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第43話 ペンギン

 水族館がデートコースに選ばれる理由が分かったのが俺は嬉しかった。   涼しくて、綺麗で、楽しくて。カラフルな魚たちも、ゆったりと泳ぐ色々な生き物たちも、ふわりふわりと見惚れるほど優雅に漂う海月も、深い海の中に自分もいるような気分になれる大きな水槽も水中トンネルも、全部が全部ロマンチックだ。  そこでデートをした。  シャチのショーの合間にキスをした。人がたくさんいますよって言ったら、大丈夫、シャチが上手に誤魔化してくれるって、貴方は笑っていた。  貴方に内緒で、貴方のことを好きな俺はそのキスが嬉しかった。  あの瞬間は、貴方が人目を気にするよりも、キスをしたいと思ってくれたってことだから。俺に、キスをさ。それがその場の雰囲気だろうと、ノリだろうと、その瞬間は、確かに思ってくれたから。  キスがしたいって。  そのあと、ギフトショップに帰り際立ち寄ると何でも好きなものを買ってあげると甘やかしてくれるのが嬉しかった。  俺は選びに選んで買ったんだ。  俺が敦之さんに買った。  俺が君に買うんだよ? って、言う貴方に思う存分我儘を言って、受け取ってもらった。  笑いのネタって言ってさ。  買ったのは空を飛んでいるペンギンのイラストがプリントされたTシャツ。  一枚三千五百円。きっと敦之さんの持っているネクタイー本にも届かない値段。ハンカチくらい、かな。その代金で買える敦之さんの持っていそうなものなんて。  寝巻にでもしてくださいって言ってさ。着てくれなくてかまわないんだ。  ただ俺が着たかったから。キーホルダーじゃあ、それこそ話のネタにもならなくて、きっとしばらくしたら貴方の記憶の端っこにも止まれないかもしれない、だから、少しダサい気がするくらいのTシャツがちょうど良いと思った。  貴方が決して着ないような、選ばないようなものがいい。いつも身につけられるとかじゃなくていい、持っていてもらえなくてもいい、このくらいダサければ話のネタになるから。前によく遊んでいた「友人」がこんな面白いものをくれたんだよって、他の人への話のネタ程度になれば、それで。  なのにさ。  ――どうだろう。似合ってるかな。  なんて言って、そのギフトショップ近くにあったトイレなんかで着替えてくるから、びっくりした。  きっと何万もするだろうかっこいいサマーセーターの代わりのTシャツ。  ――はい。次は君の番。  って、言われて、俺も着替えた。  とにかく敦之さんの記憶に残りたいって思って選んだものだから、二人で揃いで着るにはかなり照れくさいけど、ホント、めちゃくちゃ恥ずかしいけど。  着替え終わって、トイレから出ていくと、二人全く同じTシャツを着ていて、貴方は微笑んで。  ――うん。似合う。  なんて言うから。  ――俺はまだしも、敦之さんは……似合ってないです。  って、素直に答えて。  ――うーん、そうかな。  って、本当に悩んじゃうから。  でも着てもらえて嬉しいですって言った。  貴方は今度はくしゃくしゃに笑って。  ――拓馬。ありがとう。  とても楽しそうに言うから。俺はとても嬉しくて。  今日一日くらいいいじゃん、って思った。  今日一日くらい望みを叶えたいって。 「デート、したことないって学生の時は?」 「ないですよ〜」  酔っぱらってしまった。  一日中、水族館の周りをぶらぶらしていた。周囲は観光地になっていて、小さなお店がたくさんぎっしりと並んでいる。外国人観光客向けの和物雑貨に、天然石を使ったアクセサリーショップ。個人経営のお洒落な洋服屋はこのペンギンTシャツじゃ入るのを躊躇ってしまった。 「だって、俺、敦之さんが初めてって言ったじゃないですか」  酔っ払って、少し感覚が鈍ったような、でも鮮やかになったような、変な感じのする指先で今いるレストランの名前が入ったコースターの縁をなぞった。  水族館の後は街を歩いて、夕どきに、オープンカフェスタイルのレストランに入った。夕陽を眺めながらお食事、いかがですか? っていうのに惹かれたんだ。ワンプレート千五百円の一般的なレストラン。料理は、多分南国風みたいな感じ。ハワイアン、なのかな。でも、いつも敦之さんがワインと一緒に食べるような料理とは全然違う。もちろん、そんなこと気にする様子もなく、上品にカッコよくワインを飲みながら食事をしている。  外の席にした。  ここだとちょうど夕陽が見えて綺麗だからって、二人で屋外の席を選んだ。もう夏だから、暑くて、店内の方が涼しいだろうけれど、俺も外の席がよかったんだ。人があまりいなくて落ち着くし、それに、綺麗だから。  綺麗な夕陽に照らされた敦之さんがとても綺麗だったから。 「うん……そうだったね」  この時間はいつも仕事で忙しくて、夕陽なんて見ていられない。感傷的になる暇なんてないくらい、バタつく時間帯。  貴方に会うのはいつも夜だから。 「君の初めての男だ」  夜以外の貴方を静かに眺めていたい。  そう独り占めできるものじゃないから。  安い三千五百円のTシャツを着た貴方も、今日何度も見かけた、顔をくしゃくしゃにして笑う貴方も、全部。 「そうです。俺の初めての人なんです」  我儘をけっこうした。貴方に似合わないTシャツを送りつけて、貴方が普段行かないようなお店で食事をして。  今日一日くらい望みを叶えたっていいでしょ、なんて我儘を胸のうちで呟いて。  望みを、世界中の人に贅沢すぎると叱られそうな綺麗で優しいこの人に相手をしてもらって、叶えた。 「貴方は、俺の……」  好きな人とデートをする。  そんな望みを。

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