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第67話 花
もう……何してるんだ、敦之さんってば。
ホント。
―― 電話、ちょうどいいところで切れる?
電話中にあんなこと。
―― 申し訳ないって言って電話を切って。ヤキモチやきの恋人がいるからって言って。
やらしいこと、するなんて。
―― 拓馬……。
立花君にヤキモチなんて、さ。
感じちゃうじゃん。
俺は、あの人の見せてくれる素顔はなんでも、すごく、好きなのに。上品で綺麗で高級なあの人がスーツで隠してる素顔。
「おっはようございます」
「!」
「ういーっす、今日もダルいっすねぇ」
立花君だった。背中を掌でパンと軽く叩いて、彼は俺を追い抜かすと、にっこり笑った。
「お、はよう……」
電話の、気がついてない、よね。電話の切り方が唐突すぎたから不審がられてるかなって心配していたんだけど。
「? どーかしたんすか? 小野池さん」
「ぁ……ううん、なんでも」
大丈夫だったみたいだ。
「旅行、グランピングでしたっけ」
「あ、うん」
「いいっすねぇ」
「そ、そうかな」
「セレブな恋人さんは喜んでくれそうっすか?」
「うん……」
「そっか」
あとで敦之さんにちょっとだけ怒ろう。ほんのちょっとだけ。そんな悪戯しなくたって、ヤキモチなんてしなくたって、あいにく生まれてこのかた、モテたことも、同性に恋愛対象と見られたこともありませんって。
「……よかったっすね」
ちゃんと言っておこう。
「十月、ですよね」
「うん」
「楽しみっすね」
「うん」
「あ、そうだ。もらった連絡先」
貴方だけですって。
だから、いまだに信じられないけれど、あの人が俺の恋人だって。でも、確かにあの人に俺は好かれていて、俺はあの人のことが大好きで。
「登録しちゃってもいいっすか? また何か相談でもなんでも乗りますし。製造の手伝いとかもよくしてくれるから、製造飲み会とか、一緒に」
「うん。全然、登録してもらって構わないよ」
「あざーっす」
いつかそれをすんなり信じられるんだろうか。いつか、あの人の恋人っていう実感も……そのうち、きっと。
そう、思ってた。
「うわぁ、すごいとこで挙式するんだな」
あいつ、見栄張ったのかな。結婚式の招待状を手に、ホテルのフロントフロアで高い高い天井を見上げた。天井にはそれは豪華なシャンデリアがぶら下がっていて、まるで舞踏会の会場みたいだった。お伽噺によく出てくる豪勢でキラキラ輝くガラスの粒。
そして目の前には森を思わせるほど存在感のある花が甘い香りとともにあった。
香りがするってことは本物の花なんだな。
敦之さんがいたら花の名前知ってるかな。甘い香りがする……この花、かな。黄色の花びらが何枚もふわりと広がるような形をした花から香ってくる気がする。写真とか撮ったら、教えてくれるかな。って、仕事の邪魔だよね。
今、敦之さんは出張中だから。
仕事で遠くに行っている。帰ってきたらお土産を持って、またうちに来てくれるって言ってた。
だから邪魔しないようにしないと。
これ、生け花ってやつ、だよね。
こんなの作れる人がいるんだなぁって。
胸いっぱいにその花のそばで深呼吸をした。人工的では作り出せない独特な花の匂い。
「あ、やば……えっと、会場は……」
花に見惚れていた。
どこでやるって言ってたっけ、結婚式。会場は……えっと。
見知った人にはまだ会えてないけれど。今日は日取りもいいから、大盛況なんだろう。あいつ以外にも結婚式を挙げるカップルが複数いるようで、そこかしこに招待されたスーツとドレスの群衆がいた。その隙間をぬって、案内通りにホテルの中を歩いて行った。
「あ! 小野池じゃーん」
「!」
同級生だった。よくあいつと一緒に連んでいた仲間内の一人。
「久しぶりだな」
「うん」
「式場、あっちだぜ。あいつもいたから、挨拶してやろうぜ」
「あ、うん」
毛足の長い絨毯に足音を吸い込まれながら、同級生と一緒にフロアの中を進むと、見知った顔が増えてきた。中には知らない顔もいる。そして、待合室のようなところに辿り着くと。
「あ! 拓馬!」
「……」
あいつがいた。
「久しぶりだなー! 元気だったか?」
「うん」
「この前、こいつを紹介した時以来だ」
「……うん、あ、どうも」
隣にいる花嫁にお辞儀をした。普通に。
「今日は二次会まで付き合えよー」
「うん」
普通に。
もしも、俺があの時、敦之さんに声をかけていなかったら、どんな気持ちでここにいたんだろうと思った。
悲しかっただろうか。
切なかっただろうか。
わからないけれど、でも確かなのは、こんなに穏やかにはいられなかっただろうってことで。
ずっと、挙式の間も披露宴の間もそんなことを考えていた。
祝いたいと心から思えていたかどうか。
笑っていられたかどうか。
「おーい! このやろう! かわいい花嫁さん捕まえやがってー!」
「あはは、うるせーよ。拓馬!」
「!」
「ありがとな。来てくれて。お前は親友だからさ」
その言葉にどんな気持ちになっていただろうか。
「うん。呼んでくれてありがとう」
「おう」
「本当に、おめでとう」
すごいな。どこもかしこも花がいっぱいだ。
結婚式はあっという間に終わってしまった。結構盛大に行われたから、あいつと話せたのはあの一回っきりで、それ以降はテーブルで同級生とほぼ飲み会状態だった。後半に出てきた二人の生い立ちをまとめた映像に自分たちが出てきて慌てて、照れて大笑いをしてた。そこには当時あいつのことを好きだった俺が映ってた。
「綺麗な花だなぁ……」
また見たくなって、花を眺めているととても穏やかな気持ちになれたから。豪華で、近く、本当に近くに行くと、花からかすかに甘い甘い香りがする。それはまるで――。
「小野池拓馬さん」
敦之さんみたいで。敦之さんと一緒にいる時みたいな気持ちになれる。
「ぁ…………貴方は」
「初めまして」
そう思ったんだ。
とても綺麗な花。
とても綺麗な人。
甘い香り。
まるでこの花は敦之さんみたいだなって思ったから、また見にきたんだ。そして、ふと思い出した。
「わたくしは、上条敦之の秘書をしております」
あの花を思い出した。
初めて、敦之さんを俺の部屋に招いた時に、持ってきてくれた小さな花束。貧相な俺の部屋には少し似つかわしくないきらきらとした花束。
「少し、お時間よろしいですか?」
花は、敦之さんみたいだなって、そう…………思った。
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