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第60話 煤(スス)
ガタン! ガチャン!
マウスのクリック音がうるさい。
「はぁっ」
溜め息にイライラが混ざってる。
こんな時は大体厄介事を押し付けられる。確率としては五十パーセント以上……かな。こういう時は――。
「外まわ……」
「外回りいってきます」
急いで脱出しておこうと思った矢先だった。
皆考えることは一緒らしい。
多分、このまま席に座っていると、また部長にどこかの工程へ手伝いに行かされるか、納期が遅れている仕事の対応をさせられる。っていっても、納期に対して余裕を持った仕事の進捗を図ろうとする従業員が少ないのだから、納期遅れが解消なんてするわけがない。
そそくさと営業部の自分のデスクを離れて、外は灼熱の暑さだろうが、早い者勝ちな営業車の車の鍵をホワイトボード脇のキーボックスから奪うとここから脱出――しようとしたんだけど、他の営業に先を越されてしまった。
やっぱり不器用だなぁって自分に溜め息を小さくつきつつ、後、しばらくしたら八つ当たりされるだろうここから、僅かな抵抗と休憩室へと一時避難をすることにした。
「これから、外回りっすか?」
「あ、立花君。違うよ。外回りに行こうとしたら先を越された」
「お疲れーっす」
「お疲れ様」
あはは、と立花君が笑って、俺は一時避難場所でコーヒーを飲むことにした。
「営業部長、イラついてます?」
「あー、うん」
「やっぱ。それ製造のせいかも」
どうやら機械が一つ調子が悪いらしい。普段はあまり使わない機械なのだけれど、今回はそれを使って作るらしくて。久々に稼働させたら、昨日の夜遅くに壊れてしまった。どうにも動かないんだと朝から修繕に取り掛かっていて、仕事が一部ストップしているんだって。となれば、すでに納期遅れで客先からは早くしろとせっつかれ続けている営業部長にしてみたら、更なる納期遅れが決定的な機械の故障は相当なストレスだろう。
でも仕方ないんだ。
経営者がメンテナンス代すら節約するから、業者に依頼しての機械メンテナンスなんてもうずっとしてもらえてない。定期メンテができてないまま何十年と動かし続けていればガタもくる。そしてそれを社内の人間がどうにかこうにかその場しのぎで修繕するから……。一度、業者以外が中をいじってしまえばもうメンテナンスはしてもらえない。勝手にいじっちゃいけないわけだから。
きっと今頃製造現場の方は止まってしまった機械の修繕をと製造のベテラン勢が奮闘してくれているんだろう。労いと、手伝いを営業部長自らすれば少しは対応も良くなるかもしれないのに。客先からの煽りにイライラするばかりでさ。
「手伝うよ」
「へ?」
立花君が驚いた顔をした。
「壊れてるの。何か俺でも手伝えることあるかもしれないし。壊れちゃった機械、前に製造のヘルプでやったことあるんだ。何かわかるかもしれない」
ちょうどコーヒーも飲み終えたし。
「一回、上に戻って、部長に行ってからまた来るよ」
デスクに戻ってイライラしている人のそばで当たられるのを待つよりは、自分から納期遅れを少しでも解消するべく動いた方がマシ、かなって思ったんだ。
「これ、使ったことあるんすか?」
「あー、うん。入社したての頃かな」
「へー」
「その時もさ、この辺の調子が悪くて、って、っここ、んとこっ」
機械の隙間から手を入れて指を挿すと、立花君がそこを覗き込んだ。
製造で機械が壊れてしまったみたいなので手伝いに行ってきますと自分から名乗り出ると、営業部長が目を丸くしていた。
「お、おお」
なんて、少し呆けた返事をしてたのが少し面白かった。
他の製造部の人には通常通りの仕事をしてもらって、俺と、立候補してくれた立花君とでこの機械のメンテナンスを請け負った。そしたら、この機械を使うものは作れないけれど、それ以外のものなら進められるから。
「なるほど」
作業服を着たけれど、スラックスのままの俺に、汚れてしまうからと、今度は立花君が手を伸ばし、その機械の中を探ってみる。
「……最近、頑張ってるんすね」
「え?」
「なんか、最近、元気だなぁって」
「……ぁ、あー、うん、そう、かな」
「……彼女さんと上手くいってんすか?」
「あー、まぁ……ぅ、ん」
「……そっか」
上手くいってる、とか、彼女、とか、なんか、全然違うんだけど、でも、なんかそう言われると照れ臭い。
「……大変そう、っすね」
「え?」
「いや、結構、落ち込んだり、テンション沈んだり、ほら、一時、全然会えなかったりしてませんでした?」
「あー、仕事、忙しい人だから」
全然会えなかったのは確かに仕事だ。テンションもまぁ浮き沈みが激しいかもしれない。
「……どんな仕事してる人なんすか?」
「え?」
「仕事」
仕事……。
「……ぁ、えっと、知らないんだ」
「え?」
「何をしてるのかは、知らなくて」
「マジっすか?」
「ぁ、うん」
「あの、それって、その大丈夫なんすか? 仕事知らないって」
「平気だよ」
「……」
俺も、どんな仕事をしてるのか詳しく話したことない。こんなブラック企業に勤めていて、毎日すり減るように仕事をしているとか、話せてない。
「でも、それって」
立花君はそこで言うのをやめた。
「あ、ここかな」
その時、機械で壊れた箇所を見つけられたらしくて、立花君が機械から腕を抜いた。その腕は作業服の袖が真っ黒になるくらい、ススだらけで、こりゃ動かないっしょって、二人で笑った。
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