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第55話 しがない
「すみません。上がってください。狭くて小さな部屋なんですけど」
「……エプロン」
「ぇ?」
部屋に招いて、キッチンでかけっぱなしにしていたカレーの火を慌てて消した。
約束の時間はまだもう少し、だったから、料理の仕上げっていうか、カレーだから仕上げるほどのことでもないんだけど、煮ていたんだ。はねたらイヤだから、エプロンをしてた。ちょうどその時、敦之さんから連絡が来て、慌てて外に出たものだから、エプロンは付けたままだった。
「エプロン? ……あ、すみません! 俺作っちゃったんです! その、どこか食べにいくつもりでしたか?」
間違えたかなって、敦之さんが驚いた顔をするから。
「カレーを……」
すごい庶民的な夕飯で、もっと美味しそうなものが良かったかなって。
「作っちゃって」
敦之さんがものすごく驚いた顔をするから。
「……いや、なんというか」
敦之さんが、口元を掌で隠して、その中で大きく、大きく溜め息をついたかと思ったら、目元をその手で隠してしまったから。
レストランとかで食べてから、うちでゆっくりワインとかを飲む方が良かったのかもしれないって。そしたら、うちではチーズとかその程度を用意するだけで良かったし。
「すみませんっ、敦之さん」
「いや、そうじゃなくて、そういうの俺にはないと思ってたんだが」
「え?」
「けっこう来るんだなと思ったんだよ」
「?」
「好きな子のエプロン姿って」
「…………ええええ!」
耳まで真っ赤になっていた。
俺じゃなくて、敦之さんが。
「よく言うだろ? そういうの男のロマンだなんだって。ないだろうと思ってたんだよ」
「!」
「思ってたんだけど、俺にもあるらしい」
「あ、あのっ」
「エプロン、可愛いな」
「たっ」
ただの、普通のエプロンだ。青い色の、普通のエプロン。普段はもっと適当だから、自炊の時なんてそんなものつけてない。家着に調味料が跳ねたって別に構わないし、なんて言ったら、幻滅されてしまうだろうけど。今日、この日のために買ったんだ。
でもだからってすごいエプロンとかそんなのじゃなくて、スーパーに添え物みたいにこっそりと、お料理するなら一枚いかがです? って感じで、売り場の隅っこで売っていた普通のエプロン。
「ふ、普通のエプロンです……」
「あぁ、俺も前はそう思ってたよ」
エプロンをしただけで、そんなに嬉しそうに照れてもらえると、こっちはどうしたらいいのかわからなくて。
「……前……じゃあ、他の人のうちでこういうの」
「拓馬?」
「! あ! いえ、あのっ何でもないです」
「…………ないよ」
優しい声だった。
「好きな子のエプロン姿の破壊力のやられたのは」
「……破壊力」
「あぁ」
「…………あり、ましたか?」
「?」
「ユウ、さんより」
それはぽろりと零れた独り言だった。
ずっと根に持つみたいに気にしてたわけじゃない。最初、声をかけられたきっかけはその名前の人だった。その人の顔は知らない様子だった。だから、敦之さんは「友人」が多い人なんだろうって思ったんだ。とてもカッコ良くて、ゲイの俺からしてみたら、見惚れるほど綺麗な人だったから。きっとこの人に抱かれたいって思う人は多いだろうと。
けれど、会えば会うほど、この人のくれる何もかもが甘くて優しくて。
すごく優しい人だとわかったから、ゆっくり、段々とユウさんという顔も知らない人と一夜を共にする人のイメージから離れていった。
「気、気にしてるとかじゃない、です」
「……」
「その、なんというか、過去を気にしてるとかじゃなくて、それに、聞き出したいわけじゃなくてっ色んなこと」
敦之さんのことを俺はほとんど知らない。どんな仕事をしているのか、どこに住んでいるのか。
「俺は……」
「ち、違うんですっ、ホント、聞き出したいとかじゃなくて、その、料理する時とかずっと貴方のことを考えてて。オムライスに肉じゃが、唐揚げに、シチュー、ハンバーグとか。今までたくさん会ったけど、敦之さんがそういうの食べてるとこ見たことなくて。王子様っていうか」
「……」
「だから、その」
「……」
「貴方のことは、知ってます」
好きな食べ物はよく知らないけれど、楽しそうに食べるのは知ってる。
どんな仕事をしているのかは知らないけれど、忙しい人で、そんな忙しい中でも荒んだ気持ちを一つも溢さない強い人なのを知ってる。
「だから、これは、詮索とかじゃなくて、ただのヤキモチです」
「……」
「貴方を待たせたユウって人とかに、ただ、ヤキモチしてるんです」
俺と会っている時以外の貴方の様子はほとんどわからないけれど。俺と会ってくれる貴方が俺にとても優しくしてくれるのは、わかってる。
「カレーは好きだよ」
大事にされてるのは、恐縮してしまうけれど、自覚している。
「だから夕食がカレーで嬉しい」
「……」
「好きな子のエプロン姿には、そこらへんにいる男と同じでクラクラするというのは今さっきわかった」
「……」
「恋愛には不向きな男だった」
「……ぇ」
「けれど、今は一人の子に、ひどくハマってる」
「!」
「好きな子の手料理に嬉しくてたまらないくらいに普通の男だよ」
ただのしがないサラリーマンだけれど、貴方にとても……溺愛してもらっているのは、わかってる。
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