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第38話 「友人」リスト
いつも金曜の夜なんだ。
あの人に会えるのは。
仕事の後、駅で待ち合わせて、その駅もたまにバラバラで。多分あの人の仕事の都合なんじゃないかな。どんな仕事をしているのかは知らないけれど、秘書がいるくらいだから、どっかのすごい社長とかなのかなって。うちの部長が恥ずかしいことに大騒ぎをした高級レストラン、あそこの常連っぽかったし。
週明け、会社に行くと、その恥ずかしい部長が上機嫌で斜め前に座る女性スタッフに話してたっけ。席が空いてなくて、困ったなって言ったら、店が機転を効かせてとてもいい席をわざわざ作ってくれたんだって。中庭がよく見える個室で、顧客は大満足、自分も大満足、あははははー……って。
個室利用料が驚きの価格だったけれど、会社の経費だからラッキーだったな、あははははー……って。
機転を効かせたんじゃない。
敦之さんが席を譲ってくれたんだ。
予約の間違えのお詫びにいい席を用意してくれたんじゃない。
敦之さんがあのレストランのとても良い席で食事をするはずだったんだ。
そんなことも知らずに笑ってた。ふんぞり返って。
でも社長はそんなことしない。
敦之さんは多分社長とかだけど、そんなふんぞり返って笑わないし、そんなふうに女性スタッフが顔を引き攣らせて愛想笑いなんてしない。
あそこに敦之さんが座っていたら、女性スタッフはみんな真っ赤になって卒倒するんじゃないか? とりあえず、うっとりはする。
次はいつ会えるだろう。
土日、なんて無理だ……よな。
仕事の後だろうが、会えるなんてラッキーだ。
「友人」なんだから我儘はよくない。
そんなの言ったら「友人」じゃなくなっちゃうじゃん。
他にも敦之さんの「友人」はたくさんいるんだから。金曜日でも、仕事の後でもなんでもあの人の会いたい「友人」リストに自分が入ってるんだから。それだけで充分。
「……はぁ」
なんか、欲張りすぎる自分に困ってる。
分不相応なんだぞって頭では理解してるのに、気持ちがイヤイヤをして、身体が欲しがって、困ってる。考えてもみろよ。今までだったらありえないことなんだぞ? 月一だって会えたらラッキーくらいに思わないとだめだろ。
控えめでいないと、そう思うのに。
もっと会いたいって思ってしまう。
「お疲れーっす」
「あ、立花君」
いつもの休憩室。この前は敦之さんに譲ってもらった特上席での会食に上機嫌だったのに、今日は随分とご機嫌斜めで舌打ちばかりするし、八つ当たりとかしてくるから、休憩所に避難していた。部長が外出するまではできるだけでデスクにいない方がいいなって。いると仕事押し付けられそうだし。
「溜め息も出ますよねぇ」
「?」
「だって、ボーナスやっぱ出ないとか、マジでー……って感じじゃないっすか」
「そうなの?」
「知らなかったんすか?」
知らなかった。でも、なるほど。部長が機嫌悪かったのはそれか。あんな大口の仕事取ってきたのに、ボーナスが出ないなんて、冗談じゃない、って感じだったのか。
「製造大ブーイングっすよ」
どうやら、その部長が取ってきた大口の仕事が確かに出荷数とかで言ったらかなりの量なんだけれど、経費がすごいんだって。不良もたくさん出るから、その分を加味して多めどころじゃない予備分を発注しなければならないし、不良が多発するから製造部門はその度に作業が中断する。残業は増える。仕事は詰まってく。土曜出勤なんてしたくないのに。会社で働くモチベーションなんて地底にめり込むくらいに低いのに。
挙げ句の果てにはボーナスゼロ。
そりゃ大ブーイングかもしれない。
「また一人製造辞めちゃうし」
「え、そうなの?」
「そうなんす。ボーナス出ないんじゃやってられねぇって」
「……そっか」
景気の良い会社ではない。社屋はオンボロ、あまり掃除も行き届いてないから、よくよく見れば埃だらけ。そして従業員のやる気もない。ボーナスもない。
「ほら、今年、昇給ほぼしてなかったじゃないっすか」
「あー、まぁ」
収入も増えないのなら、ここで働く気なんて失せる。
「立花君は辞めないの?」
「んな! そんなぁ、あっけらかんと言わないでくださいよー」
「だ、だって」
うわーん、なんて子どもみたいに泣き真似をして、立花君が俺の肩に頭を乗せた。金髪の根元が黒くなってる頭がすぐ近くにあって狼狽えてしまう。
「ちょ、あの、俺汗臭いから」
「すげぇ良い匂い」
「へ?」
「良い匂いー」
「あ、ボディミスト、かな」
「へぇ」
「どこにでも売ってるよ。薬局、とか」
デパートとかのじゃない。そこらの薬局で売ってるもの。気軽に手に入る。
「へぇ」
前は敦之さんに会う時だけつけてた。貧乏性だから、勿体無くて普段はつけてなかったんだけど、今はつけてるんだ。肌の保湿に効果的って書いてあったから。それにいつもつけてれば、いつ敦之さんの都合が空いて、「友人」リストの中から俺が選ばれても大丈夫、かなって。
「そういうのつけるんすねぇ。やっぱ営業マンは違うんだなぁ」
「いや……そういうわけじゃ」
「俺、学歴ないし、就職活動も結構苦労したんすよ。やっとなれた正社員だし。今はこのままかなぁ」
「そっか……」
「はぁ、俺はまだここで働くんすけど、小野池さんも辞めないでくださいね」
「あー、うん」
「そんじゃー、俺は、まだ不良の仕分け残ってるんで」
「あ、うん」
「良い匂いに癒されましたぁ」
立花君はニコッと笑ってそう言うと、くたびれた作業服のポケットに手を突っ込んで、現場へと戻っていった。
良い匂い、かな。
前に、どこかで聞いたことがある。
匂いは一番記憶に残るんだって。
俺が買ったのはどこにでもある薬局のボディミストだからさ。
「……」
どこにでもあるから、どこかであの人がこれと同じ匂いを嗅いで、俺のこと一瞬でも思い出してくれたらいいなぁなんて、思ったんだ。
思い出して、あぁ、って、会う「友人」リストから俺をピックアップしてくれないかなって。
そう、思った。
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