレがポールダンスでお客を違う世界に連れて行く。でも、ここでは…オレが違う世界に連れて来られたみたいだよ…。 キラキラと輝くスポットライトは…今までどんな素晴らしい物を照らして来たんだろう…?この真っ赤なシートには、いったい誰が座って来たんだろう…? 歴史も由緒もある素晴らしい舞台に…完全に、飲まれた。 お前なんてちっぽけな存在が立って良い場所じゃないんだよっ!って…言われてる気がした。 しかも、楽器の音、ひとつひとつが聞こえて…まるで楽譜の中に入ったみたいに、まるで周りの音が入って来ない。 こんなに広い舞台なのに…言い知れぬ閉塞感と、先頭で踊る事の不安が頭の中をちらついた。 全く、思った様に踊れない…!! 一通りの通し練習が終わると、ポールからズルズルと降りてその場にへたり込んだ。 …この音が… オーケストラの音が… 邪魔だ。 「…ズレてる。シロ。」 オレの背後で勇吾がそう言った。 ズレてる… 多分、音が二重にも三重にも聴こえて来るからだ… この言い知れぬ閉塞感も…音が壁を作ってオレに襲い掛かって来るんだ… このポールが立ってる場所…オーケストラの丁度、中央… ここは、音が交差する場所なんだ… このままじゃ、ダメだ。 「イヤモニ…」 背後の勇吾にそう言うと、手を差し出した。 「音が丁度、交差する場所にポールが立ってる…音が合わさらないで…ズレて重なるんだ。だから、必然的にダンスもズレる。ここで踊るならイヤモニが必要だ。」 後は…オレの、丹田に気合を入れる必要もある。 ビビるなよ、シロ… 何て事、無い… どんだけ素晴らしい舞台でも、どんだけ素晴らしい演奏でも、お前の踊る物はいつも同じだろ? そして、踊った先に…望むもの、それも…いつも同じじゃないか… だったら、ビビる必要なんてない。 ただ、いつもの様に…踊れば良いだけなんだ。 「ふぅ…」 深呼吸して体の中の弱気と一緒に空気を吐き出すと、丹田に気合を入れて…心を落ち着かせる… 桜二…桜二…お前の、飄々とした冷静沈着さを、オレにくれ… 左手に巻いた桜二のお守りを、右手で握ると、髪をかき上げてイヤモニを付ける。そして、再び中央のポールに立った。 照明が落ちて音が耳の奥に聴こえると、さっきと同じ様に体を持ち上げていく。 耳に届く音は、何重にも聞こえてこないで、ちゃんとひとつの音になって、音楽を奏でてる… あぁ…オーケストラが目の前にいるのに…結局、オレが聴く音は、イヤモニからの音なんて…とんだ、残念賞だ。 肌に感じる空気の圧は、最高潮に盛り上がった時のお店の歓声の圧とよく、似てる… だからかな…全然、嫌じゃない。 ひとりだけ…臨場感の無いイヤモニからの音を頼りに踊り切ると、タイミングはピッタリ。体の強張りも徐々に解けて来た。 よし、行ける…! 「場所が悪かったな…」 通しで踊り切ると、勇吾がそう言ってオレの足元に近付いて来た。 おもむろにポールに掴まると、軽々と体を持ち上げてオレと同じ高さに登った。 そして、オーケストラに向かって英語で演奏を催促すると、一気に苦い表情をしてオレに言った。 「あぁ…これは、気が付かなった…!音が重ならない。まともに踊ったら、酔うな…」 そうだろ?ばか者め! オレの頭を撫でると、勇吾は眉を下げて言った。 「ごめんよ、ダーリン…俺の設計ミスだ…」 結局…オレだけ、イヤモニ装着で踊る事になった。 「シロ~~~~!」 ポールから降りると、ダンサーの子や、モモと、女の子の様に高い声を上げてハグし合って、お互いの笑顔を見て、胸の奥がホカホカと熱くなった。 「シロ?あそこ…めちゃくちゃ格好良かった!メグでも、あんな風に出来ない!もう…大好き!」 モモの声色を使って、ヒロさんがオレに言った… 彼の通訳には慣れてるけど、モモを見ないでヒロさんを見つめて聞くと…なかなかジワジワ来る… オレは、ここに来て…新しいヒロさんの楽しみ方を見つけてしまった様だ。 「みんな上手になったね?オレも足を引っ張らない様に…気合を入れないとダメだね?」 そう言って笑うと、モモはヒロさんの腕を掴んで言った。 「東京でお世話になったね?何か…悪い事してなかった?」 モモの通訳をしながら、ヒロさんは苦い顔でオレを見つめて来る… 「…ノー」 モモを見てそう答えると、ヒロさんは瞼を閉じて深く頷いた… 彼は変わらない。 「よしよし…じゃあ…後は、照明の調整をしよう…!ダンサーとオケは休憩で。」 勇吾はそう言うと、他のスタッフと忙しそうに舞台袖に消えて行った。 …彼は、ああしてる時が1番、楽しそう。 ポールの上で勇吾の背中を見送ると、体を仰け反らせてグルっとポールを回った。 「シロ!休憩するよ!」 モモにそう声を掛けられると、オレは彼を見下ろして言った。 「オレは良い~!」 だって、この場所に…この視点に…早く慣れたいんだ。 ビビッて体がいつもの様に動かないなんて…屈辱的だからね? 頭の中で曲を再生して、何度も何度も踊り続けると、だんだんと、目の前のこの光景にも慣れて来たみたいで、体から無駄な力が抜けて来た… お猿の様にポールに掴まって止まると、眼下のオーケストラを見下ろした。 休憩時間なのに、椅子から動きもしないでボ~ッとしてる人や、隣の人とおしゃべりする人…神経質に足元のケースを何度も直す人…様々だ。 直生と伊織も…こんな雰囲気を持ってる。 オンとオフがハッキリしてると言うか…ぼんやりしてるんだ。 まるで、楽器を演奏してる時が通常モードみたいに…そうでない時は、静かで、眠ってるみたい… ♪~ 突然、真下からバイオリンの音が聞こえた。 視線を落として見ると、オレを見上げたバイオリニストが楽しそうに笑顔で曲を演奏し始める… なんだか、踊ってみろって…言ってるみたいだね? ふふ…! イヤモニを耳から外すと、彼の出す音に合わせてポールを踊ってみる。 音の先にある変化に耳を澄ませて技をちょいちょいと挟んでいくと、いつの間にか流れるような踊りが生まれていく。 バイオリンの彼も感じてるのかな… お互いを意識し合って、音楽と、ダンス…ピッタリ合った、ひとつの物を作ってる。 それは、もう二度と踊る事が出来ない様な…1回きりの物… 「わあ~!素敵だ!」 曲が終わると、オレはそう言ってポーズを取りながら拍手をした。 そんなオレに、バイオリンの演奏者は丁寧にお辞儀をすると、にっこりと微笑みかけた。 「おっと…!」 そう言って慌ててポールを下りると、同じ様に丁寧にお辞儀を返して微笑んだ。 …直生と伊織も、オレのダンスに合わせて演奏を紡いでくれた。 目の前のこの人も…初めて会った筈なのに、上手にオレのポールダンスに合わせてくれるんだ。 プロって…凄いな。 「ブラボー!」 そんなかけ声を掛けると、オレの足元にまばらに残ったオーケストラの人たちは、仕事熱心なのか…それとも、これ自体が休憩だと思っているのか…オレの為に、色々な曲を演奏してくれた。 やっぱり、彼らは楽器を演奏する事が…呼吸をする事の様に当たり前なんだ。 …面白い! 「シロ…何か弾いて欲しい物はあるか?って聞いてるよ。」 ポールの下でヒロさんがそう言ったから、オレは首を傾げて言った。 「じゃあ…エアロスミスのDudeから…チャイコフスキーの眠れる森の美女の、赤ずきんにしてみてよ?」 オレがそう言うと、ヒロさんは首を傾げたままオーケストラの休憩しない人々に伝えた。 「フォッ!」 そんな変な声を出すと、オレの目の前に集まって音を一方向から浴びせた。 なぁんだ…彼らはこのポールの位置が宜しくないって…知ってるみたいだ。 まったく、だったら早めに勇吾に教えてやってくれよ。 オレだってイヤモニじゃない、自分の耳で音を拾いたかったよ? 「フォーーー!シローーー!」 いつもの様にポールを派手に回ると、感動して極まった筈の目の前の光景が…いつもの店と同じくらいに、何てことない光景へと変わって行く… この曲のお陰かな? オレは背の高い女によく間違われるけど…女じゃない。 男の子だ。 両手でポールを掴むと足を思いきり振り回して回転する。 勢いの付いた足を思いきり上に上げると、膝の裏にポールを掴んで、体をのけ反らせながら回った。 「フォーーー!ファンタスティック!」 まるでDJの様に見事に曲を切り替えると、今度は眠れる森の美女…大好きな赤ずきんのパートが流れてくる。 「あ~!良いねえ!」 ケラケラ笑ってそう言うと、赤ずきんのパートを彷彿させる様な振付をポールに取り入れて踊った。 「ワオ!クール!」 そうだろ?オレの赤ずきんはポールを踊るんだ。ふふっ! オオカミだって、軽くいなしてやるぜ? 逆に、オレが食べてやるよ。 オレの赤ずきんがお気に召したのか…演奏する人数や、演奏する楽器が増えて、音の圧が体をピリピリと震わせて来る。 凄い…これがもっと大人数の演奏になったら、どうなるのかな…? それこそ、北斗君や、野獣兄弟が言った様な“体が持って行かれる感覚”を…味わえるんじゃないか… オレはそれを楽しみにして来たのに… あ~あ! おもむろに、オレのポールの真下にケインが現れた… さすが、彼は分かってる。 ふふっ! クライマックスに近付くと、激しいスピンをしてポールを下りていく。 そして、ちょうど良い高さに来ると、申し合わせたようにケインがオレをポールから持ち上げて、リフトして舞台袖に退けて行く。 まるで、赤ずきんのバリエーションの最後の様に…オオカミが赤ずきんを連れ去るんだ。 「シローーー!ブラボーーー!」 そんな歓声に手を振りながら、オレをリフトし続けるケインに言った。 「最高だね?」 オレがそう言うと、ケインはオレを真上に放り投げて両手で抱きしめてキャッチして言った。 「俺の赤ずきん。どこに行ってたの…寂しかったよ。お腹がペコペコだ。」 ケインの隣でヒロさんがそう言った… 「あぁ…もう、ケインったら…」 オレがそう言うと、隣でヒロさんがうっとりした声を出して英語で話した。 ウケる… 「どこ見てるの!シロはこれから俺を餌付けするんだから…一緒においで!」 ケインはそう言うと、オレを抱っこしたままステージの裏を歩き始める。 「シロ!久しぶり!さすがだね…綺麗だったよ!」 勇吾のスタッフが、オレを見ると笑顔になって挨拶してくれる。 「シロ~!…なんで、俺にアッカンベしたの…」 ショーンはそう言うと、ケインごと、オレを抱きしめて言った。 「…会いたかったよ?ボス!」 ボス?ふふっ! ショーンをギュッと抱きしめると、背中をポンポン叩いて言った。 「…待たせたな!」 舞台裏では、勇吾のスタッフ達が忙しく走り回ってる… そんな活気のある様子に、自然と気分が高揚してくる。 あぁ、明日…とうとう、公演なんだ! そんな実感を共有する様に、現場のスタッフの士気が高まっているみたいだ。 楽しい…! 「シロ?シロが来るって聞いたから、ケインは美味しい物、沢山用意したんだよ?」 そう言うと、ケインはオレの体を再び抱っこして、慌ただしく勇吾が打ち合わせをするテーブルに運んだ。 場違いな白いテーブルクロスが張られた丸いテーブルの上に…多国籍なテイクアウト料理が並べられている… 「シロ…どれが好き?…え?ケインが食べたいの?もう…仕方の無い食いしんぼちゃんだね!良いよ?ケインを食べて良いよ?生で!生で!」 そう言ってオレに両手を広げる彼を抱きしめると、笑顔で言った。 「ケインったら、ありがとう。こんなに素敵なおもてなしをしてくれて…うっうう…うわぁん…!」 ボロボロと涙が零れると、ケインが苦笑いしてオレを抱き寄せて言った。 「お帰り…シロ。会いたかった…!」 パクチーの匂いがする箱をそっと閉じると、焼きそばみたいな麺を食べて言った。 「まず!」 思ってたんと違う… 「もっと美味しいの無いの?」 ケインの肩を突いてそう言うと、彼は口を尖らせて言った。 「相変わらずだな…!」 なんだ!甘々モードはお終いか…! その後もリハーサルは深夜まで続いて…勇吾とゆっくり話す事も無いまま、ホテルへと戻った。 「疲れた~~~~~!」 「どうなってるの!今、何時だと思ってるの!」 お母さんみたいな事を言うと、セクシーなガウンを着た桜二がプンプン怒って言った。 「明日本番だって言うのに…!こんな深夜まで練習したら、疲れちゃうだろ?受験生は前日勉強し過ぎると、当日頭が疲労して使い物にならないから止めろって、先生が言ったの、覚えてないの?」 どういう事だよ… へとへとの体を引きずる様に浴室へ行くと、服を脱いでシャワーを浴びる。 髪も乾かないうちに、パンツだけ穿くとベッドに突っ伏して寝た… 「あれ~、シロ帰って来るの遅かったね~…あれ、寝ちゃったの?」 そんな依冬の声と、カランと氷がグラスの中で鳴る音を聞いて、瞳を閉じた… もう…疲れた~~~ 「シロ、朝だよ…」 ガバッと体を起こして、桜二の携帯電話を見て時間を確認すると、昨日穿いたズボンを穿いて、桜二のTシャツを着た。 「なんで俺の着てんだよ…」 訝しげにそう言う彼の胸に顔を擦り付けると、ギュッと抱きしめて言った。 「上手く行くって…言って…」 「あぁ…シロ、当たり前だろ。上手く行く。絶対だ。」 そう言ってオレを抱きしめる彼に体を沈み込ませると、オレに両手を広げる依冬に抱きしめて貰う… 「大丈夫。絶対成功するよ。楽しみだ…!」 依冬は力強くそう言うと、オレの頭を撫でてギュッと抱きしめた。 緊張なんて…しないと思った。 でも、昨日のスタッフの高揚と、勇吾の緊張感が…オレに伝染したんだ! 「う…うう…お腹が痛い…」 オレがそう言うと、依冬がお薬を手に取って言った。 「だから持ってきて正解だっただろ?」 そう…それは荷造りをしている最中… 念の為、腹痛の薬を持って行くと言った依冬に、お腹なんて痛くなる訳ないじゃん!ば~か!と言って悪態を吐いた…例の…お腹のお薬だ… 「ごめん…ごめ~ん…」 そう言ってお薬を飲むと、ベッドに倒れ込んで、ぼんやりと桜二のお尻を眺めた… 「店と同じさ…今日は、大入りなんだ。」 桜二がそう言ってオレのお尻をポンポンと叩いた。 「…そう、お店と同じ。ハロウィンで…支配人が頑張った店内なんだ。」 依冬もそう言うと、オレの隣に寝転がって優しく髪を撫でてくれた。 ハロウィンで…支配人が装飾を頑張った店内… なる程…そう言われてみると、そう見えなくも無いね? 「おし!ちょっくら、行ってくるわ!」 気合を入れて立ち上がると、桜二と依冬にもう一回、抱き付いて甘えた。 昨日は急いでいたから見逃した…自分の垂れ幕が掛かったハーマジェスティーズシアターを、今日はまじまじと見上げて、ドキドキしてくる… 劇場に近付くと、入り口に、この場に不釣り合いな…派手な花輪が飾られていた。 “シロ、頑張れ!” そう達筆で書かれた文字と…お店の名前が入った垂れ幕に…ウルっと目頭が熱くなる。 そうだ。オレは、歌舞伎町のストリッパーの…シロ。 店の看板を背負ってるんだ。 ビビるな…!丹田に…気合を入れろ!男だろっ! スタッフのIDを見せて劇場の中に入ると、ピリピリムードのステージを横切って行く。 「モモ!違う!はける動線が変わったって伝えただろ!しっかりしてくれっ!」 そんな風に大声で怒鳴る勇吾を見つめると、首を傾げて言った。 「怒鳴ったって、普通に話したって、相手に伝わる事に変わりは無いんだ。だったら、うるさいから普通に話してよ。」 オレの言葉にムッとすると、勇吾は視線をそらして言った。 「本番で間違われたら困るんだよっ!だから真剣に言ってんだ!」 「怒鳴ったら真剣なのか…知らなかったよ…」 オレはそう言うと、勇吾に向かって怒鳴って言った。 「今日も、真剣にやるぞ~~~い!」 ひとりでスッキリすると、ポールの上で緊張して声が届かなくなったモモの足をチョンチョンと叩いた。 モモはポールから降りてくると、オロオロと情けない顔をして言った。 「シロ…ごめんね。どうしよう、失敗したら…どうしよう…」 緊張してる上に、怒鳴られちゃあ…落ち込むよね。 オレはモモの頭を撫でると、彼の瞳を覗き込んで言った。 「失敗なんてしない。ここはお店と同じだ。もし、振付を間違えたらアドリブで誤魔化せばいい。オレたちは何だ。芸術家でも、舞台人でもない。ストリッパーだよ。そして、オレたちの強みは何だ。動じない…凛とした、態度だ。」 オレはそう言うと、他のダンサーに言った。 「お客がファックさせろって言ったら…?動揺するの?」 「死ねって言う…」 どこからともなく、誰かがそう言った。 「じゃあ…お客がブスって言ったら?泣いちゃうの?」 「…お前の母ちゃんの方が、ブスだって言う。」 「ふふっ!そうだね。それがオレ達ストリッパーだ。この舞台…この劇場…綺麗だね。勇吾も、みんなも、ピリピリしてる。でも、オレたちはストリッパーだ。場の空気に飲まれて、見誤るな。舞台の事は、オレたちには何の関係も無いんだ。オレたちが集中しなきゃいけない事、それはいつもと同じ。音楽が流れて、照明が当たって、お客が見つめる中…一番の美しさを見せつけて、お客をいなす事だ。どうだ?って澄ました顔をして…いなす事。それだけ。」 ボロボロと涙を落とすモモの頬を拭うと、あの子の目を見つめて言った。 「お前がここのポールダンサーたちのボスだ。お前がビビってどうすんだ。オレはビビってない。だから、お前もビビるな。いなして、鼻で笑って、チップをたんまり貰おう!」 「うん!シロ!」 モモは泣きながら頷くと、先程までの情けない表情を一転して、深呼吸をした。 オレはモモのお腹に手を置いて言った。 「丹田に気合入れろよっ!ビビるな!」 そう言って踵を返すと、ムカつくひよこの顔をしながら楽屋へと向かった。 ある意味、自分を追い詰めるつもりで…モモにはっぱを掛けた。 気張るな… いつもの様に… 左手首に巻いた桜二のお守りを指先で撫でると、プツリと皮が切れて解けた… 「あ…」 スルスルと手首から落ちて行くブレスレットを反対の手で受け止めると、後ろを付いて来たヒロさんに差し出して言った。 「…結んで?」 「はいはい…女王様~」 縁起でも無いって…? ゲン担ぎなんて信じない。このブレスレットが切れたから、なんだ。 切れたら…結べば良い。 運が欲しいなら、掴んで引っ張り寄せれば良い。 そのくらいの…強引さが、貪欲さが、状況を変える力になるんだ。 着替えを済ませると、ステージに戻ってショーンからイヤモニを受け取った。 「テープで留めて…」 そう言って髪をかき上げると、勇吾がオレの耳にテーピング用のテープを張りながら言った。 「別に…俺はビビってない。」 「そう…」 オレはそう言うと、彼を無視してステージに走って向かう。 そのままの勢いでポールに掴まると、足を高く上げて足首でポールを掴んだ。 ブラブラと揺れながら真下のオーケストラと目が合うと、ウインクしてから体を持ち上げていく。 彼らの演奏を生で聞けないのは…とっても残念だ。 ある意味、それを目当てに頑張った所があるよ? …このまま、イヤモニを付けてやりたくないよ… 絶対、後悔する。 思い立った様にイヤモニを外すと、楽譜を整理する指揮者に話しかけた。 「ここに…音が重なって聞こえるんだ。これを付けないと踊れない。出来ればこれを付けたくないんだ。ねえ、どうすれば良い?」 ヒロさんが通訳すると、指揮者は肩をすくめて言った。 「少し楽器の位置を変えるって…」 眼下に座ったオーケストラが一斉に立ち上がって、自分たちで場所を見ながら座る位置を調整し始めた… 「シロ…何したの…?」 怪訝な様子で勇吾が近づいて来るけど、オレは彼を無視して、指揮者の様子を見つめた。 「これで、一度踊ってみて?」 指揮者がそう言って棒をかまえた。オレは勇吾にイヤモニを手渡すと、体をポールに持ち上げていく。 「あ…」 凄い…! 昨日の様に二重に音を聞き取る事も無いし…音の圧による閉塞感も感じない!! 凄いぞ! 彼らは、まるで…音が見えてるみたいだ! 「は~はっはっはっは!すごい~~!ベリーグッドだよ?」 体を仰け反らせてオレがそう言うと、指揮者は投げキッスをして言った。 「初めから、聞けば良かったんだ!」 意地悪め…! だったら、初めから言えば良いんだ! 彼らはプロ。 プロはある意味シビアだ…言われた事を淡々とこなして行くだけ… だからかな、これはまずいって思っても…言わないんだ。 イッツ ノット マイ ビジネス…。まさに、この事だ… 聞かれたら答えるけど、それ以外は俺の仕事じゃねえよって…割り切ってる。 あっけない… でも、これで待ちに待った楽しみが、味わえるんだ! 「音は解決した~!」 オレはポールに掴まったまま勇吾にそう言うと、彼の険しい顔をじっと見つめる。 …あぁ、ダーリン…緊張してるの? 「勇吾?ギュってしてよ~~!」 オレは体をのけ反らせると、真下の勇吾に両手を伸ばして言った。 「…もうすぐ、ステージも使えなくなる…あと、もう、少し練習して…」 彼はそう言うと、しきりに時計を見て顔をしかめた… オレの事なんて…まるで見えて無いみたいだ…! 「ん、もう!“Let’s There Be Love”プリーズ…!」 オーケストラを見てそう言うと、指揮者が口端と指揮棒を上に上げた。 サックスがメロディーを吹き始めると、オレに背中を向ける勇吾の肩に両手を乗せて言った。 「ステイ!」 止まった彼の肩の上に逆立ちすると、彼の目の前にスルスルと体を添わせながら降りていく。 「Let there be you. Let there be me…」 そんな歌詞を歌いながら…可愛い勇吾と、素敵なオーケストラの演奏で、素敵な劇場を舞台に…チークダンスを踊って…愛を歌う。 「勇吾…ギュってして…?」 彼の瞳をじっと見つめてそう言うと、勇吾はオレを見つめて瞳を潤めて言った。 「愛してるよ…シロ。」 そして熱いキスをして…ギュッと抱きしめてくれるんだ。 「次のリクエストは…?」 そんな指揮者の粋な嫌味には、眉を上げてこう言うんだ。 「メリー・ポピンズ…プリーズ!」 「ぐふっ!」 オーケストラはクスクス笑うと、陽気なチムチムチェリーを奏で始める。 その音楽に見送られながら、ステージの上を袖へと帰って行くと、最後にクルッと回って後ろに足を引いて最上級の丁寧なお辞儀をした。 「シローー!フォーー!」 「お辞儀だけで歓声がもらえる。ここはちょろいね?」 勇吾を横目に見てそう言うと、頬にキスを貰って衣装を着替えに向かう。 総勢12名のダンサーの楽屋は、大騒ぎだ… 衣装のサイズが合わない…肩ひもが取れた…破れた…そもそも衣装が無い… 「はぁ…戦場の様だな…」 オレはポツリとそう言うと、メイクさんの居る鏡の前に座った。 途端に、メイクさんがオレの顔を鏡越しに見て言った。 「…どうやってメイクしたら良いの?!」 はぁ? …どういう事だよ! 喧嘩売ってんの? ムッと頬を膨らませて睨み付けると、ゴツゴツのオネエのメイクさんが言った。 「…アジア人のメイクはした事が無いの…どうすれば、魅力的になるのか、分からないわぁ。」 …さりげなく盛大にディスってくるね? ドラァグクイーン! 「良いもん。自分で出来るもん。」 オレはそう言うと、メイクさんの道具だけ借りて、夏子さんの神業メイクを思い出しながら…人よりもたっぷりと時間をかけてメイクした。 ヘアメイクをして貰いながら、みんなと同じ場所にスパンコールを置いて行くと、モモが鏡越しにオレを見て言った。 「シロ…綺麗じゃん。」 そうだよ? オレはね、アイラインを2ミリ以上ひくと、グッと魅力的になる顔をしてるんだ。 用意された衣装を着ると、既視感のある衣装に吹き出して笑う… この前、勇吾が東京に来た時、オレがせがんで選んで貰った衣装に似てる… 白いスパンコールが沢山付いた、白いキャミソールと…白い短パン… 白いブーツに足を入れると、チャックを上まで引き上げて鏡の前に立った。 真っ白けだ…頭だけ…赤い。 これなら…シルバーに脱色してこればよかった…。 まあ、良いさ。 メイクとよく合ってる衣装じゃないか。 衣装さんがみんなの肩にヒラヒラと垂れる装飾を取り付けていくと、衣装、メイク、ヘアセット…全て整ったストリッパーが12人出来上がった。 「俺たちは誰だ!」 「ストリッパー!」 「丹田に気合入れろっ!」 「おおおお!!」 モモたちのそんな熱い掛け声まで、ヒロさんは通訳してくれる。 …もうすぐ、開演時間だ。 はぁ…桜二と依冬…来てるかな… 「シロ!シロ~~!」 必死な声でオレを呼ぶ声の方へ視線を向けると、警備員にガードされながら、必死に指ハートを擦り合わせる手を見つける。 「チッパーズ!」 オレはそう言うと、警備員を止めて、ぐちゃぐちゃになったボー君を救い出した。 「はぁはぁ…スタッフのIDを見せたのに…止められて…!」 汗だくになってそう言うボー君の髪を直してあげると、可愛く正装した蝶ネクタイを直して、頬にキスした。 「わざわざ来たの?」 そう彼に聞くと、ボー君は顔を赤くして言った。 「…シロ、今日は一段と綺麗だ…!」 ふふっ!そうかい? 「ほ、ほ、他のチッパーズも来てる!!シロが生で見れるから…!みんな、凄い興奮してるんだ!!楽しみにしてる!!」 そう言うと、警備員にもみくちゃにされてボロボロになってしまった花束をオレに渡して言った。 「で、で、で、で、デンドロビウムだよ…。シロに似た…花…」 なぜ、それを知ってる… 勇吾が言ったのかな…? 「あぁ…ありがとう。この花、大好きなんだ…」 オレはそう言うと、彼の反対の頬にもキスした。 「シロ…そろそろ」 モモがオレを呼んだ。 花束から一輪、デンドロビウムを抜くと、衣装のポケットに挿して入れた。 ボー君が、大急ぎで、変な走り方をしながら客席へ向かう背中を見送ると、舞台の袖に移動する。 緊張…? する訳無い。 ここは、支配人がちょっと頑張って仕上げた、ハロウィンの店内のステージだからね… 兄ちゃん…見ててね。 今日も、オレが一番、綺麗に見える様に、踊ってあげる。 ポケットに差したデンドロビウムの香りを嗅ぎながら真っ暗な袖に待機すると、オープニングを飾る4人がステージへ向かう。 曲の途中で…センターを踊るオレが登場して、見せ場をかっさらって行くんだ。 最高だろ? 袖からでも感じる観客の興奮と、人のざわつき… 嫌が応でも…胸が高まるよ。 それは緊張から来るものじゃない… この劇場、一杯のお客を魅了してやるって…意気込みからさ。 …オレは場数を踏んでるんだ。 この程度で…緊張なんてしないさ。 ブーーーー 開演のブザーが鳴ると、ステージの上が煌々と照らされて、リハーサル通り、ポールダンサーたちが踊り始めるのを袖から眺めた。 みんな、緊張してる…動きが硬くなって、テンポが遅れがちだな。 そらそうか… 手首足首を回すと、首をぐるっとゆっくり回した。 「ママ、行ってらっしゃい。」 モモがそう言うから、オレはにっこりと微笑んで言った。 「ほ~い!」 そう、いつもの様に、軽く、いなしてやろう。 タイミングが来ると、ステージへ向かう。 胸を張って、堂々と歩いて、オレが、シロだと知らしめてやろう。 「シローーーーー!!フォーーーーー!!」 上等なオーケストラの生演奏の中、いつもの様な下品な掛け声が飛ぶと、口元をニヤリと上げて、歓声の主に投げキッスをしてご挨拶する。 オレが、ストリッパーのシロだよ? ポールダンサーの間を抜けて、ひとりひとり顔を見て、にっこりと笑いかける。 怖がる事は無い。 オレが守ってあげるよ? センターのポールを両手で掴むと、音楽に合わせてゆっくりと体を持ち上げていく… 膝の裏でポールを掴むタイミングを合わせると…ステージの5人。同じスピードで回って滑らかに…体を反らして手を美しくしならせてポーズをとる。 「シローーー!お前が、いっちばん、綺麗だぞ~~~!」 嘘だろ… 桜二の声だ…! 吹き出して笑いそうになるのを我慢すると、美しくスピンして回りながら背中にポールを添わせて…まるでバレリーナの様につま先まで意識して…両足を開いて、ジャンプする様にポールを回った。 オーケストラの音が、心地よく体を持ち上げて、刻まれるテンポが…体の奥から四肢を動かすと…何も考えなくても、音楽と一体になっていく。 ため息混じりの感嘆の声を聞きながら…両足をそろえて高く上げると、足首でポールを掴んで体を起こしていく… ステージの上には…重力なんて無い。 ここは…水中。 オープニングの見せ場…緩急を合わせたスピンを5人同時に見せると、拍手が沸き起こって…音楽とシンクロした…オレの言う所の”ファンタジア効果”を見せつけた。 あぁ…勇吾。 ここから見るお客たちは…何だかいつもより上等に見える。 それでも、ステージの上に立つ。オレたちストリッパーを見て、魅了されてる事には変わりないんだね… 一曲目を終えて動線の通りに退けると、笑いが込み上げてくる… あの、桜二が…! あんな大きな声を出して!ふふっ! …涙が落ちた。 「シロ…このまま次に行くよ?」 オレの腕をがっしり掴むとモモがそう言うから、オレは彼を見つめて笑顔で言った。 「オーケー!」 次は、入れ代わり立ち代わり…ある意味ストリッパーのわんこそばみたいなステージだ。12人いるストリッパーが4人ずつ、3グループに分かれて踊るんだ。 すっかり緊張が解けたダンサー達は、素直にこの状況を楽しみ始めて、周りで忙しなく動き回るスタッフ達とは対極的に雰囲気が穏やかになった。 良かった… 動きが硬いと、焦ってヘマをしやすい… そして、何よりも…怪我に繋がりやすいんだ。 オーケストラの音楽が変わると、初めに踊る4人がステージへと向かうのを見送った。 一番の見せ場で思った通りの歓声が上がると、上々の手応えにやる気が満ちてくる。 これでチップの一枚でも…飛んで来れば良いのにな… 人はそれを“欲”というんだ。 そして、オレは人よりも…欲深いんだ。 曲が終わりそうになると、次のグループがポールの下へ向かった。 言っただろ?わんこそばなんだ。 ポールの上に必ず誰かが居る…だから、切り替わるタイミングが絶妙なんだ。 ある意味、そこも見せ場だね? 各々好きなようにポールを離れるから、綺麗に終わる子や…派手に終わる子…アクロバティックに終わる子もいれば、おしとやかに終わる子もいる。 ポールに登る側もそう…各々好きなアプローチで登る。 ちなみにオレは2番手に踊るモモと交代する…3番手の踊り手だ。 「あ~~!緊張したけど、上手く行ったぁ~!」 沢山の拍手と共に1番手の子達がわいのわいの言いながら袖に戻ってくると、3番手のオレたちはタイミングを見る様にステージの上を注視した。 「行くよ…」 オレがそう言うと、みんなでステージに出てそれぞれのポールの真下に行く。 オレは少し離れた所でモモのポールが終わるのを眺めた。 あの子はオレを確認すると、にやにや笑いながらポールを踊った。 全く、下品だね? だから、良いんだ。 「そろそろかな…」 ひとり、ポツリとそう呟くと、助走を付けてポールへ向かって行く。 「シローーー!」 ハイハイ… モモが下に降りたのを見計らってポールに向かってジャンプすると、腕を絡めて足を高く上げていく。 「フォーーーー!!ブラボーーー!!」 ガンっと揺れるポールの下をモモが迷惑そうに降りて行くのを確認すると、美しいクラシックとは相容れない、エロくて過激なポールダンスを踊って行く。 脱がないよ? 脱がないけど、エロなんて…いくらでも演出できる。 表情を作る顔と、動きを付ける体があればね? ポールへのアプローチは自由だけど、踊る内容はグループ毎にみんな同じ…そして、見せ場の“ファンタジア効果”を生み出すタイミングも、同じ。 群を抜いたらだめだ。 これは…群舞なんだから。 他の子と同じ様に音楽を聴きながら体を動かすと、練習と同じタイミングでピッタリとポーズを決めて、拍手を貰う。 オレからしたら物足りない。でも、これで良いんだ。 だって…これは、オレのワンマンショーじゃないからね? ステージからお客の席を眺めると、しきりに指ハートを擦り合わせる人を散見した… あれが、チッパーズ… 20人以上は来てる…凄いぞ。 “SHIRO”なんて旗を持った人や…オレのうちわを持った人までいる…! ウケる!! KPOPアイドル達には…オレもあんな風に見えているんだろうな… そんな事を考えながらクライマックスを迎えると、このメンバーだけ、特別に用意されたパートをこなしていく。 それは4本並んだポールの向こうから順々に技を決めて、最後のオレが次から次へと技を決めていくという…メグの為に作られたパートだ… まあ、オレの見せ場にさせてもらうよ? 順々に技を決めて行く度に拍手が沸き起こる中、オレの隣のサンダーの子がとちった。 「あ…シロごめん…」 そう言いながらワンテンポ早く技を決めてポールから降りて行った… くそっ! テンポを合わせる為に予想もしていなかった動きを加えると、いつも以上に速いアプローチで帳尻を合わせていく… 全く、舞台は生ものなんてよく言うけど、本当そうだ… ハラハラして…やってらんないね? 膝の裏でポールを挟むと、体を仰け反らせて両手でポールを掴んだ。 そして、両足を揃えてポールから離すと、遠心力が付くように勢いよく振った。 凄いスピードで回転すると、膝の裏でポールを掴んで一気に体を翻した。 その瞬間、体勢を見事に変えて、フィギュアスケートの選手の様に残像を残しながら回転する。 「ワァァァ…!」 ダンスの緩急と…音楽の緩急の…融合だ… 音楽がスローになったと同時に、太ももでポールを挟んで体を仰け反らせていく。 それはゆっくりと…まるで音楽とセットの様に…寸分違わない見事な”ファンタジア効果“を生んで、観客を沸かせた。 まるで体操選手の様にバク転しながらポールから離れると、アクロバットの演目に移って、担当の身軽なポールダンサー達とハイタッチして袖に消える。 「シロ~~!ごめ~~ん!」 とちったダンサーの子がそう言って謝るから、オレはその子を抱きしめて言った。 「良いよ。結果、オレの見せ場になったから。」 オレがそう言うと、モモがケラケラ笑って言った。 「あっという間だけど…もう、終わるね?この次はもうフィナーレだよ。」 確かに… あっという間だったけど、時間にすると2時間も踊ってる… 「大体さ…こう言うのはシルクドソレイユとか…大規模な劇団がやるもんだろ?ひとり、1ステージぐらいでさ…でも、勇吾はそれを12人のダンサーでやろうとしてるんだもん…やんなるよね。」 モモがそう言うと、他のダンサーの子が頷いて言った。 「しかも、今日…めっちゃ機嫌が悪くて、寝てる所を跨いだだけですっごい怒られたんだ。」 「え~、最悪じゃん…誰のおかげで公演出来てんだって話だよ?」 ガールズトークに花が咲く中…ステージの袖から、ポールを渡りながらアクロバットの技を決めて行く…極めて危険な事をしてるダンサーたちを見つめる。 どうか…無事に終わってくれ… あの子たちは身軽なだけじゃない…体の骨格が…優れてる。 体を持ち上げる事も、回す事も、キープする体幹も…オレより断然しっかりしてる。 だからかな…柔軟性が少し足らなくて、力で体を持ち上げて行こうとする癖があった。 太極拳や…少林寺拳法みたいに…勢いをそのまま次の動きに繋げる事を教えると…さすが選りすぐりのストリッパーなだけあって…みんなすぐに習得したんだ。 「あぁ…!よし…!良いぞ。」 一番の見せ場が決まると、お客から歓声が上がって、拍手が起こった。 ふふっ! どうだ… ストリッパーは凄いだろ? エロいだけじゃない…美しいんだ。そして、気高い。 アクロバットの子達が袖に退けてくると、汗だくになって言った。 「あ~~!終わった~~!」 まだだよ!全く! 「シロ!シロ!良い感じじゃないか!あれ、良くリカバリーしたな…さすがだよ…!ん~!チュッチュっチュッチュ!」 突然どこからともなく現れた勇吾は、そう言ってオレに連続キスすると、ギュッと抱き付いて言った。 「シロ、シロ、凄い良かった…!お前は存在感が違うんだ…。やっぱり、俺の奥さんは…一番セクシーで、一番目立って…一番可愛いんだ…」 「勇吾、着替えに行きたいんだ…」 オレがそう言って体を離すと、勇吾は頬を出して言った。 「キスして!」 全く…開演前のピリピリはどこへやら…彼はすっかり浮かれてる。 彼の頬にキスすると、急いで衣装を着替えに行く。 少しの時間を置いた後…フィナーレだ。

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