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第48話 待ち合わせ

 少し無理なスケジュールっぽくて、それでも会いたいと言ってもらえたことがすごくすごく嬉しくて。  無理ってさ、ネガティブな言葉だと思う。  無理矢理とか、無理難題とか。  でも、この場合はとても嬉しくてさ。  無理してでも会いたいって思ってくれてるって、無理なスケジュールでも時間を作ってくれたんだって。  普段とは違う、俺が待っている状況なことに、その「無理」を実感できて、口元が緩んでしまう。つい、笑ってしまう。  待ち合わせたのはいつもどおり、駅前だった。  いつもは敦之さんの方が先に待っていてくれたんだ。だけど、今日は、その待ち合わせた駅に彼はいなくて、俺が待っていた。  常用になっているボディミストをつけすぎたのか、今日は夜になっても昼間の暑さが残っているからか、ただ立ってるだけなのに自分から強く香ってる気がした。  いい香りって、思ってくれるかな。  会えるのが待ちきれなくて、早めに着きすぎた俺は駅ビルの中をぶらぶらして、新しくボディミストを買ってしまったんだ。薬局の安いのじゃなくて、少し奮発して、高くて、柑橘系の爽やかで、でも、どこか甘い香りのに。  美味しそうな香りだったから。 「……」  肌の保湿効果も高いって書いてあってさ。  なんか、何もかも、あの人に抱いて欲しいがための、って感じがして、待っているだけなのに、頬が熱くなっていく。自分の安易で浅はかな考えが見透かされてしまいそうで。  それに、急に会えるってなったから、その、鍵を、合鍵をいきおいで持ってきてしまったんだ。ポケットに、一つはキーホルダーのついた鍵が、そしてもう一つ、何もついていないストックの合鍵が、一つ。  彼に、渡してみようかな、なんて。  困らせてしまうかもしれないから、様子を見てさ、ほら、ホテルばっかりじゃお金たくさん使わせてしまうだろうしって。俺は庶民だから、今度は俺が出しますなんて言えないし、とか言いながら、気軽に、いつでも使って入ってください、とか言ってみたり、とかして。  優しいあの人に気を使わせてしまわないように。  気軽に、何気ない感じをイメージして、頭の中で何度も言い出し方を練習していた。 「あれ? 小野池さん?」 「!」 「あ、やっぱ小野池さんだ」 「ぁ、立花君」  びっくりした。 「わー、びっくりした。もしかしてそうかなぁって思って。こんな偶然あるんすね」 「ぁ、うん」  こんなところでまさか遭遇するなんてことあるんだ。会社近くとかなら、まだあり得るかもしれないけど、こんな人の多い、大きな駅で、知り合いに会う確率なんて。 「俺、近くで飲んでたんすよ」 「そうなんだ」 「小野池さんは待ち合わせ……あ! もしかしてぇ、彼女さんっすか!」 「あ、いや……」 「うししし、わかりますよ〜、だって、いつものいい匂いが、いつもと違いますもんねぇ、なんか、ぐふふふ」 「! こ、これは、違っ」  やっぱりたくさんつけすぎたのか。汗のせいかもしれないけれど、立花君に香りを気がつかれて、途端に真っ赤になって、身体が更に熱くなった。 「いやいや、いいじゃないっすか」 「いや、だから」 「あ、そうだ、今度、製造で飲み会あるんすよ。いっつも小野池さん、製造のヘルプ入ってくれるし、今度一緒に飲みましょうよ。会社の近くに小さな居酒屋があるんすけど、そこが製造部長のお気に入りで。ちょーっと汚いところっすけど、もつ煮がめっちゃ美味いんで」  立花君はよく話す方だけど、口調がいつも以上に楽しげだった。少し酔っ払っているのかもしれない。 「もつ煮にビールとか、小野池さんにはあんま似合わなそうですけど」 「え、そんなことないよ、俺は」 「スーツバリバリ着こなしちゃうから、なんかオシャレなイタリアンとか、行ってそうっすもん」 「そんなこと」  それが似合うのはきっと敦之さんだよ。俺は、むしろ、チェーン店の居酒屋の方がずっとお似合いで。 「けど! 行きましょう! めっちゃ美味いんで! それじゃあ、また今度」 「あ、うん」  立花君はくるりと踵を返し、歩き出して、一度振り返って手をこっちに振った。  俺もそれに答えるように手を振ると、ニコッと笑った立花君が、彼と一緒に飲んでいた友達なんだろう数人の輪の中へと戻っていく。そして、何かを話してる。多分、会社の人に会ったんだって、説明しているのか、その友達たちがこちらへ視線を向けた。  どーも、って、心の中で返事をしながら、もう一度手を振っ――。 「ぁ、敦之さん」  手を振ったら、その手を掴まれて、びっくりした。 「あ、おかえりなさい。あと、あの、お疲れ様、です」  敦之さんだ。 「あのっ」  会えた。 「敦之、さん?」 「……行こう」 「あ、はい」  微笑んでくれるって思った。仕事がきつかったとかなんだろうか。そりゃ、そうか。昨日会う約束をしていたのにそれが無理になってしまうほど忙しかったんだ。  忙しかったに決まってる。 「!」  ホテルに向かってる。  手首を掴まれたまま。 「……」  その急いでいるように見える敦之さんの大きな歩幅に合わせながら、掴まれた手首が熱くて、真っ赤になっているだろう俺に通り過ぎる人が振り返って見ているんじゃないかって、そわそわしていた。  ずっとずっと彼に会いたかったと丸見えなんじゃないかって、そわそわした。

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