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第8話 灰被り

 灰被り姫、だっけ。  シンデレラ。  あれってさ、まさに夢物語でさ。  現実はそう上手くなんていきっこない。魔法の杖でカボチャを馬車にしてくれる魔法使いなんていやしない。当たり前だけど。そもそも、あの魔法使いがどうしてそんなことをしてくれたのか。気まぐれ? 優しさ? なんだろうな。なんで、あんなことしてくれたんだろう。どうしたら、その魔法使いとやらは俺のところにも来てくれるんだろう。あんな奇跡みたいなこと、起こしてくれたらいいのにさ。 「はぁ……」  でも現実っていうのは。  俺は、タバコのヤニで天井も壁も黄土色に変色した休憩室で溜め息をついてる。ソファの背もたれは端が破れて、そこから中のスポンジが飛び出しかけてる。そこにずるずるともたれかかるように座ってる。魔法の杖で、この休憩室が豪勢なスイートルームには変わらないし、このソファも高級なソファーに変わることもない。 「あれ? また、小野池さん、こっちの手伝いさせられてんすか?」 「あ……お疲れ様です。立花(たちばな)さん」 「いいっすよー、俺なんかに改まらなくたって、クン、でいいっす」 「いや……癖で……じゃあ、立花、クン」  ういっす、と笑って、立花君が長めの前髪をくしゃりとかき上げた。毛先は金髪で、でももう根本は黒い部分がかなり目立ってしまっている。営業でこの頭は絶対に無理だけれど、製造部だから大丈夫。俺が入社した年に中途で入ってきた。確か、高卒、だっけ。だから歳も下になる。 「営業からの助っ人っていうから絶対に小野池さんだと思った」 「あー、あはは」  仕事を押し付けられるのは大概俺。上手に逃げられたらいいんだけどな。そういうの、下手なんだ。 「よくキレないなぁって思いますよ。来週ですっけ、すげぇ遠いところに出張行かされるって」 「あぁ……なんか、ね。そうらしいよ」  最初は取引先への打ち合わせを営業部長がしに行くことになっていた。  ところがその取引先で不具合が発生してしまったらしく、その対応を、じゃあそのまま出向くことになってる営業でしてくれとなったらしい。製造は短納期対応のためそんなものの選別に人員を割いてる時間も余裕もないとのことで、その短納期で仕事を取ってきた営業から人員を出せってことらしい。もちろん、そんな役回りは最終的に俺の仕事になる。  最初は営業課長が行くことになっていた。  でも、その不良発生があるのなら、部長ではなく俺が行けばいいって。 「うわぁ、最悪じゃないっすか。部長が行けばいいんすよ」 「まぁ、部長は色々忙しいから」 「もー、人が良すぎなんすよー、前も選別行かされてたじゃないっすか」 「あー……あはは」 「でも、こんなとこで毎日働くよりは出張とかもいいかもーとも思うんすけどー」 「そんないいものでもないよ」  人が良すぎ……なんじゃない。ただ断りきれないってだけの話だ。いい歳した大人なのに。ただそれだけの話。出張なんてできることならしたくない。朝一に家を出たって、給料には交通費と宿泊代、それから出張手当としてたかが千円が日毎に追加で支払われるだけの話。それで朝から晩までずっと、自社が出した不良の選別をさせられるんだ。仕事量と見合ってなんていやしない。 「そうなんすか?」 「うん……結構しんどいよ」  泊まれるホテルだって質素なものだ。豪勢な食事だってありえない。たかが千円の追加手当じゃコンビニ弁当がいいところだ。 「そっかー」 「うん」 「その不良の損害がでかいからとかなんとかで、今年の夏のボーナスないって噂だし、そんな真面目にやることなんてないんですって。製造の部長なんて、ボーナスのその噂聞いて頭抱えてましたもん。ローンがっつってました」 「あぁ、製造部長はこの会社がいい時に入った人たちだから」 「なるほどー」  今となっては傾きかけた寂れた会社だけれど、昔はとても羽振りが良かったんだと聞いてる。もうその頃を知る人も少なく、見る影もない会社に成り果てたけれど。  その時だった。  社内アナウンスが流れて、営業の俺に電話が、とのことだった。 「後で、そっちに手伝いに行きます」 「あ、お願いしまっす」  連日の残業にだるくなった身体をどうにか起こして、一番近くにある、少し汚れた電話を取ると課長からで、このまま自分は直帰するから製造の手伝い等、後のことは頼む、とのことだった。まぁ、これもいつものことすぎて頑張る気にもなれない。だらだらと押し付けられ仕事を溜め息混じりにこなすだけ。それでも早く終わらせないと俺はいつ帰れるのかわからないと、製造部へと急いだ。  まるでシンデレラみたいな毎日だ。灰色で、埃っぽくて、窮屈で、退屈なのに忙しく休む暇もない毎日。 「……はぁ」  普段の出張なら飛行機なんて使わない。高いから。どこまででも電車と新幹線で向かうだろう。でも、今回は当初の予定では課長が行くことになっていたから、飛行機になっていた。しかもプレミアムシートって。なるほど、俺が行かされるわけだ。一番、文句を言わなそうな気の弱い俺が。他の営業に行かせたら、自分の時だけ飛行機かよって文句がつくだろうから。  でも新幹線のほうがよかった。 「気持ちわる……」  飛行機、死ぬかと思った。  二日間の出張、朝から晩まで、たった一人での選別、それから謝罪の嵐。ホテルに戻ったって、寝るだけで、旅行気分なんかじゃちっともない。そして帰りの飛行機は気流が乱れてるとかなんとかで、ホント、ずっと揺れてるし、そのせいで酔うし。ジェットコースターにでも乗ってるようだった。それが一時間も続く。おかげで降りてもまだ足元がふらつく。  ラッキーなのは今日はこのまま帰宅できるってことと明日が日曜で休日ってことくらいだ。っていってももう夜だけどさ。これから電車に乗って帰っても、もうスーパーだって開いてない時間帯だ。  とにかく手荷物を受け取って、早く帰ろう。  帰って、明日一日、が終わったらまた来週から仕事だ。 「はぁ……」  灰色の灰被り。シンデレラ。俺は姫じゃないから、あの魔法の杖は使って貰えそうもない。毎日ただ灰色だ。  埃っぽくて、窮屈で、退屈なのに忙しいそんな。 「おっと、失礼」 「……」  そんな毎日。 「…………君は」 「…………」  魔法の杖は、振って、貰えない。 「敦之、さん……」

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