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第63話 今

 出張から帰ってきた敦之さんは本当にそのままうちへ来てくれた。会いたかった、なんて映画のワンシーンみたいなセリフとスーツケースの中にたんまりとお土産を敷き詰めて。一人暮らしの俺には多すぎる、それこそ笑っちゃうくらいにたくさんのお土産を届けに。 「あぁ……ン」  敦之さんが抜ける瞬間、甘ったるい声と一緒にとろりと前から残っていた白が溢れて零れた。 「拓馬」 「ンっ……ん、ンッ、ん」  息が乱れて、熱に濡れたひどく敏感な身体を敦之さんが抱き締めながら深く深く舌を絡めてキスをする。達した直後で痺れている舌先を一生懸命に絡ませながら。 「ン……もっと」  ねだって、腕で彼の首にしがみついた。 「結婚式の招待状?」 「あ、はい。敦之さんを迎えにいく時に投函しようと思ったんですけど、忘れちゃって」  明日の朝、出勤の時にでも出し忘れないようにと目立つキッチンの所の棚に置いておいた。 「この結婚式って……」  俺の代わりにキッチンでコーヒーを入れてくれる姿をじっと見つめてしまう。少し不思議な感じがしますって、前に話したら笑ってたっけ。いつもはホテルだったから、コーヒーを淹れて飲む姿も絵になる感じだったけど、ほら、うちのキッチンにそんな絵になるような背景力があるわけなくて、なんというか、生活感溢れるキッチンと王子様っていう組み合わせが違和感すごくて。 「そうです。あの時の、敦之さんに出会った時の」 「君が好きだった彼の、だろう?」 「はい」  ベッドに戻ってくると、淹れたてのコーヒーを俺に渡してくれた。ミルクと砂糖の入った、少し甘めのコーヒー。 「……悲しくないか?」 「大丈夫です」 「……」 「敦之さんに出会ってなかったら、どんな気持ちでこれの返信を書いてたんだろうとは思いましたけど」  敦之さんはブラック。甘いのはひどく仕事に疲れた時に飲むんだって教えてくれた。  前にすごくすごく疲れて、仕事の帰り道、だったのかな。うちへ寄ってくれたことがあった。ひどく疲れていた彼にコーヒーを淹れてあげて、砂糖とミルク入れますねって言ったんだ。疲れてる時は甘いのを飲むって聞いていたから。そしたら、大丈夫、ブラックでいいと言われた。そして、俺にキスをして、甘いコーヒーは今味わったから、なんて、少し照れくさい台詞を囁いて、笑っていた。  玄関を開けて迎え入れた彼は顔色さえ悪かったのに。  そんな甘い台詞を囁く彼は頬がほんのり色づいていた。  俺がいれば疲れなんて吹っ飛ぶなんて、言って。  すごく、くすぐったくて、心地よかった。 「今は、おめでとうって思います」 「……」 「今は、とても好きな人がいるから」  今日もとても疲れてそうだったから。 「……」  そっと、コーヒーを口にしたばかりの唇でキスをした。疲れなんて吹っ飛びますようにと願いを込めて。 「あ、そうだ! あの! せっかくなので、コーヒーと一緒に、さっき敦之さんから頂いたお菓子、食べましょう? それから、えっと、待っててください、今、服を、敦之さんのうちで着る服を、って、うわぁ!」  ベッドから出ようとしたところを手首を掴まれ、そのベッドの中へと引き戻された。  組み敷かれて、まだ上半身裸の彼に見つめられて、今さっき抱き合っていたのに、恥ずかしいことだってたくさんしたのに、ただ見つめられるだけのことにドキドキしてる。 「好きだよ。拓馬」  ただ、そう告げられるだけでドキドキしてしまう。 「君に好きだと言ってもらえると、たまらないな」 「……ぁ、の」 「嬉しくて仕方ない」 「……ん」  ゆっくり丁寧に唇が触れるだけで、ときめいてしまう。 「あの……」 「?」 「我儘を言っていいですか?」 「もちろん」  俺の好きな人。 「あの、今度、旅行、行きませんか?」  ホテルに宿泊したことは何度もある。けれど泊まるだけじゃなくて、なんというか。すごくすごく大それたことなんだけれど、これを口にしたら世界中から叱られそうだけれど。 「その、忙しいと思うんですけど。でも! あの、十月、敦之さん誕生日って言ってたじゃないですか! 二十五日! なので、そこの日……とか」  その日が誕生日だと知った時は、叶わないと思っていた。俺がこの人の誕生日を独り占めできるなんて、本当にこれっぽっちも思ってなかったんだ。 「俺、休み、あの有給たくさんあるんで取れます! 敦之さんの誕生日なんて、皆、祝いたがるに決まってますけど」  でも、望んでしまう。 「どこがいい?」 「え? い、いいんですか?」 「もちろん。旅行、どこでも連れて行くよ」  叱られるかもしれないけれど。  世界中から。 「あ」 「海外がいい? それとも、国内で、離島とか。秋なら紅葉が綺麗な良い旅館を知って」 「え、ええええ? あのっ」  旅行っていうさ、そのなんというか、レベルみたいなものが違いすぎる。突然の旅行プランでまず出てくるのが海外っていう選択肢なのも、次に出てきたのが「離島」っていうのも、もうセレブ感が凄すぎて。  一泊温泉旅行、なんていう普通の、そして庶民的なのしかイメージしていなかった俺には。 「やっぱり拓馬が行きたいところにしよう」  本当に優しい人なんだ。戸惑う俺に気がついた敦之さんが、さりげなく合わせてくれる。 「お、俺が思いつくようなところなんて言ったら普通の旅行になっちゃいますよ」 「もちろんそれがいい」 「じゃ、じゃあ」  手を伸ばして、引き寄せた。出張から帰ってきたばかりで疲れている彼を抱き抱えるように引き寄せて、連れ戻されたベッドに二人して沈むように。そして、そっと耳元で呟いた。 「敦之さんを」  我儘だと叱られそうだけれど、そっと、そっと、その耳元に。 「独り占めできるところ、あの、探します、ね」  そう囁くと、敦之さんが笑って、俺の前髪をかきあげる。額ってあまり出さないから、そんなことをされると気恥ずかしい。敦之さんほど整った顔をしているわけでもないから、なんというか何にも邪魔されず顔を見つめられると……。 「あ、あの敦之さん、ン……」  見つめられて、そのまま深くキスをした。  ベッドの中に沈んでしまいそうなくらい、敦之さんの体重を全て受け止めながらキスをして、角度を変えて、深く、呼吸も食べられてしまうような深いキス。  最初の頃、息の仕方もわからなかったっけ。  あの頃は、貴方を独り占めしたいなんて、絶対に思わなかったのに。そんなの思うだけでもしてはならないことだと。 「それなら」 「敦之さん?」 「独り占めなら、どこでも君は、いつもしているよ」 「ン、ぁっ」  首筋にキスマークを一つ増やした敦之さんの囁き声はとても優しくて、柔らかくて、気持ちがよかった。

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