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第33.5話 敦之視点 王子の憂鬱
少しはしゃぎすぎたかな。この前、拓馬に無理をさせてしまった。
もうここで終いにするべきだと、思っていたから。それなのに、また再会したら、終いにしたくなくなった。
『あ、あの! お疲れ様です! 俺、えっと、拓馬ですっ」
「……うん、わかってるよ。着信のところに名前が出るから」
『あ! ですよね!』
可愛いな、と思った。
慌てている様子が電話越しでも目に浮かぶ。
彼がどんな仕事をしているかは知らない。営業をやっているというのは聞いた。小さな町工場の営業マンをしていると。
「仕事、終わったの?」
『あ、終わりました』
息が切れてるな。走ってるのかもしれない。
「じゃあ、今から、会おうか」
また会って欲しいと彼から言われた。偶然の再会、一度目は俺が誘った。二度目の偶然で三回目の遭遇は彼が俺を誘った。
それがたまらなくて、まだ初心者の彼を少し強引に抱いてしまったんだ。
『わっ!』
「拓馬?」
『す、すみません。な、なんでもないです』
大丈夫かな。転んだりしそうだ。少し心配だな。彼は細いから。
「そう? そしたら……」
会ったら、大丈夫か確認しよう。彼はいつも無理をするところがあるから。
「それじゃあ、また後で。気をつけて、ゆっくりおいで」
ゆっくり、と言ったけれど拓馬は一生懸命に今も走っているのかもしれない。
「行き先はどちらにしますか?」
「あぁ、駅へ向かってくれ」
「承知しました。駅へ……」
指示に従った運転手がウインカーを出し、次の信号で、真っ直ぐ進むはずだったルートを左へと進路を変えた。
「…………いかがなものかと」
曲がった途端、斜め前から低くけれど澄んだ氷かけの水のように冷ややかな声が、はしゃぐ気持ちを諭すようにぽつりと呟いた。
「どうしてだ?」
今度は小さな溜め息を溢して、仕事用のタブレットを閉じると、じっとこちらを見つめてる。どうして? そんなのわかっているだろう? とでも言いたそうに。
「仕事に支障をきたすようなことは」
「していないだろ? 今日の仕事は終わらせた。明日が休みにしてあるのは前々からの予定でそうなっていたはずだ。どこにも支障をきたしていないし、秘書であるお前を困らせてはいないだろ?」
溜め息は小さい。けれど、不快だと物語るような眉間のシワは深い。
「いつもの遊び相手とは、違いすぎるでしょう? …………兄さん。普段はもう少し手軽な相手を選んでいたのに、これじゃまるで、また」
兄だと仕事中に呼ぶことは決してないのに。
つまりは、家族としての忠告……かな。
「それに、どうせ」
「雪隆(ゆきたか)」
「……失礼しました。敦之様」
続きを口にするのを遮るように、名前を呼ぶと、弟の顔を引っ込めて、冷たく物静かな秘書の顔を作った。確かに、今までの相手とは違う。今までは後腐れのない相手を選んでいた。「また」「どうせ」その言葉を口にしなくても、胸の内にずっと持っていたのは俺だ。なのに、今は――。
「口が過ぎました。仕事以外のことでした」
仕事に支障はきたしてない。だから、秘書にとやかく言われることはない。けれど。
「もう七月だな」
「? 何か、ありましたか?」
「いや……何も?」
けれど、拓馬に会う日はつい浮かれてしまっているから、たまに、そうだな、今日はご機嫌ですねと会う人に挨拶の度に言われてしまうことがあるな。そして今ももちろんはしゃいでいる。だから、煌びやかな夜の繁華街を車の中から眺めて、不機嫌そうな秘書には見つからないようにそっと微笑んだ。
遊び相手、か。
そうだな。遊び相手のつもりだった。最初は、ただ、罰ゲームのキスしか、唇を拭われるようなキスしか知らないと話す彼に優しくしてやりたいと思った。
ただそれだけだった。
セックスは辿々しくて、喘ぎ声一つに戸惑う様子が可愛かった。
優しくイかせたいと思った。
ただそれだけだったのに、いつからだろう。そうだな、きっかけなんて些細なものなんだ。君に話したら、笑うかもしれない。そのくらい小さなきっかけで、優しくしてやりたいと思っただけだったのが、いつしか優しさ以上のものに変わってしまった。
「待ちきれなくて、迎えに来てしまった」
「あっ」
バスルームに迎えにいくと、彼は自分の裸をじっと見つめていた。見られていたと頬を赤くしてしまう。また、抱き心地が悪いだなんて、可愛いことを心配しているんだろう。不安そうにしがみついて、俺を煽るんだ。
だから、君も悪いよ。
優しくしてあげたい、だけじゃ……なくなってしまったのは君のせいでもある。
君が、可愛いから。
「ズボン、濡れちゃいます。まだ拭いてない、のに」
濡れたまま、鏡の前に立つ君に、甘くて美味しそうなおやつを良い子で待つこともできない我儘な子どもみたいに手を出してしまう。
ほら、まだシャワーを浴びてないだろ。マナー違反だ。
「すぐに上がるから待ってて」
「あっ……」
シャツのボタンを外そうとした手に、湯の雫でみずみずしさを増した彼の手が重なる。
「あ、の……敦之さんっ」
「?」
「も、できます」
「?」
「準備、しました、から」
ただそれだけで興奮した。奥まで捩じ込んでしまいたくなる。君の中へ、全部。
「このまま、でも、平気、です」
「……」
「も、ここ、入り、ます。敦之さんの」
真っ赤になりながら、まだ濡れた髪から雫を落とす彼の潤んだ瞳に欲情して、彼の全部を自分のものにしたいと、我儘な子どものように、我慢が利かなくなってしまった。
「あ、あ、あ、あ、あ」
今日は仕事があったのに、電話越しに急いでいた様子の君が愛しかった。
今夜のために準備をしたと柔く仕上がった身体を自分から開いた君にゾクゾクした。
「あぁぁっそこ、イッちゃっ」
「ダメ」
「あ、なんでっ」
甘い声が聞きたくて、奥を貪るように貫くと、細い腰をくねらせる君のやらしい顔がバスルームの大きな鏡に写ってる。
「次から、準備はしなくていいよ」
「え、あ、どうしてっ」
「準備は、自分でしなくていい」
最初、キスひとつに狼狽えていた君。
「あ、あ、あっ、それっ」
「わかった? 拓馬、わかったら、イカせてあげる」
「あっ、わかった、わかったから、あ、あぁぁ」
でも今、抱かれる快感を覚えた身体を火照らせて、白い素肌にいくつものキスマークをつけた君が気持ち良さそうに鏡の前で喘いでる。突く度に背中を反らせて、細い腰をくねらせてる。根本まで君の中に入れると、とても甘い声をあげるんだ。やらしくて、淫らで。
―― …………いかがなものかと。
俺もそう思うよ。お前に言われなくても、自覚はしてる。
――いつもの遊び相手とは、違いすぎるでしょう?
でももう手遅れだったんだ。諭すには手遅れだ。
「あ、イク、敦之、さんっ」
「っ」
慰めてやりたい思っていた彼をいつの間にか独り占めしたいと思うようになっていた。
優しくしてやりたいと思っていた彼を自分だけのものにしたくて激しく抱いた。
もう手遅れだ。
「拓馬、っ」
君にとっては失恋を紛らわすため、初めての快楽に溺れてるだけ、それでもいい。
――また、どうせ。
そうだな。そうかもしれない。また、どうせ、そうなるかもしれない。
でも、それでもいいからと、今日君を抱けることに上機嫌になるくらい。
「あっ……ン、敦之、さん……もっと」
淫らに育てた君を誰にも盗られたくないと思うくらいには、君のことが――。
「もっと、して」
「拓馬」
もう……。
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